2003年02月14日

中間に立つ者の苦悩−ふたなり幻想−

「アンドロギュノス」を語るうえで、プラトンの『饗宴』は外すことが出来ない物語の一つであろう。
 アリストパネスという喜劇詩人が男女の恋愛について奇説を唱える件である。
 古代の人間は、体形はまん丸で二つの顔と二対の手、二対の足を持っていた。ちょうど今の人間が背 中合わせでくっついた形である。この人間には三種あった。男と男の背中合わせと、女と女の背中合わ せと、男と女の背中合わせである。この人間は傲慢不遜で神に対しても一切敬意を示さなかったため、 大神ゼウスはその身を二つに裂くことで人間の力を弱めることとした。そのため半身になった人間達は かつての半身(シュンボロン)を探し恋愛をするのだという。
 ゆえに男と男、女と女であった人間の子孫は同性を求めるのである。そして異性の恋愛に夢中になる のは男と女つまりアンドロギュノスの子孫なのである。
 しかし、アリストバネスはこの説の矛盾を補強するために、恋愛と種の保存を目的とした生殖(パイドポ イイア)は別物だと弁明している。
 とはいえ、同性愛者は人口の三分の二を占めてはいないどころか、今では少数派である。アリストパネ スの説を採るならやはりパイドポイイアは恋愛の延長にあるものと見るべきではないか。


 ヘルマフロディトスは両性具有の神である。父はヘルメス、母はアフロディーテで生まれたときは男の子 であった。親譲りの大変美しい少年に成長した15歳のとき、不意に冒険心に駆られ親元を離れ小アジ ア一帯を旅して歩き、カリア地方を訪れる。そこでヘルマフロディトスはニンフのサルマキスに見初められ てしまう。サルマキスは懸命に誘惑するが、けしてなびかないヘルマフロディトスを執拗に追い回し、自ら の住む美しい泉に水を飲みに来た隙を狙い、その身を抱きとめ神々にこう願った。
「この身とヘルマフロディトスの体を一緒にしてください」
と。すると抱き止めていた体は水煙と消え、少年の体が変形を始めた。声は高くなり、胸が膨らみ丸みを 帯び、陽物の下に開が現れた。
 ヘルマフロディトスはこのときから両性具有となったのである。
(ロートレアモン『マルドロールの歌』第二歌に、この体になったことから内向きな性格になってしまったヘ ルマフロディトスの嘆きが描かれている。「芝生にうつぶせにな」って「ねむっている」姿は、ルーブル美術 館にあるヘレニズム時代のヘルマフロディトスの大理石像から着想したのであろう。)


 ヒンドゥー教のシヴァ神の象徴はリンガ(男根)とヨーニ(女陰)であり、両性具有の神として祀られる。


 ある日大神ゼウスが夢精をし、それがアグドスの山に滴ってアグディスティスが生まれた。ヘルマフロデ ィトスとは違い、生まれながらに両性具有であったが、神々が寄ってたかって男根を切り落としてしまった ので女性となった。のちにキュベレーと呼ばれることになるこの神はアッティスという美少年に恋をする。 しかし、それは悲劇の始まりであった。アッティスは、アグディスティスの男根から生じたアマンドの樹に生 る実を拾い懐妊した、川の神の娘ナナの子であった。アッティスは山に捨てられヤギを親代わりに育った のである。そんなことは露ほども知らない二人は、お互いの愛を裏切らない誓いを立てる。だが若いアッ ティスは誓いを破り、ニンフのサガリティスを愛してしまった。嫉妬の鬼と化したアグディスティスはサガリ ティスを殺し、これを知ったアッティスは狂人となって自傷し、最後に男根を切り落として絶命をした。
 アグディスティス、つまりキュベレーはこののちローマで信仰されることとなった。キュベレーの司祭は去 勢することが前提であったらしい。そして信徒は自傷して狂い歩くため、ローマではこれを禁止した。


 ヴァリウス・アヴィテトゥス・バッシアヌス。世にエラガバルス、あるいはヘリオガバルスと呼ばれる少年 皇帝が君臨したのは紀元218年、アントニニ朝のパックスロマーナが終焉してまもなくのことである。この 皇帝は14歳で帝位に就いた。この後押しをしたのが東方シリアからやってきた公女たちであった。彼女 たちは結婚という最大の武器を持って帝室の奥深くにまで潜り込み、政治を思うがままに動かし、ローマ を一部の軍部独断のほぼ無政府状態にまで追いやったのである。
 彼女たちがもたらしたのはアナーキズムだけではない。太陽神バール神を最高神とした「陽物信仰」を もたらしたのである。これをヘリオガバルスは狂信した。このヘリオガバルスという名もバール神を表す 言葉であり、彼がこの神と一体になりたいと願った現われに他ならない。このバール神の御神体は黒い 石を擬宝珠型に刻んだものであったという。このバール信仰は、実は先に述べたキュベレー教団なので ある。ゆえにバールの司祭には男根がなく、教徒はやはり自傷することで神と交感した。
 ヘリオガバルスはこの異国の教えにのめりこんでいった。そしてついにはキュベレーと同じように両性 具有になることを欲した。当時の外科手術がどのようなレベルにあったかは分からない。しかしこの狂帝 の下腹には見事開がうがかれたのである。それを以って巷の女郎屋にゆき、鬘と絹の衣に身を包み、 男と女、両者の相手をしてこれを楽しんだという。(そのときの呼び名は「女后」!)
 何もこの皇帝は信仰に血道を上げていたわけではない。政治では実にオープンな手法をとったため、 人気は信仰ともあいまって急激に高まり、皇帝は民衆と親密な関係を築いた(キュベレーのローマ流行 の発端はこの皇帝)。この楽しみを極めた皇帝も最後は哀れな死を迎える。
 皇帝と民衆の急接近に親衛隊は狼狽した。ただでさえ親衛隊を敵視している皇帝をこのままにしてお けば、自分たちの身も危ない。ここで親衛隊は策謀を巡らし、皇帝から国家を取り上げた。ヘリオガバル スは危険を感じ便所へと逃げ込んだが、母のソヤミヤスと共にここで惨殺された。これに収まらない隊員 は首を切り、裸にして死体を市中引き回しにし、石を抱かせてテヴェレ河に放り込んだ。
 結局ヘリオガバルスは男根を取られる代わりに首を切るという擬似行為により命を落としたのである。


 日本文壇に突如として二冊の奇書が現れた。一冊は芥川賞最年少受賞で注目された平野敬一郎の 『日蝕』。もう一冊はファンタジーノベル大賞を受賞した宇月原晴明の『信長−あるいは戴冠せしアンドロ ギュノス−』である。『日蝕』は中世のキリスト教世界を描き、『信長〜』は日本の戦国時代を描いたもの であるが、いずれもアンドロギュノスを扱い、その洗練された筆致で注目された。
 この両者、平野を「三島の再来」と賞賛するものがあり、また宇月原を「ドラコニアの申し子」とよぶもの がある。くしくも60年代、文壇を博覧強記の頭脳とアンドロギュノス的肉体を以って自由闊達に飛び回っ た二人の名(三島由紀夫、澁澤龍彦)が40年のときを経て回帰してきたとは、何たる廻りあわせなのだろ うか?
 この『信長〜』はアントナン・アルトーの叙事詩『ヘリオガバルス−あるいは戴冠せしアナーキスト−』の 翻案ともいえ、「実は信長はキュベレー教徒であり、生まれながらに両性具有であった。」というショッキン グな内容である。事象の一つ一つが仔細に照らし合わされていく過程に、アルトーならずとも引き込まれ ていく。信長の超人的イメージを両性具有と東洋西洋に流れる神秘学を以って解いてゆく突拍子のなさ に、違和感がないのには驚かされる。


 ティレシアスは、テバーイの人で元は男であった。しかし、山中で交尾する蛇(蛇は古代の神のかたち) を見つけ杖で打ったため、蛇の呪いに罹り以来七年間女として暮らさねばならなくなった。
 ある日、酒宴で大神ゼウスとその妻ヘラが、
「性交で得られる快楽は男と女どちらが大きいか。(くだらないな。居酒屋で飲んでくだ巻いてる親父と、 会話の内容変わらないもの。)」
で口論を始めてしまった。さすがにこれには他の神々も答えられず、ティレシアスが召されて答えることと なった。このときの答えは、
「大神のいうとおり、女のほうが大きく、女は男の快楽の十倍大きい快楽を得る。」
であった。この答えに満足したゼウスは予言の力を与え、激昂したヘラは目を潰し暗黒を与える(これは 柳田國男の論にある「予言者の司祭はその能力をうるため一つ目になる」に通じるところがある。また、 目が見えないことは「語り部」として能力を有する。)。
 ジャンコクトー台本の『エディプス王』にこのティレシアスは登場する。
 この頃テバーイの王はエディプスであった。疫病が蔓延する町に頭を悩ませていた王は原因をつきと めるため、アポロの神託を受ける。その神託とは、「先王ライオスを暗殺した犯人がこのテーバイに潜ん でいる。その者が疫病の源である」というものだった。王はこの人物を探し出すため、予言者のティレシ アスを呼ぶのである。
 王が尋ねてもティレシアスはけして答えなかった。王は疑念を抱き、執拗に予言者を責める。この責め にとうとう予言者は口を開いてしまう。
「犯人は王、あなたです。」
 エディプスはコリントスの王子とされてきたが、じつは先王ライオスの実の子であり、王妃イオカステは 実の母であった。ライオスは予言者に、
「いつかあなたは実の子に殺される。そして母と結婚する。」
と言われていたので、エディプスを山中に捨てたのだ。ところがこの子はコリントスから帰還し、知らずに 父を殺してしまったのだ。そして自らの母と結婚してしまった。
 王妃は真実を知ると縊死し、エディプスは自ら目を抉りテバーイを去る。


 アールデコ華やかなりし頃、ガーダ・ヴェーナという女流画家の美人画がもてはやされた。長いしなや かな手足、ボーイッシュな身体つき、ほとんどない胸。中性的でいて色香の漂うこの美人画は、夫エイナ・ ヴェーナをモデルとしていた。
 はじめは嫌がっていたエイナは、妻の絵のモデルをするうちに女装趣味に目覚め、用もなく女装するこ とが多くなる。ここまでならただの女装癖の親父だが、この形で、デンマークの社交界に顔を出すように なると一躍人気者になり、彼に言い寄る男も出始めた。リリ・エルベ。エイナは社交界ではこの名で通っ ていた。そしてとうとう外見まで「女」になりたいと欲しだしたのである。手術は五回、段階をふんで行われ た。その間、ガーダは夫(?)を変らず愛し、モデルとしてエイナを描き続けた。
 社交界で女王扱いをうけ、身も心も女となることを望んだエイナは男根切除だけではなく、開を穿ち子 宮を移植して、愛する男たちの子供を生みたいとさえ思い始めた。これが誤りであった。手術の不備によ り移植後二ヶ月でこの世を去ったのである。
 ところがである。実はこのエイナの体内には小さいながら子宮が存在していたのである。つまり元から 両性具有であった。医師は女性ホルモンの注射によりこれを成長させれば、正常に機能すると思ってい たらしく、エイナにはそれを告げた。これを真に受けて、わが子を身ごもることを夢を見たのである。


 古来、両性具有の話の多くは「男性主導」であり、あまり「女性から両性具有へ」という話はない。ところ が、現在の両性具有は「女性主導」が多い。これはアンドロギュノスを性的欲望と結びつけ、具体化の過 程(映像、イラスト)で美しさを優先としたとき、女性の体に異物を付着させることのほうがより性的欲望を かき立てられると考えたためであろう。また、従来の男性に開を与えてアンドロギュノスとしてもその映像 は「鶏姦」の何者でもなくなってしまう。このあたりが理由ではないか。どうだろうか、腐女子諸氏。




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