アンリ・ド・リュバク

歴史と霊

――オリゲネスの聖書理解――

1950

 朱門岩夫 意訳

2000


 

序文

 

誤って援用された多くのテキストを綿密に検討し、また普段は真価を認められていない多くのテキストを提示することによって、オリゲネスが寓意的解釈の狂人(le fol allégoriste)でないことを確証しようとすれば、どれだけ大きな仕事になることか。誤解はあまりにも根深く、多くの人を味方につけ、我々の偏見を醸成してきた。そのため今日でも多くの歴史家が、よく検討することもなしに、同じ誤りを繰り返している。この誤解に立ち向かった人でさえ、結局そうした誤解に追従しなければならなかった。たとえば、オリゲネスに寛大である自任する十九世紀のフレッペル(Freppel)がそうであった。彼は、「旧約聖書に関してさえ、オリゲネスの関心は」、一切の字義的解釈を「組織的に排除するところまで入っていない」と言っていたが。また現代では、テキストに基づいて研究していたにもかかわらず、ジュール・マルタン(Jules Martin)がそうである。ルネ・カデュ(René Cadiou)は、オリゲネスの象徴的解釈(symbolisme)についての優れた章の中でこう書いている。「アレクサンドリア人たちは、わけもなく、歴史を象徴的解釈の欲求の犠牲にした。ところがキリスト教の啓示は、まず歴史的な事実なのである」と。しかしながら現代人には奇妙なことに見えるかもしれないが、最初の数世紀におけるキリスト教思想にとって、象徴的解釈の関心の一つは、異教的古代が否定していた意味をまさに歴史に確保することではなかっただろうか。そしてオリゲネスは、ヘブライ人への手紙の次の言葉を、おそらく他の誰よりも巧みに注解したのではなかっただろうか。このヘブライ人の手紙は、我々が信じている「歴史的事実」をみごとに際立たせているのである。「キリストは、ご自分を生け贄としてささげることによって罪を取り除くために、ただ一度だけ、この世の終りに現れました」と。

寓意的解釈(allégorisme)という言葉は、オリゲネスの解釈と結びついている。この言葉だけで彼を理解しなければ、たしかにこのことは間違っていない。そして彼に寄せられる非難も、的を外しているわけではない。しかしこの言葉をもう一度よく理解する必要がある。それは、様々な意味を持つ曖昧な言葉である。この言葉が意味する事柄には、あるいはオリゲネスの場合にこの言葉が意味すると人々が思っている事柄には、彼の解釈の特徴を正確に述べるのには余りにも多くの偏見が潜んでいて、彼の解釈を正確に表現するのを妨げている。たとえば「象徴的解釈の過剰」や「度を過ごした寓意的解釈」という言葉は、何を意味するのだろうか。単に、「節度の欠如」や象徴の乱用が問題になっているのであろうか。それとも健全な解釈なるものがいずれ押し退けられなければならない何らかの根本的な誤りが問題になっているのであろうか。私は、まず、彼がこれまでに受け取った判断を明確にして、彼の解釈についての曖昧な問題を明らかにしたいと思っている。もちろん私は、オリゲネスを「弁護」しようとしたのではなく、オリゲネスが実際に考え、そして語ったことを単に知ろうとしただけである。

私の友人たちが、ルフィヌスのラテン語訳から、オリゲネスの『六書講話』(Hexateuque)を訳した。そしてこの翻訳は、後に、キリスト教古典体系(Sources Chrétiennes)に収録されることになり、私がその序文を書くように求められた。これが、この研究のきっかけとなった。『六書講話』は、徹頭徹尾、「寓意的」解釈(interprétation «allégoriques»)の巨大な宝庫といってよかった。このような講話の解説が私に課せられた。これに含まれる一風変わった解釈は、私にとって一つの刺激になった。しかしこの講話を有益に取り扱うには、オリゲネスの作品全体の中でそれを検討することが必要であると、すぐにわかった。クロスターマンがつい最近書いたように、オリゲネスの作品において、講話と注解が異なったジャンルに属しているという口実の下に、両者を切り離すことはできないのである。講話がオリゲネスの学問的関心を証する材料に満ちているのと同じように、注解は、霊的関心に満ちている。『諸原理について』や『ケルソスへの反論』などのその他の作品に関して言えば、これらの著書の貢献も重要である。しかし私がそれらの書の中に必要な情報を求めるにつれて、私に与えられた課題は、当初考えていたよりもはるかに大きな広がりを持っていることが明らかになった。「文字」ないしは歴史に与えられたその取り分を、与えられた解釈の中で測ることだけが問題なのではない。また、単に解釈だけが問題なのではない。私の前に立ち現れたのは、彼の全思想、彼の世界観全体であった。それは、オリゲネスがその創始者というよりも証人となっていたところのキリスト教についての解釈の全体である。言い換えると、「聖書の霊的理解」(intelligence spirituelle)を通して私に現れたのは、いわばオリゲネスを通したキリスト教そのものの自己省察であった。結局、私が捉えようとしたものは、初期キリスト教のもっとも特徴的な現象の一つなのである。

ここ数年来、同様の試みが多数行われた。あるものは、歴史的な試みであり、またあるものは教義的な意図でなされた。神学者と解釈学者は、それぞれの規準に従ってこの問題を深く検討した。ことある毎に「霊的意味」が話題にされた。有益な議論が交わされ、新しい観点が幾つも提出された。数々の伝統的真理がより明瞭に取り上げられた。これらの試みのおかげで、私の課題はかなり容易にされた。しかし完全な総合を得るには、時はまだ熟していなかった。冒険的な仕方で聖書の世界に入ることを私に強いたこの問題を、その全幅にわたって検討するどころか、私は、この計画の端緒に相変わらず留まっているのである。オリゲネスは、私の視野の中心に控えたままである。我々が問うのは、他ならぬ彼である。そして私は、彼を軸に身を据えている。この霊的解釈の歴史についての比類のない重要性を秘めた慎ましやかな一章が、それ自体、神学史の重要な一章となるかもしれない。

それゆえ私の意図は歴史的である。そして私の方法も歴史的であることを願っている。繰り返し言うと、私は、広範な読み取りと可能な限り文字通りの解釈によって、オリゲネスの言ったことを予断なく読み取り、彼の考えを探求しようと思っている。私は彼に対して、「彼が取り組む諸問題の枠組みの中で彼を厳密に見て、それらの諸問題に実質的に答える彼の教えをそれらの問題に則して理解することに成り立つ基本的客観性」を最善を尽くして確保するつもりである。まさしくこの客観性こそ、いくつかの従来の研究が欠いていたと私に思われるものなのである。そして私は、何よりもこの客観性に応じることに専念したいと思う。しかしこうした気遣いは、大変な事態に至らせる。それは、古めかしい研究書を通して、凝り固まった外面しか見ることのできない人たちの不当な客観性に対する反抗に嫌がうえでも向かわせるのである。それはまた、多くの誤読というよりも裏切りといってもいいようなほとんど取るに足らない正確さしか得ることのできないあまりにも非本質的な方法を乗り越えることへとたちどころに向かわせる。実際、オリゲネスのテキストに対しては、多くの誤読が行われてきた。しかしさらに残念に思われるのは、古来のキリスト教的伝統が検討してきた聖書の霊的理解という途方もなく大きな問題が、聖書の四隅に屑のように隠された「霊的意味」の数と価値に関するけち臭い討論にしばしば変えられてしまっているということである。この問題についてオリゲネスによって練り上げられた深遠な教えの内、彼の「寓意的解釈」(allégorismes)の「過剰」や「煩瑣」だけがしばしば取り上げられているのである・・・。典礼史ないしは制度史、さらにはいくつかの制限を設けた上で観念史や教義史に対しても、オリゲネスの「歴史的貢献」を云々することができるだろう。この場合には、通常のやり方を適応するだけで十分である。しかし偉大な知性の中で生きられ、省察された霊的総合が問題となるとき、「客観的」で「厳密に歴史的」な方法によるオリゲネスの思想の再構築は、大なり小なり不正確なものとならざるをえない。もちろんこのことは、この方法の欠陥を弁解するために言っているのではない。この方法の不可避的な不十分さを確認するために言っているのである。強靭な思考の核心に達するのに、純粋な客観性という主張ほど不適切なものはない。たとえば歴史家として何かを理解しようとするなら、好むと好まざるとにかかわらず、自分が読んだものをみずからに対して説明し、言い換え、解釈しなければならない。これには、危険が伴う。しかしこの危険は冒さざるを得ない。真の解明的な分析は、写真でもなければ、実際的な要約でもない。真の解明的な分析は、ほとんどいつも含蓄的なままである本質的なものを引き出すことにある。それは、隠された諸範疇を明るみに出し、幾つもの力線を特定しなければならない。それは、時と場所の特殊性の下で、永遠なものへと踏み込まなければならない。疑いもなくこの作業は、常に不完全である。解釈は、必然的に部分的となる。各時代のそれぞれの歴史家は、過去の偉大な作品に立ち戻りながら、その一面を明るみに出し、他の面を闇に残してきた。この点で、我々は、主観性を避けることはできない。しかし我々が研究する思想は、実際に考えられた思想であるだけに、この作業を回避することはできない。事実を再構築するのと同じような意味で思想を見出すことはできない。今日の思想、昨日の思想、昔の思想の如何を問わず、歴史学やその補助科学によって克服すべき諸問題の多少にかかわらず、思想には、歴史主義が容認しない内面が潜んでいるのである。

目下の問題の場合には、このような歴史主義は、二重の意味で欺瞞である。それはつまり、我々が、孤高の思想家の作品にかかわっているのでは決してないということ、そして我々にまったく関与しない問題にかかわるのでは決してないということである。思想家の作品は、我々自身を支えている伝承の中に書き込まれている。この問題は、幾世紀にもわたって様々な形態でキリスト教のすべての世代の人々に課せられている。結局すべての世代の人々は、同じ光の下にこの問題を解決しなければならない。したがってもしも我々の歴史的努力が、歴史主義に陥ってはならないとすれば、客観性を求める我々の努力も、客観主義に陥ってはならない。我々は、オリゲネスと同じ信仰に生き、同じ教会のメンバーであり、いわば同じ伝統の波に呑まれているのであるから、彼に対して部外の観察者として振舞おうとしても無駄である。このことは、イエスの使徒たちにまで遡る証言者の長い連鎖の中に立つ他のすべての人たちに対しても言える。そのことは、彼を「客観的に」理解することを我々に禁じるものとなろう。そのことは、彼に対して判断を下すための有効な判別原理の一切を我々から奪うことになろう。教会史のためにメーラ(Möhler)が援用する方法原理は、アプリオリにキリスト教思想史に当てはまる:「我々は、記述されるべき歴史のキリスト教に生きなければならない。そしてこのキリスト教は、我々の中に生きていなければならない。なぜならキリスト教は生命あるものだからであり、教会の歴史はその生命の展開だからである」。

  最後に、我々をたびたび面食らわせた数々の本文を前にして、これらの本文をかつて活気付けていた精神の動きを再現するためにいっそうの努力が必要になったと付け加えておこう。意図的な同情や、方法的な扱いやすさから、我々がオリゲネスの解釈を、あらゆる点で従うべき模範として提示することはできない。我々は、そのようなことからはかけ離れている。そんなことをすれば、我々の努力は、霊性主義的な考え方によく見られる「反科学的反動」に陥ることになろう。たしかに我々は、近視眼的な批評や誤った学問が存在することを知っている。真正の学問は、それ自体で完結するものではない。取り分けそれが、神のみ言葉を含む文書を対象としているときには、そうである。それにもかかわらず真正な学問は、不可欠である。そして我々は、この真正な学問と研究領域を奪い合いったり、その諸成果に見向きもしないような一切のものを危険なものと見なす。また我々は、オリゲネスに関して、その不十分さを明記すべきであるとすれば、それは霊性における不十分さよりも、技術的な不十分であると確信している。他方、我々は、この三世紀のアレクサンドリア人や彼の知的宇宙と我々とを取り返しのつかないほど分け隔てている距離を知っている。川の流れは、その源に遡ることはない。どのような奇跡が起ころうとも、そのような夢を実現することはできないだろう。しかしながら、合理主義と実証主義の干からびた大地を縦断して今日にたどり着いたオリゲネスの思想は、数多くの兆候が示しているように、久しく失っていた生気を取り戻し、永遠の要素を我々の内によみがえらせようとしているのである。かつてオリゲネスの穿った井戸が、砂で埋められて久しい。しかし同じ地下水は、今も昔も変わらずそこにあり、我々は汲み上げることができるのである。

 


第1章

オリゲネス論争

第2章

教会の人オリゲネス