中国のお茶に魅せられて(上) お茶の縁

 縁とは不思議なものだとつくづく思います。盛岡で生まれ育った私が、中国のお茶に魅せられ、台湾・中国大陸に渡り、師と仰ぐ人に出会い、その人の技術で作ったお茶をまた盛岡に戻って紹介することになるなんて、10年前には想像できなかったことです。

 そして、さる5月20日から3日間、台湾に住む私の師匠、宋勇進が盛岡に参り、お茶のお話をいたしました。距離や言葉や日程といった様々な障害を乗り越えて、多くの方々と新しく出会うことができたのも、やはりそれぞれに縁があったからなのだと思います。

 私とお茶との出会いは8年前に遡ります。台湾に友達を訪ねた時、飲ませてもらった一杯の烏龍茶、その清らかな甘味が、中国や台湾のお茶を探し求める旅への招待状でした。それからというもの、勤めの長期休暇を利用しては台湾、香港や中国各地に飛んでお茶に出会う旅を重ね、ついに4年前には勤めを辞め、台湾や中国・福建省などに渡り、中国語を学びながらお茶の勉強をすることに決めたのです。

 中国茶の学校があるわけでもなく、雲を掴む思いで渡った台湾でしたが、お茶を通じて多くの方と知り合い、人から人へと次々と縁をつないでもらって、宋師匠に出会いました。私がお茶屋の試飲コーナーでバイトしていたとき、たまたまやってきたお客様の一人が、「僕は美味しいお茶を持っている」と懐からお茶の袋を出して私に飲ませてくれたのです。そのお茶は、際立った華やかさはありませんが、何かとても澄んだ味わいだと思いました。

「このお茶を作った人に会いたければ、僕に連絡しなさい」と言い残して去っていったお客様に、早速連絡を取り、宋師匠を紹介してもらうことにしました。宋師匠は店を構えていない全く無名の人でしたから、その出来事がなければ私は未だに宋師匠を知らないままだったと思います。

初対面の時、「お茶の焙煎の師匠」というから髭を生やしたおじいさんを想像していったのに、にっこりと出てきたのはTシャツにベストを羽織った私と同い年の若者、それが宋師匠でした。他にも野球帽をかぶった若い男性が脇で試飲していたりして、どうもお茶屋さんというより研究室やクラブのような雰囲気です。

淹れてくれたお茶は、澄んだ味で美味しいけれど何が他のお茶と決定的に違うのか、私にはよくわかりませんでした。そのまま半月ほどで台湾を離れる日が来て、後ろ髪を引かれる思いで中国福建省に渡り6ヶ月暮らしました。

福建省では、大学の語学コースに通いながら、あこがれていた銘茶の産地を訪ねたり、お茶屋を片っ端から回って試飲しました。そうして、同じ名前でも数え切れないほど違う味や品質や値段のお茶があることを知りました。

ところが、私がいいと感じるものと、他の人がいいと感じるものは必ずしも一致しない、本当に美味しいお茶とは何なのか、私はどんなお茶を日本で紹介したらいいのか、どんどんわからなくなってしまいました。

そして、半年の中国滞在を終えたら帰国し仕事を始めるはずだったのに、どこか心にひっかかっていた台湾の宋さんに会って話をするために、また台湾に戻ることにしたのです。そのとき初めて宋師匠は私に、このお茶の良さは、身体にすんなりとなじむことであり、それは、自然に近い環境で作られた原料を、さらに焙煎によって純度の高いものにしているからだと教えてくれました。

「お茶を身体で飲む」−初めて聞いたその言葉を理解するため、一人で納得するまでお茶を飲み比べ、宋師匠のお茶は他のお茶と比べて飲んだ後の身体の心地よさが決定的に違うことを実感しました。そして、宋師匠の焙煎を学ぶため弟子入りをし、1年間修業した後、ついに昨年5月に盛岡・材木町に店を構えるにいたりました。

 先ごろ、開店1周年を記念して、台湾の宋師匠を盛岡に招き、お客様の前でお茶の話をさせていただきました。参加いただいたお客さまには、私たちの作るこの一杯のお茶の中に、お茶の樹の育った、土や水といった環境や、焙煎技術、そして、焙煎をした人間の心情や生き方までが投影されていることを感じていただき、本当に言葉を超えて理解し合うことが出来たと感謝しています。

宋はこう言っていました。「台湾に比べて盛岡は寒い寒いと聞いてきたけれど、来てみたらとても温かいところでした。もちろん気候のことではなく、人の温かさです」−彼はとても盛岡を気に入って帰っていきました。

私はこれからも盛岡で、宋さんや私が心をこめて作ったお茶を、心を込めて飲んでくださる方へ手渡す、お茶と人の縁結びのお手伝いをしていきたいと思っています。



(ねんりんクラブ第104号 平成16年6月15日発行 ねんりん舎 掲載)
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