裁縫で使用する「まち針」は正しくは「小町針」という。いわれは、小野小町は生まれながらに女性器が
欠如していたので、「穴がない」とのしゃれから穴のあいていない針を「小町針」と呼んだのだという。男性
を寄せ付けないことからこのような噂が出来たものと思われ、また性器欠如は石産女(うまずめ)の典型
的な発想に他ならない。妖怪の「産女(うぶめ)」は子を産まずに死んだ女、あるいは産褥で死んだ女が
なるもので、鳥の形をしていて生まれた子供をさらうとされた。これは鳥が単孔(性器と肛門がひとつの
穴であること)であるため人の子供が埋めないということを強調したのであり、小町の例と同じ意味合い
を持つ。このように小町が「異形者」として表されるのは、異形のものは特殊な才能と「神に近い」存在と
して扱われるためである。一例としては『御伽草子』に「業平の本地は千手観世音、小町の本地は薬師
如来」とされ、神仏として扱われていることなどがある。(小町=薬師については後段で述べる)『七小町』
にせよ、『玉造小町盛衰記(これは小野小町とは関連がないが、一般の認識として主人公とイコールと思
われているため)』にせよ、小町の存在は一人歩きが過ぎて実がまったく伴っていない。つまり『異形』で
あることを強調するあまり、実在すら危うくしてしまったのだ。
書物を紐解けば必ずといっていい、『出羽郡司良実女』の添え書きに当たる。小町の存在を唯一といっ
ていい、繋ぎとめている細い糸である。篁の息子で出羽郡司を務める良実の娘が小町であり、古今集の
記事から少なくとも姉が一人いることが知れる。つまり、
小野篁━良実┳小町が姉(姓名不詳)
┗小町(姓名不詳)
とこうなっている。しかし、これでいけば小町はどのくらいの時代の人となるだろう。まず良実が篁の二十
歳前後の子としよう。すると良実は天長三(826)年ごろの生まれとなる。また良実も同じく二十歳前後で
小町を生ませたとする。それでは小町は承和十三(846)年ごろの生まれとなり、小町がいくら早く後宮に
入ろうと清和天皇の頃(貞観年間)でなければならない。ところが古今集などを見ると活躍期は承和から
仁寿にかけて(仁明〜文徳天皇期)である。ゆえに良実が篁の息子という線は薄くなる。誤伝により小
町は篁の孫に当たると勘違いされたらしいが、では良実は誰の子か?
「出羽郡司」になるために考えられる道筋は二つ。代々出羽郡司であるか、式部省試問に及第するかの
いずれかしかない。まず、代々の出羽郡司であるなら中央の小野氏とは系統が異なり、小町自身小野
氏とは何のかかわりもなくなってしまう可能性が高い。もともと、小町という名前が宮廷での通り名前であ
ったこと、同時代の女御「三国町」や「三条町」などに見られる氏姓ではない名を冠している事も鑑みる
と、小野小町の「小野」も氏姓なのか疑問が残る。小野氏でないとしたらどこの出自なのか、小町が存在
したというの唯一の足場さえ危うくしてしまう。
では式部省試問はどうだろうか。これはありえないこともないし、小野氏の面々を見ても十分擬されて
然りであろう。でも、親の問題は解決を見ない。良実は年のころなら篁と同年代、しかも出羽郡司で終わ
ってしまっていることが気にかかる。当時の小野氏であれば、それなりの活躍・昇進があってしかるべき
であるし、式部省試問に及第する人物なら数年ののち帰して中央で朝に仕えることも不思議はないであ
ろう。しかしこれがなかった。この疑問に答えがあるならば、良実の早世である。
氏長者たる峰守は天長七(830)年に薨し、その兄瀧雄は生歿不詳であるから、この頃はすでに次世代
の子供たちに権力の比重が移っていたものと思われる。篁を筆頭に葛絃や千株、篁の叔父と見られ
る野主や石雄、いとこの春枝・春風などに混じり、良実は存在していたのではないか。このとき
すでに生まれていた小町は父の死により、次世代の氏長者となるであろう篁(まだ二十五六だ
が)、もしくは野主あたりの庇護の下で成長したのであろう。
だが、小町はなぜここまで「出羽郡司の女」であることを強調されなければならなかったのであろうか。
理由は「異形者」のときと同じだと考えられる。つまり、「出羽・陸奥」は神秘性の冠語だったのである。
少々時代がくだるが、藤原行成との口論から藤原実方は主上に
「歌枕を見てまいれ」
の一言で、陸奥に下らせられる。ここで云う歌枕は『白河の関』をさすと思われ、ここを越えればこの先は
ほとんど『異国』であった。陸奥国司などは、ていのいい流罪に近い。
出羽・陸奥に歌枕は多いが、今日そのどれひとつとしてまともに存在しているものなどない。歌枕にあ
る『壷の碑』や『白河の関』などは比定地すらなく、後の世に作られた創作物のいかに多いことか。つまり
それらは『実』のない『名』ばかりの存在であり、陸奥を行脚した紀行文として能因法師が『能因歌枕』を
著したが、実際この本は京を一歩も出ることなく庵に篭り想像たくましく書き上げた「偽書」であった。当
時の都人は、見たこともない出羽・陸奥の伝聞に目を見張り、驚き、嬉々としてこれを楽しんだ。ときにこ
の伝聞は一人歩きをして、ありもしない歌枕を生み出し、またその虚構に憧れを懐いていったのだ。まる
で、中世ヨーロッパが東洋を、江戸期の日本が泰西を思うように。
小町は現実を後世の人たちにより切り捨てられたある意味悲劇的な人物である。父母の存在すら架空
にし、『出羽』幻想に彩られ、『異形』と『異才』の二本の玉を持つことにより彼女自身の神格化は完成を
見るのである。
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