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星空の下で、さよなら *帰国編*
なんだか凄く楽しい気持ちだった。
穏やかで、嬉しくて。
いつも傍らにある顔が、当たり前のように隣にあって。
二人でくだらない話をして。
見上げた先には、いつもと同じ、けれど同じであるはずがない星空――。
ひとつ、光が走る。ほんの一瞬、自分たちの真上で。
「ほら、とー・・・・」
見上げながら名前を呼ぶ。いつもそこに居る相手の名。
「直人、一緒にお参りに行こうー!」
心地よい温かな空気に包まれていた俺の耳に、不意にリアルなとーこの声が聞こえた。
White breath
「え?」
肌触りのいいカーペットから顔を起こす。テレビを見ていたはずだったのに、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
やけに気持ちいいと思ったら、毛布がかけられている。ばあちゃんがかけてくれたんだろう。
夢を見ていたらしい。
夢でまで星を見て・・・あれだ、この前ふたご座流星群を観れなかったせいかもしれない。
雨は降らなかったものの、低く重い雲が覆っていた所為で星はまったく見えなかった。
コートの下にセーターとトレーナーを重ね着して、とーこと二人カイロを手にしながら2時間粘ったけれど、さすがに諦めて帰路についた。
よく風邪ひかなかったなーとお互い笑った。
雨の降りやすいこの時期だから、ふたご座流星群を見れたことはない。
下手すれば雨じゃなくみぞれになるんだから、風邪引かなかっただけマシなんだけど。
「・・・今何時?」
「23時55分」
「うっ、わっ!」
まだ事態を把握しきれていなかった俺の耳元に突然声が降ってきて、思わず跳ね起きた。
夢なのか現実なのか、ごっちゃのままだ。
「そんな驚かなくても、まだ年明けてないよ?」
そうじゃなくて! と言いかけて、同じようにびっくりしてるとーこを見た。
「・・・・・・」
「直人? どしたの?」
俺の隣で小首を傾げるとーこを凝視してしまう。
「とーこ?」
「うん? 誰に見えるの?」
怪訝そうに問い返されてしまう。
いや、もちろん、とーこなんだけれど。
「その格好・・・」
茫然と呟いた俺に「ああ!」と、とーこは立ち上がり、自分を見下ろした。
はにかみながら、袖を持ち上げる。
「偶には着たら? って。」
つま先でぺんぎんが歩くようにちょこちょこと動きながら、とーこはターンする。
見慣れない姿に、一瞬心臓が跳ねる。
「可愛いわあ。とーこちゃん、お母さんに着せてもらったの?」
ばあちゃんの声に、びくっとする。
うわっ、ばーちゃん居たよ! って。
そりゃいるよな。俺んちだもの。
「着物着たのなんてすっごい久しぶりで。」
「かわいいかわいい。そうしてると、とーこちゃんも年頃の娘さんだねえ。」
照れながら答えるとーこが、やけに可愛らしく思えて首を振る。
んなわけねえって、自分に突っ込みながら。
ばあちゃんに請われるまま、背中を向けたりちまちまととーこが動く。
視線を外せずに見ていた俺に気づき、とーこは再び首を傾げる。
唇がいつもより赤い。
飾りのついていない髪がさらりと着物を滑り、またどきりとする。
こんなとーこは知らない。
「直人?」
「馬子にも衣装って、こういう時に使うんだろ?」
なんとか開いた口からでた言葉に、ほっとしてた。
"可愛い"と口走らなくて、安心した。安心しすぎて、自分を言い聞かせるために用意した余計なひと言まで飛び出してしまった。
「オンナだったのな?」
一瞬、とーこの顔が真冬の星空の下でも見たことがないくらい強張った。
さっきとは違う種類の鼓動が跳ねる。
言葉にすると、どきん、じゃなく、ズキンって感じか?
「・・・どーせね。」
強張った顔のまま、とーこが俯く。
さすがにヤバいと警鐘が頭の中で鳴りだす。
いつも軽口叩いてるから、つい「へえ」なんて笑ってしまってた。
その表情にとーこの眉間の皺が深くなる。着物姿が台無しだ、と残念に思う。そうしてるのは自分だってわかってるのに。
けれど、どうしてそんな風にあれこれ考えてしまうのかわからないから、次の言葉は思い浮かばなかった。
「・・・直人は知らなかったんだろうけど、一応、オンナのこなんですよーだっ」
だからイーッと顔を顰めて拗ねながらも、いつもの調子で言い返したとーこに安堵した。
ほら、いつものとーこだ。
ちょっと着物着たくらいで、か弱いだとか・・・可愛いとか、惑わされるな俺!
「もー日付変ったじゃん。二年参りしようと思ってたのにー。置いてくからね!?」
「そんなんで歩けるの?雪道。」
「大丈夫。ブーツだし。」
「なんだそれ!」
ふざけながら二人で外に出る支度をした。
勝手の違うとーこが、何度も転びかけるのを笑いながら神社に向かった。
あれから、何故かずっと、胸がズキンと痛んだままだった――。
今ならその原因ははっきりわかるのに。
その頃の俺は、気づかないままだった。
* * *
「こんばんは。」
約束していたよりずっと早くに直人の声がして、私は少し驚きながら玄関に顔を出した。
クリスマスを一緒に過ごしてから顔をあわせていなかったな、と思い出し、勝手に胸がドキドキしだす。
メールも電話もしていたけれど、直人は冬期講習に参加していたし、あたしは留学で補えない科目の補講に出たりしてたから。
ああ、なんだか凄く、凄く、嬉しい・・・。
言葉にしてしまうとなんだか恥ずかしくて、それは心の中で呟いた。
傍らに、当たり前のように居る。
それは数年前までは嬉しくて悲しいことだったけれど。
今は、それがとても特別なことなんだとわかるから。
遠く離れていた頃と違って、今は会いたいと願えば会える距離で。手を伸ばせば触れられて。
それがどれほど大切なことなのか、知ってしまったから。
――あたしばっかり、いつまでもドキドキしてる。
悔しいような、誇らしいような、複雑な気持ちに、あたしは駆け寄りたくなるのをぐっと抑えて直人に歩み寄った。
今夜は一緒に二年参りに出かける約束をしていた。
だけど、まだ21時を少しまわったばかり。
センター試験前に遠出はしないでおこうと提案したから、今年も地元の神社に行くことになっている。
直人は地元の国立一本に絞っている。
多分4月からも、あたしたちは別々の道を行く。それでも、お互いの手は離さずにいようと誓いあった。
傍から見たら、ままごとみたいな約束だってわかっているけれど。
「どうしたの? まだ早いよ? 」
直人を見上げれば、寒さの所為か、耳が赤い。
また雪が降り出していたようで、直人の髪やコートの肩に白い結晶がキラキラと光っている。
それをそっと払いながら訊ねると、直人は「うん」と頷いて、バツが悪そうに視線を逸らした。
指先に触れた雪の結晶が、熱に触れて溶けていく。
「・・・なにか・・・あった? 今日、行けないとか?」
少し不安になる。
だったらメールでもよかったのに、と続けると、直人が意を決したように顔を上げた。
耳だけじゃなく、頬も真っ赤になってる。
「お願いが、あるんだけど。」
「う、うん?」
なんだろう、まさか"別れてほしい"とか、言われちゃうの? なんて一瞬息を詰めたけれど。
直人の口から出た言葉に、あたしは思わず微笑んだ。
23時50分。
玄関チャイムが鳴って、待機してたあたしはゆっくりとドアを開けた。
雪が積もってるから、不格好ではあるけれどブーツを履いている。それでも、動きはぎこちない。
視線をあげられず俯いたままになっていると、頭上から声がかかる。
「もう、行ける?」
「あ、うん。大丈夫。」
それじゃあ、と私に右手を差し出して、直人は奥に向かって「行ってきます!」と声を張り上げた。
お母さんが「いってらっしゃい」と返して、「ちゃんと二人ともお参りしてらっしゃいよ?」と続けた。
直人があたしの手に指を絡ませ「はい」と答えた。
「行ってきます」と今度は二人一緒に言った。
暗闇の中、雪だけがほのかな明かりを携えて浮かび上がる。
一晩で積もった雪は靴底できゅっと音を立てる。
「雪、やんでる」
見上げると、雲の合間から星空がのぞいている。
あたしの声に、直人も足を止めて空を見上げた。
「キレー・・・」
冷たい空気に震えるように、星が瞬いている。
上空は風の流れが速いのか、雲がどんどん流されていく。
久しぶりに見た星空だ。
「ホントに綺麗だ。」
同じ感想に嬉しくなって隣の直人に視線を移すと、予想外にその瞳は天井を映してはいなくて、あたしをじっと見つめていた。
瞳はかすかに細められ、口元には笑みが浮かんでいる。
「そして、可愛い・・・」
「なっ!?」
自分に向けられた言葉だと気付くと、どうしようもなく恥ずかしくなった。
真っ直ぐに向けられる感情に戸惑ってしまう。
ゆっくりと力を込められた手に、あたしは心臓まで掴まれたように胸が苦しくなる。
呼吸を忘れてしまっていたのは、お互いだったようで。
そっと吐き出した呼気が、ふたつ重なる。
「・・・抱きしめていい? 」
訊ねられて、あたしのほうが困惑する。
あらたまって言われてしまうと、どうしていいかわからなくなる。
なんでそんなこと聞くの? と問い返せば「壊しちゃいそうで」と意外な言葉が返ってきた。
今日の直人は、どうしちゃったの?
「お、オンナノコに見える?」
「オンナノコにしか見えない。・・・いい?」
にこりともせずに答える直人に、あたしはもう何も言えなかった。
答える代りにトンと直人の胸に頭を預けた。あたしの心臓と同じように、直人のそれも嘘みたいに早く打ちつけている。
直人はまるで壊れ物に触れるように、あたしをすっぽりと抱きしめた。
耳元で「ありがと」と呟きながら。
「・・・すっげー嬉しい。」
「ど、して?」
「ずっと、言えなかったから。」
「え?」
「可愛いって。あの時も言いたかったんだ。」
あの時って? と訊ねる前に、直人はまじまじと見つめて眉を顰めた。
「・・・けど、寒いよな? 着物・・・」
直人の声が艶っぽくて、ぞくりとする。
どうしちゃったの、と冗談ぽく笑えば「どうかしちゃったの」と腕に篭められる力が増した。
「羽織着てるし・・・寒さ対策に、いっぱい着こんでるよ。・・・見たらきっと、がっかりしちゃうくらい」
「確かめたくなるけどいいの?」
「え」
驚いて顔をあげると、直人の唇がおりてきた。
触れるだけの優しいキス。
「・・・あけまして、おめでとう。」
「今年もよろしくね?」
互いに囁いた言葉は藍色の夜空に、白い息とともに吸い込まれていった。
* * *
「とーこ、めちゃくちゃ可愛いじゃん!」
「ホント?」
神社で一緒になったシンが、とーこの着物姿にめちゃくちゃはしゃいで近づいてきた。
高校生になったシンは、やけにとーこの隣に並んで離れなかった。
俺の中の得体のしれないムカつきが上昇していく。
「いやー馬子にも衣装だな〜」
「シンちゃん、それほめ言葉じゃないよ〜!」
「ええ!? 」
思わず笑い出してしまった俺に、とーこがきっと目を剥く。
「シンちゃんも直人もあたしをなんだと思ってんの〜?」
小さく振り上げたとーこの腕が着物の袖から覗いた。あんまり細くて驚いてしまう。
「そりゃ、とーこはとーこだろ」
目を逸らしながら答えた俺に、とーこは盛大な溜息を漏らした。
何故か、むしゃくした気持ちは少しも晴れず、俺も溜息を吐きだした。
隠しきれない感情に、まだ気づいていなかったけれど。
二人分の白い息が、冷たい空気に浮かび上がっていた。
隠せない気持ちのように。
2010,12,31