知らないうちにいろんなことを考えていても時間は経つようで、いくら心が非常に乱れてもとりあえず永年の習慣の成果で仕事を坦々と進めることができたようだ。

今日、遅くまで残っているとクリスマスイブに予定も入っていないさみしい人間に思われたらいけないと思うのか、もしくは久しぶりに家族サービスにいそしもうと常にはなくみんないそいそと帰っていく。気がつくと社内に残っている人は、運悪く仕事がはまってしまった人か、もう帰り支度を始めようとしている人、予定がなく仲間を求めてさみしいもの同士引っ掛けて帰ろうとする人などで閑散としたムードだ。



本当ならば桂氏も我先にとベルが鳴った早々に帰ったのだろうが。

家族には夕飯はいらないといってある。

まあそういえば、大の大人だと思われているから、その後のことについても仮にその晩戻ってこなくても特に何もいわれることはない。電話の一本くらい入れなさい、と次の日言われるくらいのものだ。お咎めはそれで終了だ。そんなのを小耳に挟んだときの千覚氏がわかったように大人ぶって口を一文字にしているのを見ると、教育上よくないか・・・と、ちらりと考えるが言えばいうほど墓穴を掘る性質の問題であるから、いつも無言で通してきた。

何か聞かれたら、月並みに

「大人になればわかるよ」

と答えただろうが、千覚氏も十分大人だったため、そんな質問ははなから仕掛けてこないのだ。

そんな訳だから、一度夕飯をいらないといった日にうちに戻って夕飯を食べるといったら、心優しい家族はいろんなことを察して当然何も言わないだろうが、日が日なだけにその無言は例えようもなく重くなるだろう。きっと残された家族はご機嫌でクリスマスを祝う気満々だろうし。こんなに沈み込んでいる人間が戻ってきたら、きっと持ち上げるのにえらく苦労するに違いない。かといって、家族に合わせて桂氏が自力で浮上することは望み薄である。

そんなことを考えていると、さみしいもの同士飲みに行こう同盟の人々が桂氏を見るに見かねて声を掛けてきた。うちに帰りたくないし、こんな状態で一人で店に入るのも乗り気ではなかったからありがたい誘いではあったが、丁重に断った。なぜなら、何気ないふりを装ってはいても、今日最大の不幸を背負っているように見える桂氏を酒の肴にしようとしているのがミエミエだったし、やはりもうがっくりしすぎて誰かと普通に話をする気にならなかったのだ。

そうして、どんよりどよどよしたものを背負いながら、桂氏は会社をあとにした。



とはいってもやはり行くあてがないので、街を歩く。

イルミネーションに彩られたツリーというより、イルミネーション単体が今年の流行なのか、雪の形やら店の名前、「merry xmas」などという文字やらでビルの平面を全て覆っている。眩く光るのがやはり美しい。カップルならば、これ以上ないくらいムードが盛り上がるシュチュエーションだろうが。

また、ため息が一つ。

先ほどからそればかりだ。

一緒に見るはずだった人は横にはいないし。

街が盛り上がれば盛り上がるほど盛り下がる。周りが明るいほど自分の心の影が濃くなるのか。





「あれ、桂君じゃないか!」

声を掛けてきたのはご近所に住む緒方氏だ。自分でも気がつかないうちに、うちのほうに向かって帰ってきていたらしい。

「あ、緒方さん。こんばんは。」

取り繕ったように笑いを浮かべる桂氏を緒方氏は見つめながら、

「あれ、今日、坂本さんは?二人でクリスマスディナーとかいってなかったかい?」

「はは・・・まあ、そうだったんですけど。」

「え、また喧嘩でもしたのかい?」

年中行事以上に発生する桂氏と坂本氏の喧嘩の余波をいつもザンブリと被っている緒方氏と高杉氏である。どちらかが単品で、ちょっと暗めの顔をしていれば、すぐにピーンとくる。

ありゃりゃあ、などと思っていると、

「いや、喧嘩は多分これからですね・・・」

などと苦く笑う人がいる。

ありゃりゃ、こりゃ深刻だ。

どうしたのかと理由を問う前に、ベランダから二人の姿を見つけた高杉氏に中に入ってくるように声をかけられる。先ほど、会社の同僚に声をかけられたときには断った桂氏であったが、全ての事情を知っている高杉氏と緒方氏に出会うと、不覚にも、ちょっと泣きたいかも・・・などと心のガードがだいぶ弱くなってしまう。ものすごく毎度毎度迷惑をかけているのは自覚しているのだが。もてあましてしまう自分の心を正しき方向に導いて欲しい、などと他力本願したくなるくらいには、まいっていた。凹みまくりだ。しかし、クリスマスの夜のラブラブカップル宅に押しかけて、喧嘩の仲裁を依頼するのも愚痴を垂れ流しにするのも忍びない。悩んでいるのがそのまま顔に表れたのか、

「気にしなくていいよ。これから皆でクリスマスパーティーなんだよ。」

にっこり笑う緒方氏にそのまま連行された。



連行された高杉・緒方邸にはいつものメンバーが揃っていた。クリスマスと堤さんの誕生日を同時に祝うことになっていたらしい。桂氏と坂本氏が誘われなかったのは、早々に二人で食事に行く、ということが知れ渡っていたせいだ。

ピンで来た桂氏を見て、式部氏がすばやくグラスを渡し、

「まあ、飲みなって」

とビールをドブドブ注いでいく。注がれるままに飲んでいけば、白々した頭にも酒が回り、立派な酔っ払いが誕生する。誕生すれば、胸にわだかまるものがぽろぽろと口からあふれ出て、祝いの宴は一転して、放課後の指導教室のように道に迷う子羊の相談大会となっていた。なにしろ本職の教師が2名と常日頃師匠と仰ぐ等々力氏、いつもこのジリジリカップルに振り回されている高杉氏・緒方氏である。事情は説明しなくても1を言えば10を察するメンバーである。そのメンバーに、当日ドタキャン事件を言えば、一様に

「・・・・・・あいつは・・・」

と、桂氏と同じように押し黙る。

坂本氏は過去にいろんなことをやらかしているため、何か事を起こしても皆さほど驚きはしない。ただ、納得するだけだ。

「で、今度はなんでドタキャンしたんだ、坂本は。」

底に穴が開いてるのではと思うくらいあっという間に空になってしまう桂氏のグラスに酒を注ぎながら高杉氏が問うのに、さっぱりわかりませんと首を横に振る。

「あの糸の切れた凧のような人に何言っても無駄なんですかね。こんなときに電話の一つもよこしやしないし。結局、あの人が俺のことどう思ってるのかなんて、全然今でもわからないですからね・・・」

そういって、またため息をついてグラスを飲み干してしまう。

「ちょっと待て。桂、お前たち、なんだかんだ言って結構なところまで進んでたよな?」

報告しなくても伝わる風の便り。この頃なんだかんだいっても、坂本氏は桂氏と仲良くやっているようだったし、チューしていたりするのを目撃されている。順調というのには喧嘩の回数が多すぎるようだが、それもコミュニケーション手段の一つであるようだからと皆考えていた。

「あれは進んでたんですかね・・・俺も、今朝までは進んでいると思ってたんですが。」

またグラスが空になる。何杯目かわからない。まあ今日は飲ませようと、今日の主役である堤氏がついでくれた。式部氏もグラスを出すがそれには半分くらいしか入れず、目で「ちゃんと酔わないで相談に乗ってあげなさい」光線を発している。ちょっとしか入れてもらえなかったグラスを悲しそうに見つめながらも気持ちを切り替えた式部氏は頼もしい何でも話せる頼りがいのある笑顔を浮かべて話しかけた。

「そんなことないだろう?チラッと見たことあるけど、結構仲良しさんだったじゃないか(俺と堤さんには負けるけどな・・・)。恋人同士なら相手のことを信じるのも大事だぞ。」

「いや・・・恋人同士っていうか・・・俺、あの人に好きだって言われたこと、ないですし・・・」



そうだ、言われたことがなかったのだ。聞けなかった。いつも怖くて先送りにしていたのだ。



記憶があのときに巻き戻る。

初めて訪れた夜の記憶。

あれは酒の神様が仲立ちだった。普段は酔うという事に関していえば適量主義で、ほどほどに飲み、明日に響かない程度で終了だ。同じペースで同じくらいに酔っ払う。相手のペースに付き合ってずるずる長居ということもない。互いにそうだから、酒を飲む間柄とすれば最良だろう。そうして何度も酒を酌み交わす仲にはなった。まあ、こちらはいろいろ虎視眈々だったが。

あの日は、互いにだいぶ聞こし召した。なんだか知らないがカクテルの作成にはまったらしく、新作発表会などといって「坂本フラッシュ」だの「スーパーミラクルサンダー三四郎スペシャル」などと微妙な名前のついた微妙な色の酒をたくさん飲まされた。それの改良と口直しなどといって他にもいろいろ空けた。まあ、そのあとは酩酊に任せた身体の熱が、ふとしたことで触れた相手の熱によって倍加し、その息苦しさに耐えかねて重ねた唇は拒まれることもなく、そのままその方向になだれ込んだ。

酔っていたんだという理由で後日自分の心の調整をしたのかは知らないが、そのあと特別にギクシャクすることもなく。

拒むのが面倒だったのか、それとも快を選択したのか、そのまま関係は進行。

拒んで関係が悪化するのを避けたのか、拒むよりは受け入れるほうが楽だったのか。

どれなのか知らない。

与えられた断片が愛であるようにと祈っていたが、あんなものは愛が不在でも行なえる。こちらの煮つまりに応じて、明け渡せる分だけ提供してくれたのがあの人の優しさであり、そこに愛が介在していたと信じたいのは俺の勝手だ。

ただもう、その状態に有頂天になっていた俺は、半面、あの人の気持ちを確認するという点に関しては非常に怯えており、そのうちあの人がうっかり口を滑らしたり、もしくはこちらの気持ちに引きずられて、そういうものだと思い込んでくれるかしてくれないかと祈っていたわけだ。なんという女々しさか・・・それが今日という悲しい日を生み出したのだろうから、全ての非は自分の身から発生している。身から出た錆だ。

・・・仕方がない。



そんなことを考えながら、またグラスを空けきってしまう。

白々しすぎて酔いが醒めた・・・

もうこれ以上飲んでも今日は酔えないだろう。

せっかくのクリスマス、そして堤さんの誕生日だというのに。

またこの人たちの優しさに甘えてしまった。

仕切りなおすように無理に笑顔をひとつ作って立ち上がる。

「すみません、今日は。いろいろ話を聞いてもらいまして。飲み散らかして申し訳ないですが、今日はこれで失礼させてもらいます。」



急に自己完結気味に帰ろうとする桂氏をみんな慌てて引き止める。どう考えても、桂氏が行ってはいけない思考展開まで到達したのが感じられたからだ。あー、ほんとにこの二人は手が焼ける・・・というのが周囲の人々の総合意見であるが、それまで手間暇かけて見守ってきたのだから、ここで急に手を放すわけにもいかない。



「ちょっと待て!勝手に納得するな。まあ、座れって。で、なんだって?好きだっていわれたことがないって?」

問い詰める等々力氏に向かって哀しそうにこっくりと首を縦に振る。

まじかよ・・・みんな上を向いてしまう。

「でも、俺もはっきりあの人に言ったことないですし。」

などという桂氏の衝撃発言に今度はみんな目を剥いて大ブーイングである。

「馬鹿かお前は!!!!(×3→ダーリンズ)」

「桂、お前な、なんで一番肝心なところを押さえておかないんだ!」(等々力氏)

「そうだよ、桂君。坂本なんてはっきり言っても全然聞かないんだから、言わなかったら全然論外だよ。」(高杉氏)

「初手を間違えてる・・・一番大事なことを言っていないなんて・・・」(式部氏)

各々、その言葉にでこピン付である。

「だって・・・」

「だってもそってもない!四の五の言わずに、坂本捕まえてはっきりさせてこい。この馬鹿が!」

あきれてものも言えないとばかりに、みんなぐびぐび酒を煽っている。

等々力氏はあんまりのアホさ加減に頭を抱えていたが、結局仕方なしに教育的指導を続ける。

「ほら、携帯出せ。もう最初の電話からずいぶん時間が経ってるから、そろそろ坂本も捕まるだろうし。電話かけて呼び出せ。ドタキャンされた理由を確認しろ。それからきっぱりいろんなことはっきりさせるんだ。」

言われるがままに携帯から坂本氏に電話をかけるがつながらずに留守番電話になってしまう。

「だめです・・・つながりません。」

そういってうなだれる桂氏を囲み、集まった面々はどのように坂本氏を今日中に捕獲するかを講じ始めた。



「あれ・・・なあ、こーへー、あれって坂本さんじゃない?」



それまで黙ってもくもくと熱心に食べていた板橋氏が声を上げた。話を決して聞いていなかったわけではない。大人の話に口を挟んではいけないような気がしたので、自分でできることを熱心にとりおこなっていたのだ。大人は大変だなあ、などと思いつつ誰も見ていないテレビをBGMに。



板橋氏の指差すテレビの画面には確かにサンタクロースの格好をした坂本氏が映し出されていた。





つづく



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