君の好きな花の名はA















桂氏は途方に暮れていた。
理由はいつもの事ながら坂本氏である。

猫も杓子もクリスマス。特に今年は、イブが金曜日。クリスマスが土曜日と、普通の会社勤めで土日が休みの人間ならば申し分なくそのイベントを満喫できる暦具合だった。
当然、桂氏も昨年毟り取った『クリスマスを一緒に祝う』という前例主義に基づいた権利を行使してみた。それに対する坂本氏の反応は、
「別に構わんが」
であったし、つい先日桂氏のボーナスが出たことを知るや、いろんな雑誌を持ってきては、こんな店に行きたい、あんな店に行きたいなどとたかる気満々であった。だから、店をイブに予約したという桂氏の選んだ店が夜景の綺麗に見えるホテルのレストランでり、桂氏が前もってしっかりとホテルも予約していることなどある程度は想定の範囲内のことで、そのあとに起こることがいかにミエミエに見えていても、坂本氏はシラっとした顔で、
「そういうところに行くのなら、パリっとした格好してもらわんとな。」
そういって、一足早いがとクリスマス用にシャツとネクタイをプレゼントで渡してきたのだ。桂氏の持っている濃紺のスーツに合わせた濃いブルーのシャツと織りの加減で色が変わって見える赤紫のネクタイは申し分なく桂氏に似合っており、坂本氏自らのセレクトとなれば、桂氏が有頂天になり変に羽ばたいても仕方ないといえよう。去年もそうではあったが、今年はよりいっそうその日が来るのが待ち遠しいクリスマスである。
ようやくこのジリジリカップルも年貢を納める気になったのかと感慨する事しきりであるが、そうは問屋が卸してくれないとはよく言ったもので、皆さんの予想通りに問題が起きた。

「すまん、今日行けなくなった。ほんとすまん。じゃあまたな!」

待ってくださいなどという暇はなかった。
なにしろ留守電に入れられていた。絶対に今日の約束の時間に間に合わせるために残業できないとしゃかりきに働いていたのだ。そのため電話がかかってきたのに気がつかなかった。我が耳を疑う伝言に、すぐに本人に電話を掛けたが、つながらない。
何度かコールした後にようやく諦める。
全然、諦められないが。

だいたい・・・
桂氏が坂本氏に対する苦情を考えるときにはいつもこの文句で始まる。
だいたい、あの人は○○なんだ・・・
決まりきった定型文である。
その定型文通りの行動がそのままかなりの頻度で発生するのが坂本氏であり、その定型文の最後が「・・・仕方がない、坂本さんがすることなんだから」で終われるあたりが桂氏のいいところである。
が、さすがに今回の桂氏は仕方がないでは終われなかった。

だいたい、一体全体当日にドタキャンされたこの気持ちは一体どこに転嫁したらよいのだろうか。
だいたい、理由はなんだ、理由は。
風邪か、それとも誰かの不幸か、それとも何か別のお楽しみか。
何はさておき、「じゃ、またな!」といって電話が切れるくらいに相手に軽視されているわけである。
以前は、「またな」という言葉が次回の約束を意味していると好意的に受けとめられた。自然に出てくる継続を意味する言葉が貴く胸の内を満たしてくれるのを慕わしく感じていたのだ。自然に継続する関係というものを心の底で永年望んでいた桂氏にとってみれば、そうして坂本氏が示してくれる自然な態度はハタから見ればわからないかもしれないが彼を有頂天にさせていた。その幸せが永遠に継続すれば双方でハッピーだったに違いないが、次第にそのハッピーにも慣れるのが人情というものである。ある一定の環境に留まっていられないのが人というものであり、やはり桂氏は1では満足しなかった。当然である。そんでもって、2にも3にも歩みを進める努力をした結果、今日に至っているが、その結末がこれである。
有頂天に完全に水をさされた桂氏は常の冷静な思考以上に凍りついた思考展開を始める。
だいたい・・・
まず第一に理由も言わない。第二に留守電に入れておくだけであとのフォローはなし。第三に謝れば済むと思っている。どう考えても軽視されている。優先順位は他のものに取って代われるくらいのものであり、俺の存在などは坂本さんの天秤に載れば羽毛よりも軽いに違いない。
だいたい・・・
と、こうしたいざこざが起こるたびに桂氏の胸の内に巻き起こる根源的な疑問が暗い渦を伴ってやってくる。

最大風速40、中心付近の気圧は950ヘクトパスカル。今年最大の猛威を振るった台風にも似ている。
だいたい、あの人は一体全体俺のことをどう思っているのか。好きなのか、嫌いなのか。この関係は一体なんなんだ。友人、先輩・後輩、恋人。一体どれに当てはめてるんだ。実はどれにも当てはめておらず、他の有象無象の人たちとイッショクタに十把一絡げにまとめきっているのかもしれない。いや、本当はまとめることすらせずに都合のいいときだけ都合のいいように取り出しているのかもしれない。
まあ、坂本氏の胸の内の引き出しの中身がどのように分類されているのかは、類推の域を出ないがそれでもはっきりと桂氏にわかることは坂本氏の「とりわけ大事」という引き出しの中に自分が分類されていないということである。

俺は、あの人の「とりわけ」とか「特別」じゃないのか・・・

わかっちゃいるが、現実が重い。
桂氏の「とりわけ大事」はすでに坂本氏の上に固定されてしまっている。
桂氏の胸の敷地面積はほとんど坂本氏に占拠されている状態で、それ以外のものが入る余地がない。この状態は坂本氏によって満たされている場合はそれこそ無限に敷地面積が拡大されるが、坂本氏が不足すると敷地を拡大した分だけ荒廃した大地がよりいっそう広がってしまうのだ。しかも敷地にはほとんど「坂本」と明記されているわけだから、桂氏の居場所は自分の胸の内なのにほとんどない。カップルというものは、互いの胸の内に自分の居場所を見つけることに喜びや幸せを感じるものなのだから、自分の胸のうちには相手は不在(しかもいないわりには所有権だけはしっかり行使しそうだ)、相手の胸のうちには住む場所が発見できないとなれば、桂氏がブルーになっても仕方がない。

すっかり、どよ〜んと暗雲立ち込めてしまった桂氏を会社の同僚は朝の活き活きとした姿を見ていただけに、今日という日の予定がだめになったのをうすうす察して皆で当らず触らず遠巻きに見守っていた。そんな周囲の様子にも全く気づかずに、とりあえず店とホテルの予約のキャンセルだけは泣く泣く行なう桂氏であった(合掌)。









2