イオ ( Chapter3) 6
「えええええええええ!!??」


カーサが大声で叫ぶ。イオがびっくりしたように「しー」と人差し指を唇にあてた。
「おきちゃうよー」
「ええ?!いや、だってお前!!…ええええ?!」
やんないの?って。俺が?俺から、シードラゴンに?この状態の、シードラゴンに?


だって今日のは違う。
今日のは、何時ものキスと全然違った。
切れ切れに囁かれた名前。上気した頬。切なげに寄せられた眉。
いつもの、しっかりして冷静な、落ち着いたキスと全然違う。
頼りなく上気した身体は、触れた先から熱に溶けてしまいそうだった。熱っぽくて、
甘ったるくて、心臓が爆発しそうになった。
そのまま寝かせてやりたいような、もう一度揺さぶって起してやりたいような、正反対の
感情に両方から強く引っ張られるような気持ちになった。

何でこんな気持ちになんのか分からねぇ。
だけど、こんな状態のシードラゴンにキスなんて無理だ。

いつものだって、未だにちょっと緊張してるくらいなのだ。
シードラゴンの方からキスしてくれるから、平気な振りが出来るのだ。胸のドキドキを
押し隠し、何でも無い振りが出来るのだ。



なのに、俺から。


こんな心臓バックバクの状態で。それも、何時もの偉そうな感じと全然違う、触っただけで
溶けちゃいそうな感じのシードラゴンに。
なんかよく分かんねぇけど、無理だ。今のシードラゴンにキスなんて、ぜってぇ無理だ。



・・・・無理だけど。


カーサがごくりと唾を呑みこむ。
無理だけど、もうこんな機会ねぇかもしんねぇし
シードラゴンにキスするなんて、きっとそうそうねぇし。
自分を見上げるイオの顔を、ちらりと見下ろす。
こいつだってキスしたんだし。しかも、なんか慣れてる感じだったし。

そう思うと、急にムッと怒りが湧いてきた。
そうだ。大体、俺がここに来たんだって、シードラゴンがイオばっか構うからじゃねぇか。
イオがキスしていいなら、俺だってしていいはずだ。
俺もイオも、シードラゴンから見りゃ、同じ「小僧共」 (この間、執務室でイオと騒いで
いたら、そう一喝されたのだ)じゃねぇか。
なら俺がキスしたって、おかしくなんかねぇはずだ。

よし、やる。
拳を握って、決意した。ベッドにぐいと片膝をついて上がり込む。そのまま、シードラゴン
の上に身体を乗り出した。陶器のように滑らかな頬に、恐る恐る顔を近づける。
「お…、おやすみ…」
小声で吃りながら眼を閉じた。バクバクと脈打つ自分の心臓の音が、脳内に煩いほど響き
渡る。思い切って顔を落とすと、自分の唇の先から、ちゅっ、と柔らかな音がした。


うわぁぁ―――――――――――――――!!!


跳ねるように身体を起こした。
全身の血が一気に頭に駆け上がって来る。思わず片手で顔を押さえた。
ほんとに、やっちまった。シードラゴンにキスしちまった、俺の方から、キスしちまった。
この薔薇色の頬に。この綺麗な顔に。
俺のもんみてぇに、キスしちまった。

唇がジンジンと痺れるように熱い。やべぇやべぇやべぇ。無意味に胸の中で繰り返した。
「カーサぁ」
背後から幼い声が呼び掛ける。弾けるように振り返った。
「シードラゴン、すごくよく寝てるね〜」
イオがしげしげとシードラゴンを眺めながら言う。
「…そ、そうだな。よく寝てるな!」
自分ばかり焦っている風なのが悔しく、必死で平静を装って相槌を打った。
「きっと、僕達がおやすみのキスしたからだね〜。」
嬉しげに断言したイオが、ニコニコとカーサを見上げて尋ねる。
「カーサ、上手にチューできた〜?」
「・・・ヘッ!当たり前だろ!つか、お前は出来たのかよ?」
上からな問い掛けに、さっきまでの対抗心が再び湧き上がってきた。思わずムキになって
尋ね返した。イオがあっさりと言う。
「わかんない。僕、初めてだから。」



「!!はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
眼を剥いて叫んだ。
「お、お、おまえ、いつもコレ、やってんじゃねぇの!!??!」
「やってないよー。だって僕、いつもシードラゴンより先に寝てるもん。」
イオがケロリと答える。
「でも今日は、シードラゴンが先に寝ちゃったでしょ?だから、今日は僕がおやすみの
キスしてあげよう、って思ったんだよ。いつもシードラゴンがやってくれるみたいに。」
得意げに顔を上げて言う。呆然とするカーサに小さな身体をぐっと近づけ、可愛らしく
興奮した声で耳打ちする。

「ね、明日シードラゴンに言おうね。昨日、僕とカーサでシードラゴンにチューしたんだよ
って。」



「――――――駄目駄目駄目!!!」
勢い良くイオの肩を掴んで叫んだ。
「駄目だって!駄目!止めろって!!」
「え〜?なんでー?」
「何でも糞もねぇよ。駄目だって!絶対、言うなよ!」
顔から火を噴きそうになりながら必死で言い聞かせた。何てこった。こいつがいつも
シードラゴンにキスしてるって思ったから。だから、俺も勢いでキスしちまった。
俺はそんな事、した事もねぇのにって。だったら俺だって、やっていいはずだって。
そう思って、あの綺麗な顔にキスしちまった。
なのに、こいつも初めてって。

うぎゃぁぁと走って逃げ去りたくなった。
明日、イオの話を聞いて、お前も?、と不審げに自分を見下ろすシードラゴンの顔を想像
するだけで憤死しそうになった。イオが納得いかなげに唇を尖らす。
「だって、ほんとにチュー・・・・」
「わ――――――――――――――――――!!」
イオの言葉を掻き消すように叫んだ。その声に、美貌の男が「う…」と小さく身動きする。
「!!と、とにかく絶対駄目だかんな!!じゃ、じぁあな!!」
慌てふためいて部屋を出た。顔が火傷したように熱い。何なんだよもう。殆ど泣きたい
気分で、長い回廊を真っ赤な顔で駆け戻って行った。




あれ以来、イオがしつこい。
「ねぇ、どうして言っちゃ駄目なの?」
ねぇねぇ、とカーサの腕を引っ張りながら延々と問い続ける。
いい事したのに、どうして言っちゃ駄目なの?シードラゴン、きっと褒めてくれるよ。
赤い眉をハの字に顰めながら、必死にそう食いさがって来る。

そりゃ、お前はいいけどよぉ。
カーサがイオの言葉を煩げに無視しつつ思う。
お前はまだ、そういう事許される年だからいいよ。しかもある意味、まだ赤ん坊みてぇな
もんだし。
けど、俺は違ぇし。
お休みのキスしてもらったから、お礼のキス、なんて年じゃもうねぇし。

大体俺、なんかあの時おかしかったし。
カーサの顔がかあっと赤くなる。
ほら、今でも思い出すだけで、こうして顔が熱くなっちまうし。
なんか良く分かんねぇけど、こんな状態で、何故お前までキスしたのだ?、なんて冷静に
シードラゴンに聞かれたら、顔が真っ赤どころじゃねぇ。マジで窒息するかもしんねぇ。
んなみっともねぇ真似、絶対やだ。つか絶対バレたくねぇ。
そんな事をひたすら考えていたものだから、イオの呼び掛けがだんだん切迫してきた事に
気付かなかった。


「ねぇ!!!」


しまった、と思った時はもう遅かった。
激しい勢いで右腕を引かれ、地面に引き摺り倒される。まだ治りきらない肘に、痺れる
ような痛みが走った。
…こいつ、また…!
何度目だと思ってんだ。頭にカッと血が登った。
「あーもう!うっせぇなぁ!!」
大音響で怒鳴りながら、ぶんとイオの手を払い退けた。

「褒めてくれる訳ねーだろ!?お前、何でシードラゴンが先に寝ちまったか、分かってん
のか!?」
今までの苛立ちを爆発させる様に怒鳴り付けた。
「お前が手間ばっかかけさせるからだろ!ただでさえ忙しいシードラゴンに、一日中纏わり
ついてよ!お前のせいで疲れてんじゃねぇか!なのに、何で褒めてくれるんだよ!!」
一度叫び出すと、もう止まらなかった。そのまま、一息に怒鳴り付けた。

「お前のせいで、シードラゴンが迷惑してんだろうが!!」


言ってしまった後で、我に返った。
眼の前で、夕焼け色の瞳がこれ以上無い程大きく開いている。
「・・あ!ち、ちげぇよ!!悪りぃ、言い過ぎた!!」
慌ててイオに詰め寄った。
「き、気にすんなよ!しょうがねぇよな。お前、まだちっちゃいし。それに、父ちゃんと母ちゃんにあんな事された後だもんな。ちったぁ誰かに甘えてぇよな!」
必死にフォローするカーサを、イオが無言で見詰める。
「うん、しょうがねぇよ。ごめん。俺が悪かった!だから、ほんと気にすんなって!」
骨張った手を振りまわして繰り返した。イオの眼にみるみる涙が溜まってくる。
やば。
そう思った瞬間、思い切り両手で突き飛ばされた。尻餅をつく自分を置いて、イオがダッと走りだす。
「ま、待てよ…!!」
起き上がろうと片手を床に付けると、肘にズキリと痛みが走った。思わず腕を抱えて蹲った。
もう一度顔を上げると、イオは既に視界から消えていた。













イオ7
イオ5
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