2014金井の旅行記イタリア
2014/7/1(火)-7/12(土)イタリア北部を旅しました。ユーラシア旅行社のイタリア湖水地方とリヴィエラのチンクエ・テッレ~アオスタ編
12日間 SIN2に参加しました。 ドロミテとアオスタの山の景色と、ボルツァーノ、クレモナ、マントヴァ、パルマ、チンクエテッレ、ポルトフィーノ 、バローロ、トリノ、クールマイヨール、チェルビニアなどを訪れました。ドロミテが主な訪問地であったので他の町の組み合わせは少しちぐはぐなツアーでした。参加者夫婦4組、男性3名、女性4名で合計15名。 大体は天気に恵まれたが、アオスタ地方でのイタリア側から、モンテビアンコ(モンブラン)、チェルビーノ(マッターホルン)を見る試みは生憎の天気で雨と霧で何も見えず。折角山の中まで行きながら残念であった。 下に訪れた街を地図で示します。 |
Dolomite 優美なスイスのアルプスとは異なり、荒々しい岩肌が剥き出しの山並みが魅力のドロミテ。 ヨーロッパを横断するアルプス山脈の南側の分嶺でイタリアの北東部にある。ドロミテを象徴するのが、独特の灰色の岩肌のドロマイト(苦灰石)の成分によるもので、2.5億年前の海底が隆起したもの。2009年に世界遺産。 ドロミテやドロマイトという名称は、18世紀末にこの鉱石を発見したフランスの地質学者ドロミウの名に由来する。 初日は ヴェネツィアのメストレから高速道路経由バスでドロミテ地区へ。ミズリーナ湖と、その近くのドロミテの最東部のトレ・チメ・ディ・ラヴァレードのミニハイキングを楽しみ、コルティナ・ダンペッツォへ。 |
ミズリーナ湖 |
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Tre Cime di Lavaredo トレチメは3峰の意味。オヴェスト、グランデ、ピッコラの3峰。お天気で最初は見えたが直ぐに霧が上がってくる。ドロミテの山塊のパノラマを見ながら比較的平坦な道を歩く。アウロンソ小屋(2320m)からラヴァレード小屋(2324m)までのハイキング。(歩行約2.5km、往復約2時間) 近くにドロミテの真珠ミズリーナ湖がある。標高1756mにあるミズリーナ湖は Lago di Misurina “ドロミテの真珠”と称えられる美しさ。湖の周りには、ドロミテの山々が取り囲み、景色は素晴らしいが小雨で散策は短時間で切り上げ。 |
案内掲示 |
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ラヴァレード小屋 |
トレチメ |
比較的整備された道 |
トレチメ |
雨のミズリーナ湖 |
ハイキング出発点 |
ドロミテ山塊 |
アウロンソ小屋 |
ラヴァレード小屋 |
Cortina d'Ampezzo ドロミテ東側の中心都市。アンペッツオの谷底にありドロミテの山々に囲まれた街。コルソイタリアが町の目抜き通り。 翌日はバスでコルティナ・ダンペッツォからドロミテ街道を西に向かってボルツァーノまで、110㎞つづら折れの道をバスで走ります。天気も良かったので沢山の自転車レーサーがバスの前後を走っており、ヘアピンのカーブ33の難所です。石灰岩の白い岩肌の雄大なドロミテ山塊が続く。 ファルツァレーゴ峠passo di Falzarego で写真ストップ。 ラガツオイ2803m、ストリア2477m、チンクエトッリ2137mなどのドロミテ山塊が続く。 |
コルチナ |
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ファルツァレーゴ峠 |
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Passo Pordoi★ドロミテ街道の丁度真ん中あたりで最高所にある峠。「ポルドイ峠」(標高2239m)へ。ロープウェイでサッソ・ポルドイ(標高2950m)に登る。 昨晩降った雪が残っている。パノラマ展望台からのマルモダーラ3343m、サッソルンゴ3181mなどの山並みが絶景である。イタリア語でパッソpasso は峠、サッソsassoは岩山の意味。 |
ケーブル乗り場 |
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ケーブル |
サッソボルドイ |
展望台 |
遠景 |
遠くに街や湖 |
ボルドイ峠 |
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Carezza al Lago 標高1520mにある湖、水は澄みきっており、湖面には森の木々が美しい。道路から駐車場を経て湖の遊歩道への地下道があり観光地としてよく整備されている。 ファッサ渓谷1350m、コスタルンガ峠1745mを越えてドロミテ西側ルートのボルツァーノに近い ラテマール山2864mを背景にしたエメラルドグリーンの湖が美しい。 |
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カレッツァ湖 |
ラテマール山 |
遊歩道への地下道 |
Bolzano ボルツァーノ はドロミテ街道の西端の町。市場を中心とした南北ヨーロッパを結ぶ交易の中心であった。人口10万人、オーストリア領であったためドイツ語が使われる。 ヴァルター広場、シュテファン様式屋根のドウモ、 考古学博物館、エルベ広場、タルヴェラ川などを徒歩で観光。広場の銅像はWalther 中世のドイツ詩人。考古学博物館には5000年前のアイスマンの展示がある。1991年に氷河で発見された凍結ミイラ。 |
エルベ広場の店 |
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ヴァルター広場 |
ドウモ正面 |
ドウモ |
Cremona ジャコモマッチオ通り、ローマ公園、コムーネ宮、ドウモ、トラツオ天文時計、ヴァイオリン博物館などを見学。 1590年にグレゴリウス14世として教皇に選ばれたクレモナ出身の司教ニコロ・スフォンドラーティが音楽普及に強い関心を持っていたことで、16世紀半ばより18世紀半ばに至るまで、アマティ一族、グァルネリ一族、そしてアントニオ・ストラディヴァリという名職人達が次々と現れ、クレモナはたちまちヴァイオリン製作の中心地としてヨーロッパ中にその名が知れわたるようになり、100以上のヴァイオリンの工房がある。ヴァイオリン博物館ではストラディバリソナタ5曲の演奏があり、アンコールはタイスの瞑想曲でした。 |
ヴァイオリン博物館 |
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ストラディバリの墓 |
ローマ公園 |
ドウモと天文時計 |
ヴァイオリン博物館 Museo del Violino 2013年9月14日にクレモナにオープンしたヴァイオリン博物館 Museo del Violinoは、 クレモナにおけるヴァイオリン製作の 歴史が全貌が一望できる施設。 第6室にはストラディヴァリの工房で実際に使われていた道具、内枠、図面等が散逸を防ぎ、展示されていますが、ボローニャの楽器職人ジュゼッペ・フィオリーニ氏が後世の育成に役立たせて欲しいと1930年にクレモナに寄贈したもので、彼の熱心な願いにより1938年にはクレモナにヴァイオリン製作学校も設立されました。 また世界の名器が期間を限って集められ展示されます。 |
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Mantova 人口5万人。ローマ時代の城塞都市。12世紀の治水工事によりミンチョ川は3つの湖になり 14-17世紀ゴンザーガ家の統治が続きイザベラの時代に最盛期を迎えた。ゴンザーガ家の財宝が展示されているドゥカーレ宮殿などを観光。宮殿は広さ34000平方m、500の部屋がある。ソルデッロ広場(Piazza Sordello)にある、14世紀から17世紀にかけて建てられた、ゴンザーガ家の宮殿。 カピターノ宮殿、サン・ジョルジョ城、サンタ・バルバラ教会の3つの建物が集まってできている。リゴレットの家フィレンツェで1597年に誕生したオペラはこの時代マントヴァがオペラの中心的な存在だった。またマントヴァは、ヴェルディの傑作「リゴレットRigoletto」の舞台となった街で、街にはリゴレットの家、スパラフィチーレの家などがある。 |
ソルデッロ広場 |
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ドウカーレ宮殿 |
ソルデッロ広場 |
サンジョルジョ城 |
宮殿内部 |
宮殿内部 |
リゴレット |
Parma 人口18万。ローマ時代の植民都市。1545年ファルネーゼ家出身のパウルス3世が息子のピエールルイジにの地を与え、パルマ公国となった。その後ブルボン家、ナポレオンの混乱期を経て1847年までマリアルイーザが30年間統治した。彼女は市民からも愛され、芸術の花が開き、ヴェルディー、パリミジャーノ、トスカニイニなどの芸術家を生んだ。 ドウカーレ宮殿に広がる公園を抜けて、ヴェルディー橋、ピロッタ宮殿、レッジョ劇場、マドンナデラスッカータ教会、ガリバルディ―広場、ドウモ洗礼堂など徒歩にて観光。 コレッジョ、アンテラミーの建築は素晴らしい。 パルマ生ハム、バルサミコのパスタなど昼食は郊外のアグリツーリズモにて楽しんだ。 |
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ドウカーレ宮殿 |
ピロッタ宮殿 |
レッジョ劇場 |
ガリバルディー広場 |
ドウモ正面 |
洗礼堂 |
ドウモ内部 |
洗礼堂内部 |
トレキアーラmadonina |
Cinque Terre チンクエ・テッレ(Cinque Terre)とは「5つの土地」という意味で、11世紀に誕生したこれらの村は長い間船しか交通手段が無く、外界と切り離された独特の中世の雰囲気を残す魅力的な5つの漁村が寄り添うようにできた海岸線の地域です。西のジェノヴァ寄りから、モンテロッソ・アル・マーレ(Monterosso al mare)、ヴェルナッツァ(Vernazza)、コルニリア(Corniglia)、マナローラ(Manarola)、リオマッジョーレ(Riomaggiore)の五つの村で今は鉄道の駅がそれぞれにある。マナローラとヴェルナッツァを鉄道で訪れた。日曜日であったこともあり電車も街も多くの観光客でごった返していた。世界遺産。 |
乗り降り自由のパス |
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(Manarola) | ||
(Vernazza) | ||
Portofino レヴァント駅からバスでサンタ・メルゲリータ・リグレ15分の連絡船で ポルトフィーノへ 。 高級リゾート地であり、欧米だけでなく、世界中の大金持ちの別荘地として有名。ディズニーシーのモデルになったところ。ツアーも含めて観光客が多く小さな町で、陸路もあるが高級船横附けで訪れるという意味でVIPの隠れ家的な美しい景色があるからでしょう。 丘の上に教会やお城があります。 |
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Barolo ネッピオーロ種で造った赤ワイン、1981年に『D.O.C.G』原産地統制保証名称ワインの産地。 トリノから約60キロの距離の小さな村。ファレッティ候のお城、Museo dei cavatappi(栓抜き博物館)、ワインの博物館(Museo di vino a Barolo)などがあるが、歩いて1時間もあればぐるりと村全体を回れる。そんな小さな村ではあるがエノチカなど試飲スポットは沢山ある。 ワインは日本でも有名で現地でも高価である。 |
ブドウ畑 |
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試飲付き昼食 |
バローロワイン |
街の中心にあるエノチカ |
Torino トリノはピエモンテ州の首都で、人口百万人のイタリア国内4番目の大都市である。 1560年にサヴォイア家がトリノへ遷都したことで、トリノは歴史上最も長く栄える貴族家の支配する王国の首都となる。この豊かな実りをもたらす大地と、侵略・防衛上欠かせないポー川を備えた小都市は、フランスの影響を色濃く受けて行く。1861年、当時のサヴォイア家当主ヴィットリオ・エマヌエレ2世 (Vittorio Emanuele II)は、イタリア統一を果たし、初めて「統一イタリア」の首都となった。イタリア国の首都がローマへ移ってからは、トリノは産業都市へと姿を変え、航空機、自動車の工業地域となった。フィアット(FIAT)の本社がある。 |
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カステロ広場、レッジョ劇場、王宮、大聖堂、マダマ宮殿、サン・カルロ広場を見学。 大聖堂には伝承キリストの聖骸布が保存されている大聖堂ではヴィデオで説明がある。 サンカルロ広場のカフェトリノでビチェリンを試飲。 トリノのポルティコ(アーケード街)。何本ものアーケードがカステッロ広場からサンカルロ広場へと伸びています。町の中心はサン・カルロ広場でいつも賑わっています。サンカルロ広場には双子のようなサンカルロ教会とサンクリスティーナ教会が広場を守るように建っていて周囲はアーケードになっており格式ある店が多い。マダーマ宮殿はエマヌエーレ2世の未亡人、マリークリスティーヌが住んでいたことでこの名がついている。 |
トリノのシンボル、雄牛 |
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トリノのポルティコ |
王宮からみるカステロ広場 |
カステロ広場から王宮を見る |
マダマ宮殿 |
王宮 |
カステッロ広場 |
ポルティコ |
大聖堂 |
双子の教会 |
トリノの聖骸布(Shroud of Turin) 聖骸布とは、十字架に磔にされたイエス・キリストの遺体を包んだとされる布のことで、拷問にかけられたのち磔にされた男性の全身像が横4.37m 縦1.11mのリネン布に写し出されている。1353年、フランス・リレのシャルニー家が所有しているところを発見された。1453年に所有がサヴォイ家に移り、1578年にはトリノへ移動された。年代鑑定では合わないが、現在も真偽論争の繰り広げられている。一般に向けて常時公開されてはいない。ヴィデオの説明がある。後2002年の修復作業後初めて2010年に一般公開された。次は2020年ごろか。写真は聖骸布の入っている箱。 |
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Cervinia 高速を降りてから約1時間幾つもの谷底のヘアピンカーブを大型バスで走り、チェルビニア到着。 小雨。ホテルの窓からイタリア側のマッターホルンが眺められるという事であったが曇り。少し見えたような気がする。また翌日の湖面の反射で有名なブルー湖は美しかったが、 雲が多く湖面のマッターホルンは見えなかった。 |
ブルー湖 |
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チェルビニア |
チェルビーノ見えたか |
ホテルの後ろはチェルビーノ |
Courmayeur モンテ・ビアンコ(モンブラン)麓の町。昨日のつづら折れの道をクールマイヨールへ。 ロープウェイで展望台に行ったが気象条件悪く何も見えない。残念。 ラパーリュ1370mからロープウエイでパヴィリオン2173mその上のトリノ小屋3335m大雪、モンテビアンコどころか一面曇り何も見えないし寒いだけ。 クールマイユールとシャモニーとの間には Vallée Blanche Aerial Tramway と呼ばれる一連のロープウェイが連なっている。 また硬度の高いミネラルウォーターの産地としても知られる。 |
クールマイヨール |
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クールマイヨール市街 |
モンテビアンコ行き |
一面の雪景色 |
Aosta 州都アオスタは、ドラ・バルテア川とブティエール川の合流点に位置し、フランスとスイスへの道の分岐点。この場所を戦略上重要視していた古代ローマ人は、紀元前25年に「アウグスタ・プレトリア」という町を建設した。アウグストゥスの凱旋門やプレトリア門の城壁、円形劇場、地下回路など、古代ローマ時代の数々の遺跡が残されており、「アルプスのローマ」とも呼ばれる。街の中にさりげなく2000年もの歴史の跡が残っている。 アウグストスの凱旋門、サントルソ教会、プレトリア門、ローマ劇場、シャノー広場、大聖堂を徒歩で観光 。 |
シャノー広場 |
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ローマ劇場 |
ローマ劇場 |
プレトリア門 |
Lago d’Orta オルタ湖は、南北10km、幅2km、アルプスの山々に囲まれてたたずむ姿から「緑に包まれた小さな宝石」と呼ばれ、各国から多くの観光客が訪れる景勝地として知られています。 オルタ湖に浮かぶサン・ジュリオ島Isola San Giulioは、南北275m、東西140m、周囲650mの小さな島に鐘楼がそびえています。モッタ広場から頻繁に船も出ている。20世紀後半、湖は付近の工場からの排水で水質が汚染し、工場排水の規制とともに水質の改善をはかった結果、2000年までに湖水は浄化されて湖に再び生物が戻り、今でも湖は常に澄んだ綺麗な水を維持しています。こまで環境を改善した実績は、地元の誇りのひとつになっています。モッタ広場には、1582年に建築された旧市庁舎パラッツォットPalazzottoが建っています。 |
観光用ミニ列車 |
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街の様子 |
サンジュリオ島 |
旧市庁舎 |
Lago Maggiore イタリア第2の大きさを持つロンバルディア州とピエモンテ州の州境に存在し、長さ68キロ幅3~5キロと南北に連なった形をしています。北部はスイスです。 マッジョーレ湖の観光の中心はストレーザ(Stresa)で避暑地としても知られ、ヨーロッパ諸国および世界中から多くの観光客が集まります。 ストレーザ近くのボッロメーオ諸島の3つの島が有名です。ボッロメーオ家は当時ミラノを統治していたヴィスコンティ家、スフォルツェスコ家と並ぶ3大御三家のひとつであり、現在でもミラノ大聖堂の地下聖堂にはボッロメーオ家からミラノ大司教になったカルロ・ボッロメーオ(Carlo Borromeo 1584年没)が安置されている。 |
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Isola Bella この島は直訳すると「美しい島」と呼ぶことができますが、この島全体がボッロメーオ家の宮殿と庭になっています。イゾラ・ベッラは長さ320m幅400mとそれほど大きくはありませんが、その美しさや豪華さはまさに湖に浮かぶベルサイユ宮殿と言っても過言ではありません。実際に皇帝ナポレオンもこの島を訪れ、とても気に入ったと言われています。この島以前はただの岩場だったそうですが、1632年カルロⅢボッロメーオによって宮殿と庭の建設を命じられ孫の代まで引き継いで1671年カルロⅣボッロメーオの時代に完成したとされています。 |
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Isola Madre 島全体が植物園で世界の植物が集められています。この宮殿と庭は現在でも世界に点在する建築物の中でバロック様式の傑作と呼ばれており、宮殿内には当時から保存されている貴重な絵画や調度品などが展示されている。またこの庭は建設当時有名であった庭師を集めて作っただけありデザインも素晴らしいが、しっかりと庭の手入れがされていて、訪れる者を幾種もの花々で迎えてくれます。当時のボッロメーオ家の財力の凄まじさを今も感じることができる。 |
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Isola dei pescatori 漁師の島。長さ350m、幅100m、住人45名でレストランがあるだけ医者も学校もない。教会はある。 | ||
(Mottarone) オルタ湖とマッジョーレ湖の間にモッタローネ山があり ストレーザ の船着場からケーブルがある。1491 メートルのモッタローネ山頂へはロープウェイを乗換え、最後の100 メートルはリフト に乗って上がります。所要時間20 分で、山頂からは、360 度のパノラマで、湖水地方の多くの湖やアルプスの遠景を眺めることが出来ます。遊園地になっておりジェットコースターも楽しめます。 |
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■ドロミテが第一目的であったのでそれ以外の観光地はあまり関心なく、ツアーを選んだのでテーマのない旅行になった。アオスタ付近ではイタリア側からのマッターホルン、モンブランの眺望を期待していたが天候悪く今回は見れず残念であった。 ■比較的小さな町が多かったのでのんびりと過ごせた。但し観光時間が短く消化不良であった。大きな町はトリノ、パルマであったが時間少なく十分に観光できなかった。アオスタ、トリノなどはもう1泊してもう少し丁寧に見れればと思った。また機会があれば良いのに。 ヴェニス、ジェノバやヴェローナは近くを高速道路で通過したが予定にないので今回はパス。 ■このほかにイタリア関連ページは下記にあります。興味があれば見てください。 イタリア中部各都市 地中海クルーズ ■カメラで初めての失敗。初日ドロミテでの写真が帰国後再生できない。想像するに電池を入れ替えた時にメモリーカードがずれてセット不十分で画像が出来なかったと思われる。やはりその場ですぐに再生して確認するのが必要と思った。ドロミテ初日の写真は同じ旅行の参加者佐野さんから頂いたものを使わせていただいた。有難う。 |