お茶屋の時間 第1回 美味しいお茶を召し上がりませんか?

 湯気と一緒に甘みを帯びた香りが立ち上ってくる。茶杯の中には透明感のある黄金色の液体。一口含めば肩の力がふーっと抜けて、涼やかな甘みが口や鼻に一杯に広がる。飲み進めると、背中がじわじわと温まり、頭に爽やかな風が吹き抜ける―――。

美味しいお茶を召し上がりませんか。お茶は、香り、味わい、飲み心地、さらには「お茶を淹れること」そのものが、心身をリラックスさせてくれるものだと思います。忙しいお仕事の合間に、また、疲れてしまった人に「元気になって」の心を込めて。あるいは、自分自身に「お疲れさま」と、とびきり美味しいお茶を淹れる。暮らしの中の句読点として、また、命の水として、お茶を召し上がりませんか。

「中国茶」に魅かれ、勤めを辞め、お茶の勉強をするため台湾や中国に渡ったのが4年前。数千種類もあるといわれる中国茶を飲み歩きながら、美味しい中国茶を求め続けてきました。そこでたどり着いたのは、「お茶は植物であり、それを育てているのは土や水といった栽培環境である」ということ。そして「お茶を飲むということは、お茶を身体の中に取り込むことである」という、ごく素朴な事実でした。

でも、そのことを心の真ん中に置いてみると「中国茶」「台湾茶」「日本茶」「インド紅茶」という垣根、あるいは「紅茶」「緑茶」「烏龍茶」という垣根が取り払われ、どれも同じ「お茶」という土俵で考えられるようになりました。同じ土俵で、茶樹が育った環境に着目するようになったのです。

また、お茶を身体に取り込むということを意識して、飲み下した時の身体の心地よさを判断の基準にしていくと、私の身体は、種類に関係なく、より自然な環境で育ったお茶を心地よい、美味しいと判断するようでした。

だから自分は「お茶屋」であって「中国茶屋」ではないと思っています。中国のお茶文化には敬意を払いますが、文化を紹介したいのではなく、植物としての茶に着目して、日本に暮らす私たちが日常に飲む物として、美味しいお茶をご紹介したいのです。

中国茶というと、「ままごとみたいな小さな器で時間をかけて飲むもの」「時間もお金も必要な贅沢な趣味」と思われるかもしれません。でも、小さな器を使っているのは中国でも南のごく限られた地域です。中国ではお茶は水代わり。大小様々な器で身近に飲んでいます。お茶を飲むには、お茶碗さえあればいいのです。茶碗にお茶の葉を入れ、熱いお湯を注げば飲めるのですから。お煎茶の急須があったらなおよし。紅茶のポットでもかまいません。お湯がなければ水出しだっていい。ペットボトルにでも入った水に茶葉を入れればお茶が出来てしまいます。

どうぞ日常の飲み物として、渇きを癒すため、心身のリフレッシュ、またはお話の潤滑油に、美味しいお茶を召し上がりませんか。きっと頭に爽やかな風が吹き抜けますよ。


(「家と人。」8号 2004年3月31日発行 泣潟買@ープレス社 掲載)
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