言葉にはしないけど。

6、夢の中の現実

ごめんね、ごめん。

何度も何度も心の中で呟いた。

大事にしてあげられなくて、ごめんね。

痛みも、何もかも、この喪失感には敵わない。

カウントされる数字。
遠のく意識。

目を閉じていても眼球の奥にまで届く光に照らされて、体が強張る。
冷たいものが、足に触れる。

――これは、裁きの光・・・

ごめんね・・・。

逃げ出してしまいたかった。
それでも、そうしてところで、もう取り戻すことはできない。

絶望を焼き切るような、光。
私を貫く。

私は恐ろしさに耐えきれず、目を開けた。



「・・・あれ・・・?」

目を閉じていることが辛くて、目蓋を押し上げるようにして両目を開いた。
薄暗いそこには、突き刺すような光源なんて、どこにもない。

(ここ・・・どこ?)

覚醒しない頭で考える。
薄暗い室内、体は柔らかなもので包まれている。

「ああ・・・」

首を傾げるまでもない。
ここは私の家、寝室、ベッドの上。
くうの腕の中。

(夢・・・)

ドキドキと早鐘を鳴らす胸に手をあてて、それまで息を止めていたことに気づき小さく息を吐いた。
夢の中で光にあてられた錯覚は、しばらく瞳を暗闇に慣らしてくれず、私は目を閉じた。

(今、何時なの?)

随分と早くに目が覚めて、私は内心自分自身に呆れてしまった。
夢見の悪さでもわかる。
なんて私の心は狭量なんだろう。

光の残像が消えていくのを感じ、私は瞳を開けて目が暗闇に慣れるのを待った。
時計の針が動く微かな音。
そして、くうの規則的な呼吸。
背中にはいつもと同じ、くうの気配。
私は意識的にくうの呼吸に自分のそれを合わた。
心地よさそうに眠るくうの髪が、そっと私の首筋で揺れる。

(くうの腕の中・・・)

恐ろしさと懺悔の気持ちで乱れていた呼吸と鼓動が、和らいでいくのを感じていた。
後ろから抱きかかえるようにしているくうの腕からそっと抜け出し、上体を起こしてベッドサイドの時計に手を伸ばす。

「!」

私は驚いて右手で頬に触れた。
ぽたり、とブランケットに何かが落ちたのだ。
頬は湿っていて、少しだけひりひりした。

やだ、私泣いちゃったの?

いくら夢見が悪いからって、泣いちゃうなんて。
慌ててパジャマの袖で涙を拭う。
同時に、まるで今の今まで自分自身を誤魔化していたのがバレてしまったかのように、涙がこみあげてきた。
意識した瞬間、視界が水の中に沈む。

「・・・っっ。」

ブランケットを引き上げて、口元を押さえる。
痛くて、痛くて、私は小さく背中を丸めた。
7年経っても、消えない痛み。
夢で見た光景が、あの頃へと心を引き戻してしまう。

「ん・・・」

声を殺して泣いていると、それまで枕に埋まるように眠っていたくうが小さく寝返りを打った。
そして左手が何かを探す様に無意識に動く。

「・・・そ・・・ら?」

瞳を閉じたまま、くうの左手は私の枕を探るように動く。
私はその手が私を救ってくれる唯一のものだと知っているから、そっと横たわって体を預けた。
くうの腕の上に頭を乗せると、ほっとしたような安堵の息を吐いて、長い指が私の肩を抱いた。
確かめるように、くうが頬を寄せる。

「もう・・・朝?」

涙が瞳の端に留まったままなのに、くうは私を自分の胸に抱き込むようにして耳元で囁く。
駄目よ、くうのパジャマが濡れちゃう!

「う、ううん。まだ早いみたい」
「そう」

掠れた声でそっとくうの胸を押す。だけど、くうはいとも簡単に私を抱き寄せた。

くうの体がぴくりと何かに反応する。

「そら・・・?」

そして抱きしめる為に回されていた腕が引き抜かれ、両手が私の濡れた頬に触れる。

ああ、気付かれちゃった。

ぎゅっと瞳を閉じると、長い指が頬をなぞり閉じた瞬間溢れてしまった涙を掬うように指先が動いた。

「・・・そら、泣いてたの?」

問いかける声が少しだけ悲しそうにくぐもる。
くうにはわかっているんだ。
何故私が泣いているのか。

「夢、見ちゃって。」
「・・・・夢?」

そして気遣うように私の目元に唇を落とす。
唇が離れ、私がそっと目を開けると、そこには心配そうに見つめる瞳が待っていた。
薄暗くても、くうは私の表情を読み取ってしまう。

「そら・・・」
くうの仕草と声色に、私はまたぎゅうっと胸が締め付けられて、縋るように彼の首に腕を伸ばした。
心配させたいわけじゃないのに。
いつまでこんな風なんだろう?

「久しぶりだったから、びっくりしたの。ごめんね、大丈夫だよ?」
「・・・いいよ、ずっとこうしててやるから」

優しく囁いて、くうは額にもキスをした。

「だから、息殺さないで。ちゃんと呼吸して。」
「・・・・うっ・・・ひぃ・・・ん・・・」

噛んでいた唇にそっと口づけられ、私はゆっくりとその戒めを解くように意識した。
間抜けな声を上げてしまうと、くうがくすっと笑う。

「そう、それでいい」

片手で私の頭を抱き、もう片方で私を守るように抱きよせて、くうは何度も髪を梳いた。
そうされているうちに私の心は凪いでいき、あの夢の痛みは薄れていった。




* * *




「あたし、この人と結婚することになりました!」

学生の頃より可愛さ…美しさに磨きがかかった楓花ちゃんが、玄関先で宣言した。

「私の旦那様、波多野 史明(はたの ふみあき)くん」
「は、はじめまして、波多野です。」

スーツを着込んだ波多野さんは、緊張しながらも綺麗に頭を下げた。
楓花ちゃんは挨拶する彼を待つのも耐えられないとばかりに彼の腕を引いて絡めると、にっこりと笑った。
そして、突然の宣言に驚いて声を出せずにいる私たちに向かって、幸せそうに頬を赤くしながら言葉を続けた。

「そしてね、この子のパパです!」

お腹に彼の手を引いて撫でさせながら、楓花ちゃんは誇らしげに胸を張った。
その瞬間、お義母さまは糸が切れたようにその場にしゃがみこみ、私とくうが後ろから支えた。
お義父さまは呆気にとられて二人を見てるだけで、声が出せずにいた。

「・・・・とりあえず、中に入って。ここじゃなんだから。」

くうが溜め息交じりで呟き、楓花ちゃんと波多野さんに告げた。
お義母さまは放心したように私とくうに寄りかかっていたけれど、くうの腕を掴んで縋るように見上げていた。
楓花ちゃんはくうを見て「そうね」と笑うと、慣れた様子で靴を脱ぎ、お客様用のスリッパを出して「どうぞ」と波多野さんを促した。
波多野さんは躊躇して、お義父さまとくうを交互に見た。
くうが苦笑交じりに頷くと、ようやく意を決したように「お邪魔します」とはっきり言って頭を下げた。
すると、それまで言葉を失っていたお義父さまが大きく息を吐いた。
そして「いらっしゃい。」と靴を脱ぎ終えた彼に、笑顔で手を差し出した。

「はじめまして。楓花の父です。」

唾を飲み込んだ波多野さんが、それでも安堵したように手を伸ばし握手する。
楓花ちゃんがほっとしたような顔で、くうを見た。
くうは困ったような顔でお義母さまを見て、それから私を見た。

「・・・ごめんな。」

ああ、そうか。
くうは知ってたんだね。
だから、苦しそうだったんだ。

「心配症だね、お兄ちゃん?」
「お兄ちゃんも楽じゃない。」

私が笑って言うと、くうは肩を竦めて答えた。

「お母さん、ただいま。・・・・びっくりさせちゃって・・・ごめんなさい。」

楓花ちゃんはおずおずとお義母さまの隣へ来て、頭を下げた。
それまでくうの胸の中に隠れるようにしていたお義母さまは、楓花ちゃんをそっと見て、それから深呼吸すると諦めたように「まったく・・・」と呟いた。
楓花ちゃんの頭に手を伸ばし、真っ直ぐな黒髪を優しく撫でる。
瞳には涙が浮かんでいて、複雑な感情が揺れていたけれど、やっぱり最後には愛しさが勝り、くうの腕から楓花ちゃんへと体を向けて頭を下げ続ける楓花ちゃんをその胸に抱きしめた。

「おかえりなさい。・・・・・・・・おめでとう。」
「お母さん!」
「・・・ちゃんと紹介してちょうだい?あなたが選んだ旦那さまを」

楓花ちゃんは堰を切ったように泣きだした。
そこは温かな光で満ちていて、私も嬉しくなって微笑んだ。
くうが私の手を握って、寄り添う。

「・・・波多野さんって、くうに似てるね。」
「そうかな?」
「うん。眼差しとか、佇まいとか・・・。」

波多野さんはコートを腕にかけたまま、楓花ちゃんとお義母さまを見つめていた。
その瞳は、限りなく優しい。
顔立ちも、雰囲気も、くうによく似ている。
多分、私たちと同じ年くらいだろう。

「ブラコン宣言してただけある?」

くうが耳打ちして、私は微笑んで頷く。

「さすが、楓花ちゃんだわ。」

お義父さまがお義母さまの肩をそっと抱いて「続きは座ってからにしよう」と声をかける。
お義母さまが腕を解くと、楓花ちゃんは微笑んでいる波多野さんからコートを受け取るとにっこりと笑った。

「こっちよ」

お義父さまがお義母さまを支えて歩く後ろに、楓花ちゃんたちが続いた。
私はくうを見上げ「お茶の用意、するね」とキッチンを指さした。
だけどくうは握っていた手を離さずに、私を自分の方へ引き寄せてその大きな胸の中に抱きこんだ。

「そら、ごめんね」

苦しそうに呟かれた言葉に、私はそっとくうの背中に手をまわした。

「・・・言ってくれればよかったのに。」
「うん」
「いつから知ってたの?」
「金曜の帰り携帯に電話があったんだ。・・・・言えなくて、ごめんな」
「知ってたら、お祝い用意できたのに。楓花ちゃんにも、波多野さんにも。」

声が震えないように明るく言うと、くうは腕の力を緩めて私を覗き込んだ。

「これからいくらでもできるよ。」
「そうだね。・・・楓花ちゃん、凄く嬉しそう。結婚だけでもびっくりしたのに、赤ちゃんまで。何ヶ月なの?」
「まだ2ヶ月。」
「気づいたばかりってこと?」
「めちゃくちゃなスピードだろ?」

くうの声は自嘲気味に零れた。
私はデジャヴを感じて苦笑した。

「楓花ちゃんらしいわ。」
「楓花らしい、だろ?」

本当に、私も嬉しかったの。
嘘じゃない。
驚いたのも本当だけど、こんなに嬉しそうな楓花ちゃんを見るのは初めてだ。
今までの元カレも、みんな楓花ちゃんにメロメロって感じではあったけれど、楓花ちゃん自身が"好き"という気持ちを溢れさせるのは、くうに向ける以外、見たことがなかった。
今までと違う。波多野さんに向ける楓花ちゃんの愛情が、みんなに伝わる。
私は"楓花ちゃんの大切な人を攫ってしまった"という後ろめたさから、少なからず解放された気がしてた。

そんな幸福感の中で、それとは相容れない感情が小さく息づく。

楓花ちゃんの幸せそうな顔も、お義父さまやお義母さまの驚いた中にも愛娘の幸せに喜んでいる姿も。
涙が浮かぶくらい、私は感動しているのに。

心の中で、何かが砕けた。

"おめでとう"と、笑う自分の片隅に、泣いている自分見つけてしまった。
でも、今は。

「お待たせしちゃ悪いわ。私も楓花ちゃんのお話、聞きたいもの。あんなに素敵な方と、どこで出会ったのかとか。」

笑顔で言うと、くうは苦笑して腕を解いた。
そしてまた私の手を握ると、「手伝うよ」とキッチンに向かって歩きだした。
私もくうの手を握り返して、小さく「ありがとう」と呟いた。




* * *



温かなくうの腕の中で、私は再び目を閉じた。
ベッドの中はどこまでも心地よい。

夢に見た光。
あれは、紛れもなく現実。
あれは、全部、過去に起きた、現実の出来事だ。

(ごめんね)

心の中で声にできない言葉を呟く。
くうだって痛みを感じてるのに、わかるのに、私はくうの腕の中で自分の痛みを抱えて丸くなる。

(くう、ごめんね)

私は、7年前、くうからの大切なプレゼントを失くしてしまった。
かけがえのない、大切な宝物を――。

2009,1、18up

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