君が神様からの贈り物だったということを知るのが遅すぎた。



なんでも大切なものは失ってから気づくのだ。







Gift  















坂本氏が、帰国の途に着いたとき、それは鳴り物入りだった。

数年に渉る海外遊説・行脚の旅は、彼の評価や評判をよりいっそう高めるものとなった。

そのため、彼の親が経営する本社に取締役本部長として就任するということで、久方ぶりに日本に戻るとあって、関係者は、戦々恐々としていた。

彼の海外における「サムライ伝説」は、大概の人が荒唐無稽と一笑に付してしまうものだったが、実際に見聞きした人の言によると、笑うなどとんでもないことだった。すべてが九死に一生スペシャルで、アンビリーバボーな世界なのだそうである。

坂本氏が、あともう少し年を重ねて、人生の後半にさしかかろうとしたら、きっと、テレビ関係者も彼の数奇な人生をドキュメンタリータッチで映像化したいと、申し出たりするだろうが、今現在、彼の経済界に幅を利かせている父親の意向のせいか、たまさかにパーティーや酒の席で必ず話題に上るくらいで、今のところはすんでいる。まあ、もし坂本氏が自伝として出版したならば、おそらくベストセラーには間違いないだろう。

彼のサムライ伝説の端緒をここで紹介しよう。それは、彼がムンバイからオスローへ向かう飛行機の中で起こった。そのとき彼は、インドにある商社に勤めており、商用で遠路はるばる向かう最中だった。昨今、ボディチェックが厳しくなったとはいえ、空の上の密室。飛行機に乗る人が一番恐れている墜落とハイジャックのうちのハイジャックに不幸にも出くわしてしまったのだ。もちろん、ハイジャックに出くわしたとなると、墜落の危険も漏れなくほぼ間違いなくセットでついてくる。この機内に乗っている人々はすべて死の恐怖におびえた。ハイジャック側の人数は5名。何か主義主張を述べているのか、大きな声で言っているが、何語かすらも判別がつかない。その言葉を理解できた乗客は、泣きながら神に祈りをささげ始めた。どんな言葉かわからないが、ようは、黙っておとなしくしていろ、ということと、もう死からはのがれられないのだ、というような趣旨を言っているらしいことはわかった。こういうときの人の脅しの言葉というものは、ある一定になっているものらしい。言葉がわからなくても映画で見たシュチュエーションがそのまま演じられている。

坂本氏は、ちょうどファーストクラスの席に座っていた。ということは、コクピットに一番近い席である。となると、ハイジャックたちのほど近くに位置していた。ただでさえ、金持ち・ブルジョワに対する憤りが根強く残っているであろうハイジャックメンバー達に、ファーストクラスの席に座っている乗客というのは、この狭い飛行機の中でも格別敵意を抱かせるものだったらしい。刃物をちらつかせつつ、こちらを威嚇している。

坂本氏は、どちらかというと正義感旺盛で、悪を許せない人間だ。もちろん、このような人道に反した行ないに対して、彼が憤らないはずはない。が、一人で向かうには徒手空拳、敵は銃器等持っていて、なおかつ、自分の命に未練がないのだ。

自分の命に未練がない、という意味では坂本氏も同類だったが、もし、彼が率先して身を捧げてハイジャック犯達のうちの何人か、まあ運良く倒せたとしても1人か2人か。向こうはおそらくプロ集団だ。その彼の捨て身の策が、残った乗客の身を危険にさらすかもしれない。そんなこんなで、彼はじっと機会を伺っていた。

そうして機会が訪れた。

ハイジャック犯が、打ち合わせのためか、ちょうどファーストクラスのところに集結したのだ。ちょうど坂本氏のごく間近に集まったのである。おそらく、これからコクピットを襲い、この航空機を墜落させるなり、何なりの手段をとろうとしているらしい。互いに手を取り合い、何かに祈りをささげている。完全にこちらに目が向いていないことを坂本氏は確認しつつ、ハイジャック犯のほうにあるものを転がした。それは、今回坂本氏が商談で売り込むために用意していたサンプルだった。これを今使ってしまうと、商談できないのだが、そんなことは生きて帰らない限りは、意味を成さないと、彼は気前よく持っているすべてをハイジャック犯のほうにほうったのだ。

その効果絶大。

ハイジャック犯たちは、皆目と鼻を押さえている。坂本氏にしてみれば、ハイジャック犯たちがガスマスクや、口を覆うものをしていなくて幸いした。皮膚からも摂取可能だが、やはり顔についている部品のほうが、吸収がはやい。

彼らがサンプルから発している成分に苦しめられているうちに、坂本氏は、ハイジャック犯に向かって飛び掛った。それに倣い、周りの客もこの機を逃すなと、一丸となってハイジャック犯に飛び掛ったのだ。はっきりいって、その坂本氏が放ったサンプルは、ハイジャックのみならず、乗客をも当然襲ったのだが、彼らも死に物狂いである。このチャンスを逸したら、確実に死が待っている飛行機にいつまでも乗っているわけにはいかないのである。

うまい具合に、何とかハイジャック犯を封じ込めることに成功し、飛行機内にある一区画に彼らを押し込め、管制の指示に従って、最も近い空港に着陸した。というのも、坂本氏がばら撒いた成分がまったく消えることなく、飛行機内部に余すところなく広がり始め、乗客は口や目を毛布で覆っても涙が止まらず、みんなぐしょぐしょ。はやく換気して新鮮な空気を吸わないとこには、にっちもさっちもいかなくなっていたわけである。

ということで、そのまったく降りる予定ではない国の空港に坂本氏が降り立ったとき、彼を待っていたのは、ハイジャック犯を阻止したという名誉と、飛行機内に危険物質を持ち込んだという捜査の手だった。

が、坂本氏は、その捜査陣や報道陣に対して、しらっと、

「こちらの成分は、『わさび』という自然の天然成分であり、化学成分ではなく、ある一定の量を超えなければ人体に影響がありません。仮に一定量を越えたとしても、刺激が強く、目や粘膜が刺激されて、かなりつらい思いをしますが、死に至ることはありません。今回、私は商用でサンプルとしてこの成分を濃縮したものを確かに所持していました。確かにどんなものでも量を超えたり、使い方を誤ると多くの災いを呼んでしまうわけですが、今回は、そうした乗客の安全を若干度外視しても、これを使うより他なかったのです。これによりハイジャックを駆逐することができたのですから、これで罰せられても、私にいうことはありません。」

と。

実際、当局が調べたところ、国際条例に乗っている危険物質一覧の中にこの物質の名前は含まれていなかった。そのため、今回の事件は、この物質を危険物質一覧に載せることでけりがついた。坂本氏は、とりあえずお咎めなしですんだのだ。

が、彼には不幸なことに、この成分が危険物質一覧に載せられることで、事実上輸出できないことになり、この商談自体がご破算になってしまったのだ。それがために、彼はインドの会社で職を失うこととなった。

が、あの飛行機に乗り合わせていた乗客の中で、欧州でいくつかの会社を経営する人物が、坂本氏の義侠精神に心酔し、

「日本にはまだサムライが本当にいるのだ。」

と、目をきらきらさせ、命を救ってくれた感謝の意を述べつつも、ヘッドハンティングをかけてきたのだ。どうも、欧米人はいまだに、日本にはサムライと忍者がいると思っているらしい。ましてや、坂本氏が紹介した『わさび』という単語をどこかで聞きかじった『ワビサビ』と聞き間違えたらしい。坂本氏も、その外人の勘違いに気づかないではなかったが、職も失ってしまったところで、することなくぶらぶらしていたわけだから、渡りに船とばかりに、その外人の会社に勤めることとなったのだ。

その会社は本社がロンドンにあり、各国に支社を置く、欧州でも由緒ある商社で、坂本氏はそこで渉外を担当していた。渉外とは他国の法律と自国の法律との適合性を検討、交渉するような仕事である。坂本氏は、日本のあの弁護士の制度改正に伴い、うまく弁護士の資格を30の声を聞く前とることができたのだ。そうして、その資格を活かして、様々な国で職についていたのである。坂本氏は、どちらかというと他人との交渉ごとは得意なほうであり、日本人が尻込みしやすい、外人との折衝も比較的スムーズに行なっていた。

何しろ、彼には、「サムライ伝説」という表の金看板が、キラキラと燦然と輝いていたため、相手の外人も、ビジネスはビジネスとしながらも、坂本氏からどんなサムライ発言が発せられるのか興味津々だったのである。

そんなこんなで海外の水があったのか、坂本氏は結構長いこと海外にいた。その間、彼のサムライ魂か、トラブルを呼ぶクラッシャー体質のせいか、何度か身の危険にさらされることがあったが、まあそうしたサムライ伝説は、彼の自伝が出版されるのを待って欲しいと思う。

とりあえず、坂本氏は、このように様々な経歴を引っ提げて、鳴り物入りで戻ってきたのである。



つづく。