眩暈 3



翌朝は打って変わった晴天だった。
イルカはカカシを起こさぬよう静かに起き上がると、朝食の準備を始めた。
白い飯に、豆腐の味噌汁。おかずは焼き魚と茄子の漬物だけ。上忍に出す食事じゃないなと我ながら
可笑しかった。
「何笑ってるの?」
「わ!」
ぎょっと振り返ると、背後には茫洋とした半目の上忍が立っていた。
「な、何で気配消して来るんですか!・・・っと、いや、お、おはようございます!」
慌てて頭を下げた。カカシがポリポリと頭を掻く。
「・・・なんか習慣で。」
ボソボソと答える上忍に、イルカは益々慌てて手を振った。
「そ、そうですよね!気づかない俺の方が問題有りですよね!すみません。・・・あの、良かったら先に風呂
入って下さい。昨日、カカシさん風呂入らなかったじゃないですか。俺朝飯の用意しときますから。」
「うん。」
カカシが素直に頷く。が、中々去ろうとしない。イルカが首を傾げると、カカシはニコリと眼を細めた。
「その前に、いい?」
言うが早いが、イルカの首に腕を回して掠めるようなキスをする。
「!!な・・・!」
「ふふ」
カカシが嬉しそうに笑う。その脳天に、イルカは軽い拳骨を振り落とした。
「人が火を使ってる時に、悪さをしない!さっさと風呂に行って下さい!」
「・・・・ハーイ」
子供のような返事をすると、銀髪の上忍は飄々とした足取りで離れて行った。


「イルカ先生って、働き者だねぇ。」
朝飯を終え、イチャパラを読み耽っていたカカシが溜息を洩しながら言った。
「せっかくの休みなのに、何で朝からそんなコマコマ働くの?」
「コマコマって・・・単に皿洗って布団干して洗濯しただけじゃないですか。あと部屋を片付けるだけで・・・・」
「それがコマコマって言うんだよ。さっきから全然腰下ろしてないデショ?」
どことなく拗ねた口調で、カカシが唇を尖らせる。
「俺、ずっと待ってんのに・・・」
恨みがましく呟いて、畳に腹ばいになる。子供じみた態度に、思わず苦笑した。
「掃除が終わったら、俺が美味いコーヒー入れて差し上げます。だからもう少しだけ大人しくしてて下さい。」
「・・・コーヒーくらい、飲みたきゃ自分で入れるよ。」
カカシがいっそう子供じみた態度でそっぽを向く。イルカが自慢気に胸を張った。
「それが、違うんですよ。俺のは。・・・よーし、掃除は止めだ。ちょっと待ってて下さいよ。」
いそいそとイルカが台所に向かう。カカシはひょこりと起き上がり、その後を付いていった。

珈琲ミルとサイフォン、秤と幾つかの豆缶が戸棚の奥から取り出される。
「・・・・へぇ。本格的だねー。イルカ先生、コーヒーマニアだったの?」
「友達の影響で、一時期凄くハマったんです。そいつ喫茶店の息子だったんですよ。その時一気にガーッと
揃えたんです。俺、結構形から入るタイプなんで。」
笑いながらイルカが豆缶を開く。注意深く秤で分量を量りながら、二種類の豆を混ぜる。
「これをね、こうやって・・・」
ガリガリとミルのハンドルを回して豆を挽いていく。向かいの椅子に座って、興味深げに見つめるカカシに、
イルカはにっこりと笑いかけた。
「カカシさんも、やってみますか?」
「うん。」
カカシがミルを受け取る。高速で回されるハンドルに、イルカが慌てて叫んだ。
「もっとゆっくりでいいんです!乱暴に挽くと、味が荒くなります!」
カカシの背後に回り、上から抱え込むようにその手を抑えた。一緒にゆっくりとハンドルを回す。
「これくらいの速さで・・・そうそう、力は入れずに・・・」
頬に銀色の髪が当たる。触れ合う手の平から、カカシの体温が伝わってきた。
そのまま無心で豆を挽いていると、急にハンドルが軽くなった。
「あ、終わった。・・・すいません、結局最後まで俺が手伝っちゃいましたね。」
苦笑しながら離そうとする手を、カカシがぎゅっと引っ張る。思わず前のめりになるイルカの首筋に、
カカシがぐいと腕を廻して唇を寄せた。
「・・・・・ん・・・」
上からカカシの頬を支えて、そのキスに応える。熱を注ぎ込むように舌を差し入れると、カカシは
それを飲み下そうとするかのように、ゆったりと瞳を閉じた。

色々と時間のかかった珈琲をカカシの目の前に置くと、イルカは少し不安そうな顔になった。
「・・・・どうですか?」
一口飲んだカカシが眼を弓形に細める。
「美味い。」
「ホントですか!?」
「ホント。そこらの店より美味い。」
カカシが誉めると、イルカは頬を染めて鼻の頭を掻いた。
「うわ、嬉しいなぁ!これ、カカシさん専用ブレンドなんですよ。俺、カカシさんはどんなブレンドがいいだろうって、
色々考えたんです。良かった。美味いって言ってもらって。」
弾んだ声で自分の分をカップに注ぐ。カカシが何気ない調子で尋ねた。
「ナルト専用のもあるの?」
「え?いや。あいつにゃこんなの、勿体ないですよ。一回あんまり強請るんで作ってやったら、どばどば砂糖だの
牛乳だの入れて、給食の珈琲牛乳みたいにしやがったんですよ!もう二度と作ってやらん!って思いましたよ。」
嫌そうに首を振るイルカに、カカシはくつくつと笑い出した。
「だって子供には、これ、苦すぎるよ。」
「まぁ、そうなんですけどね。・・・・いいんですよ、これは大人の飲み物なんです!カカシさんが喜んでくれれば、
俺は満足です!」
「そりゃー光栄。」
カカシがおどけた口調でペコリと頭を下げた。

軽い昼飯を食べる終わると、明るく開け放した縁側に二人でぼんやりと座り込んだ。
カカシがまたイチャパラを取り出して読み始める。イルカはひょいとその本を覗き込んだ。
「カカシさん、ホント好きですね、それ。任務中も離さないって、ナルトに聞きましたよ。」
「まーね。下手な忍法書より、ずっと役に立つね。特に、男ばっかの戦場とかじゃ。」
カカシがにやりと笑う。イルカが溜息をついた。
「・・・・ナルト達の前で言わないで下さいよ。あいつらまだ上忍に夢持ってるんですから。」
「どーだかねー。」
カカシがごろりと横になった。銀髪が日光を反射してキラキラと輝く。綺麗だな、と思った。
絹糸のようなその輝きに触りたくなって手を伸ばすと、カカシは薄っすらと眼を明けた。
「・・・なに?やりたい?」
「ち、違いますよ!!」
真っ赤になって否定すると、カカシは猫のように色違いの眼を細めた。
「俺はやりたいよ。・・・・ねぇ、やろうよ。」

イルカが目を丸くする。
「なっ、何言ってんですか!?こんな真っ昼間から!第一、昨日散々やったじゃないですか!」
「いいじゃない。そーゆーのも。ね?そんな激しくしないから。」
腹這いのままイルカに近寄って、袖口を引く。しなやかな動作が、本当に猫のようだと思った。
「・・・ひょっとして、イチャパラ読んで興奮しちゃったんですか?上忍のくせに、修行が足りないなあ。」
からかうように顔を覗き込むと、カカシはひょいと首を伸ばしてイルカの耳に囁いた。
「うん。ふがいないねオレ。だからセンセが、修行つけて?」

外界と障子紙一枚隔てた部屋の中で、蕩けるようなキスを交した。
「・・・・あ・・ふ・・・っ」
濃厚なキスの合間に乳首を潰すように弄られて、イルカが切なげに眉を寄せる。薄く開いた口元から、唾液が
トロリと零れ落ちた。
「イルカ先生、やらしい。」
カカシが興奮に掠れた声でイルカの顎を舐める。
「あ・・・・カカシさん・・・・」
銀色の頭をぎゅっと抱きしめると、カカシは甘えるようにイルカの首筋に唇を押し付けた。
深く絡み合う身体に、お互いの体温がみるみる上がっていく。イルカがカカシの竿に手を伸ばして緩くしごいた。
カカシがうっとりと熱い溜息を吐く。
「気持ちいい・・・」
恍惚とした響きに、震えるような喜びが全身から湧き上がった。突然悟った。


ああ。これが愛か。


思わず眼を瞑った。
相手の悦びに、自分の心が歓喜する。これが愛か。それが、愛の正体か。
涙が自然に溢れて来た。
もう本当に、思い残す事は無い。
俺は愛を、手に入れた。


「カカシさん・・・好きです・・・愛してます・・・貴方を、愛してます・・・」
流れる涙を見られまいと、カカシの肩に縋り付いた。
繰り返し、何度でも言いたかった。愛している。愛している。残していくのは、これだけだ。
俺がこの世に残していくのは、この愛だけだ。
「オレも、アンタが好きだよ。愛してる。ね、愛してるよ。」
カカシがイルカを抱き止めて、熱っぽく囁く。益々涙が溢れてきた。
「カカシさん・・・愛してます・・・愛してます・・・・」
カカシの抱擁が強くなった。息苦しい程の力でイルカの身体を抱きしめる。
抱きしめられるだけで感じる、というのを初めて知った。イルカが小さな声で喘ぐと、カカシはもどかしげに
指に唾液を含ませ、イルカの中に差し入れた。

「・・・・ん・・・っ」
背筋をピリッと痛みが走る。が、それはたちまち快感に飲み込まれていった。
「・・・・あ・・・ぁ・・・っあ・・・!」
指が慌しく上下する。その性急さにカカシの高まりを感じて、イルカの身体はビクビクと反応した。
「あ・・も・・・っ・・・はやく・・・っ!」
誘う声は、ひどく淫らに部屋に響いた。カカシが一気に指を引き抜く。そして待ち侘びていたものが、イルカの
中に入ってきた。

「・・・・シさん、カカシさん・・・っ!」
何もかも忘れてカカシにしがみついた。
何もかもが愛しかった。その長い腕が、汗ばんだ背中が、銀の髪が、赤い瞳が、蒼い瞳が。
全てが自分の生きた証なのだと思った。
カカシがイルカを激しく揺さぶる。突然、頭の中が真っ白になった。
イルカの竿から白い液体が吹き出し、同時にカカシがぶるりと身を震わせる。
自分とカカシの射精が殆ど同時だったことが、泣きたくなるほど嬉しかった。

そのまま二人で泥のように眠り込んだ。眼が覚めると、既に日が傾き始めていた。
「わ!もう夕方ですよ、カカシさん!」
驚いて飛び起きると、カカシはいかにも眠たげに眼を開いた。銀色の頭を掻きながら、うっそりと身体を起こす。
「・・・ああ。別にいいでしょ。休みなんだし。」
「いや、俺、夕飯の買い物行くつもりだったんです。今から、ちょっと行ってきます!」
バタバタと部屋を出ようとするイルカの腕を、カカシがぐいと掴む。
「待ってよ。俺も一緒に行く。」
「え?いいですよ。そこで休んでて下さい。」
「鈍いねー。一緒にいたいんだよ、アンタと。」
カカシの言葉にイルカの顔が赤くなる。
「え、そ、そうですか!?あ、じゃ、そ、そういう事で!」
要領を得ないしどろもどろの返事に、カカシが思わず吹き出した。

「夕飯、何にするの?」
カカシが背中を丸めてイルカの顔を覗き込む。
「ああ。すき焼でもしようかと。近くにいい肉屋があるんです。そこの肉、美味いんですよ。折角だし、今日は
奮発しようかと・・・・・・えーと、その、すみませんでした・・朝飯までは気が回らなかったんです・・・」
語尾を小さくして謝ると、カカシは不思議そうに眼を見開いた。
「何で?美味かったよ。」
「え?そうですか?粗末過ぎたと反省してたんですが。」
「は?あれで充分でしょ?んな朝からガツガツ食えないよ。それに俺、焼き魚好きだし。」
「そうですか。なら、良かったです。」
イルカが胸を撫で下ろすと、カカシが何気無く続けた。
「でも野菜が足りないとは思った。野菜は大事だよ、先生。」
「・・・・・・・・・肝に銘じます。」
イルカは深々と頭を下げた。

肉屋に着くと、店の親父は親しげに声をかけた。
「ああ、先生。いつもどうも。今日はコロッケ幾つですか?」
「!き、今日はちゃんと肉を買いに来たんだよ!」
イルカが慌てて手を振る。カカシがマスクの下でニヤニヤ笑ってるのが、何となく伝わってきた。
「そんな笑わないで下さいよもう!親父さん、木の葉牛の、上の薄切り頼む!」
「お、先生、豪勢だね。何かお祝いかい?」
オヤジが肉を取り出そうと腰を屈める。

「あーごめん。それ止めて、こっちの特上ってのにしてもらえますー?」

「カカシさん!?」
イルカがぎょっとカカシを見る。カカシがニコリと眼を細めた。
「どうせなら、こっちの方がいいでしょ?金なら俺が出すよ。オレが奢ったげる。」
「え!?いや、でも!い、いいですよ。そんな。」
「いーの。ちょっと早いけど、誕生日祝いだと思ってよ。それに、貧乏中忍教師に上忍の俺がたかるなんて、
極悪過ぎデショ?」
「・・・・・。」
どう返していいか分からず、無言になるイルカを尻目に、カカシがさっさと代金を支払う。
「・・・・・なら、有難くご馳走になります。ありがとうございます。カカシさん。」
暫くしてイルカがそう言うと、カカシはにっこりと笑った。

野菜を買う為に立ち寄ったスーパーで、ナルトに会った。
「あー!!イルカ先生、カカシ先生!」
青い眼を丸く開いて大声を出す。
「先生達、何してるんだってば!」
「何って、買い物に決まってるだろ。」
イルカが答えると、ナルトはぶんぶんと首を振った。
「違うってば!何で二人で買い物してるんだってば!!」
「・・・・・あー、それはだな・・・」
「先生達、そんな仲良かったのか!?」
ナルトの言葉に、イルカはパチパチと瞬きした。急に腰に手を当てて、大げさに胸を張る。
「そ、そうだ!先生達は、すごく仲良しなんだ。知らなかったのか!?」

「知らなかったってばよ・・・・。」
てっきり何か憎まれ口でも叩くかと思ったのに、意外と寂しげにナルトが答える。慌てて言い訳した。
「ま、そう言っても、仲良くなったのは最近なんだ。うん。」
何とか話題を変えようと、明るく尋ねた。
「お前も夕飯の買い物か?」
聞きながらナルトの手元を見る。揚げ物と菓子しか入っていない籠に、思わず眼を伏せた。
この組み合わせを、咎める者はいない。ナルトの食卓には、ナルトしかいないのだ。
今日という日ではなければ、即座に夕飯に誘っただろう。胸がキリキリと痛んだ。

「おまえね、野菜食いなさいって言ったでしょーが。」
カカシがふいに口を挟んできた。
「何、この中身は。今すぐ野菜コーナー行きなさい。そんで野菜買うこと。」
ナルトがチェっと舌打ちして身体を翻す。
「分かったってば!じゃーな!!カカシ先生、イルカ先生!」

去っていく小さな後姿を見送り、イルカはカカシの顔を見上げた。
カカシがナルトの私生活を気にかけてくれていたのを、初めて知った。意外で、そして嬉かった。
あの子を気遣ってやれるのは、自分だけだと思っていた。けれど、そうではなかった。
自分亡き後、ナルトは荒涼とした世界に一人残されるのではない。それが分かって、心底安堵した。
カカシが大仰な溜息をつく。
「アンタ達はもう、師弟揃って野菜食わないんだからねー。やんなっちゃうよ。」
今度はイルカが笑う番だった。


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