自立ノススメ 2



一週間は、無事に過ぎた。
そして既に、今は二週間目の後半だ。
俺の指には相変わらず、ガードリングが嵌まったままだ。
アーヴィンの奴と擦れ違う度に、掌をぶんぶん振って指輪を見せ付けてやっている。はいはい、と
苦笑いするアーヴィンに、俺は「どーだ」と威張っているが、ほんとはちょっと気がかりな事がある。
つまり、その・・・実は、俺は何もしてねぇんだ。

スコールの奴は、あれから何も仕掛けてこなかったのだ。
奴がやる事と言えば、ただ朝晩二回俺の部屋に立ち寄り、静かに「まだ指輪を外さないのか?」と
聞くだけだ。それだって俺が「うん」と答えると「そうか」と一言返事して部屋を出て行っちまう。
そしてそれっきり、戻ってこない。
先週はずっと、この調子だった。そして今週に至っては、スコールはガーデンにすらいない。
週の頭から任務に出たっきりだ。しかも、俺はそれを知らなかった。つまり、スコールは俺に何も
告げずに任務に行っちまったって事だ。その後一回メールが送られてきたが、指輪の事には
全く触れていなかった。


何だろう。これって、どういう事なんだ。
殆ど無関心に近いスコールの態度に、不安だけがどんどん高まっていく。
指輪どこじゃねぇ。俺に対しても無関心ってやつじゃねぇか。何なんだこれ。
もしかして、これは新手の精神攻撃なんだろうか。
こうやって、俺の不安を煽って消耗させる作戦なんだろうか。
かつて経験した事の無いパターンなだけに、何とも判断がつけられない。
一体、スコールの奴は何が目的なんだ。


・・・・まあでも、考えてもしょうがねえか。
溜息を吐いて思った。
もしこれが消耗戦なら、考えれば考えるほど奴の術中に嵌る事になる。あんま色々悩まねぇ方が
いいよな。
そう結論付けた俺は、ベッドにゴロリと仰向けになった。
最近時間が余って仕方ない。はっきり言って暇だ。
この指輪を嵌めて以来、いや正確に言えばスコール自立計画発動以来、ずっとこうだ。
今までどんなにスコールに時間を独占されてたか、改めてしみじみと実感した。

かと言って、他にやる事もねぇ。
自然、思考はスコールの事に戻ってく。
まじで拍子抜けだ。あの独占欲の塊のことだ。どんな激しい攻防になるかと思ったのに。
張り切って部屋中に貼った赤い注意書きが、いまじゃむしろ異様に間抜けに思えてくる。


・・・・もしかして俺、自信過剰だったか?


ボリボリと頭を掻いて思った。
スコールは俺から離れるのを凄く嫌がるだろう、なんて一人で勝手に決め付けて。こんなに警戒して。
ふと、思い出した。
そうだ。大体、元々この計画はあいつの一言が原因だったじゃねぇか。
俺はあれで、スコールの本当の気持ちに気が付いたんだ。


確かに、俺は「スコールの恋人」なんて立場は嫌だ。
叶うなら、元の友人関係に戻りたいと思ってる。今でも、男とセックスしてる自分がちょっと信じ
られない。
けど、それはスコールだって同じだ。
今の自分の立場が信じられないのは、スコールだって同じなんだ。


ガーデンの誇る伝説のSeeD。誰もが見惚れる美貌の男。
本当ならそんな奴、どんないい女だって選り取りみどりのはずなんだ。
それが俺みてぇな男を好きになっちまったばかりに、この有様だ。
大した取柄もねぇチビ野郎に、事ある毎に「甘ったれ」だの「しつこい」だのほざかれて。大喜びで
OKすると判ってる女達に囲まれながら、邪険な男の尻を追いかけ回してる。
むしろスコールの方が、よっぽど自分の立場が信じられないだろう。


『・・・・放せなんて言うな。俺だって、お前のせいで苦しい』


抱きしめられた背中越しに、吐息のように囁かれた言葉。
その言葉には、思いがけない深みがあった。隠し切れない、本物の苦味があった。
だから気づいた。
これはスコールの本心だと。スコールは、本当に苦しいのだと。
俺を好きな事は、スコールにとって苦しい事なのだと。

掌で虹色に輝く指輪を見詰めながら、小さな溜息を吐いた。
そうだよ。何で俺が全財産叩いてでも、この指輪を手に入れたかったのか。
スコール自身、俺との関係に苦しんでるって気付いたからじゃねぇか。

ゆっくりと頭を振って思った。
なら今回のスコールの無関心ぶり。あれは、本当に裏がねぇのかもしれねぇ。
これは俺と離れる、いいチャンスだと思ったのかもしれない。
本当は、心の奥底ではずっと、スコールはそう願ってたのかもしれない。
俺との事を断ち切りたいと、心の何処かで願っていたのかもしれない。




じゃあ俺、頑張んなきゃな。




白い天井をぼんやりと眺めながら思った。
頑張らなきゃな。スコールが楽になれるように。俺なんかいなくても、平気になれるように。
あいつが、自由になれるように。
うん。そうだ。頑張ろう。それが一番いい事なんだ。俺にとっても、スコールにとっても。
だから、頑張るしかねぇ。頑張らなきゃ、駄目なんだ。
繰り返し胸の中で呟いた。何だか自分に言い聞かせてるみてぇだ、と思った。
何でだろう。きっと暇だからだな。だからこんな繰り返し思っちまうんだ。
まるで、凄く嫌な事でもやんなきゃいけねぇみてぇに。
本当はそんな事、したくねぇみてぇに。



ぶんと頭を振って起き上がった。
駄目だ。これじゃ落ち込んでるみてぇじゃん。やっぱ暇って良くねぇな。
しょうがねぇ。トレーニングでもすっか。訓練所行けば誰か暇してる奴いるだろうし。スパークリング
でもやって頭切り替えよ。
そう決めると、俺は直ぐに部屋を出て訓練所に向かった。 今日はぶっ倒れるまで、身体を
動かしていようと思った。それで、何も考えず寝ちまおうと思った。
何だかもう、指輪の事について考えたくなかった。



部屋に戻ってきた時は、もう消灯時間近かった。
流石に本当にぶっ倒れはしなかった。が、限りなくそれに近い状態だった。疲れた。今日は早く寝よう。
汗でドロドロの身体を引き摺るようにしながら、俺はのろのろとシャワー室に向かって行った。

シャワー室から出た途端、ドアから小さなノックの音聞こえた。
叩き方のリズムで、スコールだと分かった。でも、ずいぶん早ぇな。戻りは早くても明日の夕方だって
キスティスの奴が言ってたのに。
「開いてるぞー。」
タオルでもそもそ頭を擦りながら答えた。その返事に、ドアがガチャリと開く。
見慣れた黒いジャケットがタオルの隙間越しに見える。やっぱりスコールか、と思った。
顔も上げずゴシゴシと髪を乾かしながら、いつもの「まだ指輪を外さないのか」の一言を待った。
が、何時までたってもスコールが口を開こうとしない。
不審に思って顔を上げた。その瞬間、息を呑んだ。

スコールは、完全な無表情だった。
削がれたように引き締まった頬は白く血の気が引き、薄い唇には殆ど色が無い。
艶やかな黒髪と纏った黒衣が、その白い肌を一層際立たせる。まるで、奴の周囲から、全ての色が
消え去ったかのようだった。唯一の色彩は、蒼く瞬く瞳しかない。冬空に浮かぶ星のように、冴え冴えと
輝く蒼い瞳しか。


ハッと身体を強張らせて立ち尽くした。
来た。
瞬時に悟った。途端に心臓がドクドクと激しく脈打ち始める。
来た。ついにスコールが来た。
ついに、この指輪を外しに来た。


思わず一歩後ずさった。
投げてなんかいなかった。こいつ、指輪の勝負を投げてなんかいなかったんだ。
無関心だったんじゃない。溜めてたんだ。怒りをずっと、溜めてたんだ。最初は自分もこの計画に賛成した
手前、大人しくしてただけだったんだ。だけど中々指輪を外さない俺に、ついに堪忍袋の尾が切れたんだ。

この顔は、こいつの感情が飽和状態に達した時の顔だ。
嵐のような激情が、身の内に吹き荒れている時の顔だ。
そんな時、スコールは激しい力で感情を押さえ込む。こんな風に。
顔から全ての感情を消し去るくらいに。
流れる血さえ、止めてしまわんばかりに。

流れる水は、恐ろしくない。怖いのは、その流れを止める事だ。その力を、堰き止めてしまう事だ。
何故なら、その力は決して無くならないからだ。目に見える事無く、力を増幅させていくからだ。
いったん堰が決壊すれば、誰も抗えない。誰も制御出来ない。
水は全てを、薙ぎ倒してしまう。


限界まで押さえ込まれた力が、見えるような気がした。
決壊の時が近づくのがはっきり判る。思わず掌を強く握り締めた。
細い金属の感触を縋るように確かめる。胸の中で必死で繰り返した。大丈夫。怖くねぇ。怖がる必要
なんかねぇ。俺にはこの指輪がある。どうやったって、スコールは俺に指一本触れねぇ。
もう力でねじ伏せられる事は無ぇ。快楽で屈服させられる事は無ぇんだ。


繰り返し自分に言い聞かせているうちに、何とか心臓が落ち着いてきた。
そうだ。あとは奴の言葉に乗なければいいんだ。
こいつがどんな脅迫を口にしようと、それを無視すればいい。
このままじっと奴が諦めるのを待て。そうして、落ち着いたら奴を説得するんだ。
怖がるな。全部、聞き流せ。後はこの指輪が守ってくれる。
いいか。ここが正念場だ。ここを乗り切れば、俺もスコールもきっと楽になる。
二人ともが、自由になれるんだ。


心の中で念じてるうちにも、スコールが一歩ずつ俺に歩み寄ってくる。
禍禍しい程整った顔に何の表情も浮かばせず、大きな影の様にゆっくりと近づいてくる。
力の限り指輪を握り締めた。改めて胸の中で繰り返した。
聞き流せ。こいつのいう事は全部聞き流せ。聞き流すんだ。
「ゼル。」
蒼ざめた薄い唇がゆっくりと開く。




「寂しいんだ。」





血の滲むような声だった。
「ゼル。寂しい。寂しくて、頭がおかしくなりそうなんだ。」
色を失った指先が、震えながら伸ばされる。触れることも叶わぬ長い腕で、縋るように俺の背中に
手を回す。
「お前、馬鹿な事ばっかり言って。」
微かに震える声で、スコールが俺の肩近くに顔を伏せる。
「馬鹿な事ばっかりして。何が自立だ。何が一人でも平気だ。そんなに、俺を一人にしたいのか。」
青白い火花が、爆ぜるような音を立ててスコールの顔を切れ切れに照らし出す。
「有り金全部、叩いたなんて。何でそんな事、聞かされなきゃならないんだ。お前、そんなにその指輪が
欲しかったのか。そんなに、俺と居るのが辛いのか。」
白い喉が、痛みに耐えるように小さく痙攣する。
「・・・頼む。指輪を外せ。寂しいんだ。お前に触れられないのが。お前が、俺から自由になりたがってるのが。
寂しくて、気が狂いそうなんだ。ゼル。それじゃ駄目か。それじゃ、理由にならないか。お前、指輪を
外せないか。俺は一人でいいって、もう一人でも平気だって、お前に言ってやらなきゃ駄目か。」
スコールが青い火花を全身で抱きしめる。
「でも、ゼル。そんなの嘘だ。嘘なんだ。」
激しく反発する火花が、鞭のようにスコールの全身を打ち付けていく。
「何でだ。何で、側にいちゃ駄目なんだ。こんな自由、俺はいらない。何でお前、判んないんだ。
俺は楽になんかなりたくない。自由なんかどうだっていい。寂しいんだ。お前がいないと、寂しいんだ。」
爆ぜる火花に顔を埋め、スコールが振り絞るような声で言う。


「ゼル。寂しいんだ。」





酷ぇ。



固く握り締めた指から、力が抜ける。
酷ぇ。何て酷ぇんだ。
もし今、こいつが俺を脅迫したんだったら。
怒り狂って、俺を脅迫したんだったら。
それなら、この指輪を握り締めているだけで良かったのに。
それで全てを、終わりにできたのに。



『だってそれ、ただの指輪じゃないか。』



アーヴィンの言葉が脳裏に蘇る。
悔しさにぎゅっと唇を噛み締めた。涙が出そうになった。
ひでぇよ。こんなのってありか。
何で、俺に気付かせるんだ。俺に判らせるんだ。
これが、ただの指輪だって。
何の役にも立たない、ただの指輪に過ぎないって。


だって怖いのは、力じゃない。


緩めた拳が小さく震える。
だって怖いのは、スコールの力じゃない。
辛いのは、その腕で強引に引き寄せられる事じゃない。
爆ぜる火花に、スコールの白い頬にピシリと一筋の血が走る。その痛みにも構わずに、スコールが一層
腕に力を込める。思わず眼を瞑った。


怖いのは。


震える指で顔を覆った。
込み上げる涙を必死で抑えた。



怖いのは、スコールが本気な事だ。
こうして本気で、俺を求めてくる事だ。
どんなに辛くたって。どんなに胸が苦しくたって。
その痛みに耐えて、俺を求めて来る事だ。



唇を噛んだまま、深くうな垂れた。
それなのに、俺はただ浮かれていた。
手にした指輪の威力に浮かれた。これが俺を守ってくれると浮かれた。初めてスコールに対抗しうる、
「力」を得た事に浮かれた。
そして、忘れた。
スコールが、「人間」だと言う事を。
好きな相手に突き放されれば悲しみ、顔を背けられれば胸が痛む、生きた人間だという事を。

お前は力があるからと、同じ力を振りかざした。
自由になれと、その手を無理矢理振り払った。何処へでも自由に行けと、力でもって突き放した。
そうやって、スコールの気持ちを踏みにじった。傲慢な自由を、押し付けようとした。
ほんの少しも、考えなかった。
人は自由ばかりを、追い求めるのでは無いという事を。
好きな相手に突き放されれば、人は寂しいのだという事を。
胸が引き千切られるように、寂しいのだという事を。


ぐっと拳を握り締めて思った。
こんな計画は終わりだ。こんな馬鹿げた、傲慢な計画は。
スコールの心を切り裂いて手に入れる自由に、一体何の意味がある。
そんな自由に意味は無い。
こんな指輪に、意味は無い。




「スコール・・・」
おずおずと名前を呼んだ。それきり、言葉に詰まった。
何と言っていいか、判らなかった。
真剣に謝れば、多分スコールは許してくれるだろう。そんなつもりは無かったと言い訳すれば、きっと最後には
わかったと言ってくれるだろう。スコールは俺が好きだから。だから、突き放された痛みを抱えたまま、俺を
許してくれるだろう。そんなの駄目だ。そんな事、させたくない。こいつこの二週間、ずっと寂しかったのに。
もうこれ以上、寂しい思いなんてさせたくない。
だけど、どうしたらいいか判らない。
どうしたら、スコールの寂しさが無くなるのか判らない。


途方に暮れて立ち尽くした。
その時ふと、思い出した。
そう言えば、なんで俺はさっき、あんなにも繰り返し考えてたんだろう。
スコールを自由にしてやらなきゃと、何度も何度も胸の中で繰り返してだんろう。
どうしてあんなに必死になって、自分に言い聞かせてたんだろう。


それは、きっと。


虹色に煌く指輪を、しっかりと指で包んだ。そして一気に、引き抜いた。
突然消えた火花に、スコールがふっと顔を上げる。白い頬に、涙のように走る一筋の血。
「スコール。」
外した指輪を、大きく掌を広げて見せる。零れそうな涙を堪え、震える唇でニッと笑いかけた。
「スコール、俺も」
涙がぼたりと床に落ちる。へへ、と笑いながら目元をゴシゴシと拳で拭った。そのまま、スコールの
耳にゆっくりと唇を近づける。そして、小さな声で囁いた。




俺もね、寂しかった。




「お前を失うの、すごく寂しかった。寂しくて、しょうがなかった。すげぇ、すげぇ寂しかった。」
涙でぐしゃぐしゃの笑顔で、何度も繰り返した。
「なんでだろうな。俺、寂しくて。最後はもう、指輪なんか見たくもねぇくれぇ寂しくて。
スコール。なんでだろ、俺、すげぇ寂くて・・・・っ」
涙声で訴える俺に、スコールが蒼い瞳を大きく見開く。
次の瞬間、スコールはその長い腕を伸ばして、俺を力いっぱい抱き締めた。


「馬鹿。じゃあ何で、こんな真似したんだ。こんな真似、二度とするな・・・!」
溜まったものを一気に吐き出すようにスコールが叫ぶ。
「うん。ごめん。」
「何で、早く指輪を外さないんだ・・・!俺は、ずっと我慢してたのに・・!お前が自分から指輪を
外すんじゃなきゃ駄目だって、そうじゃなきゃ、また同じことの繰り返しだって、ずっと我慢して
たのに・・・!!」
「うん。ごめんな。」
「お前の指を見る度に、気が狂いそうだったのに・・・!お前も寂しいって知ってたら、ためらったり
しなかった。どんな手だって使って、直ぐにその指輪を外させたのに・・・!!」
「うん。俺、馬鹿だった。ごめん。スコール、ごめんな。」
「・・・・・・・っ・・!」
スコールが言葉を失ったように、俺の肩に荒々しく顔を埋める。その呼吸が落ち着くまで、ずっと
スコールを抱きしめていようと思った。
俺とスコールの寂しさが消えるまで、何時間でも抱きしめていようと思った。






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