2003年12月29日

妖弦譜  −平均律からこぼれた音−

 イタリアの作曲家タルティーニ(Giuseppe Tartini 1692-1770)のバイオリン・ソナタ・ト短調、俗に『悪魔 のトリル(Trillo del Diavolo)』と呼ばれるこの曲は、夢に現れた悪魔のバイオリン演奏のすばらしさに、目 覚めてすぐ書き留めたとされる作品である。バイオリンの天才といわれたタルティーニが後年、
「あのときの悪魔の演奏を再現しようとしたが、どうしても同じものは出来なかった。」
と語っているのだから、その悪魔の演奏はどれほどすばらしかったのだろう。
 この夢を見たのは1713年頃、ちょうど彼がアッシジに滞在していたときのことといわれている。ただ、そ の滞在にはちょっとした訳があった。元々タルティーニは音楽家ではなく、パドヴァの大学で法律と神学 を学ぶ学生であった。その折、大司教の庇護していた女性(プレマッツオーネだったかな?)に手を出し て、密かに結婚していたことがばれて逮捕、アッシジに追放されてしまったのだ。この措置は、神学を学 ぶものとしてあるまじき仕儀ということらしいが、大司教としてみれば彼の軽率な行動は神に対する、否、 自分に対する冒涜のなにものでもなかった。一方タルティーニは、大司教の怒りなどどこ吹く風、追放先 にその女性を連れて旅立っていったのである。
 この事件を聞いてから考えると、果たして彼の夢に悪魔は出てきたのだろうか?と疑いたくなる。想像 するに、タルティーニは追放先で『バイオリン・ソナタ・ト短調』を作曲し、自分を追放したパドヴァの大司 教への面当てに、神からではなく悪魔に啓示を受けたといったのではなかろうか。この発言は、十八世 紀のキリスト教圏ではまだまだ驚愕を以って迎えられるだけの「パンチ」の効いた言葉であったはずだ。
 両者の対立、まもなく大司教は彼の腕が惜しくなり、パドヴァに呼び戻し、かつ結婚も許可をしているこ とを見てもタルティーニの勝ちで終結したといっていい。それどころか大司教は彼を寵愛するようになり、 教会の首席奏者に任じたり、宮廷のオーケストラの指揮者に推薦したりもしている。まったくいい面の皮 だ。
 『悪魔のトリル』により一学生であった彼の名は、イタリア全土に鳴り響くこととなる。本当に悪魔が弾い たのかどうかは分からないが、確かにこのソナタ、最後に連続するトリル(主音とその二度上の音とを交 互に早く引く技法)の難易度からいっても「神」の手ではなく「悪魔」の手をもって奏でられたといったほう がしっくりとくる気がする。


 秦の始皇帝を暗殺しようとした男は数知れないが、その多くは国のためであり、王のためであり、民の ためであった。だが、筑の名手であった高漸離はたった一人の友のためにこれを討とうとした。
 友の名は荊軻。秦に侵攻されかけていた燕の国が、起死回生の一打として企てた始皇帝(この頃は、 まだ秦王・政)暗殺のために、太子丹に雇われた刺客であった。ところが、今一歩というところで期を逸 し、暗殺を成し遂げられず処刑されてしまった。彼が旅立ちのときに高漸離の筑に和して詠った、

  風蕭蕭兮易水寒 壯士一去兮不復還  (風蕭蕭として易水寒し 壮士去りて復還らず)

の通りになってしまったのである。
 政は怒りに任せ、燕を急襲、燕王は首謀者の太子丹の首と国土の西半分を割譲し、秦と和議に持ち 込んで国家滅亡は回避した。その数年後までに秦は次々と列強国を滅し、とうとう約定を破棄して燕に 侵攻、これを滅ぼし統一国家秦を建国した。
 その時、高漸離は燕にいたが、以前の暗殺に一枚咬んでいたので身の危険を感じ、荷物をまとめ、名 を変え身分を隠し、鉅鹿の宗子のもとに潜り込み下人として働き、ほとぼりがさめるのを待った。
 奉公をはじめて早数年が過ぎたある日、来客があり屋内からは筑を打つ音が洩れ聞こえてきた。高漸 離は仕事の手を止め、ひとりごちに筑の音にあれこれと評を付けていた。これを聞きとがめた家人が主 人に告げると、
「ほう、やつは音の良し悪しが分かるのか。」
と面白がり、高漸離を呼びつけて筑を打たせることとした。主命とあっては断るわけにもいかず、打ち出 した音色に主客共に喝目しない者はなかった。客達は彼に酒を勧め、賞賛を惜しまなかった。この演奏 が、高漸離の運命を大きく変えようとは誰が知ろうか。彼の中で何かが狂いだした。死の影を避けて名を 隠してきたが、息の詰まるような日々に辟易とし始めていた彼はもう黙っては居られず、今まで隠してい た衣と筑を取り出して、高漸離として改めて筑を打った。一座の者は誰一人として涙を流さない者はなか った。
 筑の名手が現れた、噂は全国広がり、ぜひに召抱えたいという者が名乗りを上げた。誰あろう今は始 皇帝と名乗る秦王政であった。高漸離が始皇帝の御前に引き出されると、お付きの一人が、
「こいつは荊軻の一味であったものです。」
と告げた。一度は朕の命を狙った者、そばに置くわけにはいかないが、殺すにはその腕は惜しい。始皇 帝は悩んだ末、その両眼を潰すことで罪を許し、そばで筑を打たせることとした。はじめは心を許さず離 れたところで打たせていたが、聴けば聴くほど、「もっと近くで聴きたい。」衝動に駆られていった。召され る度に始皇帝と高漸離との距離は近づいてゆき、しまいには相手のぬくもりさえ感じるほど近くに席が設 えられるようになった。
 その日も、いつものように召されお側近くで筑を打っていた高漸離は、突然筑を取り上げ、狙いすまし て始皇帝に殴りかかった。筑にはあらかじめ鉛が仕込んであり、当たれば明らかに致命傷を負わせられ るようになっていたのだ。しかし、悲しいかな彼は撃つべき的を正確に捉える感覚を失っていた。何年も かけて始皇帝に近づき、目を潰されても蔑まれても、この一瞬のために耐え忍び、友の敵を撃つべく振り 下ろされた高漸離の一撃はむなしくも空を切った。始皇帝は即時高漸離を処刑し、二度と他国の諸侯士 氏を陪席させることはなくなった。
 司馬遷は『史記』の中でこう述べている。

  此其義或成或不成、然其立意較然、不欺其志、名垂後世、豈妄也哉。
(その義を成した者も成さなかった者もいた。しかし、その意思は明らかで、その志を欺かず、後世に名 を垂れたのは、云われなきことではないのだ。)


 さる大家の若旦那。深川の芸妓の小糸という女に入れ揚げて、線香代(時計代わりに線香を燃やし、 たちきる[燃え尽きる]までをいくらと定めた玉代)に店の金を持ち出しては、三日に空けない放蕩三昧をし ていた。困った大旦那は親族一同協議の上、百日のあいだ蔵の中に押し込めて謹慎生活をさせることと なった。次の日の昼下がり、若旦那の下へ色街から手紙が届く。さては女からの呼び出し状だな、と番 頭はしらばっくれて受け取って、抽斗の中に隠してしまう。次の日は朝夕に二本、その次の日は四本。四 本、八本、十六本と日に倍増し。このまま続いたら蔵をもう一つ空けなければと思った矢先の八十日目 にあれだけあった手紙がぷっつりと途絶えた。
 そして迎えた百日目。もとより気の優しい若旦那、親に心配かけたことをわびてすっかり真面目になっ て蔵から出てきた。そこに差し出されたのが、番頭が預かっていた山のような色街からの手紙。これのた めに蔵住まいになったのだからと嫌がるところを、
「若旦那宛ですから、一本だけでもいい、目を通していただきたい。」
と番頭なだめすかして、最後に来た手紙を渡した。宛名は「若旦那様へ」返して「御存知より」。開けてみ れば千々に乱れてたった三行。

  此の状御覧候上は
  即刻御越し此れなき節は
  今生にては御逢い出来まじく候
                    かしく

 釣り針のようなかしくで客を釣り。弱弱しいが、馴染みだった芸妓の小糸の文字。口では「くだらないこ とが書いてある」と言い捨てて、番頭には「浅草の観音様に願ほどきにいく」といって店を出たものの、足 はまっすぐ深川へ。
 揚屋のおかみを訪ね、一目だけ小糸に逢わせてくれ、顔を見たら帰るからと、若旦那の頼みに奥から 小さな袱紗包みを出してくる。
「オイ、なんだい。こんな悪いいたづらは止めとくれ。こりゃお位牌じゃないか。…へっ、…釈妙…俗名、 小…糸。…小糸。小糸、死んだのかい。…いつ死んだ、誰が殺した。」
「誰が殺した?そう聞かれたら、若旦那、あなたが殺したとそう云いたくなります。」
 小糸は若旦那が来なくなった日から、振られたものと思い、食べるものも喉を通らず床に臥せってしま っていた。毎日手紙を書いては店に送る。送った便りに返事がないと、またふさぎ込んでものを食べな い。見る見るやせ衰えて、医者に見せてももう長くないと首を振るばかり。そんな時、若竹屋から若旦那 が特注で作らせた三味線が小糸の許に届いた。
「ほら御覧なさいな。若旦那があなたのこと嫌いになったなら、こんなもの、送ってくださるわけないじゃな いの。」
「そうね、おかあさん。私これ、弾きたい。」
 弱った体を引き起こし、本調子に合わせて渡してあげると、一撥「しゃん」。
「小糸ちゃん、どうしたの、さあ、続きを、って覗き込んだときには…もう…冷たくなって。」
「すまなかった。そんなことになっていたと知っていたら、わたしゃ蔵の戸蹴破ってでも。」
「蔵の戸。やっぱりそんなことになるんじゃないかと心配してたんですよ。」
 若旦那が小糸に線香を手向けて、おかみからお清めを貰う。
「おかあさん、お仏壇の三味線が…。」
「しいっ。…こりゃ、地唄の『雪』だ。小糸はね、この歌が好きでねぇ。…小糸、私が蔵ん中いるとき、手紙 をくれたんだってねぇ。お前がそんなことになっているとは…知らなかったんだよ。すまなかった。…小 糸、わたしゃ生涯女房と名のつくものは貰わないつもりだ。」
「その言葉、千部万部のお経より、何よりの供養でございます。」
 ふっと三味線の音が消える。
「オイ、小糸。もっと聴かせておくれ、なあ、糸でも切れたか。」
「どうしたの小糸ちゃん。若旦那聴きたがっていらっしゃるじゃないの。どうして弾かないの。…あっ、…若 旦那、何言っても小糸ちゃん、もう三味線は弾きませんよ。」
「へっ、どうして。」
「ちょうど線香がたち切れました。」
                                               落語 『たちきれ』


「チェリーニのバイオリン」。この名に聞き覚えがある方もいるかもしれない。時はルネサンス晩期。バイ オリンという楽器が突如として現れ、アンドレア・アマティ(A.Amati 名工ニコロ・アマティの祖父)により その原型が整えられた頃のこと。イタリアはガルダ湖畔の街サロで、この新しい楽器を作る職人がいた。 名をガスパロ・デ・ベルトロッティというが、人々は町の名をとって「ガスパロ・ダ・サロ(Gasparo da Salo  1560-1609)」と呼んだ。
 このガスパロも名工として名高く、フィレンツェやローマからも注文が舞い込んで来ることがあった。そ の中に問題のアルドブランディーニ枢機卿(Ippolito Aldobrandini 1536-1605 のちのローマ教皇クレメ ンス8世)からの注文もあった。枢機卿の注文はこのようなものであった。
「装飾入りのバイオリンを作って欲しい。」
 つまり、ガスパロに楽器の主要な胴やネックは作らせ、渦巻や指板などはその当時随一の装飾作家ベ ンヴェヌート・チェリーニ(Benvenuto Cellini 1500-71)に作らせることとしたのだ。
 だがこの話、どこかおかしい。ガスパロの生まれが1560年、チェリーニが亡くなったのは1571年。もし二 人の合作なら、ぎりぎり考えられるのはガスパロが十一歳のときヴァイオリンを作り、七十一の爺さまチ ェリーニが彫刻したことになる。アルドブランディーニが枢機卿であったのは1585-92年だから、なおのこ と無理ではないか?おそらくはチェリーニの息子が彫ったのではないかと考えられる。なぜベンヴェヌー ト・チェリーニの作としたかといえば、その放蕩無頼の生活と神品の腕前に起因する「名人譚」に以下の 話を仕立てるためだと思われる。
  このバイオリンの特徴は渦巻(バイオリンの頭部)にある。正面には天使の頭部、裏にはセイレーンの 頭部が彫られていた。チェリーニの意図がどこにあったのかは分からないが、この聖俗二面を持つヤヌ スを彫りこんだバイオリンは枢機卿の元に送られ、とある少女の手に渡った。この少女は枢機卿の庇護 の下で幼い頃からバイオリンをよくし、将来を嘱望されていた。とはいえ、容姿端麗であったといわれる 少女に特注までして贈ったバイオリンとは、俗物の筆者などはちょっと邪な考えが頭をもたげてしまう。
 ともかく少女はこの贈り物を喜び、くる日もくる日も奏で続けた。バイオリンの所為であろうか?その音 は狂性をはらみ、旋律には妖艶な香りが漂った。それはまるでセイレーンの歌声のように人々を、そして 何より弾く者を魅了した。魅入られた少女は生気を吸い取られたかのように間もなく死亡した。
 こんなことがあったので以来四十年、このバイオリンは弾かれる事はなかった。ところがこのバイオリン を弾く機会が巡ってきた。その日、バイオリニストは音階を合せ出したとき、ただならぬものを感じてい た。バイオリンは歳月を取り戻すように音を紡ぎ出し、魅惑の音色が演奏者を絶頂へと誘った。その日 来、バイオリニストは狂気の世界へと落ちてゆき、二度と戻ることはなかった。
 その後も「チェリーニのバイオリン」は所有者、演奏者を破滅へと誘った。病、失踪、錯乱、頓死。この 呪いにも似た因縁を断ち切ったのが牧師にしてバイオリニストのオーレ・ブル(Ole Bull 1810-1880)であ った。彼によって最後の演奏が行なわれ、以後誰の手にも触れないようにノルウェーのベルゲン博物館 に収蔵された。「チェリーニ」はすでに伝説となりその数奇な運命から、「悪魔のバイオリン」とも言われて いる。
 バイオリンの寿命はどれくらいかと、古今の名器を借り受けて実際に音の劣化が進んでいるか科学的 な調査をしたことがあったが、そのとき「チェリーニ」だけは対象からはずされたと聞く。円熟のピークを越 してしまったであろう「チェリーニ」を、それでもなお恐れるのは、天使の微笑みの裏にあるファム・ファタ ールの目覚めを畏怖してなのだろうか。


「魔のバイオリン」に続いては、「悪魔のバイオリニスト」のお話。19世紀最高のバイオリニストと呼ばれる ニコロ・パガニーニ(Niccolo Paganini 1782-1840)は演奏家であり作曲家、今日よく耳にする『ラ・カンパ ネラ(La Campanella =[伊] 鐘の意)』も彼の作品で、正式には『バイオリン協奏曲第二番 第三楽章』 といい、リスト(Franz Liszt 1811-1886)によりピアノ曲に書き換えられ、『パガニーニの主題による超絶 技巧練習曲第三番』つまり『ラ・カンパネラ』となったのである。
 パガニーニの生い立ちはあまり幸福とは言いがたく、寝てもさめてもバイオリン漬けの日々を送った。 父の指導は異常でつねに進歩を求め、上手くいかないと食事を抜くなどの体罰を加えたという。この体験 が、のちの彼の吝嗇に繋がっていると見るむきもある。1800年、初めての演奏会を期に父から逃げるよ うに演奏旅行に出発、以後34年に帰国するまで全ヨーロッパを席巻する演奏会は続けられた。
 彼の作品は難曲が多く、最近まで超一流の演奏家さえ弾くことが出来ない曲というのが存在していた。 ゆえに、
「パガニーニは悪魔に魂を売ってバイオリンの技術を手に入れた。」
という噂が、まことしやかに囁かれていた。まあ悪魔は云い過ぎとしても、医者の中には、
「このような奏法が出来るのはきっと彼が『末端肥大症』であったのであろう。」
と真面目に発表するものまで出る始末。実をいうと彼の難曲が誰にも弾けないのは、悪魔に魂を売った からでも末端肥大症だからでもなく、独学から生まれた我流の弾き方によるものであった。正しい引き方 をしていたのでは絶対無理な奏法も、我流の格好であれば無理なく引けたという。(詳しいことはよく分か りません。)
 とはいえ、彼の力は群を抜いていたことは確かで、ショパン、シューマン、リスト、ベルリオーズなどみな 彼の演奏に驚嘆し、また曲の変奏曲を書き残しているから、多かれ少なかれ刺激を受けたのだろう。特 にリストは、
「私はピアノのパガニーニになる。」
と叫んだという(これを聞くたび、棟方志功の「わだばゴッホになる。」を思い出す。)。
 またベルリオーズは自らの代表作の交響曲『ロミオとジュリエット』を、パガニーニに捧げた。ベルリオ ーズの場合は歌劇『ベンヴェヌート・チェリーニ』の失敗により、食うにさえ困っていたときにパガニーニが 資金提供してくれたことへの感謝も含まれている(でも、渋チンのパガニーニが本当に資金を提供したの かな?)。
 悪魔のバイオリニスト、パガニーニに「チェリーニ」を渡して弾かせたらどうなったことであろうか。おそら く共倒れかな…。


 嬌声を「琴絃」という。


『壇浦兜軍記』の三段目、口(くち=初め)の件は特に『阿古屋の琴責』とよばれ、歌舞伎の見せ場であ る。
 平景清の行方を捜索する畠山重忠は、景清の愛妾京都五条坂の遊女阿古屋を引き出して、居場所を 吐かせようとした。ところが「知らない」の一点張りで、取り付く島もない。そこで重忠は阿古屋に琴、三味 線、胡弓を弾かせ、嘘を言っていないか音の乱れで判断しようとする。阿古屋は言われるとおりに三つ の糸物を見事演奏し、嘘のないことを証明した。
 『壇浦兜軍記』は元々は浄瑠璃であったが、歌舞伎に移してからは女形の難役となった。何せ、琴、三 味線、胡弓の三つを無理なく弾きこなさなければならないからである。それだけでも至難の業なのに、遊 女なので頭には大きな鬘を付け、重い内掛けを着たままで弾かなければならない。ゆえに出来る女形が おらず何十年も上演されなかったが、最近坂東玉三郎が復活させたことにより、その舞台を見ることが できるようになった。


 鎌倉時代の琵琶の名手、中原有安(鴨長明の琵琶の師)の著した『胡琴教録』の中に奇妙な記述を見 つけた。

又云。琵琶細工筋若者。本名犬須地云々。或人云。近江國犬上郡人也。犬嫁人生子仍件子孫犬須地 云也。實名可尋也。知足院殿候者也。上品の琵琶細工なれど、三の難或也。一には反手なげたり。一 には内をくりすぐしたり。一には覆手の上にいたくこうあり。

 へっ?犬と人との間に出来た子供?どうやらこの琵琶細工の「筋若」という者は、不義の末の子孫であ るらしい。ただ、本名の「犬須地(いぬすじ=犬筋)」ということから「狗神憑き」の家系であったため、犬と 人間の子と言われる様になったと知れる。この場合、筋若の手になるものは常人の作るものとは違う 「霊」の籠もった物となる。上品になるのは必然ともいえる。
 ただでさえ、琵琶や竜笛といった楽器は音を発することで、また持つ人が我が身の一部として魂を込め ることでその霊性は高くなる。百鬼夜行の器物の中に、音のするものが多く含まれているのはそのため でもある。そこに異人が作ったという伝承が加われば、それだけで「玄象」のような奇怪な琵琶が生まれ てくるのである。そして往々にしてその楽器には癖がある。扱いづらいところがあるが、それを差し引いて もよい楽器であるというのが異人の作るものの「相場」らしい。
 ただ筋若の作った琵琶で奇妙なことが起こったということは聞かない。 




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