園長先生がささやいた。「ねえ、やってくれない?あなたたち。」 (もしかしたら、「ちょっとあんたら、やってくれへん?」だったかもしれないが、 ここは美化しておこう)「えっ?何を?」「ひよこ教室の世話係り!」 *ひよこ教室とは、幼稚園就園前の幼児&ママに週1回園を解放し 、園児達と遊んだ後小さな集会を楽しむものである。 管理人ぺんぺん草は躊躇した、 いや、世の中一般の常識として即答を避けただけなのが、 ひまわりさんはちがう。 「やろ!やろ!」ときたもんだ!今後のウッドブロックの活動パターンを予言、 象徴するような始まりであった。 仲間集めは原始的に行われた。そばにいた人をひっぱりこんだのである。 たまたま居合わせた芍薬の姐ご‥自宅のベランダで芍薬を育てているらしい。 階段でばったり出会ったすみれちゃん‥かわいそうに‥。 などが次々にひっぱりこまれ計8名、当時のグループ名は“ひよこ”で、 受付、紙芝居、お土産準備等の仕事を任され、1年間を無事終了。 翌1992年はお休み、1993年より復帰。新たにポトス夫人ひっぱりこみ、 メンバーの交代もあり、 音楽担当のポンポンダリヤも加わり、現在6名。メンバー紹介はこちら。 たしか『たぬきのポンちゃん』の話だったと思う。 ‘思う’っていうのはこの頃は人形劇をやろうなんてぜーんぜん考えていなかったからだ。 人形も主人公以外は全部既成の物を図書館で借りたし、 人形使いとセリフが別人というカミワザをやってのけていた。 が、ひまわりさんの創ったこのお話は小さい子ども達にもお母さん達にも大変喜ばれたのでる。 しかし、発泡スチロールを削るとどうなるか、考えて頂きたい。 エライことになるのである。 知恵をしぼったあげく私達は段ボール箱を用意した。 そこへ車はでかいが身体は小さい芍薬の姐ごに入ってもらい作業してもらった。 うん、なかなか・・・・・笑える光景であった。 あーそうそう、『あかずきん』であるが、狼はとにかく作った貴重な一品。 が、他は全部既製品でやっちゃたー。 3作目 名作『まっくろネリノ』であった。ほとんど絵本そのままで、毛糸のボンボンに 顔とモールの手足をつけた人形を使った。 台本読みの時はしんみりと情感たっぷりで、 演技者自ら涙ぐむというほどのいれこみであったが、セットの稚拙さもあり、 今では思い出したくない作品ナンバー1になってしまった。 |
ここでまた前述の園長先生が登場されるのである。 先生はまたしてもささやかれた、「あなたたち、吉田先生とお話する?」と。 園長先生はこうやっていつもカルーイ気持ちでチャンスを下さる。 その後もずっとサポートして下さりありがとうございます。 で「えっ!そんなおえらい先生が私どものような者と・・とんでもないです・・ でも一応皆に相談してみます。」 ということで、ぺんぺん草はひまわりに電話した。 「いやー!ほんま?お話しよしよ!」・・・・・さすがである。 かくして、幼稚園のなのはなのお部屋で吉田先生とド緊張の会談をさせて頂くはこびとなった。
きさくで、ざっくばらんで、‥(一緒か‥)率直で笑顔が優しい。 とてもえらい先生なのに、同じ目線で話して下さる。私達の今の活動状況を話す。 『まっくろネリノ』の話になると先生はこうおっしゃった。 「おもしろないやろなあー、その劇。そのまんまやもんなあー。」・・・と。 そして、“脚色する”ということを中心に人形劇について熱く語って下さった。 「人形劇は芝居よ。そして、ファンタジーよ。」 「すすきがいるからいうてそこらの本物取ってきたあかんよ。 作るンよ。考えるねん、ずーっと考えるんよ。そしたらある時そうや!てひらめくんよ。」 と、いうような事を・・・初心者の私達に語って下さった。 もっともっといろんな話をして下さったのに、………きちんと思い出せない。 ごめんなさい。 この時「姫路の子どもの館で人形劇中級講座があるから参加したらええねん。」とすすめ下さった。 講師はもちろん吉田先生である。お調子乗りの私達は即申し込んだ。 ひまわり&芍薬の姐ご&ぺんぺん草の3人が参加した。 たたき台
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