イオ ( Chapter3) 4

シードラゴンは、すげぇよね。


淡い月明かりの差し込む夜の回廊を歩きながら、カーサが思う。
すげぇよな。前から他の奴等と違うと思ってけど、やっぱ全然違う。
冴え冴えと整った男の顔を胸に浮かべて思う。
俺だったら、ちょっとイオに切れてる気ぃするもん。


だって、凄いのだ。
自力で歩けるようになると同時に、イオはシードラゴンに磁石のように纏わりつく様に
なった。
いや、磁石なんてもんじゃない。接着剤だ。
朝から晩まで、べったりシードラゴンに貼り付いている。食事は勿論、シードラゴンが
席を立つ度、「ぼくも」と手の中の物を放り出してくっついて行く。
例えでは無く、本当にくっついている。おかけで、シードラゴンはうっかりすると歩行も
ままならない。歩くシードラゴンの足すれすれに纏わりつき、勝手に蹴躓いてはコロコロ
と地面に転がっていく。勢いのまま子供を蹴飛ばさぬよう、瑠璃色の眉を顰めて立ち止まる
シードラゴンの姿を何度も見た。

引っ張り攻撃も半端無い。
ねぇねぇ、と一日中シードラゴンの腕を引っ張っている。聞いてるこっちの耳にタコが
出来そうな勢いだ。しかも、中々返事が返ってこないと、今度は突然、「ねぇ!!!」
と渾身の力を込めて引っ張ってくる。
自分も三回程やられたが、三回とも横倒しにすっ転んだ。

それも、三回目は、ただすっ転んだだけじゃない。
引き倒された拍子に、彫刻の台座の角に思い切り肘をぶつけてしまった。全身を突き抜ける
痛みに、思わず「ぎゃぁぁ!」と涙眼でのたうち回った。


あの時は、ちょっと本気で切れそうになった。
強引過ぎだろ。なんであんな切羽詰まってるんだ。ちゃんと「後でな」って言ってるのに、
聞きゃしねぇんだから。
ちょっと邪慳にされたくらいで、血相変えて引っ張って来やがる。
おまけに、自分で転ばしたくせに、転げ回る俺を見て大泣きだ。
「ごめんなさい」「ごめんなさい」って真っ青になって泣き叫ぶもんだから、なんか俺が
苛めてるみてぇな変な空気になっちまって、一般兵の訓練から戻ってきたシードラゴンに
「何をしてるのだ」って眼で睨まれちまった。
もう、こっちが泣きてぇよ、って感じだった。



凄いのは、シードラゴンの態度が全く変わらない事だ。
どんなに纏われ付かれようが、全く気にした風が無い。
足元に絡むイオにも、一瞬だけ眉を顰めたかと思うと、すぐまた元の平然とした顔で歩いていく。

突然の引っ張り攻撃にも、びくともしない。
それどころか、その力の強さに、「ほぅ」と興味深げに宝石のような眼を瞬かせ、その足で
イオを腕にぶら下げたまま訓練場に向って行った。訓練場に着くと、節の長い指でガシリと
イオの背を掴み、ぶんと空高く放り投げる。そして、落ちてきた子供を素早く抱き込み、
そのまま背中から地面に叩きつける。
「これが受身だ。次は自分でやってみろ。」
整った唇をニヤリと綻ばせて言ったかと思うと、再びイオを宙に投げ上げる。
結局、その日は体力を使い果たしたイオが地面にのびるまで、受身の特訓時間となった
そんな感じで、へばり付くイオを全く気にせず、どんどん技の基礎を教え込んでいく。

しかも、最近はそうした身体訓練だけに留まらない。
知力の面でも、面倒を見るようになった。
ある日、せっせと執務をこなすシードラゴンの脇で、イオが「これ、なぁに?」とある
文字を指差したのだ。
それは「魚」という単語だった。「読めぬのか?」とシードラゴンが尋ねると、イオは
あっけらかんと言った。
「「読む」って何?」

単語どころか、アルファベットの意味も知らぬイオに驚愕し、シードラゴンは即座に自分を
呼んで文字を教えてやるよう命令した。
最初は、「シードラゴンは?」ばかりで一向捗らなかった。が、シードラゴンが「今日は
どこまで読めるようになったのだ?」と一日の終わりに絵本を片手にチェックするように
なると、たちまち神妙に学習に励むようになった。
そんなある日、時間の都合がつかなかったシードラゴンが、就寝時間寸前に慌ただしく
イオの部屋にやって来た。
向かい合って確認するのが面倒とばかりに、自分もベッドに上がり込み、イオを自分の
膝に上げて絵本を読ませる。
それからはもう、毎晩それを強請って泣きべそだ。
おかげで、シードラゴンは執務室に仕事の山を残したまま、毎夜イオの部屋に行かねば
ならなくなった。


正直、自分だったら相当うんざりしてると思う。
一度、「疲れないか?」と尋ねた。
シードラゴンさぁ、毎日イオにべったり貼り付かれて、疲れねぇ?
そう言うと、シードラゴンは何時もの完璧に整った顔で振り向いた。
「海界の為に、イオを立派な海将軍に育てねばならぬ。全てはポセイドン様の為だ。」
端麗な面を上げ、自分の時と同じ言葉を、同じ口調で毅然と答えた。


だけどさぁ、やっぱり熱心過ぎると思うんだよな。
カーサがひょいと顔を上げ、波越しに蒼く輝く月を眺める。
すげぇ偉いけど。俺じゃ、とても真似できねぇと思うけど。
月周辺の微かな星明かりを眼を凝らして追いつつ、ちょっと不満げに思う。
シードラゴン、俺のこと忘れてねぇ?












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