Casa ( Chapter2)8 |
だから、何故そこで黙るのだ。 真っ赤になって俯くカーサに、カノンが眉を顰めて思う。 何故そこで黙りこむ。だから話が続かぬのだ。何故こやつは眼を合わす度俯くのだ。 なかなか、良いアイデアではないか。 沈没船の財宝か。資金源の為に、近々海底鉱脈を調査しようと思っていたが、沈没船の 存在は盲点だった。この餓鬼、見かけよりずっと目端が利くではないか。 それに、海将軍の自覚が無い訳でも無かったらしい。 顰めた眉から力を抜いてカーサを見詰めた。 あれほど海界の資金の事を気にしていたとは。あまりに切羽詰まっているので、はて 俺はそこまで深刻な話しぶりだっただろうか、と思わず記憶を辿ってしまった程だ。 あそこまで思いつめているなら、何故さっさと俺にこの馬鹿げた計画を打ち明けぬのだ。 「あんたは知らねぇだろうけど」だと?知らぬのは貴様の方よ。均整のとれた長身をぐいと 反らし、俯くカーサに胸の中で傲岸に言い放つ。 この俺が、聖域でどれほど盗品を売り飛ばしてきたと思うのだ。 一時は盗品で食い繋いでいたようなものだ。 最小限の、時には最小限以下の物しか与えられぬ生活。サガが遠方に慰問に行けば、 食料の支給は簡単に打ち切られた。「存在せぬ者」に、食事など不要だからだ。 最初は空腹に耐えかねて、双児宮の調度品を。 聖域の宝物殿に眼を付けてからは、遊ぶ為に。 遊ぶ金など無いはず、と不審を覚えたサガに感付かれ、気絶するまで殴り倒されても、 それでも止めなかった。岬に閉じ込められる直前まで、宝物殿に忍びこんでは盗品を 売り払っていた。 だから、知っているのだ。 盗品を扱う商人は、人一倍「贋作」を警戒する事を。 大抵の品物は疑ってかかる。まして仮面で顔を隠した怪し気な餓鬼の持ち込む物など、 どの店でも最初はあからさまに疑われた。 それでも金になったのは、その宝飾が「本物」だったからだ。 あの不思議な餓鬼の持ってくる物は「本物」だ。 商人の間で囁かれるその評判があればこそ、遊ぶ金が手に入ったのだ。 偽物を持ちこむなど論外だ。餓鬼が持ち込む、由来も知れぬ「沈没船の財宝」など、徹底的に鑑定 されるに決まってる。 そして、もう一つ得た教訓がある。 盗品は買い叩かれる、という事だ。サガの尽力で秘密裏に買い戻された聖域の財宝。 その金額を聞いて仰天した。貴様は二束三文で聖域の宝を売り払ったのだ、と改めて サガに罵倒され、その屈辱に歯噛みした。 正当なルートに乗せなければ、正当な価を得る事はできない。それを、痛いほど思い 知らされた。 この餓鬼とて同じだ。首尾良く相手を騙せたとしても、二束三文で買い叩かれては 何にもならぬではないか。 だから、最初からこの俺に相談すれば良かったのだ。 悪事についてはこのカノン、貴様など及びもつかぬわ。彫刻が一つゴミになったではないか、 馬鹿めが。 カノンが小さく溜息をつく。途端、カーサがビクリと身体を震わせた。真っ赤に染まった 顔が今度は一転して蒼褪めていく。思わず嘆息した。一体何故、この餓鬼はこれほど俺の いちいちに過剰反応するのだ。他の事には醒めた反応しかせぬくせに、俺が何かやる度に くるくる顔色を変えて動揺する。今だって、俺が何をしたと言うのだ。 ただ、溜息をついただけではないか。 ふん、と鼻をならして気分を切り替える。 まぁ、こやつに海将軍の自覚が芽生えていると分っただけでも、収穫とするか。 それなりの戦略をめぐらす頭もあると分った。大人相手に詐欺を仕掛ける度胸もある。 これなら、先の望みができたというものだ。 後は、この妙な遠慮が無くなると良いのだが。何か話す度にビクビクと俯かれては、 面倒で堪らん。 「…この中のものは全て元の場所に戻しておけ。よいな?」 ピシャリと言って帰ろうとした途端、悲壮な声が追いかけて来た。 「・・・ま、待ってくれよ・・・っ!」 思わずガバリと振り返った。見ると、カーサが今にも倒れそうなほど蒼白な顔で手を伸ばしている。 「何だ」 驚きつつ平静を装って尋ねた。カーサがぐっと息を呑む。そして、やっと絞り出したような、 震える声でカノンに問いかける。 「お、俺のこともう、あ、呆れちまったか・・・?」 「・・・呆れる?」 不審げに聞き返す声に、カーサがぐっと拳を握る。 勿論だ、と言われたら、その場から崩れ落ちてしまいそうな気がした。 勿論だ。貴様のような役立たず、もううんざりだ。出て行け。 そう言われたら、心臓が粉々になってしまう気がした。 さっき耳に入った、小さな溜息。呆れられた。そう思った途端、全身が凍りついた。 馬鹿な事をした。今更そう思っても遅い。引き止めなければ、シードラゴンは俺に呆れたまま 行ってしまう。そうして何時もの話が始まる。出て行け、と怒鳴られて其処から追い出される。 そこに、居られなくなる。 残っている物は、自分の言葉しかなかった。 嘘はもう手の内に無い。自分自身の言葉で、目の前の男を引き止めるしか無かった。 「お、俺が馬鹿な事・・・で、でもしょうがねぇんだ、俺、それしか出来ねぇんだ。」 舌を縺れさせながら話し始めた。嫌だった。自分がこれから話すことが。 自分の、本当の事を話すのが。 「お、俺、町じゃ『嘘付きカーサ』って呼ばれてた。…嘘ばっかつくから。」 緊張に掌が冷たく冷えていく。 「父ちゃんも母ちゃんも、俺の事が嫌いだった。あいつ等、お互い騙し合って結婚したんだ。 二人とも金持ってる振りしてさ。お互いの金目当てだったんだ。結婚して初めて、相手の 嘘に気付いたんだ。…もうそんときゃ、俺が腹にいてどうにもならなかったって。俺のせいで、 別れられなかったって。」 へへ、と唇を歪めて小さく笑う。 「嘘から生まれた餓鬼だって、二人ともよく言ってた。だからお前は嘘つきなんだって。…笑えるよな。自分達だって同じじゃねぇか。嘘つきの子供が嘘つきで、何が悪りぃんだよ。」 歪んだ口の端が小さく震える。 「…五歳で父ちゃんが死んで、暫くしたら母ちゃんに男出来てさ。俺、そいつから『母ちゃんが貸してくれって』って嘘の伝言して金騙し取って、パンとか買ってたんだ。それが バレて、『どういう育て方してんだ』って男が怒り狂ってさ。母ちゃん、『しょうがないの。あの子、 生まれつき嘘つきだから。あたしも困ってんの』って男に縋りついて必死で弁解してた。そんで、 男が帰ってから滅茶苦茶ひっ叩かれた。」 その時の事を思い出したように、痩せた片頬を手の甲で軽く拭う。 「…俺、すげぇ腹減ってたんだ。いつも、そいつが帰るまで家に入れてもらえなかったから。 …だけどさ、そん時言われたんだ。他所の子はそんな事しねぇって。腹減ったって、 よそ様から金騙し取るような真似はしねえって。なんであんたはそうなの、って。」 肉の薄い頬が強く強張る。 「そんな事しちゃいけねぇなんて、ちっとも考えなかった。あいつを騙すのが悪りぃなんて、 全然思わなかった。俺は母ちゃんの言う、『生まれつき嘘つき』なんだって思った。…結局、 その男とはそれが切っ掛けで別れてさ。それからは母ちゃん、『子供なんかいない』って 嘘つくようになった。家にもあんま帰って来なくて、食費も滅多にくれなかったから、 俺、今度は町中の奴らに嘘つくようになった。」 骨ばった肩をひょいと軽く竦めて続ける。 「それも、別に辛くなかった。つうかさ、嘘つくのが辛かった事なんか一度もねぇ。 むしろ良かったと思ってる。何年かして、母ちゃんが別の男と逃げてさ。それからは 俺一人になっちまって。それでも生きてけたのは、嘘つきだったからだ。皆に嘘ついて、 金を手に入れられたからだ。・・・・だけどさぁ。」 尖った喉仏が小さく震える。 「好きになっては貰えねぇよなぁ。当ったり前だよ。だって嘘ばっかついてんだもん。 しかもこんな狡そうな顔でさ。好きになんか、なるわけねぇよ。」 突然、熱い塊が喉に迫り上げてきた。何度も何度も繰り返された言葉。 あんたさえいなければ。 あんたさえいなければ。 本当は、聞きたくなかった。唇を噛んで、その言葉の棘をやり過ごしていた。 誰も俺をいらないなんて。誰も、俺を好きじゃないなんて。 母親すら、俺がいなけりゃいいって思ってるなんて。 そんなの、嘘だったらいいのにって思ってた。 『神様は貴方を許して下さるわ。そして貴方のお側に、いて下さるわ。』 いらねぇんだよ。 叩きつけるように思った。いらねぇんだよ、そんなもん。何で神様なんだ。何で、「誰か」じゃ ねぇんだ。 いつか誰かが俺を好きになってくれるって。誰かが、俺と一緒にいてくれるって。 何で、そう思っちゃ駄目なんだ。 何で神様に俺を押しつけるんだ。何で神様しかいねぇんだ。 何で、俺には「誰か」を思う事すら許されねぇんだ。 熱い塊がどんどん喉に這い上がってくる。何とかその塊を呑み下し、やっと平静な声で 続けた。 「俺もさぁ、そこまで図々しくはねぇから。好きとか、そんなのいいんだよ。だから、 せめて使ってくれよ。今度は失敗しねぇよ。ちゃんとやる。だから、追い出さねぇでくれ。 俺、ここに居てぇんだよ。」 あんたの側に、と心の中で叫ぶように付け加える。 「誰かを騙して来いってなら、騙してくる。嘘をついてこいってなら、嘘をついてくる。 そういう使い道だってあるだろ?餓鬼だからって、構うこたぁねぇよ。町の奴等だって そうしてた。あんただって、そうしてくれりゃいいんだ。」 目の前の男を見上げ、せがむように訴える。 「なぁ。俺は、それしかできねぇんだ。嘘つくしか、能がねぇんだよ。」 また熱い塊が喉にせり上がってくる。今度は上手く呑みこめなかった。ぐちゃぐちゃに 顔を歪め、泣き笑いするように相手に告げた。 「俺はさぁ、『嘘つきカーサ』だから。」 |
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