2003年01月23日

御茶漬讃歌

 御茶漬けは奥が深い。おむすびと双璧を成すほどムヅカシイ料理なのだ。
 もしあなたが「お茶をただかけてかきこむだけの間に合わせの食べ物」、その程度の認識しかないとし たら、今までの非礼を御茶漬に謝ろう。御茶漬とはそんなに単純なものではないのだ。「茶道」に作法が あるように、御茶漬にも決まりがある。うまいものを食べようというのだから多少の窮屈は我慢しなけれ ばならない。
 まず最低限ご飯はざるにあげ、湯通しはしなければならない。このとき、きれいに「ぬめり」を取っては ならない。きれいにぬめりを取ってしまうとご飯粒のなかに水がしみ込み、食べたときぼそぼそとして美 味くない。適度なぬめりは、ざるに入れたご飯を二回、湯に泳がせ固まったご飯をほぐすぐらいがよい。 冷やご飯なら温めなおしは必須だ。湯をよく切ったら、水気を吸わないうちに手早く盛り付ける。ご飯はこ れから注ぐお茶のことを考え、椀の七分をよしとして、それ以上でも以下でもいけない。
 お茶は別段よいものにこだわる必要はない。がだ、御茶漬に渋茶は合わない。せっかくの具材の微妙 な塩加減が分からなくなってしまう。かといってぬるいのは美味くない。つまり熱すぎると渋くなるがぬる過 ぎると食欲がなくなる。ここは70度ぐらいのお茶で作ろう。普段の飲み頃の番茶である。
 のせる具材は好みだが、基本は「塩気の濃いもの」。塩引、梅干、魚卵の類がよくあるが、やはり何を おいても塩昆布がいい。ぬめりの減ったご飯は自然と椀のなかで滑らかな円錐形を描く。ここに細切りの 塩昆布をのせ、裾野にかけて茶をまわし掛け、最期に一口分ほどの茶を頂上に注ぐ。茶も椀の八分ま で。それ以上だと茶ばかりで食べづらく、それ以下だと食べ終わらないうちに水気がなくなってしまう。
 いただきます、とおもむろに頂上を崩してしまう人がいるが、これはいけない。具材が茶に浸り、茶のせ っかくの緑色がとたんにくすんでしまう。それに食べ終わるまでの具材の配分がうまくいかない。まず手 前を切り崩し、みくち、そのあと具材を口に運び、その塩気を楽しむ。これは傍目から見ていてもきれい な食べ方なのだ。そう、子供のころに遊んだ棒倒しの要領だ。いかに具材を茶の中に落とさず食べきれ るか。そこにかかっている。茶の風味と塩昆布のうまみが繰り返し口中を襲う幸せ、これを噛みしめてい るうちにふやけだした昆布がまた新たな食感を生み出す。まさに和の波状攻撃だ。
 さて変り種のお茶漬けとして「きんぴら」などはお勧めである。割り箸のようなものではなく、細切りのも ので、さらさらとやる。油が強くても、茶に包まれるとしつこさが薄れ、食べやすくなるのでもたれなどもな い。独活などであれば春の息吹を感じながらいただくのがいいだろう。また手間ではあるが、焼きおにぎ りを茶漬けにすると香ばしくて食欲をそそる。
 この一杯でどれほどの幸福感が得られるかお分かりいただけただろうか。まさに御茶漬様さまなのだ。




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