2003年08月27日

天下ノ不如意 −“sai”と“dice”と“aiea”−

 村上帝の御時、民部卿藤原元方の女祐姫は長子廣平親王を産んだ。元方は階位の低さを日ごろ嘆い ていたが、これは千載一遇のチャンスで、もしこの子が立太子でもしようものなら将来は約束されたよう なものである。ところがこの陽の当たる出世街道に暗雲が立ち込めた。藤原師輔の女、皇后安子が懐 妊してしまったのである。元方の心中はいかばかりであったことか。
 そんな折、庚申待ちの日に公卿がうち揃い双六に興じていると、師輔が戯れに、
「皇后の御懐妊中の御子が男子であられるなら重六よ出ろ。」
と賽を振ると、あやまたず重六の目が出てしまった。
 そののち生まれた子は男子。無論皇后の子であるため第一位にすえられ立太子をした。廣平親王即 位の夢が費えたとき、元方は悶死したという。


 上記の話はよく知られた(?)双六に敵って死を招いた元方卿の話。サイコロが神占の器として使用さ れていたのがよく分かる。ところがこれは日本に限ったことではない。世界至るところに散らばっている のだ。
 ところはドイツ、十七世紀の半ばのこと。一人の美しい少女が殺害された。このとき容疑者として名前 が挙がったのは二人の兵士、ラルフとアルフレッドであった。日頃この少女をめぐり諍いの絶えなかった 二人が、思い余って殺害したのであろうというのが当局の推測であったが、お互いに自分の無実を訴え るばかりで、拷問にかけても自白は得られなかった。そこで、この地の領主たるフリードリッヒ・ウィルヘ ルム公が裁決を下すこととなった。その裁決とは、
「骰子を振り、その敗者を犯人とする。」
という、いわゆる『神意裁判』であった。
 公の御前で厳粛なる儀式が執り行われ、まずラルフによって二粒の骰子が振られた。転々と転げた骰 子は二つとも六を出し、12点。この時点で、ラルフの負けはなくなった。誰の目にもアルフレッドが犯人で あると映った。
 一方、アルフレッドは狼狽し、跪いて神に祈った。
「私は無実です。全能の神よ、私をお守りください。」
 そして全霊をこめて振り出した骰子は転々と転げ、留まったときに皆が声をあげた。一つの骰子は六 を、もう一つは真っ二つに割れて六と一を表にしていたのだ。
 これには誰一人声が出ず、神意の恐ろしさからラルフは全面自供をはじめたのである。公はこれを、
「まさに神の神意である。」
として、直ちに死刑を宣告し、この骰子を大切に保管させたという。
 ドイツ帝室博物館にはこの骰子があって、『死の骰子』として展示されているという。
                                           (穂積陳重 『法窓夜話』)
 元方もそこで愕然としないで、
「女であればわれを勝たせよ。」
って、サイコロ振っときゃよかったのにね。サイコロが二つとも割れて、「重七」が出たかもしれないのに …。(でもそれって勝ちではないか)


 ちょっと跳んでインドの話。『マハー・バーラタ(インドの神話)』の世界。
 バラタ王の末裔、シャーンタヌ王の孫にはドリタラーシュトラとバーンドゥという兄弟があり、この二人の いずれにか王位を譲ろうと考えた。順とするなら兄が優先されるところだが、兄ドリタラーシュトラは全盲 であるため政務に支障があろうと考え、武勇にも優れた弟バーンドゥを後継と選んだ。ところが即位した 弟は早世してしまい、まだ幼かった弟の息子たちが王に即位することは考えられなかったので、改めて 兄が継ぐこととなった。王となったドリタラーシュトラは、弟の息子である五兄弟を引き取り自分の百一人 の子供(これをカウラヴァという)同様に養育し、いずれはその兄弟に王位を譲ろうと考えていた。賢明な 王はそう考えていただろうが、百一人の子供たちは快く思うはずもない。そのなかでも長子ドゥルヨーダ ナは「我こそ王たるもの」と公言していた。王は、
「自分は先王の死により棚ボタで王となったのであるから、正統の王系に返すべきである。」
と我が子を諭し、バーンドゥの五兄弟の長子ユディシュテラを次王に指名した。
 どうにもおさまりのつかないドゥルヨーダナは、王をそそのかし姦計をもって五兄弟を追放し殺してしま おうとした。が、これを察した兄弟はうまく逃げおうせてしまう。
 一年の放浪ののち、妃を連れ帰郷した五兄弟を王は歓迎し、王国を二分し半分を兄弟に割譲すること を約束した。これにより、王の百一人の子供たちのカウラヴァ王国はハスティナープラを首都とし、五兄 弟のバーンドゥ王国はインドラプラスタを都と定めた。
 年月を重ね二つの都の明暗ははっきりと分かれてくる。インドラプラスタは富み栄え、並びなき繁栄を 誇ったのである。五兄弟に異常な対抗意識を燃やすドゥルヨーダナは、この都を我が物にしようと再び姦 計を巡らした。すなわち、おじにして博打の名人のシャクニを巻き込んで、五兄弟の長男ユディシュテラ の弱みに付け込もうとしたのである。長男の悪い癖は勝負事にのめりこむことで、サイコロ賭博を持ち掛 けられたユディシュテラはいかさまとは知らず、次々と財産を取り上げられ、終いには自らの国さえも巻 き上げられてしまう。それにも飽き足らず、妃のドラゥパディも奪われ、我が身と他の兄弟たちさえ奴隷と して売り渡す羽目になってしまった。
 これには気の毒と思った王から身の自由は保障され、罰として13年間身分を知られず森を彷徨うこと が出来たなら王国を返還することを告げられる。
 五兄弟は見事約束の13年の彷徨を終え、王国を取り戻したが、またもドゥルヨーダナと対立からとうと う戦争が勃発、長い長いカウラヴァとバーンドゥの争いが始まるのである。(この五兄弟が森を13年間彷 徨っているとき、出会ったのがブリハドアシュヴァ仙である。この仙人から兄弟は、ナラという美丈夫の王 とダマヤンティーという美女の王妃との数奇な運命の物語を聴く。このなかで、王女であったダマヤンティ ーは婿に迷うことなくナラを選び、これに横恋慕した魔神カリ王は、ナラをサイコロ賭博に狂わせて、ナラ の弟プシュカラ王子に自らの化けたサイコロを使わせて、王国を簒奪させてしまう、という話をする。仙人 はこの話をすることで、兄弟たちに「あの賭けはいかさまだったのだ」ということを暗に示したのである。)


 戻って日本。『平家物語』には双六の出目に付いての記述がある。古来日本ではぞろ目のことを重〜と 呼び慣わした。「重一(でっち じういちの転)」、「重二(じうに)」、「重五(でっく じうごの転)」、「重六(ちょ うろく)」、しかし三と四ばかりは「朱三(しゅさん)」、「朱四(しゅし)」と呼ぶ。なぜか。これに答えたのは当 時の薀蓄親父の信西。
「昔は他と同じよう二重三・重四と呼んでいましたが、唐の玄宗皇帝と楊貴妃が双六をなされたとき、皇 帝が重三の目を出したいと思われ、『朕の思い通りになるなら五位に叙そう』と申されてお振りになられる と、見事重三の目が出た。一方楊貴妃の番となり重四の目を出したいと思われたとき、『私の思い通りの 目が出たなら共に五位としましょう』と言って振ると、重四の目が出た。こうして共に五位に叙された賽は 五位の印『紅袍』をまとう代わりに、目に朱が指されるようになったので、重三・重四を朱三・朱四と呼ぶ ようになったのです。」
 平安当時、というより日本の賽には三にも四にも朱は指してない。それどころかその頃は一にも朱が指 してなかった。一に朱が指されるのは明治になってから、日の丸のイメージ定着のためとか。では中国は どうか。ほとんどが日本と同じがだ、一部で使われているサイコロは一と四が赤く塗られているという。三 は忘れられたか。


 狂言『博奕十王』。念仏を唱えれば誰でも極楽往生ができるようになってしまった鎌倉末期。地獄は衰 微をきたし、亡者が供給されないから今日食うものにさえこと欠く始末。業を煮やした閻魔大王。獄卒を 率いて極楽と地獄の境『六道の辻』で待ち伏せをして、やって来る亡者に難癖をつけては地獄に落とそう と、てぐすね引いて待っていた。そこへやってきたのが名うての博打うち。
「そんなことをしている者は地獄行きだ。」
と言い渡されるが、
「博打など、誰もするもの。」
と突っぱねる。実は閻魔大王博打というものを知らないので、判断に困ってしまう。
「では教えて差し上げよう。」
と、博打うちが賽を取り出しいちいち教えてやると、これがなかなか面白い。のめりこむ内に閻魔大王も 獄卒も身包み剥がされ丸裸。とうとう博打うちの極楽行きの道案内をさせられてしまう。
 ヘロトドスの『歴史』に描かれたラムセス三世の地獄行きも、同じように冥府のオシリスとサイコロで勝 負をして黄金の手巾を貰ったうえ、地獄から蘇るというストーリー。古今とも似たような話があるもので。


 Alea jacta est. (賽は投げられた。) ジュリアス・シーザー  (『ローマ皇帝伝』)


 行動学者カイヨワの「遊びの提議」の一つ「アレア(賭け)」。賭け(アレア)とはラテン語のサイコロ (alea)からきている。


 さあ、お隣中国、それもぐんと遡って秦滅亡後の話。
 天下の覇権は、楚の項羽と漢の劉邦の両雄いずれが握るのか、いよいよ終盤に差し掛かっていた。し かし秦が滅びてから幾年月、絶え間なく続く戦争に国は荒廃し兵士の厭戦ムードは嫌がおうにも高まっ ていた。そこで講和会議が開かれ、鴻溝の東を楚の国、西を漢の国とし、二国分立とすることで大乱を 終結することで合意された。
 鴻溝の会談の約定はすぐに実行され、項羽は東の都を指して軍を引き上げっていった。これで平和な 時代がやってくる、従軍していた諸侯も皆安堵して帰路を急ぎだした。一方の劉邦も西の漢中を目指し 踵を返そうとしていた、そのとき軍師韓信がそっと耳打ちした。
「いまです。」
 劉邦は耳を疑った。
「項羽軍は食料もなく兵士は疲弊しています。叩くなら今しかありません。」
渋る劉邦に韓信はとどめを刺した。
「天下万民のためです。」
 こう言われると義の人劉邦は弱い。馬を回すと大返しに項羽軍を急襲したのだ。里心が付き始め、気 が緩んでいた軍兵はろくろく抵抗も出来ず蹴散らされ、項羽は生涯初の大敗を期してしまう。この一勝が 二人の運命を大きく分けてしまったと言ってもいい。
 後年唐代の詩人韓愈は、ここ鴻溝を訪ね七言絶句を詠じている。

  鴻溝を過ぐ   韓愈
 竜疲れ虎苦しみて川原を割く
 億万の蒼生、性命存す
 誰か君王に勧めて馬首を回さしむ
 真成に一擲、乾坤を賭く

 竜とは劉邦、虎とは項羽のことである。この末尾、「一擲、乾坤を賭く」の句から「一世一代の大博打」 のことを「乾坤一擲」というようになった。まさに劉邦は「天地」をこの一投に賭けたのである。無論賭けで あるから投げたのはたかだか「一粒のサイコロ」だが、このサイコロは天地鳴動の大サイコロであった。


 では最後はヨーロッパ。ちょっと難しい「量子力学」のお噂。
 量子力学の問題で、「波動と粒子の相補性」と「観測者問題」というものがある。光子や電子がある時 は波、あるときは粒子として行動し、両方の性質を持っているというのが「波動と粒子の相補性」、光子や 電子を測定しようとすると、測定物に影響を与えてしまい、乱れて位置と運動を同時に観測できないと言 うのが「観測者問題」。
 簡単に言ってしまえば、同じ電子なのに時によって布ッ切れみたいにくっついて見えたり、お砂糖バラ 蒔いちゃったように見えたりしちゃう訳。それとね、見ようとするとその影響で電子がちゃんと動いてくれな くて、観測できないのが物理学者の悩みだった。
 これには二つの解釈があって、一つは「実在論」もう一つが「コペンハーゲン解釈」。「実在論」はアイン シュタインなんかが支持しているんだけど、その解釈は、
「観測の仕方悪り〜んだよ。」
って、かなり投げやり。ちゃんとやりゃ出来んだよ。科学的測定で何でも物体の位置・運動は決定できる んだ、という信念でいっているから結果が出ないのは、やり方が悪い以外の何物でもなくなってしまうの だ。
 さてもう一方の「コペンハーゲン解釈(提唱者ボーアがコペンハーゲン研究所に所属していたためこの 名が付いた。)」。これも訳わかんない。
「観測事実を離れたことは分からない。」
って、どういうことよ。「観測で分かること以外は知ったこっちゃない。」ってことらしいが、いずれにしても 投げやりすぎる。
 「コペンハーゲン解釈」は確立統計を物理学の中に持ち込んだ画期的なものであった。つまり、「観測 で分かること以外は知ったこっちゃない。けれど分かったことは確かでしょ?」ということ。これに対してア インシュタインが言ったのが、かの有名な言葉、
「神はサイコロを振らない。」
であった。


 上の量子力学、管理人は半分も理解しておりません。いいのかこんなの載せてしまって…。




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