第八留 「慰」 イエズス、エルサレムの婦人を慰め給う |
|
御自身のうちのすべてが、苦しみにふるえている時でさえも、イエズスは婦人らに静かに語り、その聖なる死の道を歩みいかれる。
すべての人間にとって、苦しみがあまりにも重く、身も心もすべてが苦しみの烈しさのために自分自身に反抗するような時が来る。
主よ、もしもわたしがこのような状態になることがあるなら、あなたの深い落ち着きを与えてください。疲れのうちにも、苦しみのうちにも、今なすべき仕事を静かに果たし続ける、あなたの愛の力と忍耐とを与えてください。
|
|
第九留 「倒 倒 倒」 イエズス三度倒れ給う |
|
全く力尽き果てた主。三たび倒れ、しかし、今一度起き上がり、最後まで十字架を担いゆくイエズス。希望のない暗黒の前進が続けられる。
主よ、あなたは今また立ち上がられる。
それは救われるためでも、生きるためでもなく、死の滅びに自らを委ねるために。主よ、復活は苦しみの暗黒にすべてを委ねきったのちにのみ訪れるよろこびであり、光栄であることを悟らせてください。
|
|
第十留 「聖衣」 イエズス衣をはがれ給う |
|
兵士たちはイエズスを十字架につけると、イエズスの上着を四つに分けて、一つずつ取った。下着は一枚織りで、縫いめがなかったので、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじで決めよう」と相談した。こうして、「かれらはわたしの衣服を分けあい、着物をくじ引きにした」という聖書のことばが成就した。
かれらは主よりすべてを奪った。友も、その最愛のみ母も、弟子たちも。屠殺場に引かれてゆく羊のように、主はすべてなされるがままに任せられる。
主よ、いかなる場合にも忍耐だけが真の愛の証しであり、その愛の忍耐だけがすべてを、すなわちあなたご自身をがち得るものであることを悟らせてください。されたことに、その仕返しをしたり、悪口をいい返したり、陰口などで気を晴らそうとしたりしないように。
|
|
第十一留 「十字架」 イエズス十字架にくぎ付けにせられ給う |
|
「されこうべ」と呼ばれているところに着くと、そこで人々はイエズスを十字架につけた。また、犯罪人も、その一人を右、一人を左の十字架につけた。そのとき、イエズスは「父よ、かれらをおゆるしください。かれらは何をしているのか、自分でも知らないのです」といわれた。
すべては終わってしまった。主はもはや何もできない。十字架にかかったまま留まり、沈黙のうちに苦しむほかには……。
すべてがなんの力にも支えにもならぬ時が来る。名誉も、才能も、財産も、友情も。わたしに死が近づき、医師はもはや何もなしえぬことを告げたとき、このようになる。そのとき、わたしは死の床に釘付けられたままでいる。しかし、そのときに初めてわたしは、わたしが何であるかを、すなわち全くの無にすぎないことを、そして、何が人間にとって最高のものであるかを悟るであろう。あなたに向ける愛の眼ざし、それだけがあなたをとらえ、あなたにとらえられる永遠の生命の明るいきざしであることを。そして今日のこの日を、すでにその愛の輝きを包む十字架の死によって生かされるものとしてください。
|
|
第十二留 「聖死」 イエズス十字架の上に死し給う |
|
十二時頃から三時頃まで地上一帯が薄暗くなった。三時頃、イエズスは「わが神、わが神、なぜわたしを見捨てられるのですか?」と声高く叫ばれた。そのとき、イエズスはすべてを成し遂げられたと知り、「父よ、わたしの霊をみ手に委ねます」と大声でいいながら、み頭を垂れ、息をひきとられた。
主よ、あなたはどのように苦しむべきか、また、最後まで耐え忍ぶ唯一の方法、すなわち愛によって苦しむことをわたしに示された。
それのみが、いかなる哲学、いかなる力、地上のいかなる財宝も与え得ない永遠の愛を獲得させるものであることを深く悟らせてください。
|
|
第十三留 「嘆」 イエズス十字架よりおろされ給う |
|
その日は、安息日の前の用意日であった。しかも、その安息日は祭日でもあった。ユダヤ人たちは三人のすねを折って、体をとり除くことをピラトに願った。安息日に死体を十字架上に残しておきたくなかったからである。そこで、兵士たちが来て、第一の者のすねを折り、またかれと一緒に十字架につけられた、もうひとりの者にも同じようにした。次に、イエズスのところに来ると、すでに死んでいたので、すねは折らなかった。しかし、ひとりの兵士が槍でイエズスの脇腹を突き刺した。すると、すぐに血と水とが流れ出た。
まことに神は死んだ。
キリストの死、それはひとりの人間、ひとりの英雄の死ではない。死によって死を滅ぼすまことの神の死なのである。人間的知恵は恥じ入って黙する。ただ十字架のみが答えをもたらす。
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、ただひとつに留まるものを、死ねば多くの実を結ぶ」。苦しみ、犠牲、死はすべて天にまかれる種である。神の愛にそのすべてをささげるならば、わたしのためにも他人のためにも、そこから生命が生まれるであろう。わたしは信ずる。わたしはあなたに信頼する。わたしの生命、わたしの苦しみ、そしてわたしの死が永遠の実を結ぶように、主よ、わたしは最後まであなたを愛する。………主よ、あなたに狂うまでの愛を与えてください。
|
|
第十四留 「葬」 イエズス墓に葬られ給う |
|
さて、ここにヨゼフという、議員のひとりで、善良な正しい人がいた。かれは議員たちの議決と行動に賛成していなかった。この人はユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。この人がピラトのところに行き、イエズスの体の下げ渡しを願い出た。そして、それを下ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓に納めた。
すべては沈黙している。墓はすべての希望を閉じ込めてしまった。しかし、この沈黙の廃虚にやがて春の復活が、緑を呼ぶのである。死のとげは今いずこにかある。死はすでに勝利にのまれたのである。
|
|
第十五留 「復活」 イエズスよみがえり給う |
|
「わたしを遣わしたかたのみ旨とは、わたしが、与えられたすべての者を、一人も失うことなく、終わりの日に復活させることである。わたしの父のみ旨は、子を見て信じる人には皆、永遠のいのちがあり、わたしがその人を、終わりの日に復活させることである。
わたしを遣わされた父が引き寄せなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない。わたしは終わりの日にその人を復活させるであろう。」
(ヨハネ6・39〜40・44)
死者は朽ちないものによみがえり、わたしたちは変えられる。この朽ちる者が朽ちないものを着、この死ぬ者が不滅をまとうとき、「死は勝利にのまれた」という聖書の言葉が実現する。主イエズス・キリストによってわたしたちに勝利を与えられる神に感謝しよう。
|
|
先頭に戻る
※各留の祈りのことばは、カトリック祈祷書「祈りの友」第4版(カルメル修道会発行)より引用しました。
|