第76章   雄略天皇(4)
 葛城の一言主の大神 ひとことぬしのかみ
  ある年の夏 天皇は百官を引き連れて 葛城山 かつらぎやま の登山を楽しんでいました。
  百官の家臣は 皆
青摺りあおずり の衣を着て 赤い紐タスキを巻いて 登っていました。
  その途中の出来事です。 隣りの山の尾根づたいを登る 大勢の人々の姿が見えました。
  どういうわけか その一行の装いも
人の数も 形も 天皇の一行と すべて同じでありました。
 これをご覧になった天皇は さっそく 向こう尾根の人々に 大きな声で尋ねました。
 
「この大和の国に 私のほかに大王おおきみ はいないはず この一行を治める長おさ は どなたなのか?」
  すると 向こう尾根の人々は 言葉も態度も まるで天皇とそっくりに
オウム返しで答えた。
  そこで 激怒した天皇は 百官たちに矢をつがえさせ 構えたのです。
  するとまた 彼らも同じように皆 矢をつがえたのです。
  そこで天皇は 相手方に向かって 大きな声で叫んだ
  「私は
大和の国の王大長谷の若建 おおはつせのわかたける である そちらの名は何と申す?」
  当時の戦
いくさ は 互いに名を名乗りあってから始めるルールなので 天皇から先に名を聞いたのでした。
  相手は 応えてきました。
  「私の名は 悪しき事にも一言
善き事にも一言 言い放つ神 葛城の一言主の大神であるぞ」
 これを聞いた天皇は 大いに恐縮して 深く拝礼はいれい し申しのべました。
 「これはこれは わが
大神。 恐れ多いことでございます。たいへんなご無礼をお許しください。
  私は人間の身のゆえ あなたが
大神と見抜けませんでした。たいへん失礼いたしました。
  お詫びに 大御刀
弓矢百官の着ている衣類 すべて献上しますので お許しください」。
 一言主の大神は 天皇の純粋な拝礼を喜び その贈りものを受け取り お許しになりました。
  そして 天皇の帰り道には 葛城山の蜂
ハチ で行列をつくり 天皇の身の安全を確保してくれました。
  山の麓
ふもと までつづく蜂の行列は いつまでも天皇を お見送りもうしあげておりました。
  葛城の一言主神社は その名の通り
一言ひとことの願いが叶う神社です。        「葛城の一言主神社

   山で狩りを行う場合には まづ 山の神に挨拶する習わしがありました。
   この一節は 山の神への挨拶の儀式のことに関する意味で 書かれたものかも知れません。
   現代の我々も 神々に
挨拶の儀式を行っています。
   たとえば 家を建てるときに行う
地鎮祭は その土地の産土の神うぶすなのかみ
   ”この土地に家を建てて住みますのでよろしくお願いします”という挨拶の儀式なのです。
 袁杼比売 おどひめ
  雄略天皇袁杼比売を妻に向かえるため 春日(奈良県)に向かったときのことです。
  行列を引き連れた天皇を見た袁杼比売
おどひめは 急いで 丘に逃げ隠れてしまいました。
 それを見た雄略天皇は 「乙女の い隠る
岡を 金鋤も五百箇もがも 鋤きはぬるもの」と歌を詠んだ。
 
 意味: 乙女の逃げ隠れた丘を 掘り起こす鋤すき が 五百個もあればいいのに 鋤で探し出そうものを
  袁杼比売が丘に逃げた理由は 天皇が怖かったのでも無く 好きな男が他にいたのでも ありません。
  ただただ 初めて見た天皇の行列に驚いたのでした。 それと 乙女心の恥ずかしさも あったのです。

  天皇は この丘を 「金鉏の岡」
かなすきのおか と名づけました。

  崩御: 雄略天皇は 御年124歳で崩御。 御墓は 河内の多治比たじひ の高鵰たかわし (羽曳野市)    合掌
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