Casa ( Chapter2) 6
随分と、醒めた餓鬼だな。


カノンが横目でカーサを見下ろしながら思う。
比べる対象が自分とサガしか無いからよく分らんが、その頃の自分達と比べても、この
餓鬼は随分と醒めている気がする。
リュムナデスの鱗衣を初めて装着した時も、そうだ。
何やら着心地悪そうに眉を顰めて立ち尽くすだけで、特に感激したような素振りは無かった。
海将軍に選ばれた事がどれ程名誉な事か、何度説明しても、へぇ、とか、ふぅん、とか
こちらの言葉を流すように頷くだけだ。

かと言って、別に「無口」という訳ではない。
碌に口もきかなかった初日に比べ、翌日からは普通に会話に乗ってくるようになった。
少しぞんざいな物言いは相応に子供じみているから、大人びている、と言うのともまた
違う気がする(それで言えばサガの方が余程大人びていた)。
要するに、こやつには海将軍となった己に、感激というものが全く感じられぬのだ。

唯一、「リュムナデスの最大の特徴は敵の最愛の人物を騙り、その命を奪う事だ。」
と説明した時だけ、僅かに心の動揺が見えた。
ああ、そうなんだ、と小さく呟く声が、それまでに無く苦い笑いを含んでいて、思わず
カーサの顔を見直した。
「…どうした?」
「…いや。何でもねぇよ。…たださ、俺がどうして『リュムナデス』に選ばれたのか、
分った気がしたんで。」
薄い唇を皮肉に吊り上げ、俺の「何が」ポセイドン様に見込まれたのか、分ったよ、と
暗いままの瞳で笑う。
何となく、不安な気持ちになった。
自分は強引に「シードラゴン」を騙った身であるから、鱗衣に「選ばれる」感覚は分ら
ない。けれど、この暗い瞳はそれを決して「誇り」には思っていない。笑っているが、
多分、本心では喜んでもいないのだろう。

聖域では自分の聖衣に誇りを抱かぬ者などいない。己の聖衣を得る為には、それこそ
血反吐を吐くほどの努力が必要だからだ。だから、カーサの醒め切りぶりがいっそ不思議
だった。装着した途端、強力な小宇宙が全身にみなぎる鱗衣。その魅力に、この餓鬼は
夢中になると思っていた。たちまちポセイドンに心酔し、忠誠を誓うようになるものと
確信していたのだ。
その力に酔う余り、この俺に歯向かうなどという愚を犯さぬよう、よくよく見張って
置かねば、と心に決めていた程だ。
それなのに、この餓鬼からは拍子抜けする程、鱗衣への情熱が感じられない。

それならば、と今度は自分の力を見せつける事にした。
深い海峡の底にカーサを連れて行き、そこから渾身の力を込めてギャラクシアン・エクス
プローションを放った。大音響の後、跡形も無く砕けた海峰に、カーサは細い眼を一杯に
見開きながら「すげぇ」と感嘆したように呟いた。
「そうだろう。これほどの力が、海将軍には与えられるのだぞ。」
思惑通り、己の技の威力がカーサの心に深い印象を与えたらしい事に、カノンが内心
ほくそ笑みながら言う。
「うん。小宇宙が星みたいにキラキラしてさ、あんたも、あんたの技もすげぇ綺麗だった。」
「…は?」
あんたは技も綺麗なんだね、と一人言のように呟き、また無表情に荒れ果てた海底
を眺める。


綺麗…。
カノンが暫く言葉を失う。
技を「綺麗かどうか」という観点から見た事など、一度も無い。そんなものが、一体
何の役に立つ。まして、その最中の自分の姿など、どう見えようが知った事ではない。
けれど、どうもこの餓鬼の心に最も響いたのは、その威力では無く、「綺麗さ」らしい。
そんなことが先に立つとは。つくづく、変わった餓鬼だ。
まじまじと見つめると、カーサがまだ幾分幼さの残る顔を深く俯かせる。そして、そのまま
何かを探る様な調子でカノンに問いかけてきた。
「…あんたはさ、俺に、何をして欲しいんだ?」


また、この質問か。
半ばうんざりしてカノンが思う。何を見せても、結論はこれだ。
自分に、何をして欲しい。何が望みだ。何をさせたい。
いつも、この質問で終わりになる。

何をさせたいかなど、とうに決まってるわ。
自分を窺い見る子供の顔を眺めながら、吐き捨てるように思った。
このカノンの野望の為、黄金聖闘士共を倒す道具にしたいに決まっているではないか。
が、それには貴様の「海界への忠誠心」が必須なのだ。
己の命惜しさに戦場を逃げ出すような腑抜けでは、到底聖闘士共を倒す事は叶わぬ。
貴様が海柱の為に命を惜しまぬ立派な海将軍に成長してこそ、俺の野望は叶うのだ。

胸にムカムカと怒りが湧き上がる。
それなのに、貴様ときたら一向鱗衣にも海界にも興味を示さぬ。
二言目には何をさせたい、何が望みだ、と尋ねてばかりで。
何で、貴様はそればかりなのだ。俺にそんな事を聞く暇があるなら、もっと海界に興味を
持て馬鹿者が。今の貴様に、出来る事など何もないわ。このカノンは、貴様のような年端も
いかぬ餓鬼に己の野望を託すほど愚かではないわ。

胸の中で毒づきながら、いつも通りの答えを返した。
「早く一人前の海将軍となれ。それが、俺の望みだ。」
「…うん。」
期待を外された、と言わんばかりの消沈した声で、カーサが青白い顔を俯かせる。日毎に、
落胆の度合いが強まって行く気がする。一体、この餓鬼は俺に何を言わせたいのだ。
「…戻るぞ。」
長いマントを翻して海中に飛び上がった。俯いたまま付き従うカーサに、思わず溜息が
出そうになった。





今日も、何も頼まれなかった。

定められた就寝時間、枕に顔を押しつけながらカーサが思う。額にはまだ、さっきの
シードラゴンのキスの感触がじんじんと残っている。
全然、飽きる事が無くて。
毎夜毎夜、あのキスを心待ちにしていて。長く伏せた瑠璃色の睫毛が、近付く度ドキドキ
して。
もう来てくれねぇんじゃないかって、毎晩心配して。
俺みてぇな役立たずにお休みのキスなんざ、もう止めてぇんじゃねぇかって、毎晩考えて。
役立たず。
その言葉が胸に浮かんだ途端、心臓が何時ものように痛みだす。泣き出したいような気持で
思った。

だって、無理なんだ。

シードラゴンの望みはいつも、俺が「立派な海将軍」になる事で。
だけど、それは無理なんだ。シードラゴンが望む程には、俺は強くなれねぇんだ。

すぐ分かった。
俺はあんな風にはなれない。初めて鱗衣を纏った途端、神殿全体を覆い尽くすように広がる
シードラゴンの小宇宙に、押し潰されそうになった。畏怖に震えだすリュムナデスの鱗衣を
制御するのに必死で、どうだ、と尋ねるシードラゴンの声にろくに返事も出来なかった。
レベルが違うのだと、全身で痛感した。
あの人は俺が一人前の海将軍になるのが望みだって言うけど、そんなの無理だ。
俺にあんな力はねぇ。あれが「一人前」ってなら、俺には一生無理だ。
この時代のリュムナデスが「俺」である限り、南氷洋の海将軍が「一人前」になる事は
絶対無ぇ。
シードラゴンの口から、繰り返し語られる未来の聖戦。
その聖戦に、俺は役立たずだ。



そしたら、嫌われちまう。


心臓にズキリと鋭い痛みが走る。
俺みたいな嘘付きな餓鬼、嫌うか利用するかどっちかで。
利用できねぇなら、嫌われるしかねぇ。顔も見たくねぇって、そこから追い払われる
しかねぇ。


嫌われたくねぇんだ。


使えるって、思って欲しいんだ。こいつは利用できるって。
嘘つきだけど利用できるって。薄気味悪りぃ餓鬼だけど使えるって。
だから、側に置いておこうって。
そう、思ってもらいてぇんだ。

胸の中のシードラゴンに、乞う様に訴えた。
あんたの望む物は、持ってねぇけど。嘘しか持ってねぇけど。
だけど、あんたの側に居てぇんだ。あんたのキスが欲しいんだ。
あんたは本当に綺麗で。
今日だって、本当に綺麗で。長い髪に金色の小宇宙を纏わせて、全身で星々を引き寄せる
あんたは、信じられねぇくれぇ綺麗だった。

シーツを掴む手に、ぐっと力が入る。
失いたくねぇんだ。
あんたにキスされて、初めて生きてて良かったって思ったんだ。
初めて、俺の人生は屑じゃねぇって思ったんだ。あんたにキスされる俺の人生は、
屑じゃねぇって思ったんだ。

あんたに嫌われるのが、怖いんだ。嫌われるくれぇなら、喜んで利用される。
どうしたら、あんたに必要とされるんだろう。
愛しい者の声を騙り、獲物を水中に引き込む魔物リュムナデス。自分自身の姿では、何一つ
手に入れられない。自分自身の呼び声じゃ、誰の足も止められない。
どうすればいいか分らない。どうすれば、あんたの側に居られるのか分らない。
骨ばった手が小さく震える。細い眉を苦しげに歪めながら、何時までもシーツを掴み
続けた。










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