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”気仙茶”に魅せられて(下) | |
岩手県のお茶「気仙茶」の味わい、それを作りだす茶樹や環境に魅せられ、今年の春、初めてお茶摘みからお茶づくりまでを手がけることにしました。 お茶づくりをすると決めてからは、様々な出会いが私を助けてくれました。 初めての気仙行きから帰ってきてまもなく、大船渡在住のSさんが店を訪ねていらっしゃいました。以前召し上がった台湾の烏龍茶がとても美味しくて、以来中国茶に興味をお持ちだったのだそうです。しかし、話をしていくうちに、おうちにも何年も摘んでいないお茶の樹があり、ずっと気になっているとのこと。是非摘ませてください!と申し出て、そちらでもお茶作りをすることにしました。 また、Sさんのお知り合いの方も、地域に摘まなくなったお茶の樹が増えていることに心を痛めていて、一緒にあちこちの畑を回ってくださり、その中でとてもよい環境の茶畑を見つけることができました。 更には、地元農協さんの計らいで、無農薬、無肥料の茶畑を二箇所摘ませていただけることになりました。 茶畑探しの過程で出会った皆さんは、「昔は家でもお茶を作っていたがなあ」とか「何十年も前に飲ませてもらったあのお茶の味が忘れられない」「家で作ったお茶が一番美味しい、と父が毎日飲んでいた」と口々におっしゃいます。そのような、お茶と共に暮らした記憶が、今回のお茶づくりを後押ししてくれたのだと思います。 さて、茶畑が見つかったなら、次の課題は、誰がお茶を摘むかです。自分たちだけでは到底間に合いません。思案していた時、以前お茶会にいらしてくださった盛岡在住のTさんが「私にお茶摘みさせて!」と申し出てくれました。そして、Tさんが仲間を集めて、4人で茶摘みに来てくれたのです。また、地元気仙でも、市役所さんや農協さんがグリーンツーリズムに取り組む仲間を誘って、茶摘みをしてくださることになりました。 さて、摘んだ茶葉はどのように加工しましょう?私は今回、烏龍茶にこだわりました。烏龍茶と言っても、ペットボトルで売られているような味わいではなく、中国や台湾で高級とされる、清らかな花のような香りが立ち上る高貴な香りのお茶です。日本では烏龍茶はあまり作られていないけれど、気仙ならできるはずだと思ったからです。「日本茶」「中国茶」という垣根を越えて植物としてお茶を捉えれば、原理は同じ。烏龍茶づくりは日本の風土に合わない、という声も聞きますが、私は違うと思います。今の一般の日本茶は、肥料が多く爽やかな香りが出しづらいですが、無肥料の気仙茶なら清らかで爽やかな香りが出せるはず。そして、上手に製茶してやれば、きっとよい烏龍茶になるはずだと思ったのです。「気仙のお茶のよさを引き出したい」「日本のお茶の多様性を広げるきっかけになれば」「とにかく、今までの常識に挑戦したい」という気持ちから、烏龍茶づくりを選びました。 いよいよお茶づくり当日。日中は茶摘みです。助っ人茶摘み隊の皆さんは実に楽しんで茶摘みをしてくださいました。「初めてだから上手に摘めなくて申し訳ないわ」と言う皆さんに、台湾から招いた宋師匠は「楽しんで摘むその気持ちがお茶に伝わって、きっと美味しくなりますよ」と答えました。 夕方には茶葉を作業場まで搬入。宋師匠と私は、翌朝から、竹ザルに茶葉を広げて、萎れさせていきます。途中、二時間程度のところで、香りの変化を捉えながら茶葉を動かしてやります。その作業を夜十二時頃まで続け、三日目の朝を迎えます。三日目に、釜炒りをするか蒸すかで茶葉の変化を止め、揉み、乾燥をさせれば、荒茶の出来上がりです。 果たして、出来上がったお茶の味わいは?宋師匠が、「このような味わいのお茶は今の台湾にも少ない。大変高級な烏龍茶の味わいだ」と言うほど、清らかで爽やかな香りを持ち甘みのある烏龍茶になりました。それは、気仙のお茶の樹の力、それを育てた環境、製茶技術、お茶づくりに関わった全ての人の思い、そして、気仙の人々が何百年も受け継いで来たお茶づくりの心が作り上げた味わいだったと思います。 気仙では、年々お茶づくりをする人が減っています。地元でも気仙茶を飲んだことのある人は少なくなってきています。お茶の樹も減ってきています。しかし、私は気仙のお茶の樹やその文化は貴重な宝だと思います。これからも気仙の皆様と一緒に、少しでも多くお茶の樹を残し、美味しいお茶を作り続けていきたいと思います。 気仙のお茶との深いご縁。もしかしたら私の中国や台湾でのお茶修業も、気仙のお茶の樹に導かれたものかもしれないと思うこの頃です。
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(ねんりんクラブ第115号 平成17年11月1日発行 ねんりん舎 掲載) |