聖堂内の十字架の道行きは、墨象と七宝焼きとで構成されています。
墨象による「十字架の道行き」 |
これは、日本的というか、絵画表現が中心の中で、文字による「十字架の道行」は、世界的にもめずらしいものだと思います。
唯一の特色は、各留の「語句」にありますが、書作品の苦心は、その語句のイメージをいかに書造形として表現するかでした。祈り、黙想する皆さんのことを思うと尚更の思いでした。各留を黙想する「言魂」を作品といたしました。
アシジのフランシスコ 森井 象山(日本カトリック書人協会副会長)
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七宝焼きは、片岡正子様の作品です。
第一留 「死告」 イエズス死刑の宣告を受け給う |
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イエズスは法廷に立たされる。イエズスは、いばらの冠をかぶり、真紅のマントを着せられている。ピラトは、ユダヤ人たちに「見よ、この人を」といった。かれらはイエズスを見ると「十字架につけよ」と大声で叫んだ。
主よ、あなたは、わたしたちの日々歩むべき道がどのようなものか、また、どのようにその道を歩むべきかを身をもって示すために、今、死の裁きの前に立たれる。正義が不義に裁かれ、愛が憎しみによって報いられる。
「裁くな、裁かれないために」と言われた主イエズス、なんとしばしば、わたしたちは兄弟の目にあるちりを見て、自分の目にあるうつばりを見ないでいることか。兄弟の欠点やあやまちよりも、それを責め、それを口にすることのほうが、はるかに醜いものであり、あなたに裁かれるべきものであることを悟らせてください。
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第二留 「苦」 イエズス十字架を担い給う |
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ピラトは「いったいあの人がどんな悪事をしたのか」といった。しかし、人々は「十字架につけよ」とますます叫びたてた。ピラトは、すべての骨折りがむだになり、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗い、「この人の血については、わたしには責めはない」といって、イエズスを十字架につけるために引き渡した。 イエズスはひと言も発せず、十字架を担わせられる。
何も困難のないとき、「わたしは神のみ旨を果たす覚悟がある」というのと、十字架が来るとき、真にこれを受けとる覚悟があるのとは別である。
そのようなとき、たびたび心は憶し恐れる。そして、あらゆるよい覚悟が消えうせる。主よ、しかしそのときにこそ、わたしはあなたのもとにいなくてはならない。勝利者であるよりも敗北者であればこそ、あなたの愛だけがわたしの支え、わたしの力であることを悟らせてください。避けがたい困難や苦しみを前にしてヽむやみに嘆いたり、片意地になったりしないように。
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第三留 「倒」 イエズス初めて倒れ給う |
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むち打たれ、朱に染って歩むイエズスの緊張と疲労とはその極に達し、十字架の重荷はイエズスを圧しつぶす。
あるときには、あらゆる十字架が、自分の力を超えたものと見える。苦しみと疲れに、「もうだめだ」という重いひと言がもれるときが、いつかは必ず来る。
主よ、あなたの忍耐と愛により、このようなとき失望してしまわぬよう、わたしを助けてください。
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第四留 「聖母」 イエズス聖母にあい給う |
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最愛の母と子、互いの目と目、心と心が通うその刹那、そのときどのような愛、どのような苦しみが、ふたりの心を波立たせたことだろう。このまなきしの間に何かあるのか? 神のみ、それを知る。
別離はひとつの死である。
今ここにおける母と子の別離は死以上の死である。主よ、このみ母の胸を貫く悲しみの涙がわたしのうちに注がれ、あなたの愛をさらに深く生きるようにさせてください。
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第五留 「助力」 イエズス、クレネのシモンの助力を受け給う |
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ただ一人苦しみつつ歩み、絶入るばかりのイエズスの十字架を人はクレネのシモンに担わせた。
主イエズスこそ険しい道を歩む人の力づよい道連である。
もしいつかわたしが、人は自分自身の苦しみとともに孤独であり、めいめい自分で解決をつけねばならず、なんぴとも他の人を助けることができないのだということを知るときがくるならば、そのとき、主よ、あなたがわたしの傍らにいますことを感じさせてください。
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第六留 「聖顔」 イエズス御顔を布に写させ給う |
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十字架の重荷にあえぎつつ歩みながらも、深い愛に目ざめたイエズスの心は、ベロニカのつつましく、率直な愛をよろこび、み顔をぬぐって聖い面影の写し出されたその布を彼女に与えられる。
聖書にはなくても、心に留めないではおかれないあまりにも美しいこのベロニカの話は、愛とはなんであるかを教えてくれる。ああ、主よ。なんとあなたは強く、やさしくあることか!
もしも自分の苦しみのために、まわりの人に対し、かたくなに心を閉ざし、冷淡になる誘惑を感じるようなことがあれば、主よ、そのようなとき、苦しみに伴いやすいこの利己主義からわたしを解き放ってください。わたしは気むずかしくなってはならない。他人に八つ当たりしたり、自分が苦しい状態にあることを口実にしてかれらのよろこびをそいではならない。他の人がしてくれる細かい心づかいをよく見知ることを教えてください。そして、それらを尊重し、感謝することを。
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第七留 「倒 倒」 イエズス二度倒れ給う |
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とめどもなく流れ出す血とともに、人の子イエズスの力もつき果てるばかり。イエズスはふたたび倒れ伏す。
主よ、あなたが望まれるのは、わたしが倒れないことではなくて、倒れても倒れても起き上がり、あなたに最後まで従うことです。
あなたの愛の忍耐に倣い、十字架のあとに来るべき復活の希望に生きさせてください。
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※各留の祈りのことばは、カトリック祈祷書「祈りの友」第4版(カルメル修道会発行)より引用しました。
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