イオ ( Chapter3) 8
何なのだ。こやつ等、喧嘩でもしたのか。

眼前の子供達を見降ろしながら、カノンが思う。
先頃、カーサの提案で始めた沈没船捜査。財宝が見込める船が見つかった、との探索隊の
報告を受け、急ぎ古文書室へと向かった。この時間、イオに勉強を教えているはずのカーサに、
この機に海将軍としての指揮をとらせてやるつもりだった。
そうしたら、部屋はもぬけの殻だった。

奴等め、遊びにでも行ったか、と舌打ちし、雑兵にカーサが戻り次第、執務室に顔を出すよう
伝えた。
程無くして、カーサがひょこりと執務室にやって来た。
真っ赤に眼を腫らしたイオの、手を引きながら。

ちょっと驚いた。
イオまで連れてきたのもそうだが、良く見ればカーサの眼元も微かに赤く腫れている。
イオが泣くのはままある事だ。が、この様子は、どうもカーサまで泣いたらしい。
幼い時から身一つで世間と渡り合ってきたせいか、カーサは自分の前であまり子供じみた振舞いを見せない。大抵の事は、世慣れた大人の如くムキにならずに受け流そうとする。
イオに対しても、常に年齢以上の余裕を持った態度で接しているように見えた。


珍しい事もあったものだ。一体何が原因だ。事情を聞くべきか。
カノンが腕組みして首を傾げる。
しかし、正直、餓鬼共の喧嘩になど関わりたくはない。
互いに殺し合わんとする程の諍いなら兎も角、二人とも目立つ外傷は見当たらない。
何を揉めたか知らぬが、今こうして手を繋いでいる所を見ると、既に一応の決着は着いて
いるのだろう。
ならば、今更事情を聞いても無駄な事。気になる事は気になるが、わざわざ時間を割いて
餓鬼等の喧嘩に口を挟む暇など…


いや、待て。


カノンがふと顔を上げる。
そう言えば、先日イオの件でカーサに何か問われた気がする。確かその時も、こやつに
しては随分餓鬼臭い物言いをすると思ったものだ。あれは、何の話だったか…
蒼い視線を宙に向けて記憶を手繰り寄せる。
『シードラゴンさぁ、イオに纏わりつかれて疲れねぇ?』
そうだ、そう言っていた。薄い唇を子供っぽく尖らせ、訴える様に俺に問うていた。



つまり、そういう事か。
腕を組んで、眼下の黒い旋毛を眺めた。
この喧嘩の原因はそれか。あれは質問では無く、同意を求めていたのだな。要は、己が
疲れていた訳か。
フン、と鼻を鳴らして黒髪の子供を見下ろす。
相変わらず廻りくどい奴だ。そうならそうと、何故はっきり言わぬ。

ならば、イオの涙の説明もつく。
大方、纏わり付くイオを怒鳴り付けでもしたのだろう。そう言えば、先日も号泣するイオの
前で肘を抱えて困り果てていた(面倒だからそのまま捨て置いてしまったが)。諸々の忍耐が、
ついに爆発した訳か。
全く、と内心溜息をついてカーサの顔を見返した。
何故貴様はそう、良く喋る割に肝心な所を省くのだ。
イオの面倒が面倒くさい。疲れる。どうにかしてくれ。
きちんとそう訴えればいいではないか。貴様の方が余程面倒臭いわ。


まぁ、分からぬでもない。
大人びてはいるが、所詮は10歳の餓鬼。幼児の面倒を押しつけられる生活に、だいぶ嫌気が
差してしまったのだろう。
聖域で、「神のような」と謳われていたサガでさえ、時折、殉教者の如く悲壮に眉を顰め、
「耐えねばならぬ」とその大変さを俺に暗に愚痴っていたのだ。(ああいう愚痴の零し方は、
最高にあの偽善者らしいと思う)
ならば、この餓鬼が疲れても不思議は無い。


が、他に替わりがいる訳でもない。
あっさりとカノンが結論づける。
大して役にも立たん餓鬼の分際で、愚痴は言わせぬ。カーサには、これからもイオの面倒を
見て貰わねばならぬ。
「…何があったか知らぬが、貴様は言わばイオの兄貴分。弟の面倒を見るのは、兄として
当然のこと。泣かすのは勝手だが、無茶は許さぬ。良いな?」
殊更に凄みを利かせて言い渡した。カーサがペコリと頭を下げる。
よし、と頷き、今度はカーサの背後から恐る恐る覗くイオに声を掛けた。
「貴様も、余りカーサに迷惑を掛るのでは無い。分かったな?」


迷惑、の言葉を聞いた途端、イオがビクリと身を強張らせた。
「・・・・・う」
赤い唇が小さく震える。カーサが弾けるように叫び出した。
「い、いや!!俺、迷惑じゃねぇよ!大丈夫だ!ぜんっぜん、迷惑じゃねぇから!!」
「・・・・・・・?」
突然大声で喚き出したカーサを、カノンが不審げに見詰める。それに構う事無く、カーサが
ガバリとイオに向き直る。
「な!?気にすんな!俺、迷惑じゃねぇし!!」
「どうしたと言うのだ。」
眉を顰めて尋ねると、イオがくるりと振り返った。小さな唇が、シードラゴン、と震える声で呼び掛ける。
「…!ちょ、止めろよ!」
カーサが必死でイオの口を押さえようとする。その骨張った腕を、間髪入れず捻り上げた。
「言え。」
氷のような声で促した。イオがびくりと肩を震わせる。イオ、と再度低い声で促すと、紅色の子供は覚悟を決めたように顔を上げた。刃のように鋭く冷えた蒼い瞳に、緊張に張り詰めた声で問い掛ける。



「シードラゴンも、僕が迷惑なの…?」




…迷惑?


予想外の言葉に、カノンが長い睫毛をパチパチと瞬かせる。
「シードラゴンも、僕が迷惑なの?僕のせいで、疲れてばっかりなの?僕のこと、迷惑で
しょうがないの?」
涙に擦れた声で、イオが堰を切ったように尋ねる。
「止めろって、イオ!」
何とかカノンの手を振り切ったカーサが、強引にイオの肩を掴む。
「す、すまねぇ、シードラゴン!こいつ、今ちょっと興奮しててさ。ちょっとおかしな事…」
「おかしくないよ!」
イオが鋭い声で叫ぶ。
「おかしくない!僕が聞きたい事、おかしくないよ…!!」
しゃくり上げながら、もがく様に訴える。カーサが苦しげに顔を歪めた。
「イオ!」
「だって!!」
互いに悲痛な声で叫び合う。その有様を、唖然と眺めた。




何を言い合っているのだ、こいつ等は。
突如深刻に言い争いだした二人を、カノンが呆気に取られて見下ろす。
何を揉めているのか、さっぱり分からぬ。こやつ等、一体何を言い争っているのだ。
カノンが長身を反らして腕組みする。
何だか分からぬが、どうやらこいつ等は、俺がスキュラに「迷惑」してるかどうかで揉めて
いるらしい。


何を今更。
呆れる思いでイオの顔を見下ろした。
迷惑に決まっているではないか。この餓鬼、どれだけこの俺に面倒を掛けさせたと思っているのだ。
死体同然の身でやって来て、骨は繋いでやらねばならぬわ、飯は食わせてやらねば食わぬわ、
ちょっと回復したと思えば勝手に飛び出して迷子になるわ、挙句の果ては絵本まで一緒に
読んでやらねばならぬ。最初から、手間と迷惑の掛け通しではないか。


考えているうちに、段々腹が立ってきた。
そうとも。揉める余地など無い。貴様は迷惑以外の何者でもないわ。
それほど聞きたくば、はっきり言ってくれる。
「イオ」
低く響く声で呼び掛けた。イオがハッと振り向く。涙に汚れたその顔に、鞭のように
ピシリと言った。


「迷惑だ。」














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