2002年04月25日

云いたかないが「鯨」のこと

 IWCの会議が9年ぶりに日本で開催され、捕鯨で栄えた山口の漁港を会場として、捕鯨国と非捕鯨国 が集まり、鯨について喧々囂々の罵りあいをしている。現在捕鯨国と言えば北欧地域と日本、世界的規 模で見ると圧倒的な少数派である。ゆえに会議は捕鯨国の泣き寝入りで幕を閉じることが先から決まっ ている無意味極まりない茶番だ。以前は捕鯨国はもっと多かった。鯨を食用ではなく石油以前の燃料、 つまり燈し油として鯨油を取るためだけに乱獲された時期がある。これの多くは欧米であり、鯨が多く生 息している太平洋まで遥々出漁し、小型のセミクジラなどを中心に捕獲しては本国へ鯨油を送っていた。 しかし、捕鯨は長期にわたるため食料・水などの確保は一番苦慮するところであった。ここで白羽の矢が 立ったのがハワイなど洋上の島嶼であり、次々と力でねじ伏せては捕鯨基地として自国の領土に取りこ んでいったのである。また、江戸幕府に横車押して開国を迫った理由の一つも、捕鯨基地を確保しようと していたためであった。石油の登場後も安価な鯨油の需要は落ちず、欧米の捕鯨は節操なく続いた。い ま、鯨の減少は食用捕鯨国の一方的な責任になっているが、クジラ保護を以前乱獲していた自分達の 後生のために訴えている、欧米のやり口は腹が立ってならない。
 IWCの創立当初はたしかに鯨の減少は危機的状態であった。保護を打ち出し、はや20年超になろう としている今、鯨の数は種によって差はあるものの、軒並み増え始めているという。現捕鯨国は制限つき でいいから商業捕 鯨を認めてほしいといっているのに、今度は調査捕鯨さえ打ち切ると切り出してきた。 調査捕鯨はクジラ増加の当てにはならないどころか、増加の妨げになっているというのが理由らしい。三 陸沖で、沿海州で、明らかにクジラが原因と見られる漁獲高減少が起こっているのに、増えていないと言 い張っている。奴らは世界の海が鯨で埋め尽くされ、他の魚が壊滅しようと保護を訴え続けるのである。

 一時期なぜ鯨を取ってはならないかという質問に、「鯨は頭のいい動物だから」と答えたお偉いさんが いるという噂がまことしやかに囁かれていたが、よもやそんな理由で保護をしている団体があるとは信じ られない。あるいはこんな話もある。「鯨を食べるとはけしからん。」と訴える男がいた。「牛はいいのです か。」と聞くと「牛は神が食べるために人間に与えたものだからよい。」と答えたという。けっ、話にならな い。三文宗教家の戯言でももう少しましなことを言うだろう。別の文化人に尋ねると、「鯨は養殖できない から」だとさ。小学生のなぞなぞか?ちったまともな弁明のできる奴はいないのかねぇ。
 そう、今年のサッカーワールドカップで主催国の韓国に「犬を食うのをやめろ。」って言ったらしいけれ ど、これも大きなお世話だね。中国の故事にだって「羊頭狗肉」ってあるくらいだし、食用だったんでしょ、 チャウチャウとかは。仏教国では基本は「不殺生」だけれども、「人は何かの生命を奪ってしか生きては いけない。」のだから、食物としての殺生は大目にみる傾向があるでしょ。「何も犬を食わなくても」ってい う人があったらそれは間違い。その民族・個人により食用と見られる生物はそれぞれ違うのだ から、牛 を食わない民族からすれば、「何で牛を食う」とこうなるでしょ。サドの『食人国旅行記』読んでみな。難し ければ藤子不二雄の短編で『ミノタウロスの皿』って言う話があるからそれ読めば言わんとしてる事がわ かると思う。鯨だって食う国にしてみれば立派な『食物』なのだから他人様からナニ言われようと、食うの が常識なのだ。西洋と東洋の違いとか言うけど、これはそうじゃないね。他者をどれだけ認められるかっ てことだよ。何も自分たちも同じことをしろって言うんじゃない。他者のことをよく知って、考えろってことだ よ。博愛、近いなこの言葉に、キリスト教ってこれ基本じゃなかったっけ。宗教間の争いだって他者を認 めることから始めればなくなるだろ。出来てないし、絶対出来ないだろうけど。自国のことしかない某国に は土台無理だろうし、それに腰巾着でくっついている馬鹿な散粟国にはなお無理なことか。




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