坂本氏が、日本に戻ってきたのは、強い父親からの懇請があったからだ。

父親としては、今まで自由にさせてきたが、世間の荒波にも十分もまれてきたようだし、そろそろ自分の事業を引き継いで欲しいと考えたのかもしれない。

最初、坂本氏は、頑なに戻ることを拒否していたが、出張でロンドンまで来ていた父親と久しぶりに会った際に、思った以上に父が歳をとってくたびれているように見えたため、態度を軟化させた。いつまでもかくしゃくとした大和魂を持った力強い父だったが、寄る年波とは、皆人の上に等しく降りかかるものだ。

喩えそれが父の作戦だったとしても、坂本氏はこれ以上親不孝を重ねても仕方がない、という心境に至ったようだ。

また、父と酒を酌み交わしながら、ぽつりと、

「がんばったな」

と口の重い彼にしては珍しく、褒めてくれたのも大きく作用していた。

坂本氏にとって、彼の父親は、彼を溺愛こそすれ、褒めるということは稀だった。

だから、そういわれて、ようやく坂本氏は自分を客観視して見ることができた。

弁護士免許を持ち、海外勤務経験あり。英語をはじめ、欧州各国の言葉も若干理解している。

こうした経歴は、彼が昔望んでいた、多くの人に認めてもらう、ということを実現させるには十分なものだった。

だいたい、日本人は、バイリンガルやら、なにやらにえらくめっぽう弱い。

これから、父の会社で働く、ということになると親の七光がぴかぴか、夜のネオンよりもまばゆく輝く事は自明の理である。

昔はそれが嫌で、逃げ回っていたわけだが、もういまとなってはどうでもいいことである。

結局、仕事というものはやった分だけ返ってくる。やらない分も返ってくる。

人はそれをよく見ているし、やっている人の足を引っ張るものもいるが、ちゃんと見ていてついてきてくれる人もいる。

そういう人たちを大事にして、一日一日を送っていれば、ちゃんと成果も上がり、親の七光、という目くらましもいつかはなくなって、自分自身が輝く日が来る、ということを坂本氏はちゃんと信じることができた。

だから、父の懇請にももうへそを曲げずに、ちゃんと今の仕事の片を付けてから、日本に戻ると回答したのだ。



そうした訳で、坂本氏が会社に赴任したときの会社の騒ぎといったらなかった。

だれもかれもが、その噂の社長の息子(→プリンス呼ばわりされていた。)を見ようと、意味もなく着任部署のあたりに詰め掛けた。

そうして、多くの女子社員の目がハートマークになり、若干というにはあまりにも多い数の乙女が、瞬時に狩人の目となった。

180cm を超える長身に外国仕立てのスーツを着こなし、動きもしなやかでスマート。各部署に挨拶して回るさわやかさに、彼が会社に来る前に散々流れていた『サムライ伝説』はひどく不釣合いなものだった。顔立ちは、どこから見ても怜悧な美形で、ほれぼれするほどだった。

36歳独身・次期社長候補。

という、これ以上ない好物件に、乙女がさざめかないわけがない。

なぜこれほどの物件がフリーでいるのか、その点には思いをはせず、乙女たちは、「神様からの贈り物だわ・・・」というドリームに思いをはせていた。



坂本氏としては、その状態については、えらく閉口していた。

昔、彼の親友である高杉氏とラブレターの数を無邪気に競い合った時代が懐かしい。

いまとなっては、食事ひとつ行くにしても、様々な思惑が絡み合っている気がして、いけない。

坂本氏が何も考えていなくても、相手は、子供は3人、この人ならきっと白金か田園調布に一戸建て。などと、老後の設計まで考えているかもしれないのだ。

ましてや、彼の両親が持ち込む見合いの数々。

これだけで、坂本氏は日本に帰ってきたことを後悔した。

そして、この状態に対する善後策を講じなければ、と真剣に考えたのだ。

きっと、彼が結婚するまで周囲は諦めないだろう。

坂本氏の頭の中に、あの指輪があれば・・・とちらりと浮かんだが、それについては脇に速攻寄せた。

とりあえず、まったく今まで音信不通で不義理にしてしまった高杉氏に連絡をとってみることにした。

高杉氏も坂本氏と同い年だ。

同じ憂き目にあっていないとは限らない。

坂本氏は、高杉氏がちゃんと結婚していることを知っているが、高杉氏の周囲の人々は彼の結婚を知らないままでいるかもしれない。

この国の制度は、いまだに同性婚についてはまだ認められていないのだ。

あの友達の恋人を周りに自慢したい熱は、今でもきっと変わりなく、幸せに暮らしているであろうとは推測できるが、いくら彼でも会社や何やらで言いふらしているとは思えない。まあ、籍は入れずに事実婚、くらいは言っていそうだが。

まあ、なんにせよ、高杉氏も周囲からは好物件として、高い評価をおそらく長きに渉って得ているだろうし、そんな彼の経験談を聞いておくのも悪くないと思ったのだ。

・・・が、あんまり長いこと不義理にしていたので、日本に戻ったので会いに来たとは、しらっとなかなか言いづらく、坂本氏はとりあえず仕事が波に乗るまでは、と、その件については保留にしたのだ。



そうして、坂本氏は仕事に没頭した。

結構な権限を彼の父親は用意しておいてくれた。

やりがいがある。

36歳で役員とは、破格の人事である。

陰で、「親バカ人事」と公然といわれているのを誰もが知っていたが、坂本氏はまったく気に留めなかった。

力とは使えるときに行使しなければ、使えないはさみよりたちが悪いのである。

「個人の業績と、会社の業績は必ず結びつかなければならない。個人のがんばりを会社が認めないということを私は認めない。」

と、シュプレヒコールを揚げながら、自分の手の届く範囲についてはどんどん改革していった。

たとえば、一人に集中しないように3名一組でチームを組ませ、誰が欠けても残りのもので対応できるようにしたり、当たり前だがなかなかできなかったことをしていった。

しかし、坂本氏の独特なところといえば、その3名チームを組ませるときに、なぜか占星術を持ち出したことだ。各人に、詳細な生年月日・時刻・生まれた場所を聞き出し、どこからかもってきたMOにデータをかけて、それでチーム分けを行なった。それを聞いて、周囲は、彼の正気を疑ったが、そのときも、しらっと、

「星は何でも知っている、からな。」

と占星術を心棒しているようなことをいいながら、親しくなったものには、

「チーム分けするのもなかなかに時間がかかるから、欧州ではよく使われているんだ、こういう手が。」

と、茶目っ気たっぷりに言ったそうな。→それを聞いた人は、あまりの適当さになんとなくサムライ伝説が本当では、と思ったそうな。



まあ、坂本氏が時々出す、奇策やらなにやらも、次第に彼の持ち味だと周囲が理解したのか、それほど揉め事もなく、順調に彼は地盤を固めていった。

朝は誰よりも早く会社に来て、帰りはほぼ一番最後に近い。

普通の役員はそこまでしゃかりきコロンブスで働いたりしないのだが、坂本氏は、他の役員には、

「若輩の身ですから、経験をつまないことには会社にも皆さんにも申し訳が立ちません。」

と、建前上、愁傷なことを述べていた。

社内でも社外でも、大きな猫をいつでも着脱可能にできるくらいには彼は大人になっていたのである。

出る杭は打たれやすいものだから。

そうして、彼は活き活きとバリバリ仕事をしまくった。何しろ働き盛りである。

が、あまり手広くやると雑用が増えるものである。坂本氏は、周囲には協力してやれ、というわりには、自分は人の手を借りることを望んでいなかった。なんでも自分の手でやろうとするため、次第に雑用王国となり、若干本末転倒気味になってきた。

彼の部下の女子社員などは、率先して手伝い、株を上げようと虎視眈々としていたが、坂本氏はさわやかにやんわりと断り、誰の手も借りようとはしなかった。

だいたい、役付きで秘書がいないというのは、このくらいの規模の会社では珍しいことだった。

だれもが、美人秘書を抱えたがった。男のロマンらしい。

坂本氏は何度かその提案があったにもかかわらず、すべて突っぱねている。が、さすがに昨今の事情がそれを許さないのか、ついに坂本氏も折れて、

「女子社員でなく、右腕になるような若手男性社員を」

という要請を出した。うっかり女子社員をつけようものならどんな噂が飛び交うことか・・・ましてや、彼の両親は、きっと花嫁候補を送り込むことも辞さないと思われた。

そのための条件付けで、特に坂本氏は後のことは何も考えていなかった。

しばらくして、その秘書候補が見つかったという連絡が入ったので、経歴もよくよく見ないで、翌日連れてきてもらうことにした。

そのとき坂本氏は、こんなところで彼らに会うとはまったく夢にも思っていなかった。

それは坂本氏の昔の知り合いだったのだ。





つづく。



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