お茶屋の時間 第7回 お茶の味は淹れる人によって違う

 この頃私は、いろいろな集まりに呼ばれて、お茶を淹れたりお茶の話をすることが多くなりました。先日ある小学校で六年生の教室に呼ばれてお茶の話をした時、二つの実験をしてとても面白い結果が出たのでご紹介します。

 まず一つは、クラスの中から男の子一人女の子一人に前に出てきてもらって、予め私が淹れて水筒に詰めていったお茶を、湯冷ましのような器に入れておいて、その器から小さな茶杯六個に注いでもらい、飲み比べるというものです。

初めに男の子A君にお願いしました。A君は「お茶を注いでみたい人?」と呼びかけたら元気よく手を挙げた子です。次に、女の子Bさんにお願いしました。Bさんは私から指名しました。今日の学習当番として私を教室まで案内してくれた礼儀正しい静かな子です。二人とも本当に一生懸命注いでくれました。

そしてA君の注いでくれた茶杯とBさんの注いでくれた茶杯を二つずつ並べて、六人で飲み比べてみました。元々は私が水筒に詰めてきた同じお茶です。でも飲んでみると、なんだか味が違うようです。私だけでなく、飲んだ人はみな口々にそう言います。A君のお茶は甘味があって生き生きと柔らかい味わい。Bさんのお茶はすっとしているけど後味がちょっと渋い。Bさんはかなり緊張したそうで、緊張が味に出てしまったかのようです。「へええ〜。同じお茶なのに注ぐ人が違うだけで違うんだねえ。」という声が上がりました。

次の実験は、ちょっとおとなしめの男の子C君にお願いし、一人で茶杯6個ずつ二回、お茶を注いでもらいました。C君も一生懸命です。お猪口くらい小さい茶杯なので、注ぐのはなかなか難しいし、湯冷ましのような器も結構こぼれやすい作りになっています。私は意地悪にも益々緊張させようと「こぼさないように気をつけてね」「初めてだから緊張するね」と声をかけました。どうにか注ぎ終わって、二回目を注ぎ始めようという時、「一回やったからだいぶ慣れてきたね。二回目はリラックスしてできるね。美味しくなるように心を込めて注いでみてね。」と声をかけて、またC君に注いでもらいました。

 そして、一回目の茶杯と二回目の茶杯を並べて、また六人で飲み比べてみました。まずは一回目。ふむふむ、こういう味ね。次に二回目のお茶を口に含んだ瞬間、「うわあ、全然違う!」と声が上がりました。口あたりが柔らかく滑らかで、甘味が口の中全体に広がるようです。「こんなに変わるものなんだねえ。」飲んだ人は子供も大人もみな驚いて感心した様子です。C君だけは「うん。そう言われれば違うかなあ。」と控えめでしたが。

 これらの実験からいろいろなことが感じられました。一つは、同じ人が淹れても、心の持ちようによってお茶の味が大きく変わってくるらしいこと。もう一つは、淹れる人が違うとお茶の味も違うようだということです。

 美味しいお茶を淹れるには、茶葉の量やお湯を入れて待つ時間も然ることながら、リラックスして心を込めることが大切なのだと思います。そして心を込めて淹れたお茶は、誰が誰より美味しいと比べられるものではなく、A君もBさんもC君もみんな違ってみんな美味しいのだと思います。そう考えると、美味しいお茶を淹れられるように精進することは、生きていくことと似ているのかもしれないと思い、なんだか励まされるような気持ちになります。

 人は一人一人みな違うこと。また、その人の中にも成長があったり、よりよい状態があること。そんな、言葉にすれば当たり前のことを、しかしお茶の味の違いを通してはっきりと感じとることができることは、私にとっては大きな気づきでした。ここに、お茶を作ること、淹れることの、身近でありながら奥深い世界が広がっているのだと思います。

 皆様も、自分一人で、または家族や仲間と共に、お茶を淹れて味比べをしてみませんか。自分の心の在り様の違いや、一人一人の味わいの違いを、お茶の味を通して感じられたなら、お茶の楽しみがまた一つ増えるのではないかと思います。

(「家と人。」14号  泣潟買@ープレス社 掲載)
back