2003年03月17日

国家失踪 −禁断の実はどんな味か−

 これをお読みの方はナウル共和国をご存知だろうか。この国が世界史に名前を現すのは1798年イギ リスの捕鯨船がナウル島を発見したことに始まる。1888年ドイツ帝国が領土(植民地)化を宣言。第一次 大戦後にドイツの植民地はすべて委任統治に移行したが、ナウルも豪州・NZ・英国の三国共同の委任 統治領となる。1942年今度は太平洋に勢力拡大を狙った日本により占領、軍用港として使用するため島 民はトラック島に移住させられた。第二次大戦後の豪州・NZ・英国の三国による信託統治を経て、1968 年1月に独立を宣言しナウル共和国となる。
 この国はナウル島一島により構成され、面積21平方km、人口1万1千人(ナウルの人口の内訳は島 民が6〜7千人、中国からの出稼ぎが3千人弱、アフガン難民1千人という構成)、言語は公用語の英語と ナウル語、産業は鉱山の採掘で産業に乏しいオセアニア地域で国民一人あたりのGNPが4640USドル (1993年度)国民所得が3万3500USドル(1995年度)という高水準、ゆえに国は潤い国民はほぼ無税、 そればかりか医療・教育も無料という夢のような国であった。このような国であるから低迷を続ける日本 を脱出し、老後はナウルで暮らそうと願う人がいたほどだ。
 ところが今年(03’)1月末、この世界で二番目に小さい国、南太平洋の楽園、ナウルが消息を絶った。

 国際電話がかからなくなった。回線のダウンであろうか。はたまた人為的な切断であろうか。国際電話 回線が一本しかないナウルではたびたび起こっていた障害だと周辺諸国は意外と冷静で、南国特有の おおらかさなのか大したことではないと認識していた。ところが2月も終わりに近くなろうというのに一向復 旧する様子がない。NZ政府や太平洋島嶼国の協力機構「太平洋島嶼国会議(PIF)」は、ナウルが助け を求めるでもなく音信不通になっていることに不安を感じながらも、下手に手も出せず模様眺めの展開で あった。業を煮やしたオーストラリアは復旧支援のため国際援助組織「オースエイド」を2月27日に現地に 送り回線の回復を図った。しかし、月が変わっても回線の復旧どころか「オースエイド」からの連絡さえ途 切れてしまったのだ。
 なぜ楽園がこのような状態に陥ったのか?すべての答えは「燐の消滅」にあった。

 ナウルは4600USドル余りあったGNPが現在2000USドルを割っている。それどころか国家破綻をお こして、国は瀕死の状態なのだ。原因は主要産業であった燐鉱石の枯渇である。
 1990年代半ば、すでに島内の燐鉱山で採掘量が減少をはじめていた。数年後の燐の枯渇がささやか れ、減産による経済の延命を求める声が上がったが、外貨獲得の方法が燐以外にないナウルでは国家 財政を支えるためにも、とにかく今まで通りに掘り進める以外に選択肢はなかった。その結果2000年を 前に完全に燐鉱石は枯渇してしまったのである。This only oneを失った国家は税収もなく財政は傾き、 公務員に払う給料にも事欠く始末。それに伴い汚職が横行、政治不信が加速し国家が破綻したというわ けである。まさに失楽園。つまり、この国の荒廃は燐鉱石の減少と共に始まったといえる。
 95年11月の総選挙後、議会は89年から95年まで務めていたベルナルド・ドウィヨゴ氏に代えて、レネ・ ハリス氏を大統領に選出した(ナウルは大統領制をしき、三年任期の18人の国会議員が大統領を選出 する。)。これを皮切りにほぼ1年おきに政権が交代する不安定な国政となる。97年2月の総選挙でハリ ス氏に代わりクロドゥマール大統領が誕生。ところが98年6月、不信任案が可決されドウィヨゴ氏が大統 領に返り咲いかと思えば翌年4月には不信任案を提出、ハリス議員が大統領に就任。2000年4月には総 選挙後にハリス氏が再任されたのに、直後に辞任。再選挙の結果、ドウィヨゴ氏が再選。01年3月、また しても不信任案可決により、ハリス氏が大統領に就任した。ところが今年に入って再び議会がハリス大 統領に不信任を叩きつけ、1月にドウィヨゴ氏が大統領に就任するはずだった。だがハリス氏はこれを不 服として辞任せず、二人の大統領が治める異常事態となった。(ややこしい!つまり一年交代にハリスと ドウィヨゴが就任・辞任を繰り返しているのだ。)回線の不通はこの翌日起こったらしい。

 今回の外界隔絶の直接原因は、国家破綻に端を発する国民の暴動であろうというのが正当な見方で あるし、メディアの大勢を占めていた。ところが一部マスコミはCIAかFBI絡みの「アメリカ陰謀説」を真剣 に唱えていた。なぜこんな小さな国をアメリカが隔絶したのだと報じられたのか、それにはこんな事情が あった。
 ナウルは燐の枯渇を目前に控え、何とか新たな産業を興さなければと日々模索を続けていた。そのと きひらめいたのが、「地下銀行」を創設することであった。表に出せない金銭をナウル銀行を通すことで 清浄な金銭に戻す、いわゆるマネーロンダリングを行う銀行をよりによって国家がつくったのだ。
 これに真っ先に目を付けたのはロシアマフィアだった。1995年のことといわれるが、このときロシアから 銀行に入った金額が600億USドル。ロシア経済が揺らぐほどの多量の金銭がロンダリング目的に流れ 込んだことを世界中から非難されたのだが、ナウルは懲りもせず今もこの銀行は稼動させていて、先ご ろその顧客の中にアメリカが目の敵としている「アルカイダ」と「ビンラディン」の名が発見され、アメリカに これを厳しく糾弾されている。
 これに輪を掛けてアメリカを激昂させているのが「旅券乱発」問題だ。銀行がだめならまた新たな外貨 獲得策を練らねばならない。そこで今度は国籍を売ることを考え出した。外国投資家らを対象に2万US ドルで国籍を与え、旅券を発行したのだ。過去6年間で数千冊、国としては痛くも痒くもないボロイ商売で ある。ところがこれにも待ったがかかった。01年の同時多発テロを含めて、テロリストと目される人物の 多くがナウルの旅券で世界を飛び回っているためだ。
 この二つの問題をアメリカはナウル自身に解決させようとしていた。しかし、これを手放せば国家存続 が危うくなるナウルはのらりくらりとごまかし続け、痺れを切らしたアメリカがこの元を絶つため、強攻策 に出たとマスコミは読んだわけだ。
 しかしそれすら序の口で、ナウルは経済立て直しのため、アメリカも仰天する計画を立てていた。国家 を民間企業に売り飛ばす計画である。(「合併」などと甘ったるい言葉で報道されていたが…)
 政府は国家の主権を法律家・企業家を中心とした企業体に譲渡、企業体はナウルに(賭博中心の)リ ゾート地を開発、タックス・ヘイブン(租税回避地)を作り、利益は企業とナウルで折半しようというらしい。 だが、企業側の責任者が現在詐欺罪で訴えられ係争中となんとも胡散臭い状況になっている。

 話を戻そう。3月3日、オースエイドから連絡が入り国際回線の一部が復旧したと伝えられた。それに伴 い、この二ヶ月、何が起こっていたのかが徐々に明らかになってきた。
 まず、この回線のダウンは局地的洪水の影響であって、確かに暴動は起きていたが、それとは何にも かかわりがないことと知れた。暴動は1月半ば、反ハリスを叫び始まった。大統領官邸を焼き撃ちにし市 外を襲撃したため、議長が逃げ出し国会開催もできない無政府状態になった。この事態収拾のためドウ ィヨゴ氏が大統領に選出されたのだが、「議長不在」を理由にハリス氏が辞任を拒否、暴動に拍車がか かった。だといって打つ手があるわけでもなく、二ヶ月間ほぼ狂乱状態のまま、なすがままにしていたとい う(この間アフガンからの難民キャンプは自治を強いられ、援助もないまま自警を続けた。)
 二月末、大統領のドウィヨゴ氏はこの状況打破のため、アメリカで銀行問題と旅券問題の弁明に向か ったが、これも体のいい亡命であったらしい。そして運命の3月3日。ドウィヨゴ氏が心筋梗塞で会談中に 倒れた。持病であった糖尿と心労からきたものらしく、病院に運ばれるが、10日に死亡。国家の消滅は 決定的となった。

 現在もこの混乱は続いている。国際回線の一部回復も緊急避難的な簡易なもので、外部世界との完 全回復は未定である(これも、ナウル銀行とのオンラインを不能にするためアメリカが工作しているとい われるが、真相は不明である。)。
 議会は臨時大統領を置き、議長を選出し正常化に一歩近づいたといわれているが、敵対するドウィヨ ゴ氏の死により、ハリス氏がまた大統領になる模様で混乱の収拾は難しそうだ(一部報道ではハリス氏 も重体と伝えられる。)。
 難民キャンプでも事態は深刻化しており、精神に異常を訴える人があとをたたないという。
 いまだにわからないことが多く、状況は流動的である。今後どうなるか、注意深く見て行くべきであろう。 今の世界、どのような事態も他人事では済まないのだから。


 日本のマスコミはほとんどこの話題を取り上げてもいない。世界の主要項目と国内事情、あとはくだら ない生活情報ばかりだ。大宅壮一氏がテレビを指し、
「一億総白痴」
といったというが、誠にその通りである。かく言う私とてその一人であるが…。




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