2002(平成14)年12月の日記


12月31日(火)

 昨日22時過ぎに家を出る。駅へ行く途中で毛糸の帽子を家にとりに帰ったりしながら新宿駅には約束の23時半前に着くものの、誰も来ていない。早稲田祭運営スタッフ“遊興局”の「電車合宿」(鉄研で言うところの「ツアー」に相当)で「ムーンライト信州」に乗り、そばを食べて帰ってくるというのに参加することになった。

 コミケ最終日発の夜行列車だというのに指定席は簡単に取れたそうで、確かに松本までなら普通電車でもその日のうちに帰れそうな距離である。……山手線が渋谷駅で“線路内に人が立ち入ったため”遅れており、「ムーンライト信州」も所定の23:54発から0:08発に変更になる。バカ正直に本来のダイヤで日付が変わる立川までの450円区間のキップを買ってしまっており、いらなかったことになる。立川を発車してすでに1時をまわったころに車内改札があり、非常識この上ない。車両は幕張電車区の183系で、深夜減灯もなく、ガラガラだけど2人席のうち片方は必ず埋まっている状況では座席を回転させて足を投げるわけにもいかず、車内は蒸し暑くてあまりよく眠れない。

 塩尻到着直前にPHSの目覚ましが作動して起きる。ホームに降りるとまだ4時を回ったばかりなのにアナウンスがけたたましく鳴っており、車内ではあまり聞こえないけど近所迷惑ではなかろうかと心配になる。車内は暑いくらいだけどホームは寒くて一気に目がさめる。写真を何枚か撮って再び乗り込んで松本到着。隣には長野行き急行「ちくま」が停まっているけれど18きっぷでは乗れないので、篠ノ井線の始発を待つ。その間に夜の松本城を観光。

 篠ノ井線では大半の面々が夢の中で、「日本三大車窓」にも数えられる姨捨の車窓を眺めたのはごくわずか。もったいない。長野に着き、相変わらずの味の駅そばを食べて、迎えにきていたスタッフで帰省中のT幸くんとY田くんの車に分乗してまず善光寺へ。そのあと八幡原合戦場跡(上杉謙信と武田信玄の「三太刀七太刀」の場所)や海津城跡をめぐる。海津城跡のすぐ近くに長野電鉄松代駅があり、僕はY本くんたちとともに城ではなく駅を履修。ついでに松代郵便局へも足を伸ばすと、貯金はすでに休みに入っていたものの郵便窓口は開いていて風景印を履修。

 それからT幸くんの実家を外から見物して、再び長野市街へもどって善光寺参道にある「太田屋」という名のそば屋へ。「十割そば」がメニューにあり、せっかくなので普通のもりそばと並行履修。食べてみた感じでは十割のほうがそばの香りが強いかな〜と思った程度で、コシは普通のもりそばのほうが強いような印象だったから、十割そばとは言っても手間の割にはそれほどのものでもないのだなと思った。もりそば600円に十善そば(=十割そば)950円で、I川くんが食べていた天ざるが1450円だから、僕一人だけお盆が2つ並んだけれどそんなに贅沢をしたわけではない。

 そば粉を1キロ1500円で分けてくれるそうなので購入し、家へのお土産にする(最近、父がそば打ちを始めた)。長野駅前でT幸くんやY田くんとは別れて15:04発の飯山線。長野駅では明日に局へ持っていく用のお土産に「ベビースターわさびそば味」と、自分で食べる用に“おやき”、それから夕食用に駅弁を購入。飯山線に乗ってしまうと、この先、最悪の場合は高崎まで食事を購入できる場所がない。その旨ほかの面々にも伝えたのだけど、誰も買わない。……まぁ、バカ停がある戸狩野沢温泉駅や十日町駅の売店でパンくらいは買えるかも、と僕も楽観視していたのが、あとで痛い目を見ることになる。

 2両編成の飯山線は相変わらず長野発車時点で大混雑だったけど飯山と戸狩野沢温泉でまとまった下車があり、戸狩野沢温泉からは単行になる。1両の電車なんて初めてです〜とN島さんが言う。飯山は停車時間がなくて「七福の鐘」が突けなかったけど、だいぶ暗くなっていたとはいえ森宮野原駅の国鉄最高積雪記録の碑は見られる。あまりの高さに一同が驚いており、飯山線は初心者にも面白い路線である。うまいぐあいに時間さえあれば津南で電車を眺めながら温泉にも入れる。目当ての雪景色もすっかり堪能して越後川口に到着。……唯一、風流に雪見酒、なんて考えて長野駅で買ってきたワインはちっともおいしくなくて失敗。JR東日本商事め。。。

 何もないこの駅は備後落合と並んで好きな駅のひとつ。ここから上越線に乗り換えてひたすら東京を目指す……はずが、先行列車が六日町駅で車両故障を起こし、乗っていた電車も五日町駅で抑止になってしまう。故障して停まっているのなら追い越せばいいのに、と思いつつも結局故障車両が車庫へ引き上げることになるまでおとなしく車内で待つ。55分遅れ。

 この電車の車掌さんはなかなかいい人で、応対は悪くなかった。……水上での接続なし、救済なし、という対応に変わりはなかったけど。

 国境を越えて水上に着き、高崎行きを待つ間に駅前に出ても飲み屋が1軒営業しているだけで、あとは真っ暗。全国展開しているチェーン店がないのは悪いことではないけれど、キヨスクすら閉まっていて何も調達できないのはつらそうだ。……そんななか、高崎行きの車内で長野駅で買った「笹の押寿司」をほおばる。

 高崎から乗り継いだ上野行きは221系。せっかく駅前の吉野家やローソンで調達した食べ物や酒はロングシートの床に広げざるをえず、乗っていた前から2両目が貸し切り状態だったこともあって酒盛りになる。……さすがにこのノリにはついていけなかったけど、でも、学生のうちはこのくらいやるくらいでいいのかもなぁ、という思いも大脳の片隅をよぎる。

 川口で年が明け、さいたまで年越しかよ〜、といったところで、大隈講堂前で運営スタッフ有志がやっているカウントダウンに合流するという他の面々とは別れて上野まで行き、東京駅ではミレナリオを見ていこうかなぁとも思ったものの、一人で見るのもむなしいので、京葉線の終電は終わっている時間だけど、終夜運転を利用して新浦安に帰る。


12月30日(月)

 昨晩もだらだらと0時近くまで起きていて、目が覚めたのは7時半。もう一度お風呂に入ったりして朝食はしっかり食べる。

 10時を過ぎて家を出、フーデックスで昼食と差し入れ用のマックスコーヒーを購入して東京ビッグサイトへ。新木場からのりんかい線は拍子抜けするくらいにすいていて、コミックマーケット会場もすんなり入れた。例によってカタログは買っていないのでK田が出店している「山本正之研究会」を探しあてるのにひと苦労して、K田の携帯もいっしょにいるはずのH田の携帯も通じなかったものの、K田のPHSは通じて何とかたどり着く。

 そこでカタログチェックをしている間に、さっそく私をたずねてきてくれたお客さん。“江東区のKれリスナー”さん。都バスに乗って来られたそうで、すでにK七男爵さんのところへ行って来たとのこと。さっそく僕もK七男爵さんのところで「市川FM本」を含む3冊を購入。商業誌にも描いている方なのでK田に見せると、ちゃんと知っていた。

 しばらくしてH田に店番をお願いしてK田とPCギャルゲー本のエリアへ向かう。K田と話ながら歩いていると「もしかして、高橋秀暢さんですか?」と話しかけられ、そうですけど、なんで知ってるの、という感じていたら、今日二人目のお客さんで、“K成電話”さん。声で分かったそうで……毎週毎週電波で自分の声が飛んでいて、今日ここに来ることを告知していたとはいえ、これだけの人混みの中で声を聴いて探しあててもらえたとは驚き。

 再び山本正之研究会に戻り、もう一回K成電話さんとお話をしたあとは、終了までK田と店番。あと片付けを手伝って国際展示場前駅まで歩き、集まっていた面々は帰りの交通機関ごとに別れて解散。りんかい線は駅に入るまではすごい行列だったものの、入ってしまえば駅のなかはそれほど混んでおらず、車内でも座れて17時には新浦安着。国際展示場から16分しかかかっていない。鉄道マンセーである。


12月29日(日)

 昨晩メールが吹っ飛んでしまったので、研究室のPCからコピーして持ってこようと準備していて、本当にいつも通りキャンパスに入れるのだろうかと確かめてみたら、入構禁止期間になっていた。日曜日でもカードリーダーに学生証を通せば入れるのだが、昨日から1/3までまるまる1週間、26日までに届出がないと入れないそう。そういえばS藤くんが「大学は休み過ぎだ」と言っていたのを聞いたときはあまり意識していなかったが、こういう目に遭うと、年末年始休まずに営業する業界が増えているのに大学当局は研究教育機関のくせに何を考えているのかと腹が立つ。予備校は「僕らの正月は三月だ!」とかうさんくさい標語を掲げて営業しており、大学だってこの時期は卒論・修論の追い込みのはずなのに図書館から事務所から全部休むうえに研究室の自分の机にも行かれないとは! 自分勝手なものではあるけれど、そう思う。

 自分のPCの不安定さは昨日にも増してひどくなっており、さっさとデータのバックアップを取って年明けを待たずにHDDを一度きれいにして再インストールかけたほうがいいかも、とこちらも異音を発していて挙動のおかしいCD-Rドライブを駆使して数枚焼いたところでこちらも止まってしまう。故障でもCD-Rドライブはバルク品じゃなくて正規品を買ってきたから保証が効くなと思ってメーカーのホームページを見てみるとこちらも年末年始休業で次の受け付けは1月6日。。。。。。こうなったら無線LAN経由でノートパソコンにデータを移してそっちで焼くしかない、と試みると、CD1枚分のデータを移すのに「残り303分」なんて表示される始末。

 再インストールしたらレポートを何通か書くつもりでいたのに、どうすればいいんだよぉぉ、と一時は悲観的になったものの、CD-Rのメディアを替えてみたらなんのことはなく正常に動作し始め、早とちりだったらしい。。。。。。異音は相変わらずだが。

 明日に備えてK田が家に来るよーと母に伝えたら、忙しいのに客間を空けなきゃいけないなんて冗談じゃないと言われてしまう。泊めるんならあんたの部屋に泊めなさい、とお説ごもっともではあるけれど、そういうわけにもいかぬ。K田には断りのメールを入れて、部屋の掃除をはじめる。


12月28日(土)

 午後1時半前には家を出て新浦安駅前ショッパーズプラザの中にある「浦安市民プラザ Wave101」へ。途中、郵便局に寄って貯金を引き出したり。

 浦安市青少年海外派遣生の忘年会というか同窓会が14時からなのではなくて14時に集まって準備を始めるということだったらしく、実際に始まったのは15時過ぎだったろうか。中・高生が大半なのでテーブルの上はお菓子とジュース。4回生で来ているのは僕一人で、そんなに話すこともなく食べまくっていたら「高橋さんよく食べますね〜」と2〜3人に同じことを言われる。(^^;)

 2次会はカラオケ。もともとカラオケは苦手なうえ、中・高生ののりについていけず、結局1回も歌わなかった。第一興商はマニアックな歌に限ってほとんど入っていないから困る。で、3次会はサイゼリヤ。23時前には終了。その時点で残っていた大学生以上は3人だけで、前回も最後までいたのはこの3人だったので、4次会には移行せずに解散。お酒が入らなかったからか社会人の方がたくさん出したからか傾斜配分にしても1〜3次会まで2000円かからなかった。

 家に帰ってメールをチェックしていたらOutlookExpressの挙動がおかしく、あれれ……と思っているうちに「受信トレイ」のメールが全部消えてしまった。あらららら、、、、と事の重大さのわりに暢気(のんき)に構えているのは毎度のことだけど、メールは研究室のPCにまったく同じものがあるのであちらからコピーしてくればよく、致命的なダメージに至らずに済みそう。


12月27日(金)

 先週の帰りに新宿TSUTAYAで借りたCDを返していなかったのと、明日の浦安市青少年海外派遣生の忘年会でプレゼント交換なるものをやるとのことで東急ハンズで何か買おうと、14時半ごろ家を出る。

 キャンパスも明日から閉構なので、まっすぐ新宿には行かずに大手町から地下鉄で早稲田へ。大隈会館内のガイド室へ行くと元ガイドの“社長”がいて、就職先が決まった挨拶にみえたとのこと。先日団体ツアーを担当した鴨川市から粗品が届いているというので開けてみると、マグカップ・マウスパッド・シャーボ・シャチハタの4点が入っている。鴨川市には申し訳ないけれど、どれも家でもてあましているものばかりなので、即、明日のプレゼント交換用に決定。シャチハタは「高橋」ってすでにできあがっているのかと思いきや、中にハガキが入っていてそれに名前を書いてシャチハタに送るとハンコの部分を作って送ってくれるようになっており、心配なし。ただ、交換用の品は「1000円程度のものを」ということだったので、これは明らかに(買ったら)5000円は下らないだろうなぁというのが少し気がかりではある。

 今日が終わると来年まで早稲田には来ないので、なにか食べて行きたいなと思う。三品はもう休みに入っているし、結局ワセ弁でベスカラ(430円)を購入して研究室で食べることにして16:50の理工バスに乗る。車内にたちこめる唐揚げ臭。

 年末なのにやけに研究室に人が多いなぁと思ったら今日は忘年会だった由。全然知らなかったのも当たり前で、急遽決まったらしい。で、結局人が思ったように集まらなかったので新年会に変更することになった。1月6日。朝のバイトもこの日からで、昼間はどうやって時間をつぶそうかと今から悩みの種。

 研究室には1時間ほど滞在して、新大久保からひと駅、山手線で新宿に出てTSUTAYAにCDを返し、このまま帰るのもつまらないので新宿マイシティをのぞいてみる。土木の中川先生の話では、マイシティ建設時には西武新宿線が乗り入れてくる構想があり、2階に電車が乗り入れてきても大丈夫なようにホームや改札口や階段の基礎が造ってあって店舗配置を見るとそのあとがうかがえる、ということだったのでいつか確かめてみたいと思っていた。

 確かに新宿駅東口の1階はただの駅ビルのわりには柱が大掛かりだし、この上に電車が走っていてもおかしくないよなと思いつつ2階にあがってみると天井が低い。まさかこんなスペースに電車が入って来れるわけがない。もしかしたら駅のスペースに床をもうひとつ設けて3階として使っているのかも知れぬ、あるいは2階はホーム下のスペースか何かだろうかと3階にあがってみると、なんとなくそんな感じがするようなしないような……という感じしかしない。もっと店内を歩き回ってよく観察してみたいけれど、マイシティの2階・3階はともに婦人服売り場なので男一人でウロウロしてあちこち観察していては怪しいことこの上なく、おとなしく退散する。

 23時からチャットをする約束をしていて、それまで一旦寝ていようと思って寝たのが運のつき。気がつくと時計は3時、すっぽかしてしまった。コミケ前だし、チャットしながらいちかわエフエムの「よろず音楽堂」を聴いていようと思っていたのに、これももう終わってしまった時間である。


12月26日(木)

 帰宅したのは7時ごろ。駐車場にクルマを停めて家に向かう途中でS水くんにばったり。「こんな時間にどうしたの?」「いや、まぁ、いろいろと……」。明け方まで番組やってまして、なんて言ったら話が長くなるので言わない。

 お風呂に入って、ヨーグルトくらいは食べて、あとは部屋の雨戸を閉めて寝に入る。いつも木曜日に洗濯をしているので父が部屋にいきなり入ってきて洗濯するのかどうか聞くためだけに起こされたのにはまいった(風呂の残り湯を捨ててよいのかということらしい)けど、16時ごろまで寝る。……先ほど寝ぼけ眼に「やる」と言ってしまったので風呂のフタを開けるとぬるま湯が残っており、外はもう日が暮れかかっていたけど洗濯をする。明日でもよいのだけど、そうするとそれはそれでまた父の相手をしなければならぬ。今日の父は機嫌が悪い。

 夕飯を終えて、たまにはスーパー銭湯へ行って、船橋市場のブックオフにでも……と思ったらクルマは弟が使ってしまったので電車で行く。南船橋に快速電車が停まるようになったものの、所要時間は1分しか違わない。いつも通り送迎バスでスーパー銭湯「常盤殿」へ。

 お湯に浸かっていると65歳くらいの人に話し掛けられる。田舎の温泉でもあるまいし、珍しいなと思いつつ応じていると
「おいくつですか」
「24です」
「若いねぇ」
「はぁ」
「いや〜、私もいつまでも若くありたいと思ってね」
「そうですか、そりゃ〜広いお風呂に入っているt …」
「それでね、キミの……………いか?」
「はい?」
「キミの***(伏字)を触らせてくれないか」
「………」

 一瞬固まったあと、そこには無言で立ち去る自分。

 露天風呂に行くと、自分に続いてドアを開ける音が聞こえて「まさか追いかけてきてるとか――??」と無気味に思いつつ振りかえると全然違う人で少しほっとした。

 そういや、去年の2月にS狩温泉でも似たような目に遭いましたっけ。最近は電車に乗っていても痴漢に遭わなくなったし、S狩温泉の一件からも2年近く経っていたからすっかり忘れていたのだけれど、どうもおじさんに好まれる顔をしているらしい。。。。。。それだったら就職活動でセクハラまがいの面接があってもさぞかしうまくいくことでしょうなぁ………とため息をつく。

 まぁ、前もって断ってきたから逃げられたんであって、いきなり触るような人よりは律儀だったのかななどと、少しでも前向きに捉えることにする。……そうでもしないとどんどん鬱になってしまう。

 せっかく行ったのに、ちっともリラックスなんかできずに22時半の送迎バスで南船橋駅に戻って再び京葉線で家に帰る。船橋競馬場駅前のブックオフは23時までだし、0時までの船橋市場店はクルマじゃないと不便な場所にあるので、ブックオフはあきらめる。


12月25日(水)

 4年と3ヶ月続いたいちかわエフエムでの番組も今晩で最終回。昼間は寝ておこうと思っていたけれど、年賀状を書いたりしながら過ごす。

 夕飯を食べて、日テレのエントリーがまだ受け付けになっていたのでWeb適性検査を受けてから20時ごろに家を出て局入り。来週(元旦)も夕方の特番で来るので別に最後という気はしない。いいのだろうか。

 未明の2時から1時間で終わるはずが、U佐美ディレクターの乱入があって5時過ぎまで延長して終了。延長ありなんだったらちゃんと昼間寝ておくんだったと後悔。あとで同録を聴いてみたらいい間違いがたくさんあって、どうにも締まらない最後でした。


12月24日(火)

 今年最後のバイトで、5時に起きる。連日(普段に比べると)寝坊をしていたので昨晩も寝たのは23時過ぎで、つらい。本当は先週いっぱいで年内は終わりにして旅行に行くつもりでいたのだけど、すべてをキャンセルして家にいることにしたと言ったら連休明けの今日だけ来てよという話になった。

 朝ご飯はトーストに目玉焼きをのせて食べる。珍しくパン食。おととい買い物をしたときについでに買ってきた食パンを誰も食べないので。忙しい朝など手軽でいいと思うのだけど。……よく考えてみたら弟も妹も冬休みだし父も自宅で開業しているから、せわしく朝ご飯を食べる人など我が家にはいないのである。

 バイト終了後は「都市計画特論E」課題の実地調査でJR久留里線の久留里へ行くことになっていたのでいろいろトートバッグにつめ込んだらずいぶん大きくなってしまった。バイト終了後、新宿9:28発の総武線の各駅停車に乗って錦糸町・千葉で快速電車・内房線に乗り継いで集合場所の君津駅に11:26着。千葉駅で「サービスサンド」180円を購入して、内房線の113系電車車内で食べたあとはひたすら居眠り。Suicaで改札を出ると新浦安からの乗り越し運賃は1110円。小学校のときの先生は君津在住だったけど、毎日通える範囲なのにこんなに高いのかとびっくり。JR線は60〜80キロあたりの運賃が一番高いような気がする。それにしても、首都圏の西側は久里浜・高尾・奥多摩・武蔵五日市まで電車特定区間(=運賃割安)なのに千葉県側は総武線が千葉、京葉線は千葉みなとまで。あちらは競合する私鉄があるとはいえ、青梅線・五日市線まで全線が特定区間に入っているのは解せない。

 昨日になっていきなり集合時間と場所が変わったのでS藤くんには連絡が行き届かずに、実際に行動を開始するのは13時近くになる。それまでK石くんのクルマで金融機関めぐりを敢行。千葉興銀・君津郵便局・君津南子安郵便局・千葉銀行へ。

 まずは君津市役所へ行って久留里地区の情報を仕入れようとするも、山ひとつ隔てた地区だからか大した情報はなし。行政区域では君津市だけど、木更津から小櫃川という川をさかのぼった流域にあり、JR久留里線も木更津が起点。国道410号線も木更津が起点だから、市域の設定が間違っているのかもしれない。

 そんなことをしているうちに14時になり、K石くんのクルマで県道92号線(房総スカイライン)経由で久留里へ向かう。トンネルで山々を突き抜けている点以外は名前とうらはらに道幅や舗装状態やカーブの多さなどが北海道の4ケタ道道程度かそれ以下のヘタレ道である。でも、機能は充分果たしているよなとも思う。そんななか、超高規格で建設が進む館山自動車道と交差する。

 まずは久留里駅近くのセブンイレブンで昼食を調達。ついでに久留里郵便局も履修。駅前にクルマを停めて食べたあと、駅をのぞくと「旅もよう」というパンフレットが置いてあってびっくり。確か僕が高校1年だか2年のときにJR東日本管内の有人駅全駅で作成されたと思われるパンフレットだけど、まだあったとは。「あなたの街から未来へのびる JR東日本」というキャッチコピーも懐かしすぎる。駅の写真を撮ろうとカメラを取り出してはじめてフィルムを忘れていたことに気付く。萎える。

 で、駅前の公民館や市役所の出張所ものぞいたあと、クルマで久留里城へ。ここに資料館があって、事前の情報では開館しているという話だったのに、休館。よく考えてみればこういった施設は、月曜日が祝日だと火曜日が休館になるのでそういうもんかという気もする。でも、中に人がいたので少し話を聞くことができる。

 久留里城址からの眺めを満喫したあと、資料館の人に教えてもらったNPO「久留里城山郷かずさ活性化の会」事務所を尋ねると、こちらも休み。敷地内には予想外に立派な事務所やクルマまで持っていて(よく見ると教習車の中古車で、逆に激しく盛りあがってしまう)活発に活動しているらしい。是非話を聞いてみたかったけど仕方がない。あとはJAへ寄って、あとは商工会の事務所へ行ってみると商工会はなんということか月・水・金のみの営業。

 この時点で16時半を過ぎ、あたりも暗くなってきた。久留里名物の銘水(井戸から自噴していていくらでも汲める)を味わい、酒蔵をいくつか見学してから帰途につく。千葉ポートタワーを眺めて、千葉みなと駅でK石くんと別れ、京葉線に。千葉みなとからなら380円で運賃が3分の1。南船橋でS藤くんとも別れて帰宅したのは19時ごろ。

 これからスーパー銭湯へ行くのも悪くないなと思っていたのに夕飯のときにもらい物のスパークリングワインがあるとかでお酒を飲んでしまい、22時ごろまでだらだら起きていたものの急に眠くなって着替えもしないでPCや電気もつけっぱなしで寝てしまう。


12月23日(月・

 7時過ぎには起きたと思う(覚えてない……ォィ)。お風呂が空っぽだったけど、誰も入らなかったのだろうか。僕一人だけが入るのにお湯を入れるのももったいないなと思いつつ、晴れてるんだからシーツ洗っちゃいなさい、と母に言われて(ここ何日かの日記を見返すと「母に言われて」という記述が目立つ。よくない)洗濯に使うんだからいいか、とお風呂に湯を張って入る。

 朝ご飯は昨日の残りのスパゲティ。お歳暮でもらったとかいう生ガキを昨日食べ残したからかホワイトソースがカキのチャウダーと化しており、それをスパゲティにかけて食べる。件のお湯で洗濯をして、さて年賀状を印刷するか、と新しく導入されたプリンターを借りに妹の部屋に行くと「入って来んなバーカ」と追い出されてしまう。暴力反対である。(^^;;)

 しばらく部屋でゴロゴロしながら過ごす。ゴロゴロ癖がつくと止まらなくなってしまうのでどこかで思いとどまらなくてはいけないのだけど、そのまま昼前まで寝てしまう。自分のプリンターで何枚か年賀状を刷ってみるけど4年前の製品なのでどうしても見劣りがする。妹は14時までバイトなのであまり遅くなると帰ってきてしまう。家族共用のはずのBIBLOを起動してつながっているプリンター(これも家族共用のはずなのだが)を共有設定にして部屋に戻り、自分のPCから印刷開始。我が家の無線LANはどうもちゃんとした速度が出ていないらしく、プリンターに50枚分のデータを送るのに1時間以上かかって(なので昼ご飯を食べ終わって様子を見に行ってもまだ印刷は始まっていなかった)、また昼寝をして戻ったころにようやく半分くらい印刷が終わっている程度だった。そんなことをしているうちに15時になって妹が帰ってきてしまい、案の定、怒られる。部屋に入ったこともあるもののそれ以上にプリンターを使ったことについて怒っているのだが、怒るのならPC一式を自己資金で揃えてからにしていただきたいものである。残念ながら妹以外に使う人がいないので、両親が買ったPC本体とプリンターは完全に妹の所有物と化している。……そもそも父が自分で使う用に買ったのだから、使うように言っているのだが先生役になる妹がこれまた怒りながら教えるのですっかりやる気をなくしてしまった様子である。こうなることを計算済みでいつも怒っているのなら相当見事な戦略と言わねばならぬ。

 引き続き部屋を片付けながら日本テレビにWebエントリーしようとすると入っていけない。締切は明日正午だから混雑しているのだろうか。……民放の報道なんていいかげんだからどうでもいいや、とフジテレビにエントリーしてみる。こちらも終了後に課題が出て、「1.2002年を象徴する出来事を川柳で表現してください」「2.わたしのセールスポイントはここ! わたしを採用しなければフジテレビはこんな損をする!(200字以内)」「3.『リング』は呪いのビデオでしたが、観た人誰もが“元気になる”ビデオを作るとしたらどんなビデオの内容にしますか?企画してください。(400字以内)」だそうで、また川柳か。。。そういえば文化放送もフジサンケイグループなんだよなぁ、と思い出し、もしかするとニッポン放送にも川柳があるんじゃなかろうかと思ってホームページを見てみたけど募集はまだ始まっていない様子。

 刷りあがったところで、年賀状を何枚か書き始める。そうしているうちに夕方になったけど父が帰ってこないので夕飯は遅くなる様子。やっと19時半ごろに食べ始め、僕の誕生日でもあるので少し豪華な夕食。


12月22日(日)

 昨晩は玉社時代の友人、O村やN口と0時半ごろまでチャットに興じてしまい、起きたのは8時半。昨日に引き続いて朝食代わりはヨーグルト。

 部屋の片付けに少しずつ着手する。たまりにたまっている新聞切抜きをスキャナに読み取らせ、いらない紙類はリサイクルBOXへ。それでもなかなか机の周りは片付かない。果たして年内に片付くのだろうか?

 そのかたわらで文化放送にエントリー。課題は「『あなたにとってラジオとは何ですか?』川柳にしてお答え下さい」「あなたの10年後のある日の日記を400字以内で書いて下さい」で、締切は2月16日。川柳は苦手。二問目は、日記はほぼ毎日つけているんだから楽なんじゃないのと言われそうだけど、10年後なんて考えたこともなかった。よく考えてみれば10年後は働き盛りだろうし、どんな仕事をしたいのか、どんな文化放送にしたいのか、ということだろう。以前はそういう鉄道マニアが最も得意とするところである妄想系の課題は得意だったような気がするけど、また自分の夢について考えてみるのも面白そう。……締切まで2ヶ月あるのでじっくり考えよう。

 夕方になり、年賀状用の写真を選んで写真屋へプリントしなおしに行く。プリント代込み1本500円の店で現像したので全体的に色が薄く、1時間もあれば30円足らずで焼増しできるのならプリントしなおそうとした次第。プリントができるまでのあいだ、母に頼まれた買い物を済ませ、ダイエー店内をウロウロする。放送のデジタル化が何かと騒がしいけど、テレビ売り場に掲げられたボードを見てもいまいちよく分からない。BSデジタル放送のウリのひとつであるデータ通信のデモでもやっているかな思って探したものの、その気配はない。あとは電子ピアノを見てから家電売り場を離れて2階の洋服売り場へ。冬物半額セールをやっており、就職活動用にコートが欲しいんだよなぁ、といくつか見てみると、どれもペランペラン。これだったら着ても着なくても変わらないような。。。まだユニクロの製品のほうがよさそう。ダイエーを出て、久々に三省堂書店方面へ。アトレ新浦安の中に有隣堂ができてしまって以来あまり来ていなかったのだけど、そこそこお客さんが入っている様子。そのとなりにある山野楽器の楽譜コーナーをのぞいてみる。またピアノやってみたいなぁなんて一人で独学できそうなテキストはないかなと思ってみたけどそのようなものはない。トンプソンとか小学生くらいのときにやったのが同じデザインの表紙で売られており、なつかしい。……当時は浦安はこんなに発展していなくて、先生は楽譜を買いに銀座まで行くのだと聞いたのを思い出す。まったく便利になったものである。三省堂を冷やかしているうちに1時間が経ち、写真を受け取って帰宅。やっぱり写真の色が全然違う。

 しかし、自分が写った写真を年賀状に使うようになって4年目になるけど、年々自分の姿の占めるスペースが広くなりつつあり、ここまでくるとナルシスト気味のような気もする。来年は少し考え直そうか。


12月21日(土)

 朝目が覚めると7時半。つけっぱなしになっていたラジオが聞こえてきて「市川よろず音楽堂」は10分と聴かずに寝てしまったのだと気づく。8時を過ぎてお風呂に入って、朝ご飯の代わりにグレープフルーツをハチミツに漬けてあるもの(我が家の冷蔵庫にはいつもこれが作ってある)をヨーグルトに混ぜて食べる。

 24日まで予定はなく、今日はずっとゴロゴロして過ごしたい。このサイトのトップページを少し書き換えたあと、お茶の間のコタツでゴロゴロしながらお昼。

 昼食は親子丼。母がテレビをつけて「メレンゲの気持ち」(NTV)なんか見始めるので、テレビ消そうよーと言うと、チャンネルを替えて「バラエティー生活笑百科」(NHK総合)になった。せっかく食卓を囲んでいるのに会話一つなく、前はお父さんだって食事のときはテレビ消せって言ってたじゃないかー、と言うと、その父も、最近はコタツに現れるとテレビをつけ、どのチャンネルもたいして面白いのをやっていないとビデオに録画してある「美味しんぼ」(最近日テレで午前10時半から再放送している)や映画を見ているのだそうだ。……その父はまだ帰ってこない。患者さんが来なければヒマだヒマだとぼやき、繁盛していれば疲れた疲れたとぼやくのだそうで、同じぼやくなら繁盛しているほうがいいにこしたことはない。体だけは壊さずにいてほしいもの。

 仁鶴の番組が終わる頃には二人とも食べ終わってテレビを消す。またコタツでゴロゴロして部屋に戻り、敷きっぱなしのフトンでまたゴロゴロ。トイレで一旦部屋を出ると、雨が降ってて布団が干せないんだからふとん乾燥機かけときなさい、と母に言われてフトンが使えなくなる。しばらくネットなどして過ごしたあと、またコタツへ行って妹が見ていた「玉緒一家&オセロ・中島の北海道まんぷく珍道中!!」(TBSテレビ)をリモコンを取り上げていろいろ替えたあげくNHK-BS1でやっていたVリーグ中継にして見ながらまたゴロゴロ。

 バレーボール中継を見ていると巨人戦中継なんかよりずっと面白いのに、どうしてVリーグは盛り上がらないのかと思う。妹は、世間のお父さんはバレーボール中継を見ながらビールなんか飲まない、と言う。そういえばVリーグでナイトゲームをやっているという話は聞かないし、そのあたりが原因だろうか。

 目が覚めるとVリーグ中継なんかとっくに終わっていて、17:50のニュースの時間。夕飯はチャーハンに水餃子にお歳暮でもらったとかいうソーセージと豪華だけど、一日中ゴロゴロしていたのでお腹が減っていない。チャーハンは少し口にしただけで明日の朝食べることにし、水餃子ばかり食べる。

 ゴロゴロしているだけとはいえ、久々にほぼ当初の目論見通り一日を過ごすことができた。最近は旅行に行っても気の休まる暇などなく、こんなにのんびりしたのはいつ以来だろうか。そういえば平日は毎朝6時半に家を出て、それでいて晩ご飯までに帰ってくる日など数えるほどしかなかったし、土日もなんだかんだいって外出したりしていた。そんなわけで今日は自宅にいるのにちょっとした旅行気分。旅行に行ってリフレッシュできる人というのは、普段、家でものんびりできるような余裕のある人なのだなと思った。……そういえば、宮脇俊三さんが「旅はそんなもののために行くのではない、『レクリエーション』という言葉を聞くと私は犬の散歩を連想する」というようなことを何かに書いていた(本棚を少し探したけど出てこなかった)のはこういうことだったのだろうか。


12月20日(金)

 金曜日だけど、大学暦では月曜日扱い。「ハッピーマンデー法」のおかげで月曜日の休講が増えすぎたので、今年度後期から今日と1月8日は月曜日の講義が行われることになった。

 というわけで、2限は「農村社会学」。今回は「クロサワ映画に見る常民の構造」というテーマ。一体どこが農村社会学なんだという話し声が聞こえる(それ以前に教室にいても聞いてない人がほとんどだけど)。……そういえば「汽車旅総研」も一体どこが鉄道の番組なんだという苦情が来たとか。

 5限「都市交通計画研究」が休講なので、あとは6限だけ。13時から55号館のモビリティ研究室で本庄プロジェクトの打ち合わせ。国から調査のために1200万円ほど予算が出て3月までに使えるので、3月にデトロイトで開かれる学会に連れていってもらえるらしい。3月といえばNHKや新聞社の募集が始まるころで、就職活動は大丈夫だろうか。そういえば、修論計画書も3月5日締切でしたっけ。……ちなみにこれがあったので、今日は火曜日に買った新しいワイシャツとネクタイのスーツ姿。前回までは学ラン姿だったのだけど、就活を控えてスーツに慣れておきたかった。そんなわけで、今回は僕に話しかけてくる企業の人もなし。

 14時から大聖先生が主宰する「モビリティ研究会」のセミナー。終わったのは17時近くで、懇親会には行かずに昨日現像に出した写真を「はんこ屋さん21」に受取りに行って(ついでに生協へ寄ったら期間限定ではあったが生協でも同時プリント1本500円だった)、6限。

 終了後、「ラーメン大統領」で夕食(600円)。いつの間にか替え玉無料は2玉までになっていたこの店だけど、今月だけ食べ放題になっており、5玉を完食して写真を撮ってもらう(5玉以上食べると写真を撮って店に貼ってもらえる)。

 ……というわけで、今年の授業期間は今日でおしまい。来週は旅行に行く予定だったのをやめて家でゆっくり掃除でもして過ごすことにしたし、久々に寄り道をして帰ろうと思う。

 高田馬場駅戸山口のブックオフで『しっぷううどとう』第5巻を購入(税込み105円)、新宿のTSUTAYAでさだまさしと遊佐未森のアルバムを1枚ずつ借りて新宿駅に戻れば22時をすでにまわっている。東京駅では22:41の各駅停車出るところだったけどとても混んでいたので次の22:53ので座って帰ると、発車する頃には41分発のと同じくらいに混んできて、新木場を過ぎるとずいぶんひどい混雑になった。年末の金曜日の夜だからなのか、以前、車内で誰かが「ダイヤが改正されてから余計混むようになった」と話していたのが本当のことだったのか。

 家に帰って、ネットなどしながら12時半まで起きていて、いちかわエフエム「市川よろず音楽堂」を聴きながら寝に入る。……第3セクターのコミュニティ放送局なのに、深夜3時まで生放送をやるあたり、さすがである。(いまさら何言ってんだか)


12月17日(火)

 昨日寝るのが23時過ぎだったのに、4時半に目が覚める。5時前に目覚ましが鳴って起き、N社1分間スピーチを再考。お風呂に入ったりしたあとも若干書きなおすも、どうもしっくりこないなぁと思いつつ、6時39分の各駅停車でバイト先へ。「ズームインSUPER」で木原さんが「朝のうちは雨が残ります」と言っていたので傘持参。

 京葉線の電車の中でようやくこれだなと思う表現を思いつき、バイト終了後、都営新宿線を九段下で乗り換えて半蔵門線でひと駅、半蔵門駅直結のダイヤモンドホテル内のN社選考会場へ。

 1分間のスピーチはカメラに向かって行ってくださいと言われ、生協の卒業アルバム撮影のときのような紙に大きく名前を書かされる。面接は社員2×学生1だそうで、T社と同じだ。

 やはりT社と同様いくつかあるブースの空いているところから学生を割り振っているようで、順番が来て指示されたブースに入っていくと、座っていたのは福沢アナウンサーと青山キャスターでびっくりする。1次面接からアナウンサーのお出ましとは……。

 以下、面接の進行と後悔した点。(^^;)

 荷物を置くときに「傘をお持ちですね」と福沢アナに話しかけられても「あ、ええ、ハイ…」と生返事。木原さんの天気予報を見て持ってきたんだと言えばよかったのに。

 それでは大きな声で大学名と名前をおっしゃってください、と告げられ、どうりであちこちから大声で名前を言っているのが聞こえるわけだ、と、自己紹介。「ガタイが大きいんですから、もっと大きな声が出るでしょう。もう1回お願いします」と言われてしまう。やっぱりそう見えるんだろうか。。。しかし緊張していてツアーをやっているときのような声が出ないのが自分でもわかる。

 1分間スピーチは「カメラに向かって」とさっき言われたのに、前半は福沢アナと青山キャスターを見てやってしまう。後半はカメラ目線(になっていたかどうか)でやったものの、1分経たずに終わってしまう。

 質疑応答では早稲田祭や研究テーマ、トトロのネクタイについて。T社のときよりは自分から話せたとは思うけど、終わって会場を出てみれば、あー言えばよかった、こういうふうに言えたのになぁ、と後悔の連続。せっかくいいキーワードを思いついたのに活かせず、こりゃだめだ。4年間自分で番組持ってて何やってたんだか。

 半蔵門の駅で時計を見ると10時半。自主休講のつもりでいた2限に出られるなと思い、永田町から有楽町線に乗ろうとしたのに、なぜか飯田橋・池袋方面でなく新木場方面の電車を待ってしまう。新木場行きがやってきて、飯田橋って新木場方面だったっけ、とはじめて気がつく……乗る電車の方向を間違えるなんて、いかに緊張していたかである。話にならない。一旦飯田橋方面の電車に乗ったものの、新木場行きを待っているあいだに何本か見送ったのでずいぶん時間が経っていたし、こんなに気が動転したまま授業受けても、、、と思って電車を麹町で降り、新木場行きに乗る。

 有楽町で降りたところでホームに大きなブザー音が鳴り響き、非常停止ボタンでも押されたかと周囲を見まわしてもその様子はない(JRだと押されたボタンの上にあるパトランプが点灯するので、地下鉄もたぶん同じだろうと思うのだが…)。東京国際フォーラム方面の出口に向かって歩いている途中で、「要町駅で死傷事故が発生したため、有楽町線は全線で運転を見合わせます」のアナウンス。営団地下鉄は防護無線がホームでの鳴るのだろうか(しかもこんな音で)。悪運だけは強いみたいだ。

 東京国際フォーラムの中を歩いて京葉線東京駅から帰る。家に着いたのは11時半。ひさびさにゆっくりしたい。……ちなみに、今朝思いついたキーワードは「足りないもの」。同じ話をするのでも、「自動車の研究室にまちづくり屋の私がいるのは、今の自動車環境問題の視点に自動車単体ではなく自動車が走る場としての都市全体の視点が足りなかったから」「塾講師はスーツ着用が必須だったが、子供たちに親しみを持ってもらうという姿勢が欠けており(=足りない)、キャラクターもののネクタイを選んだ」とか何とでも言えたのに。

 私には「ゆとり」や「余裕」が足りなかったらしい。


12月16日(月)

 15:10のバスで西早稲田へ行くと、大隈講堂前にガイドで同学年だったA木くんとI藤さんがM田と話をしているのが見え、話に加わる。

 16時半ごろまでガイド室でだらだら過ごして、キャリアセンターにN社の1分間スピーチの草稿を見てもらいに行く。いつもの人がノド飴を舐めながら応対してくれ、もっと話を絞りこめるはずだというアドバイスをいただく。

 16:50の理工バスがちょうど出るころだったけど再びガイド室に戻ってInterLinkを広げて、草稿を練り直す。17:50のバスに乗ろうと思っていたのに気がついたら52分になっていて、歩いて理工へ戻り、「都市計画特論E」に出席しながらInterLinkを広げて内職。

 少し延長して終わり、一旦研究室へ戻ってWebでT社の面接結果を見て、T社には人を見る目がないことを確認する。(笑)

 19時から熱コースのM1の忘年会が開かれており、時計はもう20時過ぎ。食べ物はもう残っていないんだろうな、と松屋で牛めし並(290円)をかきこんでから行く。会場の「夜来香」という台湾料理の店はなんと食べ・飲み放題だそうで、食べてくることなかったなと後悔。食べ放題なのにどれもおいしく、時間制限が果たしてあるのかどうか分からないが、1時間半ほど滞在して21時45分に店を出て一足先に帰る。


12月15日(日)

 6時半に起きる。10時ごろまで机の上を片付けたり、日記をつけたり。この机の片付けが曲者で、意外と時間を使う。

 昨日と同様に一日の行程表をつくる。とりあえず14時までに『「超」文章法』を読了してN社の1分間スピーチを考える。そしてコナカへ行ってワイシャツとネクタイを購入して、久々にスポーツクラブへ行って泳ぐ。そのあと高田馬場へ行ってキャンパスツアーガイドの忘年会……今日はうまくいくのか。

 とりあえず『「超」文章法』をところどころ飛ばしながら読み終えたのが14時。この時点でスポーツクラブはなしにする(ォィ)。とりあえずN社の1分間スピーチを書き始めた。母が出かけるというので話を聞くと三井物産のファミリーセールがきょうまでなのだという。「三井〜」といえば、あのトトロのネクタイを買ったセールである。ワイシャツは白いのを買うつもりだからコナカでいいとしてネクタイはそっちで買いたいな、と、父の分の入場券が使わずにあったのでそちらへ行くことにする。

 そうは言ってもN社のスピーチ草稿がなんとか型になったのが16時前、洗濯物を取り込んで、流し台にたまっている食器を洗って、新浦安駅へ行けば16:10の快速電車が出たばかり。次は16:18の各駅停車。発車案内では各駅停車の次が「通過」になっており、葛西臨海公園で特急退避をしそうである。ファミリーセールは17時までで、商品を見ている時間はほとんどなさそう。実際、会場の東京ドームプリズムホールに着いたのが17時3分前。会場内は後片付けに入っている店が多く、ネクタイの柄なんか選んでいる雰囲気ではない。N社だし、火曜日はトトロのネクタイで問題ないか、と会場を出る。

 東京駅へ戻って駅構内のQBハウスで髪を切り(QBハウスはあちこちにあるけどお客の数を多くこなしている店舗のほうが安心できる)、新宿へ。ヨドバシカメラでプリンターのインクを購入して、PC用モニターや年賀状作成ソフトを見てまわる。年賀状作成ソフトは今使っている「筆休め」は並んでいなかったものの、他社のソフトでも今までに「筆休め」で作ったファイルが開けるそうなので、いままで「筆休め」だったからといってまた「筆休め」を買わなくてはいけないことはなさそう。PCの再インストールは年明けを予定してるので今回の年賀状は「筆休め」で作ると思うけど。

 ちょうどいい時間になったので高田馬場へ移動して、ガイドの忘年会。「海峡」という店は始めてで、入ってすぐは落ち着いた雰囲気で悪くないなと思ったものの、「海峡」というと津軽海峡を連想してしまい(北海道病の典型的な症例)、勝手に抱いていたイメージと全然違うメニューの内容に少し失望する。……それは私の勝手なイメージによるものだからよいとしても「神戸風手作りコロッケ」が明らかに冷凍食品としか思えない代物(「手作り風コロッケ」だったらこれでも許せるのに)だったり、名物メニューの唐揚げも大きいだけで見た目はワセ弁・味はケンタッキーという最悪のパターンで、1回くれば充分だなぁという印象。ビールの種類が比較的豊富だったのは唯一よかったかなと思った程度。会そのものは楽しく終了し、幹事のS城さんが3000円を超えないようにお店に頼んでくれたおかげで飲み代は2900円。


12月14日(土)

 起きると7時半。昨日は21時に寝たから、10時間以上寝たことになる。久々に特に予定のない週末。有意義に過ごしたいので、出かける前に1日の行程表をつくる。鉄道旅行だったら電車が時刻表通りに走っている限り、寝過ごしたりしなければ予定通り進むことになるのだが。。。

 10時ごろ家を出るはずが30分遅れて10時半ごろになる。まずは飯田橋で行われていた某ゲームのグッズや原画の展示会へ行ってみる。人影はまばらで、ゲームの登場人物のコスプレをしたおねーちゃんが「○○(←展示会の名前)へようこそ!!」とお客一人一人に言っているのが寂しい。原画のコーナーを見てK田を連れてくるんだったかなと思った以外は別にどうということもなく、版画の展示・販売コーナーは見ずにさっさと出る。思ったより大したことがなかったので30分の遅れを回復。

 飯田橋から地下鉄に乗ってガイド室に着いたころに大隈講堂の鐘が鳴るのが聞こえる。12時だ。S井さんの呼びかけで近く退職されるN程さんのお別れセレモニーを2限後にやるというので来てみた。大勢揃うと手狭なガイド室にガイドがあらかた揃ったところでN程さんを呼んで4年生から記念品贈呈と挨拶があり、大隈講堂前に出て写真撮影・校歌斉唱。F田くん、いいかげんに校歌の指揮を覚えてください。一人ではさすがに恥ずかしいです。(とかいいつつ楽しんでやっている自分がいるのですが)

 それが終わったのが13時近く。18時からの門内研有志による忘年会まで時間が空いてしまった。もう少しN程さんのイベントが長引くと思っていたのだけど。とりあえずM野くんとU田くんを連れて「フクちゃん」へ行き、2人は食べたことがないという「チョコとん」で昼食(700円)。いつも思うのだが、お替わり自由のみそ汁はチェーン店や三品みたいな形だけのものではなくちゃんとしたもので、「つけあわせの野菜はなるべく残さずに食べてください」という貼り紙とともに、ご主人の姿勢には頭が下がる。コストを度外視して学生向けにこうしたサービスをする店は僕の知る限りで早稲田界隈にあと2軒ある。

 U田くんとは別れてM野くんと学生会館へ。M野くんとも別れて鉄研の部室へ行くと「○○号室にて例会中」の掲示。14時半に例会が終わるまで例会会場を冷やかし、他の会員とともに部室へ。15時を目処に理工へ行こうと思っていたものの、16時から鉄研早慶戦(慶大鉄研とのボーリング大会)へ大半の会員が移動したあとも、だらだらと部室に残って他愛もない話をして(同期のO野くんが珍しく部室に顔を出した)、17時半に残っていた面々とともに高田馬場へ。本当は研究室でCDのバックアップをとって、参考書をコピーして、できれば次のM1ゼミで英訳を担当する場所を他のM1に確かめて、さらに時間があればN社の1分間スピーチを考えて、近くの店に一昨日現像に出した写真を受け取りに行こうと思っていたのだが……。せめて写真だけでも、と他の面々にお願いして諏訪通り経由で馬場へ向かって写真を出した店の前に行くと、まだ18時前だというのにもうシャッターが降りていた。(ちなみにその店はハンコ屋のチェーン店)

 そのまま高田馬場駅前へ向かい、鉄研の面々とは別れて「白木屋」へ。僕の「だるま」「清龍」といった提案を退けたS藤くんもまた騒がしい店を選んだものである。7月に大阪へ行ったときに会ったM野くん(ガイドのM野くんとは伏字にすると同じだけど別人)も東京出張中とかで顔を見せ、F井さん(スペイン在住)さえいれば同期が全員揃うのにねーと話しながら楽しい2時間はあっという間に過ぎて、お勘定は1人2000円。こんなに安いのは東大院に進学されたN村さんたちがほとんど食べたり飲んだりせずにしゃべっていたからだろう。賢い消費者ではあっても白木屋にしてみれば迷惑な客である。(^^;)

 M野くんの仕事の内容を聴いて「それってただのルーチンワークじゃないか」と言った人がいたけど、運輸業界を支えるのはルーチンワークにほかならない。なにより入社1年目なのだから研修の意味合いのほうが多分に濃いだろうに、まぁ、複合領域に来る人は僕も含めて考えることが壮大である。……僕は卒論執筆のあたりから考えだけが壮大すぎたことを徐々に思い知らされることになったわけだけど(そしてそれは今でも続いている)。

 2次会には参加せず、鉄研早慶戦の2次会の連絡も来ないのをよいことに研究室へ向かい、とりあえずCDのバックアップと参考資料のコピーは済ませて帰る。N社の1分間スピーチを考えるのは先送り。


12月12日(木)

 2限の都市構造特論はまたしても突発休講。S藤くんが僕しかいない教室でぼやく。彼は今日はこの科目だけで、僕は18時からのゼミだけになった。木曜日はいつも寝不足なのでひたすら居眠り。おそらく授業があってもそうしていたろう。

 昼食はS藤くんに連れられて少し歩いたところにある中華料理屋でラーメンと半チャーハンのセット。730円。別にとびきりおいしいというわけではない。

 51号館ラウンジの3階で14時過ぎまで居眠りをしたあと、研究室に戻って、そういえばN社の書類選考の発表だったなとWebで確認すると、T社に続いて通過との表示。……次回は来週の火曜午前で、「1分間でスピーチをしていただきます」という予告がある。準備しなくては。

 昨日はとちゅうでやめた英文読解も何とか済ませ、M1ゼミは無難に終わる。


12月11日(水)

 T社面接の日。面接は14時からなので3限「都市システム解析」はブッチ決定。受験票の記入もまだなので2限の「交通システム工学」も休んで、研究室で必死に書く。……手書きだと一発勝負なので、罫線を自分でひいて、下書きをして、インクでなぞり、乾いたころに下書きと罫線を消す、と、手順は煩雑。(それでもエントリーシートでは2ヶ所間違えた)

 T社のホームページを見て、社長や社員のコメントを見ていると、なんだか自分の性に合っていそうな会社だなぁと勝手に思う。会社側がそう思ってくれないと採用にはならないのだけど、素の自分で行けば大丈夫そうだなどと妄想をする。

 お昼ご飯をのんびり食べてしまい、予定より若干遅れて研究室を出発。高田馬場駅までの途中にあるコンビニでいま書いた受験票のコピーをとろうとしたら、テストシーズンなのかなんなのか混雑している。ローソンはあきらめて1本路地を入ったところにあるセブンイレブンへ行ってみると、並んではいなかったけどコピーをしているのが芸術系の学生さんらしくてイラストやら資料やらを何枚もコピーしている。こっちは1枚だけコピーすれば終わりなのに〜〜、とイライラしながら「あとどのぐらいかかりますか?」と聞けば「もう少し」……芸術系の人の「少し」は全然当てにならないんだよ〜〜とさらにイライラしつつ、ふと我に返った。

 イライラしている最大の理由は、たった1枚の紙をコピーするのに延々と待たされている点にある。彼女(ちなみにコピーをしているのは女の子)は大量にコピーをしているのだから、僕の1枚だけを先にコピーさせても彼女のコピーが終わる時間に大差ないはずだ。……それだけなのだろうか。僕の手元にあるのは人生がかかった就職試験の受験票。彼女のは他愛もないイラスト。内容の重要度からいっても僕のが優先されるべきだ……いつの間にかそんなふうに勝手に決めつけていないか? そんなに重要なものならなぜ研究室のコピー機でコピーしない? たまたま先生がいたので私用コピーがはばかられたというのはあったが、それでも受験票の記入や昼食を手際よく済ませて時間的余裕を持って出てくればいい話ではないか。それを棚に上げて、彼女がコピーしているものを勝手に「他愛のない」と決めつけているような自分は何様なのだ?

 そうはいっても、彼女が大きな古地図を取り出して全部コピーし始めようとしたときには「やめてくれぇ〜」と思ってしまったが、どうもあきらめたらしく片付けに入ってくれたときはほっとした。(^^;)

 神谷町というところは高田馬場からは行きにくい場所で、いろいろ迷った末に東西線で茅場町へ出て日比谷線乗り換えで行くことに。神谷町≒東京タワー≒六本木≒恵比寿寄りというイメージに反して、霞ヶ関(≒日比谷・有楽町)の次の駅とは意外。日比谷線と交差している南北線は「六本木一丁目」で日比谷線と乗り換えできないばかりに茅場町周りだなんてずいぶん遠回りだなぁ、と思っていたけどそうでもなさそう。(乗り換え案内で検索すると、高田馬場から山手線で恵比寿へ出て日比谷線に乗りかえて所要28分という一番速いルートに比べて7分しか違わない)

 駅を出て若干迷いながらT社の近くまで行き、ローソンで牛乳の500mlパックを買って一気に飲み干す。ここにコンビニがあると知っていたら高田馬場でイライラしないで済んだのになぁという気もするけど、同じようなことを考える受験者で行列になっていたかもしれないわけで、いいや、ということにする。

 予定では1時間早く着いてスターバックスでゆっくりしていくつもりだったけど、あと30分しかないのでまっすぐT社へ。入口の警備員に呼びとめられたので来意を告げると受験票をチェックするでもなく奥のエレベータで集合場所へどうぞ、と言われる。もし何らかの方法でこの日に入社試験があるという情報を手に入れればしのび込んで何か悪さをすることも不可能ではない。海外でテロやゲリラが発生すると真っ先に制圧される類の施設だというのに、平和な国である。

 集合場所で名前が呼ばれるまでの間、緊張して何を言おうとしていたのかも忘れてしまいそうだったけど、会社が受験者から採用者を選ぶのではなく、自分が会社を選ぶくらいの気持ちで、T社はどんな会社なのか、自分が入るの値する会社なのか見るくらいの気持ちでいいんじゃないか、と思うと少し落ち付く。

 面接会場に行くと机が10卓あってそれぞれ社員2人×学生1人で面接が行われており、ガヤガヤした雰囲気。密室に3人きりで面接があるのだと思い込んでいた僕は内心ほっとした。順番が来て受験票を差し出すと「ずいぶんいっぱい書いてありますねぇ」。しまった。受験者は10卓のうち空いたところからランダムに振り分けられるので、社員はエントリーシートに書いた内容など知る由もないのだ。どうりでエントリーシートと同じ記入項目があるわけだ。1人あたりの時間は4分。受験票に延々と書いた自己アピールを読んでもらう時間などないのだ。はぁ。

 そんなわけで、比較的大きな字で書いてある「サークル」「所属学部」「趣味」のことや、今日の格好(スーツではあったが、ネクタイは「となりのトトロ」柄……紺色のネクタイはこれしか持ってない)などについて雑談程度で終了。率直な感触では、自分自身がだいぶ出せたのではないかという気がしたけど、総じて質問されるのを待っているような感じで、もっと自分からしゃべってもよかったのではなかったかという気もする。墓穴は掘らなかったけど、無難に終わらせてしまった、つまり、なんの印象も残らなかったのではないか。逆に、早口であれこれまくしたてても、聴いているほうは何を言っているのか分からない、という事態になったかも知れぬ。今はそう思うことにしよう。

 帰りは虎ノ門まで歩いて、銀座線・南北線・東西線で高田馬場へ戻る。M1ゼミが16時からなので英語の論文の訳を必死にやっていたけど、先生から今日のゼミはキャンセルという連絡が入って18時までのんびり過ごして、B3ゼミでは居眠りをして帰宅。


12月10日(火)

 午前の交通論、午後の杉山ゼミを終え、キャリアセンター(旧:就職課)で、明日の受験票に記入する「あなたの魅力をアピールしてください」ともうひとつの欄の下書きを見てもらう。「おおむねいいとは思うんですけど、ちょっとエピソードが古くないですかね」(中高生のころのことを書いた)「せっかく工研におられるのですから、もっと理系のことを書いてもいいと思うんですけど、そのへんがもったいないですね」というコメントはいただいたものの、おおむね「この方向でいいんじゃないですか」という反応。

 18時から杉山ゼミ(院生ゼミ)の忘年会。N須野の意外な側面が判明した。


12月9日(月)

 2限の農村社会学が終わったあと、研究室で水曜のゼミの英文を訳す。15:10の理工バスで西早稲田へ移動してワセ弁で買った「カキフライ弁当」(350円)を食べながらガイド室で1時間ほど過ごし、2週間ぶりに5限の都市交通計画研究。17:50の理工バスに駆けこんで6限の都市計画特論Dで居眠りをしたあと、研究室に戻ってT社の書類選考の結果をWebで確認するとどういう風の吹きまわしか通過していて、水曜日に面接という。

 面接時に持参する受験票にも自己PR欄などがあり、エントリーシートには何を書いたんだっけなぁと取っておいたコピーを見返してみると、ざっと目を通しただけで誤字脱字が2箇所あり、本当によく通ったものだと感心してしまった。……『マスコミ就職読本』によれば最終的には1人しか採用しないところで書類選考では数百人くらい通過しているようなので、そんなもんかという気もする。

 家に帰ってからT社のホームページを見る。実は初めてだったりするのだけど、社員による連載コーナーがなかなか面白くて22時半ごろまで起きていてしまった。


12月8日(日)

 朝目が覚めると6時過ぎ。起きてネットをしてお風呂に入って洗濯をしてご飯を食べて9時半。

 今日もネットをしながら進路について悩み始めてしまい、もう止まらない。部屋にとじこもっていても仕方がないので久々にスーパー銭湯へ行くか、と準備をしながら、思い出した。昨日、何かし忘れていると思ったら、江戸東京博物館で開催中の「本田宗一郎と井深大展」を見に行くのを忘れていたのだ。……昨日は終わったのが19時という時点で無理だったのだけど、集合時間前に行こうと思えば行けたのに。

 展示は今日までなので、南船橋から直接行こうか、といろいろ持っていこうとする一方、博物館でお風呂の道具を持って歩くのは邪魔だな、なら一旦帰ってこようか、それも時間の無駄だし……などなど考え込んでしまい、また止まらなくなってしまう。(ばか)

 母に「たまにはお風呂なんかじゃなくて泳いできたらどうなの」と言われ、そういえば夏休み以来行ってないし、そうすることにすると、こんどは水泳の道具が出てこない。なんだかんだでやっと準備がととのって家を出、スポーツクラブへ向かって歩き始めると、やっぱりスーパー銭湯に行きたくなり、新浦安10:48の下り快速電車に乗る。

 駅まで歩きながら、電車に乗りながら、そして湯船に浮きながらいろいろ考え、その時点での答らしきものを思いついたところで風呂を出て帰る。プールへ行く用意しかしていなかったので、スターバックスに寄ったりもせずにまっすぐ帰れる。

 家で昼食のオムライスを食べ、「アタック25」を見てから再び家を出て江戸東京博物館へ。新浦安駅前のローソンで前売り券を買おうと、Loppi端末と悪戦苦闘の末「本田〜展」には「取扱終了」の文字が。みどりの窓口も並んでおり、新浦安では買わずに14:26の武蔵野線に乗る。

 両国に着いて、みどりの窓口へ行くと「現在、70分待ちになってまして、博物館側が売らないで欲しいと言っていますので、直接博物館のほうへお願いします」と言われてしまう。前売り券なら960円のところが750円になるのに、と思いつつ、博物館に行ってみると70分待ちとはこういうものか、というくらいの長蛇の列。てっきりこんな理科系向けの企画展示なんてガラガラだろうと思っていたのに、ホンダもソニーももとをただせばベンチャー企業だし、なにせ夢を追って生きた人たちだ(というイメージがある)から、なんとなく納得できなくもない。

 この時点で15時を過ぎていたから、70分待ちで入場は16時10分ごろ。人だらけの会場内で17:30の閉館まで960円分見られるだろうか……と考えると、井深大は知る人ぞ知る早稲田のOB(国際会議場の名前にもなっている)だし、知ろうと思えば早稲田大学図書館にいくらでも資料がありそうだ、と引き返すことに決める。

 まったくの余談だけど、井深「大」と聞いて、北野「大」氏を連想してイメージを抱いていたのだけど、ポスターに出ている井深大の写真は全然違って、ずいぶんやせた人だった。(^^;)

 一旦秋葉原へ出てモニターを物色するものの、欲しいと思っている小さいサイズ(8インチくらいの)はどの店にもなくて結局両国までの交通費260円を使っただけで家に帰る。あたりはすっかり暗くなっていたのに、部屋の時計を見るとまだ17時。冬至は近い。


12月7日(土)

 久々に何も予定のない週末、やったぁと思いきや、木曜日に行った本庄の調査結果をパネルにまとめることになり、10時すぎに朝食兼昼食を食べはじめ、ごろごろしていたら12時近くになってしまい、あわてて家を出る。

 たしか13時集合のはず、とK玉くんに電話すると「O井さんが遅れるようなので14時からにしましょう」となり、ほっとする。……しかし、今度は14時に51号館ラウンジの2階(正確には3階)に行っても誰もおらず、ソファーに横になって30分くらい待つ。たまりかねてもう一度電話するとK玉くんは研究室、O井くんはラウンジの1階にいる由。

 なんとか形にまとめて終了したのは19時。誰もM1のいない研究室に寄って自分の机をチェックして、新大久保の立ち食いそば屋でたぬきそば(310円)。家に帰ると21時半。

 そういえば何かし忘れてるなぁと引っかかるものがあったけど、さっさと寝る。


12月6日(金)

 5限の「現代都市・地域論B」は早田先生の最終回なので、10〜15分は延びてしまう4限の戸沼先生の講義は自主休講して直接22号館へ行ってみれば、いくら待っても先生がやってこない。これだったら戸沼先生のが終わってからでも間に合ったな、と思って引き続き待ちつづけたけど、結局講義はなかった。教室に来ている学生も少なかったから、もしかしたら休講掲示が出ていたのかもしれない。他学部生も多く履修している科目だけど講義要項検索(ここ)で調べてみると理工のみの科目なのでおそらくオープン科目なのだろうが、そういう科目は理工だけじゃなくて22号館にも掲示を出してほしいもの。

 5限の時間を教室で過ごしたあとは鉄研のH川くんやH多くんと三品へ。久々の赤ミックス(800円)とともに新メニューのらっきょう(100円)を履修。


12月5日(木)

 「都市システム解析」の実地調査で本庄へ行くことになっており、最初は9時集合という話だったのでバイトは休みにしておいた。……しかし、13時集合ということに変更になり、朝ごはんは家で食べる。

 洗濯をして、10時過ぎに家を出る。12月1日から3万個限定で発売されている「はやて弁当」を東京駅でやっと購入して上野駅へ。11時15分発の快速「アーバン」は211系で、全車ロングシートなので弁当を持っている身には残念。ドア際の席を確保して、昨晩は5時ごろにいったんフトンに入ったものの眠ることができなかったので、岡部に着くまで爆睡に次ぐ爆睡。

 本庄駅着12時31分で若干余裕があり、駅南口の本庄七軒町郵便局と北口の本庄郵便局を履修。13時ごろに駅に戻るとO井くんがいて、K玉は30分ほど遅れてくるという。O井くんは食事をしに行くというのでいったん別れた。僕のリュックの中にはさっき買った「はやて弁当」があったけど、徹夜明けだからか暖かいものが食べたかったのとやっぱり駅弁は走っている車内で食べたいと思ってモスバーガー本庄店を履修。

 13時半に再集合して、まずは本庄市役所へ。市政閲覧室という部屋でいくつか参考になりそうな資料を見たあと、市街地活性化担当の課へ行って話をうかがう。民間会社なら忙しいと断られそうなのに親切に対応してくれ、役所の弊害がいろいろ指摘される昨今ではあるけれど活用させてもらう場に立つとありがたい。

 本庄市がかかえる問題はだいたい把握できたので、街へ出て歩いてみる。駅北口は「銀座」という地名で、かつての市中心部。駅から延びる都市計画道路は電線地中化や充分な歩道の確保が施されていて歩きやすいけど、かつては中山道(国道17号)だったという県道は車通りが激しく、なおかつ歩道は狭い。この付近は住民の大半が高齢者で、市役所でもこの付近は高齢者が歩いて暮らしやすい街への再編を目指していると言っていたけど、理想とは程遠い。市街地を離れたところに国道17号はつけかえられているものの依然として旧道が抜け道として認知されていて、市街地には用のない通過交通が街の暮らしを破壊している。また、撤退した商店の敷地は主に駐車場に転用されており、この辺りは完全に車社会だとはいえ、市街地へのクルマの流入を促進している。

 本庄仲町郵便局や、八百屋、化粧品屋、おもちゃ屋で話を聞いてみる。八百屋は創業約80年、化粧品屋は昭和元年創業という。かつての本庄市銀座地区は、それはそれはにぎわっていたそうだが、市役所が現在地へ移転して、何もなかったはずの南口にはサティができて、特にこの10年で客足は急速に減ったという。しかし、モータリゼーションの力は恐ろしく、県境を越えた高崎や伊勢崎まで15〜20分で行かれるのでそのサティでさえ撤退に追いこまれている。銀座通りもやはりクルマが無遠慮に走っており、駐車場があちこちにあるとは言ってもとても駐車場からそれぞれの店へ歩いて行こうという雰囲気ではない。……おもちゃ屋は、仕入れ元の問屋がほとんど廃業してしまったので商品が入ってこず、すでにある在庫を店に並べてのんびりやっている由。

 駅北口には公営の駐輪場ではなく自転車預かり業を営んでいる店が3軒あり、うち2軒が貸し自転車もやっていたのでそこで借りて(18時過ぎだったので1日500円のところを300円にしてもらえた)南口へまわって早稲田大学本庄キャンパスへ行ってみる。5月に100キロハイクで通った道だ。もうあたりはすっかり真っ暗。新幹線の駅が2004年に開業するのに合わせて本庄キャンパスがある大久保山を開発する一方、新駅の反対側に広がる田畑も本庄新都心として主に住宅地に再編すると市役所では言っていた。

 旧市街地はいま流行の市街地へのクルマ流入規制等々の対策が考えられるけど、本庄の場合は果たしてそれだけで効果があるのかなとふと考えさせられた。

 帰りは湘南新宿ライン国府津行きで、E231系のボックスシートに座って「はやて弁当」を食べる。1600円と少し高めなのはアルマイト(アルミ)でできた弁当箱代かと思っていたら、中身も素朴ながらいろいろ手が込んでおり、納得。幕の内弁当の王道を行く弁当という気がした。弁当のあとは、さっきの八百屋さんで買ったみかん(ひと山300円)をほおばる。小さめのみかんは甘くておいしい。


12月4日(水)

 朝出かける途中に東京中央郵便局の「ゆうゆう窓口」に寄ってN社のエントリーシートを発送し、先々週末から具体的に始めたエントリーシートづくりに追われた日々はひと段落ついた。

 今回3社に出したシートでは特に「自己PR」欄には悩まされた。特に最初に書いたF社が「あなたの魅力をアピールしてください」という設問だったため、魅力なんてそもそも自分の口から言うものではないという想いが先行してしばらく何も書けず、間際になってあわてて書いてキャリアセンター(旧就職課)で見てもらうと「いろいろ書いてあるけど、読んだ人にはあなたのイメージが浮かばない」と言われてしまう。なにかエピソードひとつでよいので、あなたが伝わるものを、と。(結局F社はエントリーシートで落ちた)

 それからT社、N社と書いてみたわけだけど、自分で思っている性格のうち断片的なものしか書けない。それは自分でも分かる。これは僕のひとつの側面に過ぎないのであって、ここだけを見られて会ってすらもらえなんて、と思う。就職活動は、自分の素性を素直にさらけ出しつづけて、どこかこの僕と性格の合う会社(それは向こうが判断するわけだけど)とめぐり合う作業だと思うのに、自分を出すことすらできてなくてどうするんだ……と悩んだ。

 今朝になって、3年生のときの日記を見かえしてみた。そこに描かれている僕は、それまで思い込んでいたような鉄道研究会を引っ張っている人間なんかではなく、もっと違う自分だった。なんとなくこの僕が何をしようとしていたのか、分かった気がして、N社のシートにはそれを書いてみる。……当時の日記は今みたいに1日1日の日記が長くなく、2〜3行で書いてあったので読み返しやすかった。

 6限のB3ゼミを終えて帰宅してから軽くごはんを食べ、局へ。先週は松の湯に入っていったので今週は兼の湯にしてみる。受験生だったころによく来ていたけど、場所をよく覚えていなくて少し迷ってしまった。浴場の壁面には立派な絵が描いてあるのに、壁を背にしないと入っていづらいので来るたびに残念に思う。

 明日は朝のアルバイトを休んで午後1時に本庄駅へ行ければよいので、番組まで起きていることにする。そのため、本八幡駅前のエクセルシオール・カフェで本日のコーヒーLサイズを購入。23・0時台はうとうとしていたけど、番組が終わって帰宅して5時ごろにいったんフトンに入るまで、今朝は3時半には起きたので25時間半起きていたことになる。時間だけでなく、その中身も本当に長い一日だった。


12月1日(日)

 早大鉄研50周年記念列車運転の日。先週になって参加を申し込み、お金を払った。

 まだT社とN社のエントリーシートが書き上がっていない中で遊んでいる場合か、という思いもふと頭をよぎったけれど、とにかく行くことにする。学ランの上からダッフルコートを着て出発。

 今日がダイヤ改正で、駅へ行ってみると発車案内には「京葉快速」の文字が。京葉快速の停車駅が平日・休日で統一されるとは聞いていたけど休日の快速電車についていた「マリンドリーム」というまったく意味のなかった愛称までやめるとは知らなかった。昨日の帰りに乗ったのがその「マリンドリーム」で、しかもカメラを持っていたのだから写真に撮っておくんだった。

 東京駅では新幹線八戸開業を記念して今日から個数限定で発売される「はやて弁当」を求めて売店へ寄ってみると、まだ午前7時半だというのにすでに売り切れ。「時間に合わせていただければ買えますよ」と言われたもののよく意味が分からず、上野駅へ。上野駅でも発売されることになっているのでいくつか回ってみたけど結果は同じ。他の人が店員に電話をかけさせて「東京駅ではまだたくさん売っています」という情報を聞きだして走り出していくのを見て、さっき売り切れだったのになと思う。(後で分かったことなのだが「はやて弁当」は1時間おきに入荷しているので、ちょうど東京駅から上野駅へ移動している間が入荷時間だったのだろうか)

 しかたなく「O-bento スパイシー焼肉弁当」(680円)を買って高崎線の5・6番線ホームへあがると、停まっていた8:20発は211系。ちょうど折り返し8:06発の電車が入ってきたところで、その電車も211系。どちらも全車ロングシートだが、それ以前にその前に電車はないのかとホームに掲げられた時刻表を見ると7:50発というのがあり、なんと14番線から。運悪く7:47着(=折り返し8:06発)の電車を降りた乗客で階段は大混雑。なんとか14番線にたどりついたらちょうど電車が出ていくところだった(ちなみにそれも211系)。

 5・6番線ホームに戻ると、稲門鉄研会長の遠藤さんに声をかけられ、あとで内山先生や、他の方もみえる。あと3人来るのを待っている、という遠藤さん方を置いて8:06発の電車に乗り込む。

 ドア際の席を確保して弁当を食べ終えて、さてエントリーシートの下書きだ、とInterLinkを取り出そうとリュックを開けたら入ってない。忘れてきてしまったのだ。……あ〜、なんてことだ〜、と上尾あたりまで新聞を読んだりしていたけど、ノートを1冊持ってきてあるのを思い出し、そこに書き始める。テキストエディタと違って推敲がやりにくいけど、何もしないよりはいいだろう。

 熊谷に着いて集合場所の秩父鉄道改札前へ。目の前にはスターバックスコーヒーがあって、前もって調べておかなかったのがいけないのだけどタンブラーを持っていなかったので20円引きを受けられずに履修。


2002(平成14)年11月の日記


高橋秀暢/yonnan@plum.plala.or.jp