2003(平成15)年4月の日記


4月30日(水)

 午前中から研究室に詰めて、だらだら過ごす。昼食は鉄研会員5名ほどと三品で赤カツ(760円…土曜日の神宮の半券で100円割引=660円)。

 ガイド室に立ち寄り、中央図書館でコピーを取ったあと、研究室へ戻って明日用のPowerPoint作り。cueシートは、、明日でいいか、と17時過ぎには帰途に。

 家に帰ったところでA元くんから電話があって「先生がPowerPointのファイル送ってって言ってるよ」……研究室のPCに置いてきてしまったので、A元くんにお願いする。。。

 母は2日前から旅行中(今夜帰宅)で、今日は弟の誕生日ということもあって父・僕・弟の3人で久々に浦安駅前の「健鮨」へ。


4月29日(火・

 朝起きて朝食をとったあと、コタツで昼ごろまで寝る。ありがたい休日。午後はWebページの更新など。明治牛乳の宅配の勧誘が来て、サンプル品を置いていった。


4月28日(月)

 来年からはほぼ確実に一人暮らしになるわけで、バイト中に社員の方にいろいろ聞いてみる。電話加入権などは個人負担。独身寮なら光熱費は寮費に入っている。駐車場は地方の独身寮ならタダ。食事は自炊のところもあるし、いろいろ。といったぐあい。

 研究室に着いてからは労働組合について調べてみる。この会社は僕が知っているだけで労働組合が5つあって、「警察白書」に極左集団とともに名前が挙げられている組合があったり(実はそこが8割ほどを占める多数組合だったりする)まぁいろいろ。ちょっと鬱な気分になる。

 帰宅後は、しばらく封印していたNHKに関するフラッシュムービー(これ)を見てしまい、感傷的になってしまう。いかん。


4月27日(日)

 9時過ぎに家を出て、市議会議員選挙に投票したのち、いちかわエフエムへ。今日に延期された10時からの特番のお手伝い。

 フリーマーケットの類に来るのは(コミケを除いて)初めてで、いろいろ見てまわる。本当に押入れにしまってあったものを持ってきて売っているような人や、電池や皿などを大量に売っている、どうも業者にしか見えない人、手作りの品を売っている人など、様々。電車の絵はがきを10円で見つけて購入。

 局グッズのストラップを売ったり、インタビューをして歩く宇佐美ディレクターやいわさきさんの後ろを機材を持って歩いたり、本当にお手伝いのような感じで、来ていたリスナーさんから「ADさんですか?」などと聞かれる始末。これが仕事で来る日も来る日もずっとADだったら嫌かもしれないけれど、こうして手伝いに来ているぶんには、放送局の現場はとても楽しい。やっぱりJRに入ってもこちらへ戻って来れたらまた番組持ちたいな、なんて思う。後述のF町さんからは「ダメだよ、会社入ったらこんなところでやってないで勉強しなくちゃ」と言われてしまったけれど。

 14時に特番も終わり、パティオビルの方から差し入れていただいたお弁当を食べながら、私物を引き取りに来ていた元社員のF町さんなどとお話しながらだらだらしていたら、神宮へ行っても間に合わない時間になってしまった。

 17時ごろには、「こんど高橋さんの就職祝いしましょう」なんてありがたい言葉に送られて局をあとにし、電車に乗って帰る。お風呂に入って夕飯を済ませ、「たっぷり見せます!あのころのあの番組」(NHKBS2)を見る。とんだNHKの自己満足番組だよな〜などと思っていたら、ちょうど「ウルトラアイ」を取り上げており、今見ても新鮮な内容の実験の数々で、すっかり見入ってしまう。ダイヤモンドなどの鉱物を道路工事のローラー車で踏み潰して硬さを確かめる実験は、確か小さいころに見た記憶がある。「ラッシュアワー大実験」とかでどこぞのローカル線の車両に人をいっぱい詰め込んで1両339人(定員150人)乗れました、なんてやっていて、いまの「ためしてガッテン」にも通じるところがあるけれど、それ以上に面白い。

 部屋に戻り、21時からのいちかわエフエムの選挙特番に続いて、22時からのエフエム浦安の開票速報を夢うつつに聴きながら、寝る。浦安のは選挙管理委員会が30分おきくらいに発表する数字(=選管のWebサイト上でも公開)を読み上げるだけだけど、いちかわエフエムの選挙特番はゲストを交えての解説に加えて当確まで打ったりする本格的なもので、「いても手伝ってもらうことなんてないですよ」(=ボランティアさんに見てもらっては困る、ということでもあると思うけど)と言われたけれど、一度その様子を垣間見てみたいなぁなんて思う。


4月26日(土)

 僕のもとについている学部生の卒論指導があり、10時過ぎより同席。終了後、本庄レポートのフォーマットのミスを指摘されて修正したあと、新大久保駅近くの立ち食いそば屋「とくの屋」でたぬきそば(310円)で昼食を取り、神宮球場へ。

 対立教大学戦が7回まで終わったところで13時になり、球場をあとにしていちかわエフエムへ……と、信濃町駅から電話を入れたら今日の特番(いちかわエフエムが入居しているパティオの屋上フリーマーケット中継)は明日に延期になったとのこと。

 結局そのまま家にまっすぐ帰り、就職活動も終わったので、散らかっているエントリーシートのコピーや会社資料などを整理。いろいろ受けたなぁ、と思う一方、最終まで進んだ2企業のエントリーシートはというと、JR東日本は面接を受けに行ったその場で書かされたので手元にないし、NHKはコピーを取り忘れて下書きの一部しか残っていない。

 今日は早大鉄研の新歓コンパだけど、行かないで家で晩ごはん。


4月24日(木)

 よく眠れず、1時ごろ目が覚めてしまう。30分ほどたっても眠れないので牛乳でも飲もうか、と階下に降りるとこんな夜遅くなのに父が電話に向かってどなっている。台所の冷蔵庫を開けると牛乳が残っていないので、物置の冷蔵庫に取りに行こうとすると父が「そこで待ってろ」。

 電話が終わり、どうもNHKに決めたようだが何の相談もないではないか、ちょっとそこに座れ、という展開。……そんなこと言われたって、こんな夜中に傷口に塩を塗るようなまねされてもと内心思いつつ、明け方まで話をする。ちなみに電話で怒鳴っていたのは、妹のバイト先が1時ごろいきなり電話をかけてきたのでその用件ともどもいったいどういう了見だと言っていた由。

 バイト先で課長と次長に結果を告げる。NHKからの連絡はまだもらっていないので15時以降に見られるWeb上での通知を見てあらためて連絡することに。

 その職場ではNHK総合が常時ついている(全局分のテレビがあって全部ついているのだけど、NHK総合以外は音声を消している)ので、8:35から「生活ほっとモーニング」が始まり、「まち再発見 古地図をもって出かけよう」なんて特集でアナウンサーが「東京23区を踏破する会」という会の人々に加わって街あるきをしてリポートしている様子が目と耳に入ってきて、あーあ、ああいう仕事したかったなぁ、なんて思う。

 研究室では、ひたすら寝る。午後になって、1週間以上つけていなかった日記を書き始める。

 15時から海城高校で端末室TAのバイト。その席でNHKの最終通知を確認し、朝のバイト先と相談にのっていただいたNHKの先輩に電話。


4月23日(水)

 研究室で昼ごろまで過ごしたあと、ガイド室へ寄り、昨晩あのあと電話できなかったNHKの方に電話を入れる。

 ワセ弁のギョーカラ(330円)で遅めの昼食にしたあと、久々にキャリアセンター(旧就職課)へ行く。ちょうど内定辞退の仕方についてのミニセミナーをやっており、加わって聞く。他社を辞退したと告げてあっても学生にはそうするよりほかないのでまったく心配なく、もし損害賠償などと言われたらこちらに相談を、という内容。その後東西線と総武線でいちかわエフエムへ。昨年までお世話になった方にも相談しようと思って例によって月曜日に電話を入れていたのだけど、もうほとんど決めたあとだから、単に遊びに行くだけになってしまう。

 18時。すぐには電話は鳴らない。そんなもんだ。

 19時。まだ鳴らない。

 20時。ちょっと遅すぎるんでないか。やっぱりダメだったんじゃないかな、という雰囲気のなか、K川さんと松屋で夕食。牛めし(キャンペーン期間中で240円)とお新香(80円)。

 Web上の就職情報関連BBSへの書き込みも減ってきたし、21時を前にいちかわエフエムをあとにして、家に帰って玉社時代の友人O村やN口と少しの間だけチャットをしてさっさと寝ることにする。


4月22日(火)

 日がな一日研究室にて本を読んだり本庄バスについてのレポートに加筆したり。でも、どことなく落ち着かない。JR東日本がよいのか、NHKがよいのか。でも、まだNHKから内定が出たわけでもないから、悶々としているといったほうが正解か。

 夕方になって、某所より電話がかかってきて「NHK行くならこちらは早めに辞退してくれないと困る、今決められなくても明日NHKから内定が出た時点ではどちらを選ぶか決まっていないと、うちの採用計画にも関わる……本来なら、約束(他社は全部辞退したことにしてある)違反っていうことになるんだけどそこは黙っておいてあげるから」と言われて、悶々としているどころではなくなってしまう。ガイドの同期の人も連絡が取れないし、う〜ん、と悩んだ末、直接の面識はほとんどなかったけどガイドの先輩に当たるNHKアナウンサーの方(私がガイドになったときに入れ違いで卒業)に電話を入れ、仕事の内容など、他社のOB訪問で聞くようなことを聞く。

 最終面接が終わるまでOB訪問ひとつしないでよくここまで来れたな、という気もするし、逆にいえば恐れ多かった。極端な話、内定が出てから初めて話ができるような気がしていた。そんなの勝手な思い込み以外の何物でもないのだけど、憧れの職業についている人ほど、そういうものではなかろうかとも思う。

 40分ほど相談にのっていただき、またあとでIP電話で電話代を気にせずゆっくり、ということで電話を切り、家に帰るまでの車内などでもいろいろ考えたり、昨日出したメールの返事が返ってきているのを見たりして、この日の晩にはだいたい決めた。やっぱり、NHK。

 あとは、明日の電話を待つだけだ。


4月21日(月)

 すべては終わった。あとは、NHKから内定が出なければ即JR東日本で決定、内定が出たら……どうしよう、という段階。

 こういうときに一人で悩んでも仕方がない(こういうときは視野も狭くなっているはずだし)し、なるべく多くの人の意見が聞きたい、と、旧友やら旅先で出会った人などにいくつかメールを送ってみたり掲示板に書き込んだり。……下手をすると相手の心証を害しかねないお話なので、多くの人の話が聞きたい一方、やたらめったら送るわけにもいかず、むむむ…という感じ。

 家に帰り、NHKに勤めているガイドの同期の人に電話をかけてみる。2年前にはNHKと他社でずいぶん悩んでいたので参考になる話が聞けそう……10回ほど呼び出し音が鳴って留守電。またかける旨吹き込んで切り、しばらく時間を置いて2回ほどかけると、こんどは呼び出し音2回ほどで即留守電。3月末に名古屋に行ったときは忙しいということだったけど、やっぱり嫌われているんだろうか、なんて思ってしまう。


4月20日(日)

 NHK3次面接・健康診断の日。9時半からで、新浦安7:49発の電車で出かけ、カメラテストのときと同じように代々木で降りて明治神宮・代々木公園の中を歩いてNHK放送センターへ。代々木駅からの道すがら、代々木ゼミナールに掲げてある講師紹介のなかに畠山くんの写真を見つける。

 4階の控え室へ通され、予定表を受け取る。14時か15時ごろまでと言われていたので、JR東日本のときのように先に健康診断ののちに面接だろうかと思っていたら10:40から面接、12:40から健康診断とある。食堂の食券(700円まで利用可)が入っており、昼食がとれることがわかる。僕の用紙にはCグループと書いてあったけど、午前中にすべて終了するグループもあるようで、その人たちの書類には食券が入っていない由。

 9:40から面接や健康診断のグループの人たちが控え室からいなくなり、手持ちぶさたになる。見回すと新聞を読む人がちらほら。あいにく新聞は家に置き忘れてしまい、駅で買おうかとも思ったけれどそれも忘れていた。ちょうど隣の席の人が読み終わって手元に置いたところだったので、声をかけて貸してもらって読む。

 交通費代わりの1000円分のイオカードを受け取り(印鑑持参はこのためだった)、10:40になって、20階の控室へ移動。ほとんど最後のほうに順番が回ってきて、6つほどある面接会場(役員室らしい)のうち1つを指定されてその前で座って待つ。4階の控え室や20階の控え室でも周りの人と少し話したりしたものの、当然ながら緊張してしまっているので、JR東日本の最終面接のときのように黙想なんかしちゃったりして待っていると、職員の方が「瞑想していらっしゃいますね?」と話し掛けてこられて、恥ずかしくなってしまう。そこでは他社の受験状況などを聞かれ、おそらく雑談なのだろうけれど、趣味の鉄道のことなどについても話にのぼる。「そのまま鉄道会社に入るというのもいいんじゃないですか?」と言われて困ってしまう。

 順番が回ってきて、いったん部屋から出てきた人事の方から手順を説明される(人事の方が部屋に入ったらすぐに部屋をノックして……という感じ)。いざ、役員面接である。

 Web上ではいろいろ情報が飛び交っていたものの、和やかな雰囲気で「ラジオ深夜便をよく聴いているんだって?」「最近のラジオ深夜便で何か印象に残っていることある?」「鉄道が好きな人ってさ、子供っぽいと思わない?」「修論について1分〜1分半くらいで説明して」「アナウンス研究会とか入ったりしなかったの?」あたりを聞かれて10〜15分ほどで終了。

 終わったら4階の控え室に一旦戻って、1階の食堂で昼食。大学生協顔負けの安さにびっくりしつつ、この緊張のさなかなのでさっぱりしたものがいいな、とメニューをいろいろ見ていたら「上にぎり 700円」というのを見つけて即決定。先に食券を購入(今回の受験者の場合は支給されているわけだけど)するところ以外は生協のカフェテリアのような雰囲気で、ちゃんと寿司コーナーがあって注文を受けてからにぎり始めるのに感心。他の受験者に混じっていろいろ話しながら食べ、健康診断の時間が近づいてきたので控え室へ。

 健康診断は放送センター内の診療所にて。午前中で終了のグループでもアナウンサー志望の人には食券が支給されていて、僕のグループでもアナウンサー志望だけ分けられたのでなんだろうと思っていたら、耳鼻咽頭科の検診がある由(アナしか受けないので先生が午後だけ来るらしい)。その後、尿検査・身長・体重・視力・色覚・聴力・看護師問診・内科問診を経る。視力検査は左目がほとんど見えず、検査器にレンズをつけてもらってもう一度見ると、あまりによく見えてびっくりしてしまい、思わず「よく見えますねぇ」と口にしたら「矯正してますから」と事務的に言われて周囲の失笑を買ってしまった。昼食直後だったので不安だった尿検査は案の定引っかかり、「高橋さん昼食いつとられました?」「ご家族の方に糖尿の方いらっしゃいませんか」と言われる。去年の大学の定期健康診断でも引っかかり、散々再検査させられた上に血液検査をして「異常なし」だった旨を伝える。このとき言いそびれたけど、今年の定期健康診断では異常なかったし、昨年の血液検査で「腎性糖尿」(糖尿病ではないけれど尿から糖が出てしまう体質……特に病気というわけではないそう)だと告げられていたし、そもそも昼ごはんを食べてすぐだったのでさして気にせず、血液をとってもらって終了。

 健康診断で隣にいた人は僕と同じ面接ブースだったのにずいぶん突っ込まれたそうで、僕としてはカメラテストのこともあり、もう二度とあんな経験はいやだけど、そのほうが素の自分を見せられたのかもしれないなと思う。……でも僕自身のテンションとしてはJR東日本の最終面接のような感じだったし、もう終わってしまったことなので、なるようになるさと思うしかない。

 健康診断が終われば日程は終了。まだ14時。17時に鉄研の面々と馬場で集合するまで時間があったので、ふたたび代々木駅まで歩いていったん研究室に立ち寄ってから、すき家でミニ牛丼(180円)におしんこセット(100円)をつけて軽く食べたあと、「清龍」へ。ずいぶん久しぶりに来た気がするけれど、最近の鉄研現役会員は頻繁に来ているようで、その席に混じる。新入生がいたので「学生注目!」などやってもらおうとしたら、店員が飛んできて「他のお客様のご迷惑になりますので…」なんて言われてしまう。この店もずいぶん変わったもの。ずいぶん飲んで、帰りの山手線(新宿で座れたので中央線に乗り換えないでそのまま乗っていった)、京葉線でそれぞれ秋葉原、市川塩浜まで寝過ごしてしまう。


4月19日(土)

 空白の一日。家でダラダラするのもよくないなと思い、T嶋さんに替わってもらったツアーを無理言ってでもやらせてもらおうかな、などとも考えたものの、午前中は開店と同時にスーパー銭湯「常盤殿」に入ってさっさと帰ってきたあとはゆっくりすごしてしまい間に合いそうになくなる。

 それでも、ゲンかつぎに三品で食べておきたいな、と思い、土休回数券も有効期限が今週末までで明日は使う予定がないからそれを使って西早稲田へ。面接は明日だから思い切って「赤カツ」(760円)を食べる。相変わらず三品最強のメニュー(と私は思う)で、赤ミックス以上にきつい。

 そのあとは中央図書館の雑誌コーナーで「谷中・根津・千駄木」(参考)を読む。特集は「谷根千流こたつでみかんな生活」。いつもこの雑誌は興味深い。3階のW型ソファーで読んでいたら、下のほうからツアーらしき声が聞こえ、T嶋さんによるツアーが目の前を通る。

 そのあと、ガイド室に寄ってから、帰る。


4月18日(金)

 NHK2次面接(カメラテスト含む)結果通知の日。カメラテストでは散々怖い思いをしたけれど、我ながらそれにもめげずに思いのたけは充分伝えたつもりだったので妙な自信があった。3限の「社会調査法」(門内先生)にもぐり、帰宅後は早めにお風呂に入って18時を待つ。

 18時半からごはんを食べ始め、10分くらいして家の電話が鳴る。就活関連の電話はほとんどPHSにかかってきていたけどもしかして……と思ったら案の定電話を取った父が診療所からやってきて「NHKから電話」。

 1次通過のときはまだかまだか、やっぱりダメだったのだろうか、という思いのなかでの電話だったから、本当に感情剥き出しで大きなため息をつきながらの応対だったけど、今回はご飯が口の中に入っていたこともあって、「高橋秀暢さんですか?」「そうです(モグモグ…)」などと坦々としたやりとり。ちょっとまずかったかも。3次面接・健康診断は20日。印鑑と筆記用具を持ってくるように言われる。……もしここで落ちていても20日の毎日新聞の筆記試験を受けに行くつもりはもうなく、学生時代最後の早慶レガッタを見に行けないのは残念だな、と思いつつ、前回みたいに通知の次の日が面接、というのでなくてよかったな、と思う。逆に、ツアーを替わってもらわなくてもよかったかも、と思う。

 NHKを受けていることをあまり言っていなかったので、父は初耳だったようで、いったい何を考えているのかなどなど言われてしまう。せっかく最終面接まで来れたというのに、面接へ行く前に面接されている気分。とほほ。


4月17日(木)

 土曜のツアーに入ることになった。一回ツアーに入っておきたかったなと思っていたのだけど、よく考えてみたら、NHKの2次面接に通過していたら土曜以降に面接なのでもしかしたらバッティングするかもしれず(落ちていたら何もない日になるけど)、T嶋さんに電話して替わってもらう。


4月16日(水)

 カメラテストの前に三品で食べていこう、といったん鉄研の部室へ寄るも誰もいなかったので一人で赤ミックスを食べ、東西線、山手線で移動。月曜・火曜と涼しかったけど今日は2次面接のときと同じように、暑い。渋谷駅からNHKまでのごみごみしたところですっかりバテてしまった反省から、代々木駅で降りて明治神宮の中を歩いていく。森の中はウソのように涼しい風が吹いており、都市緑化の効果を身をもって感じる。逆に都市の気温を下げるにはこれほどの規模の緑地が必要なのかな、無理だよな、とちょっと悲観的にもなる。

 代々木公園の中を道に迷って公園職員の人に道を教えてもらいながら(手元の地図に載っている道が実際にはなかった)NHKのすぐ近くまできて、ひとやすみ。陸上競技場とサッカー場の間にはさまれたこのあたりも風が涼しく、心地よい。

 2次と同じく西玄関から入って受付を済ませて集合場所へ行くとすぐ名前を呼ばれて控え室へ。それでもすぐに始まってしまうことはなく、さらに4階の控え室にも移動する。ただ、紙を一枚渡されて、1分間の自己PRがあることを知る。カメラテストと言いながら、実質的には面接のようなものなのだろうかと一気に緊張が走る。

 僕のことを呼びに来た方は、2次面接で座っていた片方の方。スタジオの前で手順の説明を受けたあとの雑談の中で、エントリーシートに書いた旭川駅の読み方について触れられた。そんなに受験者一人一人のエントリーシートの中身が頭に入っているのか、それともその話題が印象的だったのか(それはないと思うけど)。

 順番が回ってきて、いざ、スタジオへ。広いスタジオなのだけど、緊張していて僕を写しているカメラと自分の座るべき机しか目に入らない。座ってしまうと真正面にカメラとその隣にいる面接者だけが目に入ってくる。

 「今日、ここにくるまで何か発見はありましたか」という雑談に始まり、さっそく自己PRの時間。大学名と名前を言ったあと、つまってしまい、しまった……と思ったとき「どうぞ、始めて下さって結構です」と言われ、つまったとは思われなかった、ラッキー、と少し気が楽になる。

 そのあとは、カメラに向かってではなく、面接者と「なぜ理系の大学院まで行きながら専門の仕事につかないのか」にはじまる普通の面接。……とはいっても、僕の話し方が冗長としているのか、常に途中でさえぎられて次の質問に移ってしまう。一番こたえたのは「NHKで何がしたいですか」という質問に答えたあとの「なぜNHKがそんなことをしなくちゃいけないんでしょうか」という質問。内心、えー、それ(しゃべった内容)が放送局の仕事なんじゃないのー、と思いつつ、「これからは、地域の時代だと思うからです」などと言ってのける。最後にニュース原稿読み。「行動」を「行為」と読み間違えてしまい、「最後の2行をもう一度読んでください」と言われ、2回目に同じ間違いをしてはじめて気がつき、あわてて言い直す。。。。。。。

 2次面接ほどではなかったものの、へこむことの多かったカメラテストを終えて、帰りは渋谷駅から電車。平気なつもりでいたけれど、思った以上にプレッシャーは重かったようで、いったん研究室に寄るなり「NHK怖かったよ〜」とつい口にしてしまう。

 再々履になる「生物学A」に出席して家に帰る。カメラテストのプレッシャーはさっき思った以上にさらに重かったのか、夕食を食べる気がまったくせず、何も食べないで寝る。


4月15日(火)

 夕方6時半から「魚民」で大聖研の呑み会がある。NHKのカメラテスト対象者には7時以降連絡があることになっており、あんな2次面接のあとだったけど、とりあえずPHSが圏外にならないか気になって仕方がない。結局会が終わるまでに電話はかかってこず、やっぱりカメラテストをするまでもなく不合格だったんだな、と思った。飲み代は3900円なり。

 久しぶりに高田馬場駅戸山口から帰るので、ブックオフで立ち読みなどしていたら突然PHSがブルブル震え始め、何事? と思うと液晶には番号非通知。えっ、、、と思いながら店の外へ出て電話に出るとNHKからで「高橋さんは、カメラテストの対象者になりましたので、明日14時にNHK放送センターへお越しください」なんて告げられる。どういう風の吹き回しだか分からないけれど、少なくとも「カメラテストをするまでもなく不合格」という線は消えたわけで、帰りの山手線の車内ではもういっちょうがんばってみようか、との思いを強くする。


4月13日(日)

 選挙サンデー兼NHK2次面接の日。未明2時からの「土曜深夜の喫茶店」(いちかわエフエム)、3時以降は「ラジオ深夜便」を夢うつつに聴く。

 今日の神宮はあきらめるかとも思ったけど、面接は16時からだし、今日の対東大戦は14:30からなので、エール交換くらい学生席でやってテンション上げていくか、六大学野球はいつも行っているし、そのあとのほうが自分らしさが出せるのではないかと思った。とりあえず投票に行って9時半〜10時ごろにカレーライスでブランチ。

 髪も伸びていたので行きがけに東京駅のQBハウスで切ってから、神宮へ。14時を過ぎていたけどまだ第一試合の慶應−法政戦が7回だそうで、いやーまいったな、始まらないうちに15時になっちゃうじゃないか、という予感は的中してちょうど第一試合終了後の両校のエール交換が終わった時点で15時。慶應側にいた早大鉄研の面々に混じって塾歌だけ歌う。

 それから外苑前から地下鉄で渋谷へ移動し、NHK放送センターへ。とにかく暑い。それに、エントリーシートの下書きをプリントアウトしたものやメモ書きのほか地図も家に忘れてきてしまったことに銀座線の車内で気付き、あせる。NHKでは前回のように1階ロビーで座って受付を待つということがなく、入り口を入って即受付。暑くて暑くて汗が止まらず、途中で立ち止まって汗を拭いたり、麦茶を飲み、そういえば麦茶に体温を下げる効果があるって言ってたのは「ためしてガッテン」だったっけなぁ、なんて思いながら7階の面接会場へ。5〜10分ほど待っただけですぐに順番が回ってきてしまう。昨日の今日だし、それにまだ汗がひいていない。気持ちの準備もまだだ。困った。しかし、助けてくれる人などいないのだ。

 「2番ブースの前のイスに座っていてください」と言われたのに、もうブースの前に立っていた人が「高橋さんですね?」と言ってきて即ブース内へ。落ち着くヒマもなく、すぐに席へつこうとしてしまう。「まず受験番号と名前をお願いします」と言われて、しまった、と席の脇へ立ち……えっと、受験番号、、、暗記してるけど、念のため、、、あれ、カバンの中じゃなくって、、、、あ、そうだ、上着のポケットにしまってあったんだ、「受験番号**、高橋秀暢と申します、よろしくお願いします」「どうぞ、おかけください」「失礼します」「あ。受験票はもうしまっていただいて結構です」

 「出身の中学・高校ですが、これはなんと読むのでしょうか」「コウギョクシャ、と読みます」「何か意味があるのですか」「はい、「玉(たま)を攻く(みがく)、、、えっと、『攻玉』をレ点読みして『玉を攻く』と言いまして、『玉』というのは自分自身という意味で、『他山の石をもって玉を攻くべし』という言葉が元だそうです」「東京のどこにあるのですか」「目黒から東急線でひと駅、不動前というところにあります」「ほう、そういうところにあるのですか、創立者は?」「近藤真琴といいまして、近藤真琴は、近藤真琴・福沢諭吉、えっと、あと誰だったか忘れましたが、明治の三大教育者の一人だそうです」「歴史がありそうですね」「確か、僕が高校1年だったかの時に創立、、、120周年だったか130周年だったと思います。文久3年の創立です」

 こんな感じのやり取りで始まり、地名と駅名の話や、鉄道が好きだそうだけどオタクじゃないのですか、鉄道会社に知っている人は? NHKでやりたい仕事は? そういう仕事好き? 研究領域とは全然関係なさそうだけど? ラジオ深夜便をよく聴いているそうですね、いま関心を持って見ていることは? 最近見たNHKの番組で印象に残ったものは? 他の放送局の受験状況は? 最後にこれ読んでみて、という感じ(聞かれた順番は忘れた)。ここに来る前に神宮へ行ってしまったのがいけなかったのか、暑くて頭がぽ〜っとしているなかでの受け答えだったので(言い訳)、以前のエフエム東京の面接みたいに聞かれたことにただ答えるだけに終始してしまう。おまけに「関心を持って見ていることは…」のところでは答えに詰まってしまい、ダメダメ。

 終わって放送センターを出たあたりでようやく頭が冷えてきて、玉社に関しては「文久3年創立」のあとに、もとは海軍士官学校へ入るための予備校だったことや、制服に名残があること、もともと竹芝=いまの浜松町付近にあって校歌にも歌われている(そこで校歌を歌ってみてもよかった)ことなど話せばよかったし、「関心を持って…」のところは、それこそ神宮球場での早稲田側の応援での新チャンスパターンやリーダーのテクの振り方についてのほか、チアのダンスが今年も変わったな、とか、間を作らずにどんどん言えばよかったのにー、と後悔しきり。ひとつ内々定があるので自信どころか安心してしまったのだろうか。それとも、それに対する負い目でもあったのだろうか。

 どちらにせよ、昨日連絡がきて今日だったから心の準備が…、とか、神宮へ行ってしまったから、とかは全然言い訳にならないだろう。心の準備云々では急に何かレポートすることになっても話にならないし、神宮云々なんて言っているようでは夏の甲子園でのレポートなんかつとまりゃしない。それに、前回の面接のときには念頭にあった「いつものツアーでガイドをしているときのような気持ちで」というのをすっかり忘れていた。思い出してみれば全然声も出ていなかったし、部屋に入ったときに面接者が背伸びをしているのがふと見えて「ああ〜、面倒くさがってるよ〜、どうしよう〜」なんてビクビクしていた。ツアーの集合場所、大隈会館内の校友サロンに行ってお客さまと初めて顔を合わせたときに、相手が全然やる気なさそうな顔をしていたって、いつもツアーはそれなりに組み立てているのに。。。あーあ。先週の金曜、久々にツアーに入ったのがお客さまのキャンセルでガイドが1人でよくなって無しになっちゃったんだけど、無理言ってでもやらせてもらうんだったかなぁ。。。

 新浦安駅で降りると風が冷たく、心地よい。やっぱり海辺の街だ。家に帰って風呂に入って昨日に続いて父が打ったそばを食べながらNHKの天気予報を見ていたら、今日の東京の最高気温は24度。どうりで暑かったわけで、スーツなんか着てないで半袖で行けばよかったなぁ、なんて思う。上着も着ないで面接に望む学生なんか聞いたことないけれど、学部1年のときに6月でもスーツを着て活動している先輩方を見て、自分のときは企業がなんて言おうと略装で活動してやる、なんて思っていたもので、就職活動時期が年々早まって4月第2週で内々定がひとつ出た身としては、上着を着ていても暑いと思わない時期にほとんど終わってよかったなーとは思っていた。そうは言ったって、ラジオの仕事をするならともかく、一時期どこかの紳士服店のCMで草野仁さんが言っていたように、テレビのスタジオはライトアップで灼熱の暑さ。……蛍光灯では機器にノイズが入る(と言われている)のですべて白熱灯だからなおのこと暑く、いちかわエフエムでは冬でも冷房が入っていた。……そういう中で仕事をしたいという人が吐くような弱音ではないだろう。それに面接の相手2人のうち少なくとも一人(もう一人はよく覚えていない)は上着着ていたし。

 それにしても、面接者2人のうち1人はどこかで見たことあるような気がするんだよなぁ、会ったことある人かな、とも思ったけど、きっとテレビに出ていたのを見たんだろう。

 「暑かった」に関連してもう一つ、去年7月末のオープンキャンパスで学ランにウインドブレーカ着用で汗ダラダラになりながら受験生相手に堂々とツアーをやっていたのは、どこの誰でしたっけねぇ。。。


4月12日(土)

 東京六大学野球リーグ開幕の日。雨の予報が出ていたけれど、何とかもちこたえてくれたようで、雨は降っていない。朝の天気予報でも東京は曇マーク。

 信濃町駅に早大鉄研の面々とK内がいて、ともに神宮球場へ。球場に着いたらK内が六大学野球オフィシャルクレジットカードの申し込みをするのを傍らで見て、「紹介特典はもうないんですよねー」「院生の方だと有料になってしまうのですが」「観戦フリーパスはクレジットカードがご自宅に届いてからになります」という係の説明を聞いて本当かなぁと思ってしまう。紹介特典がないのは「今年から」ということだったけど、去年、院に進学したばかりの僕が作ったときは年会費無料だったし(むろん今年も無料)、観戦フリーパスもその場でくれたのだが……。

 12時からの対東大戦は0-10で圧勝。チャンスパターンには新コールや新曲が出たし、攻撃のイニングのはじめに歌う応援歌は、いままで神宮では歌ったことのない曲が2曲、歌集に載っており(うち1曲は今日歌った)、覚えなくては。

 15時過ぎには球場をあとにし、このまま家に帰っても18時からのNHK1次面接・筆記の結果連絡が気が気で何もできそうにないのでH田とH田のお父さんと中野の大勝軒にて「つけそば」(480円)を食べてから、帰る。中央線に乗ってしまえば東京駅まで直通だけど、来週末までの地下鉄の土休回数券があと4枚もあるので、とりあえず1枚使う(新宿までのJRが150円なのに対して、高田馬場までの地下鉄が160円……回数券1枚あたり115円程度なのでおトクでもある)ことにして高田馬場まわり。

 17時半にはさっさとお風呂に入り、18時を待つ。いつまで待っても電話はかかってこず、18時半から夕食。コタツで父が打ったそばを食べていたら、胸ポケットに入れていたPHSが圏外になっていたりして気をもむ。

 19時を10分ほど過ぎたところで部屋に戻り、19時45分を過ぎてもかかってきやしないので、もう寝るか、とフトンを敷き始めたそのとき、PHSが鳴り、1次面接・筆記試験通過の連絡。なんと2次面接は明日だとか。。。

 キャンパスツアーガイドの先輩でNHKに勤めておられる方から電話番号なども教えてもらっていた(でも1回も電話などしたことがない)ので、とりあえず電話でアドバイスでも……と思ったけど、去年の終わりごろにキャリアセンター(旧就職課)通いをしていたころの僕がそんな感じだったのを思い出し、土壇場だからって他人に頼るようじゃダメだよな、と、やめて、敷いておいた布団に潜って21時ごろには寝る。ドアから漏れる明かりで分かるのか、階段を上ってきた父が「あいつ、もう寝てやがんのか」とぼやくのが聞こえた。


4月11日(金)

 今日はバイトが終わったらまっすぐ帰宅して、洗濯やら部屋の掃除をしたり日記をつけたり。JALシステムはリクナビに次回面接の案内がきていないので、1次面接で撃沈の様子。

 京成電鉄に辞退の連絡。何か聞かれたりするのかなと思いきや、電話に出た女性社員の「そうですか…」という残念そうな声だけでおしまい。担当の方が出たらまた違ったのかもしれないけれど。

 夜はJR東日本の1回目のリクルータ面談でお会いした方から「おめでとう」と連絡。この方からはバツ印の評価をいただいたとか風の便りに聞いていたので複雑な思いで応対。


4月10日(木)

 バイト終了後は、まっすぐ帰るのもつまらないのでガイド室へ。慰労会のときの写真を置いていこうと思っていたのだけど、忘れてきてしまった。さて帰るか、と思ったところで15時から海城高校のバイトがあったの思い出し、早稲田界隈に残ることに。まだ11時だったけど早めに昼ご飯にすることにして、オトボケでカツカレー(600円)。そういえばこの店で定食以外のものを食べるのは初めてかもしれない。

 その後、鉄研の部室に寄り、食べたばっかりだけど新入会員とともにエルムへ行ってカルボナーラ(480円……傾斜で600円)。

 再びガイド室で過ごしたあと、戸山公園での鉄研の新歓花見に少し顔を出した後、海城高校へ。酒気帯び勤務である。

 ガイド室にいる間にヨドバシから先日出したPC電源の修理代替品が届いたと電話があったので帰りに受け取り、帰宅後は疲れて20時過ぎには寝てしまう。


4月9日(水)

 JR東日本から最終選考の結果についての連絡がこないまま、また朝を迎え、二日酔いの頭で意味不明の言葉を連発しては社員の方に適当に流されながらバイトを坦々とこなす。

 帰宅途中、もと美浜酒店のセブンイレブンで立ち読みをしていたらPHSに電話。液晶に表示されている電話の主は「JR東日本リクルータ」……来たか。

 「高橋秀暢さんでよろしいでしょうか」「はい」「当社の最終選考の時点で、他社の受験状況としては…(中略)…ということでしたが、その後進展ありましたでしょうか」「京成電鉄は次回選考に進むことになっております」「そうですか」―――――――――――これは絶対、「そちらでがんばって下さい」っていわれるに違いない………。

 「高橋さんには、よいお返事を差し上げるための準備ができました」

 はぁ?

 「つきましては、“準備”の2文字を取るために、次の事をしていただきます。現在、話が進んでいるすべての会社に、辞退の連絡を入れてください」

 ……

 はぁぁーーー。。。やっと来たか。。。

 これが土曜日あたりならやったーとか言うところなのだろうけれど、大学では散々「もう決まったんだって?」「それが、まだ連絡こないんだよね…」の受け答えをしたあとだったので、なんだよーという気分。家に帰って親に言うと「なんだ、その他人事みたいな態度は!」などと言われてしまう始末。(^^;)

 それじゃ、京成電鉄には辞退の連絡でも……と思ったけど、どうにも落ち着かず、この日の夕方にあったJALシステムの1次選考にも行くことにする。こちらから連絡しなくても、向こうから落とされるというのも立派な辞退の仕方じゃないかと、わけのわからん理屈もつけて。

 りんかい線を天王洲アイルで下車。JAL本社ビルへ。りんかい線は高いけど、浜松町や品川でモノレールや都バスに乗り換えるよりは安い。厳戒態勢の入り口で手荷物検査を受けて中に入れば、1階ロビーの一角にある喫茶店ではピアノの生演奏(さすがに自動演奏だったけど)。選考受付の社員も上品。やっぱり航空会社は違うよなー、と思って控え室へ。グループごとに席が決まっており、あらかじめ自己紹介でもしててください、、、と言われ、僕を含めて3人グループで雑談をしながら出番を待つ。もう2人のうち1人がなんと浦安市民だとかでびっくり。

 社員3対学生3のグループ面接。しかし、学生の席は社員に向かってではなく、真ん中には机。グループディスカッションである。「学生時代の理想的な過ごし方について」で15分間。その途中で、その浦安市民の人が僕に向かって「高橋さんのような早稲田なら……」……って、お〜い、大学名は言わないように言われてたじゃんかよー。。。(^^;)

 その後はディスカッションに無関係な質疑応答。「松井秀喜を起用した当社に対し、A社はドラマ『GOOD LUCK』に協力した。どちらを選ぶべきだったか」なんて聞かれ、「いやー、JALだって『スチュワーデス物語』でイメージ向上したでしょー、質問として不適当ですよ、それを言うなら、JALの松井秀喜に対してANAの長嶋茂雄について聞くべきじゃないんですか?」と、そのままは言わなかったが、似たようなことを言っておく。2日酔いのなせる業である。

 終了後は3人でスタバ天王洲アイル店を履修。聞いてみるとその浦安の人は海外派遣にも行ったことがあるらしく、それじゃどこかで会ったことがあるのでは、という気もする。もう一人の人は慶應の環境情報の人。なんとなく態度がでかい。

 天王洲アイル駅のホームで大崎乗り換えの湘南新宿ラインで帰るという慶應の人と別れ、2人で新浦安駅まで。

 夕食は父が打ったそばと、なぜかハンバーグ。


4月8日(火)

 眠れぬまま朝を迎え、バイトへ。バイトはバイトなので坦々と仕事をして、今日は社員の方がかなり早く出勤されていたようで9時過ぎに終了。社員の方が「『新橋停車場』の取材立ち合いに行くけど、ついてくる?」と誘ってくれ、お言葉に甘えてついて行くことにして新橋へ。ライターの方、カメラマンの方、雑誌編集者の方、新橋駅の駅長さんとともに新橋停車場へ。

 東日本文化財団の方の案内で外観の説明を受け、いざ中へ。入り口真正面にミクニカフェがあってあららら、、という感じだけど、左側に入場無料の資料室。10日の一般公開以後は混むだろう、という言葉とともに財団の専務の方の解説で資料館を見学でき、非常に恵まれた。……明治政府で鉄道敷設を主張したのは伊藤博文、井上勝のほか、我らが大隈さんで、なにより日本初の鉄道模型(いまで言う“ライブスチーム”…公園やイベントなどで子どもを乗せて走るミニSL)走行が佐賀藩で行われたときに立ち合っていたというから、鉄道マニアとしてだけでなく、早大生としても興味深い。

 そのまま招待者向けの内覧会(昼食つき)に残られるライターの方と別れ、駅長さんとともに新橋駅へ戻る(外に出たところで交通新聞のHさんにお会いした)。……せっかくだから寄っていきなさい、と、駅長室に通され、真上を走る新幹線の音は気になるものの重厚な雰囲気の部屋でお話をうかがう。私が早大生だと言うと、ついこの間まで高田馬場駅の駅長をされていたとのことで、アトムチャイムの裏話など貴重なお話を聞くことができた。

 その後、東京駅まで山手線で移動したところで社員の方とは別れ、特に予定が詰まっているわけでもなかったからせめて新宿までいっしょにいたほうがまた何かあったかもなぁ、と思いつつ、御徒町で降りて吉野家で特盛の昼食(キャンペーン中で450円)ののち、多慶屋でカサを買い、ちょうど降りはじめた雨の中を歩いて秋葉原駅へ向かう途中に電話がかかってきて、ついに来たかと出てみれば大聖研の人で「きょう、本庄プロジェクトのミーティングだったんだけど、知らなかった?」と言われる。昨日はよく眠れなかったので非常に眠く、山手線で居眠りしながら行こうかなと思っていたのを、総武線に切り替えて、大久保キャンパスへ。

 本庄プロジェクトのミーティングは普段とうってかわってたくさん人がいてびっくり。そんな中でもうとうとしてしまい、これはいかんと配られた缶コーヒーが冷えてきたのを一気に飲み干し(少しこぼした)、寝るくらいなら、とInterLinkを取り出して日記をつけながら話を聞く。……僕には思いもつかないようなアイデアがたくさん飛び交っていて、理工系のディスカッションだなぁという思いを強くする。肩書きはすごいのに、振舞い方は必ずしもそれに相応しいようには見えない人も多く、(よい意味で)やっぱり理工系の現場だなと思う。

 終了後は大聖研の研究室開き。僕のもとにつくことになったB4(=学部4年)の学生から「ちゃんと指導してくれますよね…?」と言われてしまう。他の班は毎週何曜日と何曜日に来てどうとか…と具体的な指示を出しているらしく、特にこの班(いつのまにか「都市計画班」と名前がついている)は労働集約型の研究内容でもないし、それに代々のノウハウもないので、B4の学生さんのやりたいようにやってくれて結構なのだけど、、、指示どおりにやっていさえいればよいようなものでもなく、とりあえずは岩波新書の『都市と交通』(すでに絶版)を図書館からでも借りてきて読んで、あとはあちこちの電車やバスを乗って見ておいてと言っておく。僕自身、前にいた研究室では史上最悪の出来の学生だったようだし、頼られても困るんだよなぁ、などと情けない言葉が頭をよぎるけれど、その言葉は自分自身のためにも封印だ。……とはいえ、すくなくとも、来年度以降の身の落ち着け場所が確保できてからでないと。

 そのあとは銀座に移動して「小浜島」という店で、ワセダニアン・ナッツの面々だった人が集まってアメリカ大陸へ旅立たれるH色さんの壮行会。40度以上の泡盛を散々呑んで2次会のカラオケでは柄にもなく熱唱し、京葉線の終電の1本前で帰る。


4月7日(月)

 今日は特に予定もなく、バイトが終わったら家に帰って、ゲームに興じたり、夕方までゆっくり(だらだら、ともいう)過ごす。

 夕方になり、定期券を買いに新浦安駅へ。通学定期を買うのもあと2回。通勤定期が自動券売機で買えるようになって学生しか並んでいない長い行列も、あと2回か思うと感慨深くなる。ちばぎんでバイト代を引き出して郵便局へ移し(郵貯のATMで預入金額が指定=お釣りが出る=できたり、コインが使えるようになったので便利)、帰りはフーデックスで現像に出した写真の受け取り。

 夕飯のあと、久々にクルマでスーパー銭湯「常盤殿」に行き、22時ごろ帰ってくるとPHSに着信履歴があってかけてみると、JR東日本の1・2次面接でいっしょだったI井くんで、「内定出たでしょ?」と言われてびっくり。……あの〜、まだ何も連絡来てないんですけど、、、と言うと逆にびっくりされて、土曜日には連絡が来て、1日置いて落ち着いてから他の人に聞くとだいたい同じような連絡を受けていて、確かに数人はまだ連絡をもらっていない由。

 内定者には土曜に連絡があったとなると、縁のなかった人には今晩あたりかかってくるんだろうか、と急に不安になってきたものの、なるようになるさ、とさっさと忘れることにして寝に入る……も、PHSの置き場所が悪くて圏外になっていたとか変な夢をみて(現実にもそういうことはある)2時ごろに目が覚め、そのまま眠れずに4時になり、起きてしまうことにする。……結局この晩は、自宅にはいくつか電話はあって鳴るたびに起きてしまったものの僕宛てではなかったらしく、PHSも鳴らなかった。


4月6日(日)

 NHK筆記の日。おかゆで朝ごはんののち朝7時半ごろ家を出て駿河台の明治大学リバティータワーへ。筆記はやはり難しい。毎朝新聞の切り抜きをしているので、分かる問題も少なくないが、企業合併の問題ではNKKと合併した相手がどこだったかを最後まで思い出すことができず、間違えてしまう。数少ない持ち駒を減らしてしまうのは大変痛い。論述のテーマは「発」。「発つ(たつ)」と読むことにして、学生生活を終えて社会へ「発つ」にあたって、とかだらだら書いたけど、本当にだらだら書いてしまい、これはまずいなぁという感触。……同じ教室にしたくスタッフ時代の知人がいて、びっくりされる。マスコミの試験会場で知りあいに会うのは初めて。

 終わったらさっさと帰る。


4月5日(土)

 6時ごろ起きたろうか。ずいぶん寝た。PHSの留守録を聞くと、京成電鉄から次回選考のお知らせをしたいので折り返し電話を下さい、旨入っており、京成は土曜も半日勤務があるはずだから、9時半ごろ電話をかけてみたけど誰も出ない。

 11時ごろ早めの昼食(残りのカレー)を食べ、20分ほど寝てから着替えて東京ビッグサイトへ日経新聞の筆記。よきにつけあしにつけ、定期的にここへ来てるなぁ、りんかい線の回数券でも買っておくんだったかなと思いながら、強い風の中を国際展示場駅からビッグサイトへ歩いているとき、風向きが変わって、あっ、と思った一瞬のウチに傘が逝ってしまった。

 一般常識・英語はやっぱり難しかったものの、「遺産」という題の作文と「治安」という題の論文はよくできたという感触。あっという間に書き終わってしまい、余裕の表情。

 夜は父が打ったそばと近所の方がくれたというカキのフライ。昨日に続いて21時に寝る。


4月4日(金)

 NHK一次面接の日。バイトが終わってから研究室に行って、ようやく修論計画書に筆を入れたものを作って先生にメールで送信。理工バスで西早稲田へ行き、三品で赤ミックス(800円)の昼食。一昨日の京成電鉄の前にこれを食べていったら、なんとなくうまくいったような気がして、ゲンかつぎといったところか。

 ガイド室で思わず昼寝をしてしまったあと、学バスで高田馬場駅へ行き、山手線を原宿で下車。NHK放送センター内に郵便局があると知ってウロウロしていたら、「面接の方の受付はこちらですよー」と言われてしまう。折からの戦争ゆえ放送局は厳戒態勢で、おそるおそる郵便局ってどこでしたっけ、と聞くといったん外へ出て……などとずいぶん遠いようなことを言われたのであきらめる。

 集合場所のイスに座っていると、いろんな人が歩いている。あの人は上田早苗アナじゃなかったかな、とか、テレビで見る顔がそこらへんをフツーに歩いているのでびっくり(帰り際には池上彰キャスターも見た)。

 面接は1対1。はじめは緊張したものの、相手の方は本物のアナウンサーの方なのか、話しやすく、身振り手振りを交えてちょっとやりすぎかなと思ってしまうほどしゃべってしまう。吉と出るか凶と出るか。「学生さんのわりには、ずいぶん言葉を勉強されているようですが……」と言われたけど、本当にそう思われたのだとしたらうれしい。今回は“自分の番組”ができたな、という印象。

 家に帰ってからは夕飯のカレーを食べてさっさと21時ごろには寝る。寝付くか寝付かないかのころにPHSが鳴り、伝言に「京成電鉄の……」と吹き込まれるのが聞こえたけど、そのまま寝る。


4月3日(木)

 JR東日本最終面接の日。バイトを早めに切り上げて9時10分過ぎには集合場所のJR東日本本社ビル3階へ。今日のグループは6人で、玉社で中1のときに同じクラスだったF田くんがいてびっくり。

 先に健康診断。本社裏のJR総合病院の隣にある小さな建物で、身長・体重・視力・聴力・色覚・問診。視力はほぼ1年ぶりの計測だけど、右0.7、左0.2と出てびっくり。……そんな視力で普段メガネ、コンタクト無しで生活してたのか、と思ったら、測りなおしてくださいと言われ、もう一度やったら今度は左0.4で右は忘れたけど値が低くなっている。なんだこれーと思いつつ機械から出てきた紙を差し出したら、用紙には「右0.7、左0.4」と書かれる。一通り終えて、6人で本社ビルへ戻ろうと、外へ出たら検査の人が追いかけてきて、僕ともう一人の人は視力を測りなおしだという。……どうも裸眼で0.5よりも低いと問題があるらしく、今度は機械ではなく、立って片目を隠してやるオーソドックスな測り方をして、あれこれ答えているうちに「あー、見えてきましたね」なんて言われた。……なんだか自動車教習所の適正検査みたい(合格が出るまで何度もやる)だ。

 次は面接で、本社ビルの18階。毎朝バイトで入っているビルなので自分の出入証を持っているけど、当然のことながらゲスト用の出入証を受付でもらい、18階へ。……フロア案内によると「会議室」とあって、実際に降りるとこんなに立派なスペースがあったのかとびっくりするほど。地上18階に2階分の吹き抜けはあるし、木目調の落ち着いた雰囲気には、2年前の京成電鉄の最終面接(@本社役員室)なみにびびってしまう。控え室に通され、数人でトイレに行くと、眺めのよい場所にあって一同びっくり。……トイレそのものは普段使っている広報部のあるフロアのトイレと同じだけど、4階上なのでやっぱり視点が違う。

 緊張する気持ちを、めずらしく黙想(←玉社の伝統儀式みたいなもの)なんかして沈めたつもりになっていざ面接。前日に電話でおどかされて想像していたのとは違い、普通にアルバイトのこととサークルのこと、「何でも話せる友人」についてと「直したい性格」について。もっと質問されるのかと思っていたら、あっという間に終わってしまい、ちょっと拍子抜け。昨日の京成電鉄の面接もあり、それなりに自分をさらけ出してきたと思うが、吉と出るか、凶と出るか。

 6人分が終わったら、他のグループと合流して場所を移り「適正検査」。適正検査だったら前回もやったじゃんかよー、と思うのだけど、今回は「内田クレペリン式」というひたすら一桁どうしの足し算をやらされるもの。……鉛筆を動かす手も疲れるし、なにより頭が疲れる。公文式のスタッフをやっていたとき、2Aくらい(1桁の足し算)の教材の採点は解答集を見ないで暗算でやっていたけど、自分で答えていくというのは別なしんどさがある。始めのころは、頭の中で答えがどんどん出てくるのを手が追いかける感じだったのに、だんだん疲れてきて頭が答えを出すのを待って手が止まってしまうことも(1桁どうしの足し算なのだが)。若干の休憩をはさんで150〜250問くらいやったのではないだろうか。

 これが終われば晴れて最終選考は終了で、6人で昼食。14時を過ぎたので一足先にその場を抜けて新橋へ移動し、JR九州の選考会場になっていた航空会館へ。ここでも適正検査(性格検査みたいの)と面接。「あなたをブランドにたとえると何ですか」の問いには、つい「早稲田ブランド」と言ってしまう。学生が自分自身を大学ブランドに例えるなんて傍からみたらブランド名で就職しようとしてんのかと思われかねないのだけど、ガイドのことや神宮通いの例を挙げて、心の中までエンジ色、切ったらエンジ色の血が出ますよ〜みたいな話をしてフォローしたつもりではあるけど、どうなることやら。

 JR九州の方から東日本の選考は何やりました? と聞かれ、クレペリンをやらされて疲れました、と言ったら「あ、それ運転適正ですね、私も今まで3〜4回はやりましたよ」という返事。どうりで用紙の担当者記入欄に「在来・幹線」なんて書いてあって、一般企業でも使われるモノではなさそうだなぁと思ったわけだ。


4月2日(火)

 京成電鉄の1次面接が午後から。いったん研究室に寄ってから、昼は三品にするかー、と、新歓時期だから鉄研のH川くんに誰か新入生でも来てないか聞くと「いまから三品に行くところですから、部室に来てください」。。。なんと総勢13人で三品へ行って、全員赤ミックス。さすがにごはんが足りずに急遽炊き始めることになって三品のおじさんもびっくり。「文科系サークルなのに、どうして運動部みたいなことをするんだい?」……さぁ、なんででしょう。。。まぁ、文科系サークルとはいっても若いくせにそのくらい食べられないようでは困るという気はする。

 いったんガイド室に寄ってから、東西線と半蔵門線で押上へ行くと、時間ギリギリの14:30に京成本社到着。社員2対学生4。1分間での自己PRや、入社してやりたいこと、京成電鉄で活かせると思う自分の良い点はどこか、最後に誰か一人だけ質問ありませんか、を聞かれて終了。終了後は同じ時間の別の組だったK日向をモス押上店へ連行していろいろ話を聞く。

 そのあとは次の面接があるというK日向と半蔵門線で三越前まで一緒に行って、僕は銀座線に乗り換えて銀座で下車。シロタ画廊で開かれているとO村から聞いていた、A倉(玉社の同期にあたる)の個展を見てから、京葉線の東京駅まで歩いて帰る。


2002(平成15)年3月の日記


高橋秀暢/yonnan@plum.plala.or.jp