完璧だ。
これなら苦情などでようはずがない。
ツリー・ごちそう・ケーキ・シャンパン、ワイン等酒各種。
どこに出しても恥ずかしくない、クリスマスの支度だ。
心配があるとするならば、量がわからず大量に用意してしまったこの食事が二人で消費しきれるかどうかということくらいか。
いくらあの文句たれゾウの千太郎でも、ぐうの音も出ないに違いない。
案の定、
「うわ、なんか坂本さん、すごいですね。」
といったきり、絶句している。よしよし。
何でもやると決めたからには完璧に。部屋中電飾。
いや、隣のマンションの張り切り奥さんと競り合ってこうなった、なんていうことはないぞ。
どんどんあおられて、部屋中電飾になったなんてことはない。アメリカのクリスマスもこんな感じだったのだ。
特にやる気が合ったわけじゃないぞ。気がついたらこうなっていただけだ。
千太郎が、せっかくですから、といってクリスマスプレゼントのシャンパングラスを渡すので、礼を言いつつも、早速リボンを解いて、水で洗う。
はー、やっぱりきれいだな。このグラス。
手早く磨いて、開けるように促していたシャンパンを注いでもらう。
淡いロゼのシャンパンは、薄くピンク。
プレゼントにもらったグラスの内側に薄く刃物の切っ先で見えない程度に傷をつけると、泡がそこから立ち上るようになる。その話を聞いたのは、酒に対して薀蓄をたれたがる親戚からだったが、自分で実行したのは初めてだ。
うまく、順々に絶えることなく発砲していくのを眺めやる。もらったグラスに傷を入れようとしているのを見られて、それを説明するまでにひと悶着あったのもご愛嬌か。いくら私でも、もらったものをいきなり割るようなことはしないというのに。信用がないな。
ただ、実際にあの親戚の言った言葉が本当であったかどうかを実践したかったのだ。知識の実践は、探究心旺盛な人間ならば必ずついて回る研究心だ。この心を失くしたら発展はないというのに。
いや、しかし、ほんとうに絶え間なく泡が上がっては消えていく様は、美しい。
よし。めでたい感じがするぞ。
こちらとしてはご満悦だったのだが、微妙な顔をしながらグラスをかかげるのに対して、めでたくないから笑え、と強要しつつ(引きつった笑いを浮かべていた。)、乾杯する。
そうして食事をしつつ他愛の無い話をしながら、渡す予定のプレゼントをいつ渡すかのタイミングを計る。
結局、決めきれずにタイムオーバーに近く、自信があるといえばある、ないといえばない微妙なものを購入することになったのだ。
プレゼントは、本人から依頼されたものを的確に買った場合や、日頃の相手の言動で欲しいものを類推する作業が完璧でない場合、どんなものを用意したとしてもこちらとしては、なんとなく的外れのものだったのではという気分が拭い去れない。どんな物でももらえただけでうれしいという心情は確実に存在するが、いらないものをもらって喜べるか?という疑念はやはり同等に存在する。
まあいい。欲しいものを言わなかった方が悪いのだ。
私はしっかり意志の確認はしたから、その結果がどうであろうと受け取ってもらわないわけにはいかないのだ。私が持っていてもしょうがないからな。あんなもん。
そうした訳で、十分酒が回った頃合を見計らって、酒の神様の勢いを借りてプレゼントを渡すことにする。
「そういえば、お前に渡すクリスマスプレゼントがあるのだ。もらってばっかりじゃ悪いからな。」
そういいつつ、クリスマスツリーの下においておいたプレゼントを無造作に渡す。
その手におさまる大きさの包みをうけとると、視線が私とプレゼントの間を行ったりきたりしている。
5往復位しているのをじっと黙って見守っていると、なんだかプレゼントを用意した自分に不手際があったのかと落ち着かなくなってしまう。文句があるならはっきり言え、そういいかけてやめたのは、あまりみることのない本当にうれしそうな笑顔に出くわしたからだ。いつもの意地の悪い顔か、冷静に整った顔からは遠く、よく晴れた空のような笑顔だ。
しかし、そんなふうに手放しで喜ばれると、ちょっと待て、プレゼントのリボンもほどいていないのにそんなに喜んでは、そのあとの落胆が大きいのではなどと不安になってくる。今の笑顔を見たあとで、いつものあの調子でなんか言われたら、確実に喧嘩することになる。せっかく、穏やかにクリスマスを祝っていたというのに、結局いつも通りの騒ぎになるとしたらめでたくなくなってよくない。
そんな私の胸の内を知ってか知らずか、
「ありがとうございます。今、開けてみてもいいですか?」
そう尋ねて、そのくせ返事も聞かずに、すばやくリボンの端をすっと引っ張って一本の線にしてしまい、音も立てずに包み紙を剥がしていく。
「香水?」
ためつすがめつボトルを眺め、確認してくる。
「ああ。いい匂いが好きみたいだから、いい匂いのプレゼントだ。」
そうですか、とつぶやきつつ、目で、今ここで吹き付けてもいいかどうかを尋ねてくるので、うなづく。
香水を空中に向かって、ひとつ吹き付ける。
甘い、花の香りが広がる。
上から降ってくる香りに身を任せて、目を閉じている。
なんかずいぶん、鼻が高いな、こいつ。
そういえば、よくよく顔を眺めたことなどなかった気がする。
初めて見る顔に遭遇したように、じっといろんな部分を観察していると、急に開いた眼と遭遇する。
心臓が、一つ大きく跳ね上がる。びっくりした。
そんな私の様子に気づかずに匂いに酔っているのか、薄ぼんやりとこちらを見やってくる。
そのうっとりした表情のまま、
「いい匂いですね。ありがとうございます。」
そう礼を述べてくる。
やれやれ、どうやら選んだものは、彼の嗜好に合致していたらしい。
そうだろ、そうだろ。何しろ、鼻が曲がるぐらいいろんな匂いを嗅いだからなあ。
ほんと、当分香水売り場には近寄りたくない。
「でも、坂本さん、これ女性用なんじゃないですか?」
ボトルとパッケージを見ながら聞いてくる。白地に淡く花の柄が金で印刷されているパッケージや、華奢にできているボトルを見れば一目瞭然か。
「いや、花の匂いで一番いいのを選んだらそれになってしまってなあ。」
そうした言い訳めいた言葉に耳を傾けているのか、まだ匂いに酩酊しているようだ。
しばし、無言。音もなく、ただ花の香りがだんだん薄れていくのを感じる。
「もっと堪能してもいいですか?」
と聞いてくるので、まあ、これ以上部屋の中が花の香りで一杯になったら、あとあと大変だと思ったが、千太郎が帰ったあとに窓をあけて換気でもすればいいかと、
「好きなだけやってくれ。クリスマスプレゼントだからな。」
鷹揚に応える。
すると、贈り物の香水のビンをテーブルの上にそっと置いて、こちらに歩を進めてくる。
その異様な接近は、通常の距離を明らかに侵犯している。
が、ジリジリ下がってみたものの壁にぶつかり、後ろにはもう下がりようがなく、相手の前進を横に避けることで回避しようとする動きは、一足早い相手の、私の動きを制限するように壁に両手をつく動作で封じられてしまう。
腕の檻は、おそらくゆるく、一つ手を払えば用意に解除できるというのに、あまりに近づいた相手の視線が目を逸らすことを許さないために、その行動に移ることができない。
かといって、その視線自体がきつく全てを許さないような色を示しているかと思えば、先ほどの花の匂いに酔っていたときのまま酩酊。
何に酔っているというのか。
プレゼントに渡した花の匂いか、先ほど二人で開けた酒か。
なんにせよ、近すぎる。
「な、なんだ・・・」
あせりながらも言葉を紡ぐが、言葉というものは混乱した思考の中からでるものは意味を成さないものが多い。
おそらく、私があせっていることは的確に理解しているだろうに、まるで頓着せず余裕綽々。
「坂本さん、クリスマスのプレゼントはいい匂いということなんですよね。」
「ああ、そうだが」
やにわに、腕の檻の範囲がせばまり、身体を拘束してくる。
疑心暗鬼というか、確実に相手が何かよからぬことを考えているというのはわかっているのに身動きが取れない。
しかも、距離は0だ。
接近戦は、不利だ。経験値が足りなすぎる。
こうしたときは、問答無用且つ、迅速に拘束から逃れるのが得策だと経験上、知っている。
相手が、それ以上無理強いしてくることがないのも、知っている。
そうしたあとの若干気まずい雰囲気を互いにごまかす術も、知っている。
知らないのは、その腕を拒まなかったあと何が起こるか、ということだ。
このまま相手の腕に拘束されていれば、知ることになるに違いない。
いつか知ることになるのならば、それが今日でも別にかまわないのでは。
そう考えたのは、酒の神様の力か、クリスマスマジックのせいだ。
双方が仲良く手を取り合って、人に道を外せと囁きかけてくる。
首筋に顔を寄せてくる。
息が耳にかかる。
かといって、触れてくる訳でもない。
いつその唇が降りてくるかと身構えていただけに、相手の行動は不審。
「おい・・・なにを・・・」
特に先を促す意図はない。ただ、この状態の不安定さがこれ以上続けば、
「どっちかにはっきりしろ、拒むか拒まないか決めるから」
などと要らぬ言葉が口をついてでてしまいそうだ。
幸い、自分にとって不利となる言葉を発する前に、相手の回答が得られた。
「いや、匂いのプレゼントということなので、もらえるものをもらっているところです。」
・・・・・・・・・・。
そうか・・・。いや、いい、特に。それでお前が満足するのならば、な・・・
「匂いだけだぞ!!!」
思った以上に進んでしまった自分の脳みその換算速度を恨みつつ、その自分の考えを振り払うように強く相手に制限をかける。
その相手の存外の鈍さと、おそらく大きなチャンスを逃したことに気づきもしていない様子に、なんだかなあと思う。
惜しかったな、千太郎。
そう胸の内で、ご愁傷様、などといってみたりしたが、若干自分にもそれを惜しむ気持ちが存在したのは否定できない。
何しろ酒の神様とクリスマスの相乗効果だ。そうそう発生するコンボじゃないしな。
相手の鼻が、首筋から髪の方に移動する。鼻先で髪の毛をなでてくる感触は、やはりなんとなく犬のようだ。
やり場に困っていた自分の両手を相手の背中に回して、一つなでてやりながら、でかい犬だなあ、などと考える。
すると驚いたようにあげてきた顔が、それでもあの夢を見るようにいつもいい匂いにうっとりしている表情のままだったので、どうやら私も千太郎のいい匂い検知機のお眼鏡に適ったようだ。
それについての感想は、今日は控えるとして、今は、緒方君がいっていた言葉を一つ実践してみようかと思う。
これをすると、先輩と後輩、という言い訳が聞かなくなるが。
おしまい。
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