2003(平成15)年1月の日記


1月31日(金)

 朝のバイトが終わったら家に帰り、シーツやタオルケットを洗濯して、あとは「現代都市・地域論B」のレポートを書き始めたり、Linuxサーバの面倒を見たり。

 21時過ぎには寝る。


1月30日(木)

 朝のバイトのあといったん帰宅。たまった洗濯物のうち半分ほどを片付けて、13時半ごろまた家を出て海城高校へ。

 夕食後、クルマに乗って久しぶりにスーパー銭湯「常盤殿」へ。ずいぶん前にもらった「平日優待券」(8回行くともらえる)を使う。帰りにブックオフ船橋市場店で『ラストニュース』1〜6巻ほかもう1冊を購入して(735円也)、隣のセブンイレブンでは「雪印バニラバー」(61円也)を見つけて購入。ロッテスノーになっても「雪印」ブランドはそのままだったのか。


1月28日(火)

 朝のバイトが終わって、大学へ。午後から「モビリティ研究会」の手伝い。懇親会の席で、2月下旬からのアメリカ行きはお断りした。僕が行くぶんの予算があいてしまうので、「草鹿研で燃料電池をやってるのに行ってもらいますか」と先生方が話している。貴重な税金から出る補助金である。僕なんかが行くよりそのほうが有意義な使い方だろう。

 適材適所。


1月27日(月)

 バイト後いったん研究室へ寄るも、金曜日に休んだ「都市計画特論D」のレポート・発表資料を戸沼研に持っていって、「現代都市・地域論B」のレポート課題を掲示板で確認して帰ることにする。

 研究室で先生から「就職活動といったって、アレは勝手すぎるぞ」と言われる。本庄プロジェクトの一環で2月26日〜3月8日にアメリカへSAEという学会を見に行き、その足で北米各地を歩いて燃料電池を見てくることになったのだけど、その時期に1週間以上日本を離れるのは就職活動上、不安があり、もしかしたら直前にキャンセルするかもしれない旨を関係者にメールでお願いしていた件だ。

 燃料電池のハードの部分は私の領域外だし(見られるものなら見てみたいものではあるが)、これから40年以上働くことになる(というのを現時点では前提に)会社を探すのを差し置いてまで行くことには疑問が残る。とはいえ、現時点で何月何日の何時に面接が入りますとか分かっているわけではないから、なんとも言いにくいのである。

 帰宅すると父が出かけるところで、ヤマダ電機へ買い物に行くけどついてくるかと言われ、ついて行く。父が自分で使う用のMDラジカセやMDウオークマンにメディアを購入して、ポイントカードには3000円分くらいたまった。

 再び家に帰ってからは今日の消印有効で締め切りになっているエフエム東京のエントリーシートを書き、21時過ぎに浦安郵便局から発送。わざわざ「ゆうゆう窓口」のインターホンを押してやってもらったけど、帰り際に証紙(切手代わりに使え、日付が入っているので消印代わりにもなっている)の自動発行器があるのに気付き、何も人の手を煩わせることもなかったのだ、と、次からはこれを使うことにする。


1月25日(土)

 11時過ぎに家を出る。三品で赤カツ玉(800円)の昼食ののち、キャンパスツアーガイドの新人研修。

 それも終わり、図書館へ毎日新聞の大隈銅像周りの景観問題を取り上げた記事(あとで確かめたら2000年「6月」7日夕刊と判明)をコピーしに行く。図書館内は「1月25日15時ごろよりWINEシステムがダウンしています。復旧のめどは立っていません」「オンラインでの検索ができません」「1991年以前の資料はカード目録で検索できます」「貸し出しはカードに記入してお願いします」などと貼り紙が(年代はうろ覚えなので違ったかも)。試験期間中に大変である。

 そのあと、充電できなくなったInterLinkの修理に秋葉原へ。ツクモ電機の買った売り場へ行くと本店のサポートセンターへ行くように言われ、そこでは待ち人数2人なのにずいぶん待たされた挙句に「これは破損扱いで有償修理になるかもしれませんね〜」。てめーの店で買った商品だっつーのに、そんなにメーカーサポートに弱腰でどうすんだよバカ! とは言わなかったものの、落としたとかそんなことした覚えはないんですけどなんとかなりませんかね〜とお願いしてみる。だいいち、販売店がそんなに頼りにならないのならビクターのサポートセンターは浦安にあるので直接持ってゆけばよいのである。……おまけに「では3週間から1ヶ月ほどかかります」。。。。。。なんだって〜!! まったく、話にならない。小学生のころ、いまはなき船橋そごうで買った時計を壊してしまったとき「無償修理になるようにしますので」と言ってくれた店員を思い出す。……そのころから、我ながら嫌な客であった。

 再び総武線に乗って市ヶ谷乗換えで永田町駅近くの赤坂プリンスホテルへ。そこで父と待ち合わせて某懇親会にて夕食を食べて帰る。帰りはタクシーかと少し期待していたものの、地下鉄と京葉線。地下鉄はいまだに自動改札が2枚対応にならないので(対応できる改札機は置いてあるのだが)160円の回数券を使っているといちいち自動精算機で精算しなければならず、面倒。京王電鉄を少しは見習いなさい。


1月24日(金)

 未明の1時半ごろ目が覚める。体温を測ると36.1℃。いったん熱が出ると3日は続くというのでそうはならないように……と思っていたので、一安心する。加湿器に水を足してもう一回寝る。

 5時前の目覚ましでもう一回起きる。体温は36.3℃。ほっとする一方、37℃くらいになっていれば休めるのにな、などと考えてしまう。まだ体全体が疲れた感じで、まだ何時間でも眠れそうだ。

 それでも体を起こしてPCでメールをチェックしたりしていると、何とかなるかなと思えるようになり、朝ご飯を食べて家を出る。

 それもつかの間、バイト中に軽い頭痛を感じる。今日は都市計画特論Dの発表の日だけど、また研究室でウイルスをもらったり体を冷やしてはひとたまりもないので、帰ることにする。ちょうど10時前だったので東急ハンズに寄り、電子レンジで暖める湯たんぽ(湯じゃないのだけど)を購入。1050円也。

 家に帰り、件のモノを電子レンジで暖めてみる。箱を開けてみると宅配便のクール便のに入っている保冷剤と同じようなものが入っており、だまされた気分(そんなものだったらいくらでも家にある)。それでも、チンして足に当てているといい感じである。

 戸沼先生に今日休む旨をメールで送り、午後は4時間ほど寝る。


1月23日(木)

 相変わらずあわただしい朝で、ほんの少しのご飯に温泉卵をかけたものをかきこんで家を出る。昨日は頭や首のあたりが痒かったのが、今朝お風呂に入ったら全身に広がっていた。いったい何なのだろう。。。

 バイトが終わり、外を見るとなんとまぁ雪景色。そういえば昨晩から今朝にかけては雪が積もるかもしれないと言っていたのをかすかに覚えていたけど、それが遅れたのだろうか。ろくに天気予報なんか見ていなかったので今日はユニクロのパーカーにユニクロのダッフルコート。雪が降るほど寒いと分かっていればセーターとかダウンのコートとか着て来れたのに……。おまけに傘も持っておらず、雪だからいいか、と全身真っ白になりながら研究室へ。

 おにぎりを食べるにも、なにか温かい飲み物が欲しいなと思って、am/pmで永谷園の「あさげ」を購入。3袋入り134円。やかんで湯を沸かし、マグカップに入れていただく。なかなかいい。昨日・一昨日の「おやつラーメン」ともども、引き出しにしまっておいた余った割り箸を使って食べたけど、こうやって恒常的に使うのなら洗って使えるものを買ってこようと思う。

 まだM1は誰も来ておらず、「工業熱学」のテストを返してもらいに来た2年生には申し訳なし。隣に座った4年生が変な咳をしており、うつらなければよいなと少々不安になる。やけに寒いと思ったら、窓が開いていた。昨日「焦げ臭い」とか言って開けたのがそのままになっていたようだ。

 海城高校へ行く時間になり、外へ出るとまだ雨が降っている。濡れていくには強かったので仕方なく生協でビニール傘を購入。315円也。一昨日なくした傘がうらめしい。

 お昼ご飯のはずのおにぎりは11時までに食べてしまったので、久々に「めとき」で食べていこうか、と行ってみると14時半でもう終わっていた。おなかが減っていたのでam/pmで“イチゴどら焼き”なるものを買って食べる。157円。

 海城高校にいるあたりから早く寝たい気分になってくる。暖房が効いているはずなのに、寒い。終わるころには軽い咳も出るようになった。中央図書館までは歩いていこうかと思っていたけど、結局明治通りに出たところから都バスに乗って西早稲田で降りる。三品かフクちゃんで晩ご飯を、と思ってフクちゃんに入ってバナナメンチに挑戦してみる。栄養をつけてさっさと回復してしまいたい。出てくるのを待っている間にかの有名なO尾氏が学ラン・角帽姿で入ってきて私の隣に。その手には東京新聞夕刊。そうか、O尾さんは東京新聞の読者なのか、などと考えながらバナナメンチに手をつける。……しかし、体の衰弱は予想以上だったようで、3分の1も食べられずにリタイア。おじさんには申し訳なく思いながらお金を払って店を出る。

 中央図書館ではバックナンバー書庫で、大隈銅像周りの立て看板問題を取り上げた毎日新聞の記事を探す。「早稲田の論点」に書いてあった「2000年5月7日夕刊」は……と縮刷版を取り出すと、5月7日は日曜日。日曜日に夕刊なんかあるわけない。見間違えたのかなとその前後の日の記事や、4月の縮刷版を見てみたけど、ない。もういちど「早稲田の論点」をあたってみるか、と思ったけど、図書館内の端末は早稲田ドメインのページしか見られず、図書館の記事検索サービスでは朝日新聞しか捜せない。わざわざ端末室へ行くような体力は残っておらず、あきらめて帰ることにする。こんなだったら海城高校からまっすぐ帰るんだった。都バス+バナナメンチ=800円はどぶに捨てたようなものだ。

 東西線の早稲田駅にたどり着いた時点で、もう、東京駅で乗り換えてさらに新浦安から歩くような気力はなく、家に電話して浦安駅まで迎えにきてもらうことにする。やっと電車に乗ったものの手袋を落としてきてしまったことに気づいて神楽坂からいったん引き返すなどのハプニングはあったものの、なんとか早稲田から座って帰れる。こういうときに限っておばあさんが目の前にきてしまい、こっちは死にそうなのに冷たい目で見られる。

 帰りの車の中で、母から全身が痒いのは体が弱っているときに出る症状だと父が言っていたと告げられる。家に着き、父に症状を告げ、すでに暖房と加湿器の入った部屋に入って着替えて体温計を脇の下に挿して布団に入る。……熱は35.8℃。36℃に行かないなんて、いつの間に私は低体温になったのだろう……と思いつつ、母が持ってきたポカリスエットを飲みながら寝る。


1月18日(土)

 朝起きて、PCが稼動中に落ちてしまうのは電源が原因で、寿命か容量不足しかないと考える。で、電源は水曜日に買ってきたばかりだから、あとは容量不足しかありえず、InterLinkを繋ぐ前に無線LAN・DVDドライブ・MOドライブといった、この時点では必要ないけど電気を食いそうなデバイスを外して起動させたら、うまくいった。いったんInterLink・PCに認識させてしまえばあとは無線LAN経由で接続させるので問題ない。

 スキャナを使えるようにするのに四苦八苦して(SCSIアダプタのドライバのアップデートが意外と大変)、たまっている新聞切抜きを読み取らせながらLinux機の面倒を見てやる。

 で、その間、モニタケーブルをWin機とLinux機の間で抜いたり挿したりを繰り返していたら、ピンが一本折れてしまい、モニタには何も映らなくなってしまった。……時計の針は20:55。一番近い電器屋である“パレックス”(ダイエーの家電売り場)は21時閉店。これを逃すと明日の朝10時に開店するまで何も作業ができなくなってしまうではないか……! あわててジャージから着替えてダイエーへ自転車を走らせたら閉店には間に合ったものの、モニタケーブルを扱っていなかった。プシュ〜。

 これだからダイエーの家電売り場は不採算部門なんだよ!! と半分怒りながら、そして半分落胆しながらイトーヨーカドーへ自転車をこいで行ったけど、案の定閉店後。仕方がないので家へ帰っていちかわエフエム「温故知新」を聴きつつ、PCがなくてもできる作業(小遣い帳など)をしてさっさと寝る。

 そういえば、InterLinkのACアダプタのケーブルもどうもおかしくなってしまい、充電ができなくなってしまった。まだ保証期間内だけどこんなことの連続では、男25の本厄は終わったとはいえまだ後厄ということで厄除けには行かなくてはいけないのだろうか。


1月17日(金)

 交通論・都市計画特論D・現代都市地域論Bに出席。交通論が終わってから14号館の(株)早稲田大学事業部マルチドキュメントセンターで名刺を注文。以前ここで作ったことがあるのでデータが残っており、版下は1日でできるとのこと。……でも、版下を確認してから1日でできるとはいえ、月曜日に必要なことを思い出し、そうすると土曜日にいったんキャンパスに出てこなければならない。それも面倒なので5限終了後に立ち寄ってみると案の定版下はすでに出来上がっており、明日の昼には刷り上るとのこと。

 4限「都市計画特論D」が案の定延びて、歩いていくといつも遅刻だし、今日は早田先生の講義なのであまり遅れないで出たい。初めて連絡バスではなく都バス早77系統(早稲田行き)を西早稲田への移動に使う。22号館なのでグランド坂上の西早稲田バス停で降りたほうが早いかなと思っていたのだけど、おにぎりを食べている途中だったのでそのまま終点の早稲田まで乗り通したら、結構いい時間になってしまい、これだと歩いてきてもそう変わらなかったかもしれない。

 月曜日までにグリーンツーリズムについてのレポートを仕上げたいと思って社学の学生読書室で本を借りようと思っていたのだけど、すっかり忘れて帰宅の途につく。

 早稲田から東西線に乗り、久々にこれで浦安まで帰りたいなと思い、葛西で快速に抜かれる各駅停車だったけどそのまま浦安まで行く。ウオークマンを取り出し、京葉線の車内で聞くときと同じ音量で聴いたらずいぶん音がでかく、そういえば小学生のときにJRの車内がうるさいとか言って京葉線が八丁堀を通るようになっても地下鉄で塾へ通っていたことがあるのを思い出す。……当時はラッシュ時に快速電車が浦安に停まらなかったので、葛西で快速が抜いていくのをいつも待っていたんだよなぁ、と葛西でホームへ降りてみる。今の待避線にはほとんどつかなくなったけど、この駅には安全側線がついていて、快速が通過していくまでポイントが側線側を向いているのも当時のまま。ポイントの装置は変わったらしく、小学生のころによく聞いた音とはちがうものだった。……なんて、我ながらよく覚えているものである。もう13年以上前の話だというのに。

 浦安駅からも、バスを待っていたら7番系統がやってきて、たまには遠回りも悪くないな、とそれに乗る。小学生のころも7番系統で遠回りして駅へ行ったことがあった。数年前に路線の大幅な再編があって、当時の7番系統といまの7番系統は微妙に違うようなのだけど。……乗っているうちに、この時間だったら、「おさんぽバス」に乗ってもよかったんだよな、と気づいた。次にこういうことをやったときはそうしようと思う。

 新浦安駅北口で降り、いつも駅から出てくるときのペデストリアンデッキの下を歩く。以前ここは駐輪禁止の場所だったのに、いつのまにやら白線が引かれて市営駐輪場になっており、駐輪には1回100円が必要になってしまった。最近はこの駅まで自転車で来るなんてしなくなったとはいっても、毎日この駅を使っているのにこうなっていることに気づかなかったのは、いかに私にとって浦安が夜寝るだけの街になってしまったかということでもある。

 家に帰り、InterLinkとPCをもう一回ケーブルで繋いで設定しなおそうとすると、再び電源が落ちてしまう。えー、これじゃ「ふりだしにもどる」(参照)じゃないかよ〜と落胆し、どっと疲れてきたので21時半ごろだったけど、さっさと寝ることにする。


1月16日(木)

 朝のバイトが終わったあと、多慶屋で若干のお買い物のち、昼頃には帰宅する。

 前の日は1時間半ほどしか寝なかったけど、それほど眠くはない。いちかわエフエムで徹夜した後などは眠くて仕方がなかったのだけど、徹夜とは言っても外には行かなかったからだろうか。

 メモリについて調べてみると、i815はメモリを3面(3枚ではない)までしか搭載できないとか、PC100なら6面までOK、とかまったく違うことが書いてある。今挿しているメモリは両面実装の128MBのものが2枚なので、とりあえず1枚外して動かしてみると、処理が遅くなったのには困ったものの、安定して動いている。

 O村によると、3面までしか載せられないのはFSB133MHz(つまりオーバークロック)で動かしている場合で、FSB100MHzなら6面(=両面実装なら3枚)まで大丈夫、という話。……となれば、あとはメモリどうしの相性、ということになる。Linux機にも128MBのメモリが挿してあるので、1枚交換してみると見事に安定した。

 夕方から市立図書館に行って浦安関係の本を数冊借りる。小学生のころの社会科副読本だった『わたしたちの浦安』も置いてあり、一番新しい版を見るとページ数が増えたのにずいぶんとまぁ内容が貧弱になったものだと嘆かわしくなる。交通のあたりでは、浦安橋が開通するまで活躍した定期船の話や、東西線ができるまでに発達していたバスの記述がほとんどなくなっているではないか。仕方なく、古い版のものを借りて帰る。


1月15日(水)

 というわけで、朝のバイト終了後にヨドバシで新しい電源を購入。

 2限は自主休講して3限「都市システム解析」で出すレポートを作成し、3限では発表の順番が回ってこなくて、レポートの提出も来週以降になる。

 あとは研究室でだらだらすごし、19時半からの新年会に顔を出し、そこで先生から「修論はバスやってよ」と言われる。……物流に興味をもち始めていたし、トラックやりたいなと思っていたのだけど、見事に国際された模様である。

 複合領域では自由すぎて自分の手に負えないようなテーマを設定して困ってしまった経緯もあったので、専門学科みたいに黙っていてもテーマが上から降ってくるような環境も悪くないのかもしれない。

 帰宅後はさっそく電源を入れ替えて起動。若干不安定さは見せたものの、未明からO村やN口と始めたチャットをやっている時間は落ちなかった。このマザーが積んでいるチップセット「i815」はメモリとの相性にちょっとうるさいらしい。その辺が安定化のカギだろうか。


1月14日(火)

 朝のバイト終了後、ヨドバシでOA用の延長コードを購入。おそらくこのタップはPCの不安定さとはほとんど関係なさそうだが、コンセント口が足りなかったこともあり、ポイントもずいぶんたまっていたのでそれで引き換えてきた。……万が一雷が落ちてきても安心である。

 交通論・杉山ゼミ、19時過ぎからの大聖ゼミも終えて帰宅したのは22時ごろ。研究室で電源について少し調べてみたら、起動時や稼動中に突然再起動するのは電源の容量不足か電源の寿命であると書いてあり、やはり原因は電源ユニットだろうと確信を強める。電源が寿命になる要因はその部品のコンデンサーが寿命になるからだそうで、O村が推測した原因の“コンデンサー”の部分は当たっていたが、それはマザーボードではなく電源ユニットだったわけだ。まったく迷惑である。……PCについては散々世話になっているからたまにはこんなこともあるだろうし、これだけマザーの組換えや再インストールをやったからにはちょっとしたPCの組み立て程度なら簡単に出来るようなスキルは身についたみたいだから、別にいいけど。

 そんなわけで、濡れ衣を着せられたマザーボードとCPU(いま売られているマザーボードにはPentiumIIIなど挿さらないので、必然的にCPUも買い替えとなる)は、まだまだ実用的な性能にも関わらずお役御免になってしまった。中古買取に出してもよいだろうけど、中古品として売られる値段の半分かそれ以下の買い値しかつかないだろう。それくらいだったら自分で活かしたいものである。……かといって、それほど性能に違いのない2機のPCを持っていたところで、複雑なプログラムを組んで走らせるわけでもないから持て余してしまいそうだ。あとは妹のデジカメを取り上げる見返りに押しつけてしまうか、弟がPCを欲しがれば作ってやるのもいいかもしれない……けれど、その見込みもない。PentiumIII600MHz程度だとWindows2000を入れてMS-Officeを使ったりWeb閲覧、簡単な画像処理をするにはまったく困らない性能だけど、妹はもっと高度なことをやらせるPCが欲しいみたいだし、弟も数万円を支出してまでPCを欲しいと思うかどうか。

 延長コードを今日買ってきたものに置き換え、電源を入れると、はじめは調子がよく、おっ、これは……と若干期待してしまったりもしたが、結局いつもどおり勝手に再起動に入ってしまったり。


1月13日(月・

 マザーを交換したのに再インストールなしに起動するのは、「何とか動いている」だけで再インストールは必要、という話を聞いたときは、起動するんだからいいじゃんかよ〜、と思ったのだけど、朝早速落ちてしまい、結局、再インストールを実行。

 昼前には終わり、ずっと動かしているときは調子がいいので、大学へ行って帰ってきてどうなるかが判断の分かれ目だなと思いながら大学へ行って、「都市システム解析」発表の準備をK玉くんやO井くんとやる。結構早く終わり、16時ごろには帰ってこれた。

 で、さてPC起動だ、とやっていると、悪い予感が当たって落ちてしまう。……やっぱり電源が原因か。。。。。。


1月12日(日)

 朝起きてPCの電源をつけるが、マザーボードを替えてから朝1回は必ず勝手に電源が落ちるようになってしまい、今日もそうなる。1〜2回落ちた後は安定していることからマザーボードのせいだろうというのがO村の意見で、最初は我慢していたものの、こう毎日続くと困ったものである。……異常終了のせいなのか何なのか、メールも何回か消えたりしており、今日も、よく見るとフォルダの振り分けがバラバラになっている。。。

 こうなったらマザー&CPUも取替えじゃ〜と、O村のお奨め品を中心に調べてみると、研究室のPCを組んだときのマザーとCPUが合わせて15000円くらいで買えることが分かった。ABITのマザーも14000円くらいだったし、これは“買い”だ、善は急げと、祖母宅に年始の挨拶に行った帰りに八千代中央から電車に乗り、単身秋葉原へ。(本当はO村にいっしょに来てもらうつもりだったけど、電話がつながらなかった)

 家に帰り、夕食ののち、さっそく組換え開始。前回マザーを交換したときのように再インストールが必要かと思いきや、普通に立ち上がってくれたので手間が省ける。

 しかし、ハードウェアの検出をしている最中に2回電源が落ちたので、もしかしたらマザーボード云々じゃなくて、電源ユニットが原因なんじゃ……と思いかけたものの、数日間様子を見てみようと思う。なにせ、Windows98だったころは、ブルースクリーンを経ての異常終了こそ多かったもののいきなり電源が落ちて再起動がかかるなんてことはなかったし、安定して動いている研究室のPCについている電源だってそんなにしっかりしたものじゃないはず。

 ひとつ、思い当たる節があるとすれば、マザーから電源を供給するデバイスを大量につけているということ。キーボード・マウスにCD-Rドライブ、ビデオカードはもちろんのこと、サウンドカード、DVDドライブ、MOドライブ(SCSI接続なのでSCSIボードも)、おまけに無線LAN、という、“電力バカ食いシステム”なのだ。

 でも、結局原因は電源でした、だと、これまで金銭的にも時間的にも投資したものは何だったんだよ〜、ということになってしまうので、明日以降、きちんと動いてくれることを願うや切。


1月11日(土)

 2時くらいにいったん気がつき、つけっぱなしだったPCや電気やら全部消してまた寝る。……こういうときに限って、平日と同じように4時に目覚ましが鳴ってしまったものの、再び寝て8時に起きる。

 遅いお風呂と遅い朝食を終えて、洗濯をしながら再びLinux機と格闘する。なんとか目処がついたころには11時をまわっており、辺りを片付けて、まだかまだかと母に昼ご飯を急かした挙げ句に、こんなもん熱くて食べられない、と、ろくに食べずに家を出る。とんだ親不孝者である。……どうも我が家は父の職業柄と父の趣味から、いただきものとか取り寄せたものとかが食卓にのぼったりするので、あまりおろそかにしていると「せっかくもらったのに」とか「お前が食べると思ったから取り寄せたんだぞ」等々言われてしまうことになり、言われるほうとしては少々板ばさみのきらいがある。

 ラグビーは早稲田の快勝に終わり、13年ぶりの日本一。17時半から大隈講堂前で祝勝会なので、JRは混んでいるし馬場から地下鉄に乗らないと行けないので論外として、大江戸線は都庁前で乗り換えないといけないし、バスで早稲田へ出るかーと千駄ヶ谷駅前のバス停へ行けば結構並んでいる。じゃぁひとつ手前の、と行ってみるとまだバスの時間には余裕がある。それだったらもう一つ前のバス停から乗れるな、とホープ軒前のバス停へ行くと千駄ヶ谷駅前のとは比べものにならないくらい並んでおり、結局外苑前から銀座線に乗る。これだったらおとなしく国立競技場前から大江戸線に乗って牛込柳町で降りて歩いたほうが速かったかもしれぬ。……銀座線に乗ったあと、どうやって早稲田に出るかで3通り意見が出る(日本橋で東西線乗り換え・青山一丁目で半蔵門線に乗り換え、九段下で東西線乗り換え・溜池山王で南北線に乗り換え、飯田橋で東西線乗り換え)あたり、さすが鉄研会員の集まりと複雑な東京の地下鉄網のなす技である。僕はいつも使っている南北線案だったのだけど、K内が提案した半蔵門線のほうが確かに乗り換えも便利そうだし、いいかもしれない。ただ、気づいたころには青山一丁目を過ぎており、日本橋周りはさすがに時間がかかり過ぎるだろうということで、結局南北線経由で早稲田へ。

 なんだかんだで18時過ぎから始まった祝勝会も、白井総長が緊張してるし、司会のおねーちゃんは応援部を応援「団」と言うし(応援部吹奏楽団のことも「早稲田大学吹奏楽部」と言うし)、「荒ぶる」はさすがに一般学生には歌えないし、ちょっと残念。

 それが終わったあと、川口のビール園へ繰り出すべく、都電で王子へ。都電は新型の8500型。……もしかしたら3年生のときの鉄研新歓電車以来かもしれぬ。昼間はいつもすいているそうだけど、僕が乗るときはいつも混雑している。これだけ混むのなら専用軌道区間がほとんどなのだし、2両連結にしたっていいんじゃないのかなとは思う。都営交通の中で地下鉄が大赤字、都バスはほぼ収支トントンでも、都電は黒字を計上しているのだし、広電のような時給1000円程度のアルバイト車掌を雇って2両編成にするくらいしてもバチは当たらないのではないだろうか。

 王子で京浜東北線に乗り換え、K田たちとバカ話をしているうちに僕の持っている応援旗が他人に当たってしまい、申し訳ないことをしたなと思ったら、その人もなんと観戦帰りの人で、「13年ぶりの優勝おめでとうございます」なんて言われてしまう。(^^;)

 サッポロビール園では、学生服姿のK田が身分証の提示を求められた。さすがに馬場とは違うといっても、もう24歳だというのに年齢の25%(=6歳)は若く見られているわけで、O尾さん(推定40歳以上?)だったらどうなるのだろうと思ってしまう。

 ビール園では120分コースにして、始めは鬼のように食べていた我々だったが、例によってジンギスカンがくどくなってきたなと思ったころに時計を見ればまだ50分しか経っていない。90分コースにしても、混んでいるわけではないからラストオーダーが30分早くなるだけで90分で出なければいけないということではなく、次はそうしようと決める。……前回来たのが一昨年だから、次に来るのはいつのことやら分かったものではないが。


1月10日(金)

 今朝も寝坊してしまう。冬とはいえさすがに2日も風呂に入らないというのはまずいのであわてて入り、昨日に引き続いて朝ご飯は食べずに家を出る。

 バイト先では、社員の人に対して何だかマニアックなことをあれこれ話し始めてしまう。なぜ、りんかい線は通過連絡運輸の対象にならないのか、等々。普段はあまり多弁だったほうではなく、どうも番組をやめてから局ではない場所でもしゃべりたい欲求が出てきたようだ。いいことかもしれない。

 2限の「交通論」が終わって、4限までガイド室でヒマをつぶす。……学生会館が近くにあったころは鉄研にも顔を出していたのだろうけど、理工バスに乗るにはまた戻ってこなくてはならず、おっくうになった。せめて理工行きのバスも学生会館前に停まってくれれば。。。

 で、14:20のバスで理工へ行き、戸沼先生の「都市計画特論D」の教室で居眠りしながら待つ。気がつくと15時を10分ほど過ぎていたけど、講義は始まらない。学生も4人くらいしかいない。どちらにしろ自然休講だなと立ちあがろうとすると、右足が猛烈にしびれており、しかたなくイスに横になってもう一回、30分くらい寝てから帰る。こんなだったら、2限が終わった時点でさっさと帰るんだった。……5限の「現代都市・地域論B」は、今日は浅野先生なのですっかり出る気なし。来週は早田先生がいらっしゃるそうなので、そちらは出よう。

 そういえば戸沼先生は昨年末の講義で今日は休みと言っていたような気もするなぁ、と思いつつ家に帰ってからは、数日ぶりにLinuxサーバ設定に取り組む。そんなもんすぐ目処がつくだろうと思いきや、23時くらいになっても終わらず、眠くなってふと横になったまま、例によって寝てしまう。


1月8日(水)

 眠い。……せっかくいちかわエフエムの番組を終わらせたというのに、昨日の睡眠状態は番組があった日とあまり変わりがない。

 ドトールのコーヒーを片手にバイトを終え、研究室へ行ったあとはもてあましていたインスタントコーヒーを片手に午前中は久留里レポートの仕上げ。書き上げてみれば文字ばかりA4用紙6ページになってしまった。

 後藤研究室に提出に行ったついでに一昨日出した写真を受け取りに行く。これまで2回ここで現像しての印象は、500円相応の出来だな〜、というものだったけど、今回のは結構きれいにプリントされている。そのまま生協で焼き増しに出そうと思ったら油性ペンを持っていなくて枚数を記入できず。

 午後は30分ほど机で居眠りをはさんで原田先生のレポート。テーマは道路公団改革についてA4用紙2枚。杉山先生の交通論にモグり、杉山ゼミを履修している私にはちょろいものである(そもそも参考資料に指定された冊子が、杉山先生達が書いたものだったし)。ちょろいものであるゆえに逆にA4用紙2枚のスペースという制約下で何を書こうか迷った……とか余裕をかましてみたり。

 5限の原田先生の科目が少し早く終わり、ガイド室に寄ってから三品初め。6限があるので手っ取り早い赤玉(560円)。そのまま歩いて理工へ戻って30分程遅れて6限「都市計画特論E」に出席。久留里レポートをかいた科目で今日と次回はその発表。他の班の発表を聴いていると、彼らはその道の専門の研究室の学生だから日頃の研究で集めたネタを発表しているに過ぎず、ずるい。ただ、発表も機械科のゼミ発表と同様にちっとも面白くなく、次回は土木・機械・数理の3人(うち2人は複合領域出身)の発表を見ておれ! という意欲だけは沸く。


1月7日(火)

 昨日寝たあとK石くんから電話があったみたいで、妹が起こしにきたのだけど、出ないでまた寝てしまった。朝メールをチェックするとK石くんから来ており、時間は昨日の21時半になっていた。……一般的には22時か23時くらいまでなら家へ電話をかけても許容範囲だったりするし、バイトがあるときは世間と2時間ほどずれた生活をしているのでこういう迷惑をかけることになる(^^;)。しかし、PHSにかけてくれれば留守電が応答してくれるのに、どうして家の電話にかけてきたのだろう。。。ごくたま〜に、アステルのPHSだったころはなかったのにドコモのに替えてから家の中で圏外になることがあり、たまたまそのときにかけたのだろうか。

 K石くんが今日久留里へ行けるという返事で、あとはS藤くんの返事待ちになる。今日はウチのクルマを出すので、S藤くんと落ちあうまでの行程はメールに書いて送っておいたのだけど、メールを送ったことで相手はきちんと認識していると考えることについて「非常識」と研究室で指摘されたのを思い出し、バイト中も落ち着かない。

 家に帰ってPHSをチェックするとS藤くんからの着信履歴がある。かかってきた時間は東京駅で京葉線の発車を待っているころで、かけ返すと、すでに浦安駅にいるという。「東西線に乗るときに電話をくれれば、浦安駅に着くころを見計らって迎えに行く」と昨日のメールに書いたとおりのことをしたらしい。

 あわてて準備をして浦安駅へ行き、S藤くんをピックアップして、いったん家に忘れ物を取りに戻ってから湾岸道路へ入ると、もうすでに渋滞。京葉道路に乗ったほうがよいかと散々迷った末に、どうせ混むのは最悪の場合でもららぽーと付近までだからと思ってそのまま湾岸道路を進む。実際は市川市高浜の交差点立体化工事が原因の渋滞だったが、千葉市街までときどき滞っているところがあり、市原市内でK石くんを乗せるころには浦安駅を出てから1時間半が経過していた。

 K石くんのナビで久留里へ到着し、まずは先日休みだったNPOの事務所へ。NPOの理事長の方から直接話をうかがうことができ、ほぼ満足。次に城跡へ登り、市街に戻ってセブンイレブンでかなり遅い昼食を調達して帰途につく。

 K石くんを旭硝子の工場で降ろしたあと、まだ17時だったので、早く帰ってレポートを書きたいというS藤くんをスーパー銭湯「笑がおの湯」へ連行。僕は少し物足りなかったものの1時間少々で上がり、16号線を走りながらさてどうやって帰るか迷った。ここから近い京葉道路の入り口は幕張。しかし、八千代市の祖母宅へ行った帰りに京葉道路を降りるのが幕張(あるいは花輪)である。幕張で降りて湾岸道路で帰っているのに、今日は逆に幕張から京葉道路に乗って浦安へ帰るのもどうだかな、という感じがしてしかたがない。1620kHzの交通情報も「国道357号線に通行の支障となる情報は入っていません」というし、このまま湾岸道路で帰るか〜と国道14号と湾岸道路が分岐するところで「357 日之出町付近渋滞1km」という表示が目に入り、あわてて14号に入る。

 幕張から京葉道路に乗ると流れていて、120〜140km/hで走れば市川インターはあっという間。200円という破格値の通行料金を払って(それでも京葉道路単体は黒字!)あとはいつも局から帰るのに利用していたバイパスを浦安へ向かい、20時過ぎには浦安駅でS藤くんを降ろすことができた。……きょうは取締りにも遭わなかったし、浦安駅でS藤くんを乗せてから忘れ物(=レーダー探知機)なんか取りに行かないでバイパスでまっすぐ市川インターへ行って京葉道路に乗れば30分と少しで市原まで行けたろうに。。。

 せっかく予想より早く帰れたのに、22時ごろまでうだうだ過ごしてしまって、それから明日提出の久留里レポート執筆開始。11時半ごろに眠くなって2時間ほど仮眠を取り、3時ごろまで書いて、あと少しのところでもう一回仮眠。5時半に起きてあとは研究室でやることにする。


1月6日(月)

 今日から朝のバイト先も仕事始め。朝4時に起きる。

 先週1週間がまるまる休みだったので、支社の広報がチェックしない「聖教新聞」「しんぶん赤旗」1週間分にも目を通してバイトを終え、ヨドバシカメラでPCに取りつけるネジだとかこまごましたものを購入。本も、10%以上ポイントがつくなら生協の1割引と似たようなものだからここで買おうと思ったら、書籍は3%しかポイントがつかないのだそうで、やっぱり生協に注文することにしてここでは品定めだけをする。

 研究室には11時半ごろ着いて、しばらくのんびりしてから生協へ行ったら営業している気配がない。なんと今日までが年末年始休業だった。明日は来る予定がないし、あさって注文だと受け取りはずっと先になってしまいそう。やっぱり明日のバイトの帰りにヨドバシで買おうか。

 ついでに諏訪通りのほうまで足を延ばしてフィルムを現像に出し、研究室に戻ると先生が来ており、新年のご挨拶をすると、今日のコンパは無しにします、と言われる。M1は誰も来ていないのでとりあえずA木くんに電話してみんなにまわしてもらえないかな、とお願いする。

 新年会がないのなら長居は無用で、ガイド室に寄っていくのもやめにしてさっさと帰る。で、帰り際にヨドバシカメラで『LedHat Linux8で作る 自宅サーバー For Linux』(鈴木哲哉著:ラトルズ刊)を購入。さっそくもう一台のマシンにLinuxをインストールだ。

 家に帰ると妹が外出中という。今朝買ってきた物の中にPCカードスロット用LANカードがあり、鬼のいぬ間に……とBIBLOに挿し込んでAirStationに有線パソコンとして接続、設定をいじったら、自分のPCから無線でつながらなくなってしまった。PCではなくAirStationの設定がおかしいのだと気づくまでに時間がかかり、それまで自分のPCをあれこれ設定しなおしていたので、結局元通りにしたころには2時間が経過していた。

 それから、本を見ながら夕飯をはさんでかつて使っていたマシンにLedHat Linuxをインストール。20時ごろには終了。起動すると赤い帽子をかぶったおじさんの絵が出るようになり、とりあえず今日はここまで。

 すっかり遊んでしまって今日やろうと思っていたことは全部放ったらかし。しかも、明日、久留里へ再取材に行くことになり、さてさてどうしたことやら。


1月5日(日)

 朝からだらだら過ごす。洗濯をして外に干すと、そういえば2日の朝に帰ってきて以来外に出るのは初めてだと気づく。受験生のころは1日中家にいると気が狂いそうになったものだが。午後になり、レポートに少し手をつけるけど、締め切りを確認して表題を書くにとどまる。

 夕方になって年賀はがきを出しに行く。上にも書いたような引きこもりっぷりだったので、元旦にもらった年賀状の返信も今日になって発送。とっくに三が日も終わっているので消印が押されてしまう。ポストを見ると今日の集配は終わっており、厳密には明日の発送になる。届くころには松の内も終わってしまうだろう。……とはいっても、2日の朝は帰ってきただけとはいえ一応外には出ていたのだし、まるっきり一日家にいたのは昨日・一昨日の2日間だけだというのに、元旦にもらった年賀状の返信が着くのは松の内も終わるころ、とは、世の中が進むのは速いものである。

 ポストへの道すがら、生活圏がこんなもんだと余裕があるよなと思う。毎日電車で新宿まで通うなんて、人間の認識できる範囲を超えているんじゃないか、移動のスピードが速すぎて環境の変化に頭がついていかないんじゃないか、音速に近い速度で世界中をまたにかけるビジネスマンの頭の中はどうなっているのだろう、などと考えてしまう。毎日大学に通っていたり飛行機に乗ってヨーロッパを旅行していたりすると気づかないことだけど、ずっと家にいると、こういうことに考えが及ぶようになる。以前は外の世界に出たいという願望が強かったけど、あわただしい世の中に飛び込んでいく毎日を送っていると、徒歩圏内から出ない生活も悪くないなと思うようになる。


1月4日(土)

 朝起きてネットをだらだらやっていると2回ほど続けて電源が落ちてしまう。PCの組換えは面倒だとは思っていたけど、10時ごろから思い切ってやってしまうことにする。O村に電話して聞いてみると、マザーボードを交換しただけでもWindows2000だったら再インストール必要だよ〜と言われ、バックアップをとってからにする。再インストールから2日経っていないのでMOで事足りた。

 きのうの鍋を使った雑炊の昼食をはさんで、いろいろとてこずったりしたけど夕方までには元通りになる。HDDをフォーマットしている間がヒマなので、捻出したマザーボードを以前使っていたケースに取り付けて、今まで少しずつ取り替えてきて捻出されたパーツを取り付けたら、またもうひとつマシンができてしまった。……マシンができたというか、構成は学部1年の冬に買ったときとまったくといってよいほど同じものなので、今使っているPCがほとんど当時とは別のものになったということでもある。

 取り替える前と何か違うかといえば、InterLinkと接続しても電源が落ちないなど、効果てきめんかと思いきや、ネットしている間に2回ほど勝手に電源が落ちてしまうなど、なんだか爆弾を抱えたままのPCである。

 夕飯は父が打ったそば。


1月3日(金)

 朝7時半ごろ起きたろうか。お風呂に入って朝ご飯のおせちを食べ、箱根を見たり聞きながらだらだら過ごす。

 夕方になって、InterLinkと再インストールしたPCを再び結ぼうとケーブルでつないだら、毎回PCの電源が落ちてしまう。O村に聞いてみたら、マザーボードのコンデンサーが寿命なんじゃないの〜、とのこと。。。Slot1のマザーボードは新品がひとつあるけど、組みなおしも面倒だし、前からほしかったUSB接続のメモリを買おうか。

 夕飯は鍋。日本酒を飲んだら21時過ぎまでコタツで寝てしまう。その後、「尾張黒田藩」のWebページを作ったり、メールのやり取りをしたり。そんなことをしているうちに日付が変わっていちかわエフエム夜もラジオぼーや「よろず音楽堂」が始まってしまい、結局寝付けない。

 番組宛にメールを送りつけたり、そういやそろそろレポート書かないと間に合わないよな〜と思ってMS-Officeをインストールしたり、結局3時まで起きていた。藤崎さんの放送終了アナウンスを家で聞くのはもしかしたら初めてかもしれない。……スタッフをお休みしてから、却ってラジオを聴く余裕ができた気がする。うむぅ。……そうじゃなくて、ただ冬休みだから時間に余裕があるだけかもしれないけど。

 そりゃ〜深夜のラジオは確かに面白いですけども、もう月曜日から朝のバイトがまた始まるんだから朝型に戻さないと。。。

 そういえば2日間家から一歩も外へ出ていないので年が明けてから年賀状も出していない(書き終わったのは何通かあるんだけど)。何やってんだか。


1月2日(木)

 番組終了は6時過ぎ。先週と比べてずいぶん目が冴えていたけど、家に帰ってお風呂に入って箱根駅伝中継をテレビで見始めると急に眠くなる。それでも朝ご飯のおせちを食べて、10時ごろまでコタツでゴロゴロしてから部屋に戻り、箱根駅伝中継のラジオをつけっぱなしにして寝に入る。

 起きると17時半。どこかでラジオの仕事をしている夢を見た。2日の夜ではなくて昼間見たけど初夢か。朝まで番組をやっていればそんな夢も見るだろう。寝正月とはいえ、ほんとうに夜と昼が入れ替わっている(普段の日で5時半起床だと少し寝坊気味だけど)。することもなく、この際だからPCのOS再インストールをやってしまおうと思い切って敢行。

 初めてのわりにはなんとか無事に終わってから、1つだけフォルダのバックアップを忘れていたのに気づいたけど、もう遅い。去年の11月にダウンロードしたり作成したりしたもので、何が入ってたかなぁと考えても、戸沼先生の科目のレポートくらいしか思い浮かばず、思い出せないということはたいしたことないのだなと思うことにする。

 あー疲れた、とラジオをつけると「いちかわエフエム読売新聞ニュース」がちょうど始まったところ。23:45だ。そのまま布団にもぐって、0時からの特番を聞き始める。1時まで聞いたところでキリがないので消して寝る。

 もともとは早寝早起き派なので、深夜に面白い番組をやってもらっては困るのである。……録音するという方法もあったか。


1月1日(水・

 7時半ごろ起きたろうか。お風呂に入ってだらだらしているうちに初詣に行くことになり、整髪料もつけずに神社へ行ってお参りをする。初詣は一家5人で行くので父の車で行くのだが、メルセデスで神社に乗りつけるなんてどうだかなぁと毎年のことながら思ってしまう(父が国産車をやめてそれに乗り換えた経緯は知っているから、いいのだけど)。しかも助手席から降りてくる長男の風体は全身がユニクロである。僕の格好はどうでもいいのだけど、早稲田に5年も通っていると、公共のバスで行こうよ、と言いたくなってしまう。とはいえ、メルセデスのEクラスごときに恐れをなすとは、私も人間が小さくなったものである。

 朝食というかブランチはおせち。13時から2時間ほど寝て、17時に家を出て局へ向かう。電車で行こうかなとも思ったけど、何時に帰るかわからないのでクルマにする。……本八幡の狭い路地を入って駐車場に停める。これだけ長く通って、最後までこの駐車場に一発で入れられなかった。いわさきさんの車がすぐ後ろにいて、以前と同じように冷やかされてしまう。

 今日はもう僕の番組じゃないし手ぶらでいいや、とショルダーバッグ一つで来てしまって、昨日買ったお土産を持ってくるのを忘れたのに気がつく。局入りして、コミケで買った市川エフエム本も持ってくるのを忘れたのに気づき、取りに帰ることにする。18時からすでに始まっているいわさきさんの特番を聞きながら、あー、それはさっき駐車場から局に向かう途中に僕が言ったことじゃないかー、とクルマの中で一人ツッコミを入れる。……しかし、ラジオパーソナリティーたるもの、なんでも自分の話にしてしまうのは当然のことなんだよな、といまさらにして思う。

 フーデックスで頼まれていた買い物のついでに、差し入れを購入。特番だというのに弁当ひとつ出ないのは、4年もコミュニティ局でやっている(しかもこれが最初の経験)と当たり前の感覚なのだけど、宇佐美ディレクターがうどんを打ち、メインパーソナリティのいわさきさんが鍋の材料と道具を持参、というのを知ってしまうと、手ぶらで行くのが恥ずかしくなる。お茶とかき揚を購入。

 局に戻ると予想外に人がいて、差し入れが足りなかったかも、と少し後悔。

 21時からの局グッズのストラップ販売を前にいわさきさんとトーク。本当にこの人の話についていくのは難しく、頭を使う。とても追いつかない。……これがマイクを通して、音だけになってリスナーの元に届くときにどう聞こえているのか、まったく頭が回らない。。。。。。いくらメインパーソナリティーはいわさきさんといっても、座っていて素でしゃべっているだけでは、、、、スタッフをお休みして正解である。

 本八幡駅前でのストラップ販売では6本売れた。「(僕の番組が)金曜だったころに聴いてましたよ」と言ってくださった方がいて、お名前に聞き覚えがないのでうかがってみると、便りを送ってくれたことはないそうで、サイレントリスナーの方だ(こうした公開・参加型企画に来ていただいた時点で厳密には違うのだけど)。双方向性の高いメディアではあるけど、メッセージを送ってくれるのは10人に1人、それ以下ともいう。またこの種の仕事をしたいなら、こうした存在の聴き手のことまで考えて話をすること、というのが今後の課題だろう。

 昼間少し寝ていたからか、人数が多かったからか、メインパーソナリティではなかったからか、先週よりも長く5時過ぎまで疲れることはなく番組に参加していた。

 次回は果たして呼んでもらえるのだろうか。


2002(平成14)年12月の日記


高橋秀暢/yonnan@plum.plala.or.jp