言葉にはしないけど。

3、遅めのブランチ

RRRRRRR・・・・・

「・・・・・」

リビングから響く電話のコール音で目が覚めた。
「・・・・!」
起き上がろうとするのに、腰に緩やかに巻きついていた腕が、ベッドから抜け出ようとする私の体を引きずりこむように力が入る。
「くう!」
「・・・まだ早いよぉ?」
くうの耳にはまるでコール音が聞こえていないかのようだ。
私に両腕を絡みつけて気持ちよさそうに目を閉じている。

「早いって言うけど」
私は身を捩ってベッドヘッドの目覚まし時計に手を伸ばす。
確か7時にはセットしてあったはず、なんだけれど、カーテンから漏れている光はどう考えても7時なんかじゃない。
眠る前には確かに飛び出していたはずのスイッチがOFFになっている。

RRRRRRRR・・・・・・

ああ、ほら、まだ鳴ってる。
「全然っ早くなんかないよ・・・! もう9時過ぎてるっ」
思わず悲鳴をあげかけて、くうの腕から抜け出してベッドから飛び降りる。
「チーズスフレ・・・!」
「?」
私の一言にくうが首を傾げながら起き上るのを横目に、私はすでにかなりの時間待たせてしまっている電話のもとへ走る。
留守電解除するんじゃなかった、なんて思いながら、こんなに根気よくコールし続けるのは誰か? を冷静に頭の中でリストアップしながら。

妹? ううん、美波(みなみ)なら、携帯にかけてくる。
母さん・・・だったら、せいぜい10コール。その後はやっぱり携帯。父さん? じゃないわね。
私の職場?
それともくうの?
じゃなければ・・・

RRRRRRRR・・・・・・

ベッドルームからリビングなんてほんの数秒。
だけど、私の頭の中ではそんなやりとりがあって。

「はい、松下です」

私が受話器を持ち上げた時には、私の考えがビンゴだったことに冷や汗が出た。

『空さん?』
「はい、おはようございます、お義母さま。」

ああ、やっぱり。

受話器を耳にあてたまま目を閉じる。
息が乱れないように注意して、受話器に手をあてて小さく息を吐き出す。声が震えていないことを願いながら。

『ああよかった。何度鳴らしても出ないから、もう家を出てしまったかと思ったわ。』
厭味ではないとわかってるけれど、私は「申し訳ありません」と電話に向かって頭を下げた。
「お待たせしてしまって・・・」

さすがに"ベッドに居ました"とは言いづらくて口ごもってしまう。
電話の向こうには見えていないというのに、頬が熱くなる。

『いいのよ、出なかったら空也の携帯にかけてみようと思っていたの。あのこに替わってくれる?』
「・・・はい、お待ちください」
保留ボタンを押そうと指を伸ばすと、そっと後ろから抱きこまれ、やけに重く感じていた受話器は上に引き抜かれた。
「母さん? 何?」

くうは保留ボタンを押しかけていた私の左手に自分の左手を重ね、顎を私に乗せて話し出す。
私は空っぽになった右手を胸の前で握りしめて、今度こそ大きく深呼吸した。
ほんの数回やりとりしただけ、それだけなのに緊張していた自分が可笑しい。

「え? ・・・・ったく。楓花(ふうか)らしいっていうか・・・。うん、わかったから。」
「?」

受話器の向こうから少し甲高いお義母さまの声が響いている。
何を言っているのかまでは聞き取れなかったけれど、溜め息だけは聞こえた。

「あーはいはい。・・・・・・しょうがないよ。大丈夫、明日も休みだから。」

電話に表示されている時刻に眩暈がする。
確か今日は早起きして、お義父さまが「美味しい」って言ってくださったチーズスフレを焼くはずだったのに・・・。

「そらにも言っておくよ。うん・・・それじゃあ」

くうはそう言って受話器を置くと、私の頭の上で大きな溜め息を吐いた。
私は大きく頭を反らせて、頭の上のくうを見上げる。

「どうかしたの?」
「今日の食事会、明日に延期」
「え?」

私が問いかけるとくうは私を見下ろして、ぷっと吹き出した。
私は疑問符を浮かべたまま見上げる。

「そら、首痛くなるよ」
「え? わわっ・・・!」

くうはくすくすと笑いながら私を抱きあげて、お姫様抱っこ状態のままソファーに座った。

「くう!」
「だって、そら、プレーリードッグみたい・・・」

行動と台詞がちっとも噛み合わない。
可笑しそうに笑うくせに、抱きしめる腕は優しいんだもの。
くうはくすくす笑いをやめられず、私の頭を撫でている。

「・・・う〜・・・」

私の行動が時々くうの何かをくすぐってしまうみたいで・・・まあ、そう嫌な気がしないのは、笑いながらもこうして甘やかしてくれてるのを感じるからだろう。
だから不満そうな声を上げてみたところで、本気で怒ってるわけじゃない。
そんなこと、くうは百も承知だ。

くうの腕の中でそっと目を閉じる。
心臓の音がトクントクンと規則的に拍動を刻む。
くうの胸の中は安心できるのに、落ち着かない。
ドキドキしすぎて苦しくなる。

重くないのかな。思い切り寄りかかってるのに。

そっと胸を押して起き上がろうとすると、ちゅっと鼻先にキスが落ちてくる。

「ひゃ!」
額にまで。
「くぅ・・・・!」

頬から火が出そうで、私は思わずくうの唇に両手をあてて阻止してしまう。
心臓が狂ったように打ちつけてる。

きっと、いつか胸を破って飛び出してくるに違いない。

「お、おしまいっ!」

苦しい息の下から、ようやくそれだけ言葉にすると、くうはふっと瞳を細めて私の指先にちゅっとキスする。

「・・・!」
「うん、これでおしまい。続きは今夜ね」

息を止める私と対照的に、くうはきれいに微笑んで見せた。

い、いつか心不全を起こすよぅ・・・。

心の中で呟いて、胸を押さえた。
結婚したばかりの頃は、あまりの恥ずかしさにすぐに立ち上がっていたけれど、さすがに7年も経つと少しは慣れたかな?・・・・違う。心地よさの方が勝るんだ。

長いようで短い7年という歳月。

くうの気持ちを嬉しいと思うから、そして私も同じように愛しいと・・・伝えたいから。

・・・でも、やっぱりドキドキしちゃってダメだ。

「楓花のやつ『調子悪いから延期』って。まったく、相変わらずだよな。母さんも『自分勝手なんだから』って呆れてた。」
顔を上げてくうを見つめれば、頭をソファーの背もたれに預けて苦笑してる。

「・・・楓花ちゃん、体調悪いの?」

楓花ちゃんはくうの妹だ。
私より5つ年下。くうにとっては、6つ年の離れた可愛い妹。
私にも妹がいるけれど、美波とは1つしか違わない。
性格が180度違う所為もあるけれど、私たちはいつも喧嘩ばかり(美波が一方的に怒り出すんだけど)だったから、くうと楓花ちゃんの仲のよさは目からウロコ、だった。

初めて会った時は、彼女はまだ13歳の中学生だった。
お義母さん似の美人さん(くうもお義母さん似なんだけど)。
くうのことが大好きで「初恋はお兄ちゃんなんだから!」とセーラー服で宣言されて。
・・・くうのような男の人が身近にいたら、当たり前よね。
「あんたなんかキライ!」そう言われたのは・・・籍を入れた日だった。
嫌われても仕方なかった。
でも、それから・・・・・・・・・まあ、いろいろあって。
楓花ちゃんとも普通に話せるようになって。

「・・・・」

胸がちくりと痛む。
馬鹿ね、こんなことでも、まだ苦しくなるなんて。

様々ことが昨日のことのように思い出される。
楓花ちゃんが少女から大人に変わっていくのを、私も身近で見て来たのだ。
今では「あんた」から「そらちゃん」に格上げしてくれた。
そんな彼女も、21歳。短大を卒業して、希望の化粧品会社に就職した。
かなり忙しいらしく、夏も逢えなかったのだけれど、先週お義母さまから電話があって"楓花がみんなに話があるっていうの"と呼び出されたのだ。

風邪でもひいたのかしら?ここのところぐっと冷え込んでいたし・・・。

「病気じゃないと思うから、心配しなくていいよ。」
くうが困ったように私の頭を撫でる。
そしてきゅっと優しく私を抱きしめて息を吐く。
大きな体を屈めるようにして、私の胸に耳をあてる。

・・・あれ?

「楓花を我儘にしたのは・・・俺にも責任あるんだけど・・・。」
「お兄ちゃんっ子だったもんね、楓花ちゃん。」
そんな言葉じゃ納まりがつかないくらい、だったけど。
「あれは・・・ブラコンっていうんだよ・・・ごめんな?明日も潰れちゃうな。」

なんだろう?
くうの表情は見えないけれど、泣きそうな顔をしている気がして、私もそっと抱きしめ返す。

「ううん。私は平気だよ?それにチーズスフレ作れるし。」

私より、ここずっと休日なしで仕事してたくうが2日間も休めるの?という疑問のほうが強かった。
部活に研修、それに模試の試験官。
くうの務める高校は私立だから、本来土曜日も授業がある。
今日は創立記念日でお休みだったのだ。
公立の私は土日休みだから、明日も特に予定はない。
もうすぐテストだから、来週はテスト範囲をもう一度おさらいする予定だから・・・。

「そのチーズスフレって?」
胸元で話されるとくすぐったくて仕方ないのだけれど、私は気にしないように努め、くうの髪に触れる。
「さっきベッドでも言ってた。食べたいの?」
「違うよ。持っていこうと思っていたの。」
「ふーん」
上手なわけではないけれど、楓花ちゃんもお菓子が好きだからちょうどよいと思ったのだ。

「・・・ねえ、目覚まし止めたの、くう?」
私が覗きこむようにして訊ねると、くうは悪びれもせずに「そうだよ」と囁く。
「時間を気にせず眠れるなんて、ここのところなかったからね。」
「おかげで遅刻するとこだったよ?」
「んー・・・もう一回寝る?」
くうが悪戯っぽく見上げるから、私は慌てて腕を解いて立ち上がり「もう起きます!」と勢い込んでキッチンへ向かった。
「仕方ない。俺も起きるか。」
うーんと大きく伸びをして、くうも後ろをついて来る。

・・・よかった。いつものくうだ。

さっき感じたくうの胸の痛みの正体はわからなかったけれど、私はほっと胸を撫で下ろす。
何にくうは痛みを感じたんだろう・・・?

「コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「コーヒー。ねえ、それじゃそら、今日はケーキ作りに専念するの?」
「そうだ・・・ね・・・午前中は?」
「そっか・・・」
「くうはゆっくりしてていいよ?」

ケトルを火にかけ、コーヒーメーカーもセットする。
お湯をセットした方が時間短縮できる。時間のない私たちのいつものスタイル。
くうは肘をついてそんな私を眺めていたけれど、私と目が合うと腕まくりして立ち上がる。

「ブランチは俺が作ろうか。」
「え?」
「フレンチトーストなんてどう?」
「いいよ、くう、座ってて?食べたいんだったら、私作るよー?」

本当に久しぶりだと思う。こんなにまったりしていられる休日。
なのに、くうは冷蔵庫を開けて卵と牛乳を取り出してる。
そして私の腕を引いて椅子に座らせると「そらはゆっくりしてな?」なんて笑う。

「どうして?くうの方が・・・」
「ん?だってさ、そら腰痛いでしょ?」

ウィンクして自分の腰を軽く叩いて見せる。
まだ俺も若いなーとかなんとか呟きながら。

また、私はかっと頬が熱くなる。

「だっ・・・そ、は・・・・!」
「ん?俺の所為だよ。だから今は座っていなよ」

ぎゃーーーーーー!と叫びたい。
これだから、くうは!
なんでもできてしまうくうはっ!
料理のできる男の人はっ・・・!

「そら、疲れてる時は甘いもの欲しがるもんな?」

恥ずかしさでこんがらがってしまっている私とは対照的で、くうは満足そうに卵を割ってる。
いつも以上に私に甘いのは・・・・その・・・・所為だ。
私は握りしめていた拳から力を抜いて椅子に寄り掛かった。

くうのフレンチトーストはとっても美味しい。

口の中が味を覚えていて、意気地のない私は、もう彼が作ってくれるフレンチトーストを心待ちにしている。
キッチンに立つくうは、いつも以上にスマートだ。
私は自分で料理していると、泣きたくなるくらいドタバタしてる(と思う)のに。
手際が良いくうを見ているのは、凄く気持ちがいい。
フライパンを動かす手つきなんて、ゾクゾクするくらい・・・・。

「・・・そら」
「はい?」
「なんか食べられちゃいそうな視線・・・」
「ひぇっ」

思わず両手で自分の目を塞ぐ。
そんなつもりないけれど、見惚れていたのは本当だから言い逃れできない。
知らず、そんな目で見ていたのかもしれない、そう思うと顔をあげられない。

「いいよ?そらなら、美味しく食べてくれるもんな。」
甘い香りと耳元への囁き。

「さあ召し上がれ?」
この誘惑に、私は勝てる気がしない。

普通は逆よね?そう思いながら、私はゆっくりと両手を下ろした。

遅めのブランチは、とても甘くて香ばしかった。

2008,12、30up

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