第75章    雄略天皇(3)
 
吉野の乙女
  ある時 雄略天皇は吉野離宮
よしのりきゅう (吉野町宮滝あたり)に 遊行ゆうぎょう にお出ましになりました。
  吉野川の畔
ほとりでは 美しい乙女たちと出会い お話しがはずみ 楽しい時間を 過ごされました。
  吉野の離宮から朝倉の宮へ戻られた天皇は 何か
深く考えしずんでおる様子でした。
  実は 天皇は 吉野離宮で出会った乙女たちの中の 自分のタイプの一人の乙女が 忘れられません。
  よって 後日 また天皇は吉野へ お出かけになられました。
  偶然にも その乙女と 会うことができたので 天皇は 部下に気合を入れ命じました。
 
「皆ども 大御呉床おおみあぐら 天皇の御座所を設営し あの乙女を招待せよ」。
  その乙女は 天皇みずから琴を弾く音に合わせて 見事な舞を披露したのでした。
  
乙女の舞いに感動した天皇は 歌を詠んだ。
    「呉床居あぐらの 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世とこよ にもがもと。
  意味: 「呉床あぐら に座る 神の御手に 弾く琴の音に舞う神女しんにょ 永遠とわ にあれよ」

  歌にある 神の御手もちとは 琴を弾く天皇が 神がかりと思える程 琴を上手に弾いたという意味なのか?
  あるいは 天皇自身が
であるという意味の自敬表現じけいひょうげん と解釈すべきなのか?
  神道学者たちの間では 自敬表現と見るべきである という説が主流になっています。

  又 ここの表現は 天皇と吉野の
巫女みこ との聖婚せいこん を表わしているという説もあります。
  この考え方は 道教と習合しゅうごう した
神仙思想せんしんしそう であるという見方です。
  この時代には すでに 吉野の山奥には離宮が設営されていました。
  朝廷においては 吉野の地は 特別な意味をもつ場所であったと考えられます。     
吉野神宮
  他の文献によれば 後々の天皇さまたち たとえば

  第40代/天武天皇てんむてんのう第41代/持統天皇じとうてんのうなども ひんぱんに吉野に入られたようです。
 阿岐豆野あきずの の地名の由来
  雄略天皇は 吉野の離宮から 遠くの地方まで足を伸ばして 狩りを楽しんでおられました。
  ある時 ある野原にて 御呉床
みあぐら に坐り休憩していた天皇の腕に 一匹の虻あぶ が噛みついた。
  その瞬間 どこからか飛んできた
蜻蛉あきず トンボが その虻をくわえて飛び去っていきました。
  そこで天皇は この野原の地を「蜻蛉野
あきずの 」と名付けたのでした。
 天皇 から逃げる
  ある時 葛城の山の登山道を歩く天皇の前に 大きな猪が 藪の中からいきなり現れたのでした。
  天皇はすぐに
鳴り鏑矢なりかぶらや を そのイノシシめがけて放ったのだが 急所を外してしまった。
  矢が刺さったままのイノシシは 怒り狂い唸
うなり声をあげて 猪突猛進してきたのです。     「鳴り鏑矢
  身の危険を感じた天皇は すぐ 近くの榛
はり の木の上に逃げ登って助かりました。
                     
  はや〜 天皇さま 御無事で なによりでした 良かった 良かった …… ボサツマン
  無事木の上に逃げ延びた天皇は 安堵の歌を詠んだ。
  
やすみしし 我が大君の 遊ばしし猪の 病み猪のうたき畏み 我が逃げ登りし 在る丘の榛の木の枝
   
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