言葉にはしないけど。

4、嫉妬?独占欲?

(確か先週あったんだけど・・・)

『時代小説』と表示された奥まった書棚の前で、著者名あいうえお順に並んでいる本の背表紙に人差し指を向けながら、本棚の上段から下段、右から左へと視線を動かした。

読んでみたいな、と思いつつ、その時には1巻が見当たらなくて断念したシリーズ物。
しばらくは行くたびに本棚をチェックしていたけれど、その後(2〜3年前だったかな?)ドラマ化され、しばらくは棚に戻ることなく貸し出されていた。
予約するほど読みたい!というわけでもなく、人気が落ち着くのを待ってゆっくり読もうと思っていた。このシリーズに限らず、私にはよくあることだ。
先週なんとなく通りかかった時に見つけて、だけど予約していた本やら読みたかった本をすでに3冊選んでいたので、先送りしていた。

(なんだけど、まさか配置換えしちゃうなんて)

今週初めに図書館の整理をしたらしく微妙に配置が換わっていて、思わぬ苦戦を強いられていた。
名前順だけでなく、男性執筆者と女性執筆者にわかれていると気がついたのが先ほど。
今日もすでに予約していた本を一冊抱えていて、見つからなければ次回にしようと、思ってはいたのだけど。

(あ、あった!)

見つけて小さな幸福感に浸りながら本に手を伸ばす。
なんだかんだ、やっぱり嬉しい。

「あ、」
「え?」

近くに人の気配はしていたのだけれど、まさか同じ本に反対側から手が伸びてくるとは思わず、私は思わず小さく声をあげた。
一瞬怯んだ私に比べ、もう一つの手はまっすぐにその背表紙を掴んだ。

「あの?」
「あ、いえ、なんでもありません」

怪訝そうな声にそそくさと答えて頭を下げた。
私にほんの数秒前幸福感をもたらしてくれた背表紙が、今度はとんでもなく残念な気持ちにさせるものに変わってしまったことに内心溜め息を零し、踵を返した。

(また、今度ね。)

思いのほか気落ちしている自分に苦笑して歩き出すと「あの!」と肩を掴まれ、驚いた。
そんなに強い力ではないが、呼びとめられたことに体がびくっとしてしまう。
恐る恐る振り向いた私の視線の先には、ブラウンのパーカーを着た男の子が、右手にしっかりと本を持って立っていた。

モノトーンアッシュにカラーリングされたミディアムショート。街でよく見かける男の子の流行りの髪型。
10代後半くらい?だけど、長めの前髪の下から見えた瞳はやけに落ち着いている気がした。
それは手にしているのが時代小説な所為もある。
それに、どうしてかな、知らないはずの男の子なのに、何故か親近感を抱いている自分が居た。

こんな若い男の子でも読むんだ。やっぱり人気あるのかな。

「これ、どうぞ。僕もう読んだんで。」

男の子はにっこりと笑って、私に本を差し出した。
いつもの私なら、きっと心の中で「すみません」と叫んで俯いているだろう。
でもそれよりも、この男の子からは懐かしささえ感じて、私は目を瞬いた。
この笑顔を以前から知っている気がする。

「でも、読みたいんじゃ・・・・?」
「もう一回読もうかなって思っただけです。」

私の胸の前に本を差し出しながら、男の子はじっと私を見つめていた。
さすがにちょっとどぎまぎしてしまう。
私は「ありがたく、譲っていただきます」と手を出して本を受け取った。
男の子は「はい。快く譲ります」と笑った。

やっぱり、この感じは・・・知ってる気がする。

私はそんなことを考えながら、今受け取った本とすでに手にしていた本とをまとめて持ち「ありがとうございます。」と微笑んだ。

「・・・・あー・・・・あの」

「それじゃあ」と再び踵を返そうとした私に、男の子が声をかけた。

「はい?」
「あれ?気がついてない・・・とか?」
「・・・・え?」
「マジで?6月まで毎日顔合わせてたじゃないですか!?」
「?」
「あ、眼鏡!」

彼はそう言って、両手の親指と人差し指で輪っかを作ると顔に張り付けるようにして「わかりませんか?」と寂しそうに微笑んだ。

あ、あれ?

「・・・・・・・・神山くん!?」

私が素っ頓狂な声をあげると両手を顔から離して、彼、神山君は「はい」と笑って頷いた。

「酷いですよ、松下さん。半年も経ってないのに忘れちゃうなんて・・・」
「え、だって、そんなお洒落さんになっちゃって・・・!」

私が気付かなかったのも無理ないと思う。
神山君ったらすっかり今時の"大学生"してるんだもの。

「うわー久しぶりだね」

妙な親近感はその所為だったのね、一人納得して、懐かしい彼を見つめた。

彼、神山君は大学の後輩――といっても、ずーーーーーっと年下の後輩になる。なんせ彼はまだ二十歳だもの――で、私が非常勤として中学に行くまでは、学内の図書館でよく顔を合わせていた。

非常勤講師の職が決まるまで、私は教授のアシスタントのようなことをしていた。
図書館へ文献探しの旅に出るのが私の主な仕事だったこともあって、入学以来図書館に入り浸っていた神山君とは挨拶したりこっそりおやつを分けあったりする仲だったのだ。

勉強熱心で、お洒落とは無縁。
学内のどの場所より、図書館に居る時間が長い。
学生時代の自分を彷彿とさせるような、そんな男の子。

話すようになったきっかけは、私が本を見つけられずにいるのを見かねて、彼が手伝ってくれたことから。
そっか、あの時も、配置替えされて迷ってたんだっけ。
・・・・情けないけれどね、私の方が7つも年上なのに。

服装や合コンには興味を示さず、私の知る限りお付き合いしている女の子も居なかったようだけれど・・・・。
そんな彼が、今では真っ黒でボサボサだった髪をカラーリングして、服装も年相応のお洒落をしてる。
何より、トレードマークの黒ぶち眼鏡がない!

「妹が"改造する!"ってやったんですよ」

私の視線に気がついた神山君は苦笑しながら頭を掻いた。
「コンタクトなんです・・・」
自分でも自分の外見に戸惑っているみたいだ。

「来年、妹も入学してくるんですよ。推薦で決まって。それで"同じキャンパスに居るダサ男が自分の関係者と思われたくない!"と言われて・・・・。」
「わあ。おめでとう!うん、妹さん、きっと神山君を自慢したかったんだね。素敵だもの。」

私が笑いながら言うと、神山君はそれまでの渋い顔をふっと緩め「参ったな・・・」と、はにかんだような笑顔を浮かべた。

「松下さんって時代小説なんて読むんですね。」
「え?ああ、そうね、拘ってるジャンルってないから。なんでも読むのよ?」
「海外文学とかばっかりだったから、いつも抱えてたの。」
「あれは教授の資料だったから。神山君こそ、結構渋いのね。」
「僕もジャンル問いません。それに、これ面白いんですよ。」
「わー、それじゃ、帰ってから読むの楽しみだな。」

ゆったりとした口調で話す神山君に、私は懐かしさを感じながら笑いかけた。
見た目は変わっても、当たり前のことなんだけれど、ちゃんと私の知ってる神山君で、凄くほっとした。

「松下さんってこの近所だったんですか?」
「ええ。5年前からこの図書館の常連です。」
「そうだったんだ。そっか、こんな近くにいたんだ・・・」

感慨深げに呟いた言葉の後、神山君は何故か片手を口に持って行って黙り込んでしまった。
どうかしたんだろうか?

「神山君?」
「・・・・」
「あ、ね、これやっぱり私、後でいいよ?」

彼が渡してくれた本を取り出す。
やっぱり読みたかったんじゃないかな?
好きな本は何度読み返しても面白いもの。

私が本を差し出すと「や、そうじゃなくて」と顔を赤くして片手で本を押し止めた。

「・・・調子悪い?熱、とか?」
「・・・・・」
「神山君?」

心配になって覗き込むと、神山君は意を決したように顔を上げ「松下さん」と私の名前を呼んで真っ直ぐに見つめた。
思わず「はい」と間抜けな声で返事してしまう。

ひたむきな視線。

彼のその視線はいつも本に注がれていて、私はよく知っていたつもりだったけれど、こうして自分に向けられるとどうしていいかわからない。

「松下さん、あの・・・」

神山君は何か言いかけたけれど、驚いたように口を噤んだ。
私はいよいよ彼の体調が心配になってきて「ホント、大丈夫?」と彼に近づこうとした、けれど。

「そら、」

名前を呼ばれ、その声がやけにピリピリしたもので、私は反射的に回れ右して声の主を見つめた。
スーパーの隣にあるCDショップへ行くって言ってたから、私たちは図書館前で待ち合わせしてたんだけど。

な、なんで、そんな綺麗な笑顔貼り付けてるの?

私は慌てて時計を覗き込む。
約束の時間にはまだ早い。

遅れちゃった、というわけでもない、のに、なんでそんな怒ってるの?

「く」

う、と呼び返す間もなく、くうは私に歩み寄ると身を屈めて「これ借りるの?」と私の腕から本を抜き取る。
そして神山君に向き直ると「こちらは?」とにっこり笑いかけながら訊ねた。

「え、と、大学の後輩、現役のね。法学部2年生の神山君。」

やけに早口になってしまって、泣きたくなる。
ちゃんと紹介できないなんて、神山君に失礼だ。

「こんにちは。」
「こんにちは。」

私の気持ちとは裏腹に、二人は穏やかに挨拶を交わす。
でもね、くうの笑顔に神山君が緊張してるのがわかるの。伝わるの。
ああ、やっぱり他人な気がしない。
この絶対零度な綺麗な笑顔に見つめられたら、緊張しちゃうよね?

「神山です」

だけど神山君は偉かった。
だって軽く目を閉じた後、ゆっくりと開いた瞳に私を映して、とっても可愛く微笑んでくうを見た。
私なら、逃げ出しちゃうと思う。
・・・逃がしてもらえた例はないんだけれど。

「あ、神山君、えと、夫の・・・」
「松下です。・・・そっか、後輩か」
「?」
「あ、夫も卒業生なの」

私の説明に、神山君は何か憑きものでも落ちたような清々しい顔を見せている。

「あのね、学内の図書館で仲良くしてもらってたの。」
「もう忘れられてましたけど」
「ご、ごめんって」
「酷いです・・・」
「神山君〜!」

私がパニくってると「冗談ですよ」と、くすっと笑われる。
そんな私の隣で、くうが「ああ!」と声をあげる。

「そっか、そら言ってたね。『あんな熱心な新入生久し振りに見た』って。その彼だ?」
「うん・・・って、くう、よく覚えてるね?」
「そりゃ、ね」

ぽん、と頭を撫でられて、さっきまで空気をピンと張りつかせていたくうの空気が柔らかくなっていることに気がついた。
そっとくうを見上げれば、優しい眼差しで神山君を見てる。
さっきのは私の勘違いだったのかな?

「それじゃ、僕はこれで。また大学にも遊びに来てくださいね。」
「ええ。あ、これありがとう。」

ここでだって会えると思うのに、神山君はそれには触れず、くうにもぺこりと頭を下げて通り過ぎた。
ちょっと寂しいような複雑な気分で見送っていると、くうがそっと私の頭を抱いた。

「いい奴だね」
「うん?」

不思議に思う私の頭上で、くうは大きく息を吐き出した。

「・・・大人げなかった、かな・・・。」
「?」

頭の上に顎が乗せられているのでちゃんと見えるわけではなかったけれど、その言葉には自己嫌悪の色が強く滲んでいるような気がした。
どうやら、また私一人わからないらしい。
それとも、私が何かやらかしたんだろうか?

「うーーーーーん、と、くう、ごめんね?」
「なにが?」
「私がわかってなくて?」
「疑問形で謝られても」
「うっ」
「そうだけど、そうじゃないから、謝んないで?」

こつんと額に額をぶつけて、くうは私をじっと見つめた。
謎解きみたいなくうの言葉。
瞳の奥で、やっぱり何かが燻ってる。
なんだろう?
もっと覗きこもうと背伸びすると、くうが小さな声で「ここ図書館」と囁く。

「うぁっ!」

そうでした、ここは図書館です。
うっかり忘れてしまいました。

「こういう場所もいいね。なんだか秘密って感じで。」

くうが悪戯っぽく笑うから、私は真っ赤になって俯くしかない。
恥ずかしさでいっぱいになってしまっている私の左手をくうは持ち上げる。

「やっぱり・・・・・・・」

吐息のように小さく零された言葉は、私の耳には届かなかった。
左手に指を絡めて手を繋がれる。
何て言ったの?と訊ねようと顔をあげると、待っていたかのように唇が落ちてくる。

「!!!」
「物わかりのいい奴でよかった」

離れた唇から、そんな言葉が零れてくる。

私はまったくわからないよ!?
そう言いたいのに、言葉にならない。
くうはそんな私を見て「そらは知らなくていいんだよ?」としれっと言う。
私が言葉にしなくても、くうには伝わっているのに、くうの言ってることは全然わからない。

悔しい。
私だって、くうのこと全部知りたいと思うのに。

私が複雑な思いを抱えていると、くうは手を引いてカウンターに向かって歩きだした。

顔が赤いから、まだ待って欲しいのに、くうはまるでそれが心底嬉しいとばかりに笑って「そんな顔してちゃ、秘密がばれちゃうよ?」と耳元で囁く。

からかわれているのがわかるから、頬はますます熱を持つ。
「どんな秘密?」と少し怒った口調で問いかければ、くうはまた意味不明な言葉を紡いだ。

「嫉妬・・・・独占欲、かな。」
「嫉妬?」
「これは俺の秘密」
「?????」
「そらにも秘密。」

くうは自嘲気味に言って、私の左手をぎゅっと握りしめた。

2009,1、12 up

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