第77章 第22代/清寧天皇 (1)
第21代/雄略天皇が崩御された後
雄略天皇の御子の白髪の大倭根子の命 しらかのおおやまとねこのみこと が第22代/清寧天皇として即位された。
清寧天皇せいねいてんのう は 伊波礼いわれ の甕栗みかくり の宮(桜井市池之内)にて 天下を治められていました。
清寧天皇は 皇后をもたなかったので 御子はおりません。
そこで 自分の「御名代」みなしろ として 「白髪部」しらかべ を 定めた。
次の皇位を継承する王みこのことを 日継ぎ知らす王ひつぎしらすみこ といいます。
清寧天皇は 日継ぎの子がいないので 次期の天皇を心配していました。 「履中天皇の御子」
そこで 次期天皇に成る人物は 17代/履中天皇りちゅうてんのう の血筋から選びたいと 考えていた清寧天皇は
葛城の角刺の宮つのさしのみや に住む飯豊の王 いいとよのみこ を 次期天皇の選出責任者に 決めました。
飯豊の王は 第17代/履中天皇の娘なので 清寧天皇の意向を充分に適えられる適任者なのです。
そんな折 播磨の国で 17代/履中天皇りちゅうてんのう の直系の人物が 見つかったのです。
以前 飯豊の王の兄・「忍歯の王」おしはのみこ が 猪いのしし狩りで 大長谷の命に殺害された事件がありました。
その忍歯の王の二人の子供は 大長谷の命の追及を怖れて 播磨の国へ逃げ延びて生きていたのでした。
まさに 捨てる神あれば・拾う神あり 「播磨へ逃げた兄弟」
宮中で 次の第23代天皇候補を 探し求めている間に 播磨の国では 大事おおごとが発覚したのでした。
忍歯の王が殺害された後 身の危険を覚った遺児の二人 意富祁おおけ の命と 袁祁おけ の命の兄弟は
播磨の国へ逃げて 丹波小子たにわのわらわ と名を変え 身分を隠し 土地の首長・志自牟しじむ の家に住み込み
牛の世話する牛飼い人として ひっそりと 働き暮らしておりました。
ある時 ある宴会で この二人が歌を詠み舞を踊ることになって 二人の身分が明らかになったのです。
人間界では これを偶然という。 だがこれこそ 神の御心が書いた必然のシナリオなのでした。
忍歯の王の遺児・発見
山の幸・海の幸が大変豊かな年に その土地の首長 志自牟 しじむ の家では 新築祝いが盛大に開かれた。
播磨の国の長官 「小楯おだて」という役人が 宮廷の代理として招かれ 酒宴が催されていました。
その「新築祝い」の宴会の席で 衝撃的なことが発覚したのでした。
祝いの酒宴が盛り上がるにつれて 皆々が次々と 舞いや踊りを 披露し始めました。
長官の小楯は 宴会の片隅にいた二人の少年を見て お前たちも 何か踊りを舞うように 命じました。
ここから この二人の兄弟の人生が急変します。
しかし 長官に使命された兄弟は 緊張して尻込みしている様子でした。
兄は弟が先にと・弟は兄が先にと 踊る順番を 互いに譲り合っておりました。
それを見ていた座の村の衆の一同は皆 こんな小童こわっぱ たちが 舞や踊りが出来きる訳が無い……と
そう思って あざけ笑って冷やかしたて馬鹿にしていました。
兄弟の歌と舞
だが 二人はすくっと立ち上がり 弟が歌を歌い 兄は見事な舞いを踊り始めました。
「物部の 我が夫子が取り佩ける 太刀の手上に 丹画きつけ その緒は 赤幡を載せ 赤幡を立てて見れば
五十隠る山の三尾の 竹をかき刈り 末押し靡かすなす 八絃の琴を 調べたるごと
天の下 治めたまひし 伊邪本和気の命 履中天皇の御子 市辺の押歯の王の末奴」
意味:
「武人たるわが君が 腰に帯びた太刀の柄に 赤い色を塗り付け その下緒には 赤い旗のしるしを描き
赤い天皇旗を立て 遠くを見れば 遠く重なる山の峰の竹を 根元から刈り その梢を押しなびかし 八絃の琴を奏でて
天下をお治めになった 伊邪本和気 いざほわけ の天皇 すめらみこと 即ち
履中天皇 りちゅうてんのう の御子 忍歯の王 おしはのおおきみ の末 今はただの奴やっこが この私たちです」。
自分たち二人は 皇族の出身者である と歌と舞いで 身分を明かしたのです。
人の運命は神のみぞ知る 父を殺された二人の王子が こんな形で現れるとは!……ボサツマン
この歌を聞いていた小楯長官は 仰天のあまり 坐っていた上床うわとこ から 転げ落ちてしまった。
皆も 酔いがすっかり覚めてしまった。 全員 口をアングリ開けて目は点となり 固まってしまった。
小楯長官は すぐさま この二柱の王子おうじ を膝に抱き寄せ うれし泣きの涙を流し 言いました。
「ややや!忍歯の王子おしはのみこ たちよ ここでご無事に生きておられたとは 大変に嬉しゅうございます。
誰も気づかず たいへんな苦労をかけました。申しわけありません 平にお許しください。
だが この小楯が来たからには もう何にも心配いりません お任せ下さいませ」。
小楯は その場に立ちあがり 大声で命じた
「よいか皆の衆 この二人の王子は あの誉れ高い伊邪本和気の履中天皇の御子で
狩り場で亡くなられた 忍歯の王おしはのみこ の皇子たちである。 皆の者頭が高い!」
「ハハアー」 皆の衆は よく事情が理解できず ただ 床に伏せるのみでした。
これにて 新築祝い・酒宴は終了となりました。
小楯は さっそく翌日 二人の王子のために 仮の宮を建てて住まわせました。
そして 早馬の使者を朝廷に走らせ 清寧天皇せいねいてんのう に この事実を伝えました。
この話を聞いた 二人の叔母である 飯豊の王 いいとよのみこ は 大感激し喜びました。
飯豊の王はすぐに 二人を角刺の宮つのさしのみや に迎え入れ 共に暮らすことにしました。
清寧天皇は 兄・意富祁おおけ の命を皇太子 弟・袁祁おけ の命を皇子と認定し 可愛がり育てました。
こうして 二人の遺児は 清寧天皇の御子みこ として迎えられ 再び 皇族の身分を取戻したのでした。
第78章へ 清寧天皇(2)