第83章 第30代/敏達天皇 びだつてんのう
第30代/敏達天皇に即位されたのは
第29代/欽明天皇と石比売の命 (第28代/宣化天皇の娘)との息子・沼名倉太玉敷の命 ぬらくらふとたましきのみこと
敏達天皇は 他田の宮 おさだのみや (奈良県桜井市)にて 天下を治められた。(14年間)
敏達天皇は 豊御気炊屋比売 とよみけかしきやひめ の命を 皇后に迎えた。
しかし 天皇も皇后も 共に 父は 第29代/欽明天皇ですので 二人は異母の兄弟の関係なのでした。
天皇と皇后には 八柱の御子がおりました。
崩御: 585年 御年48歳にて崩御さた。 在位期間は 14年間。 合掌
御陵墓: 河内磯長中尾陵 かわちのしながのなかのおのみささぎ (大阪府南河内郡太子町)
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尚 日本書記の記述によれば
敏達天皇と皇后の子の静貝の王 しずかいのみこ (別名/貝鮹の王かいたこのみこ)は 聖徳太子の嫁になったことや
子の多米の命 ためのみこ は 第34代/舒明天皇 じょめいてんのう の妃になった と書かれています。
そして 欽明天皇の ほかの妃として
伊勢の大鹿の首 いせのおおかのおびと の娘・小熊子の郎女 おぐまこのいらつめ
息長の真手の王 おきながのまてのみこ の娘・比呂比売 ひろひめ
春日の中若子 かすがのなかつわくこ の娘・老女子の郎女 おみなごのいらつめ などと 書かれる。 「欽明天皇の御子」
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第31代/用明天皇 ようめいてんのう
第31代/用明天皇に即位されたのは 第30代/敏達天皇の 異母の弟 つまり
第29代/欽明天皇と 妃・岐多斯比売 きたしひめ との息子・ 橘の豊日の命 たちばなのとよひのみこと です。
用明天皇は 池辺の宮 いけのへのみや (桜井市)に坐して 天下を治められました。
用明天皇は 義理の妹にな 三枝部 さきくさべ の穴太部の王 あなほべのみこ を 皇后に迎えた。
つまり 天皇と皇后の父は欽明天皇ですので この二人は 異母の兄と妹なのです。
さらに 天皇の母が岐多斯比売きたしひめ で 皇后の母の小兄比売 おえひめ は 岐多斯比売の姨 おば なので
母親同志も 血縁関係にあるのでした。
つまり 蘇我氏/稲目の大臣の娘が 岐多斯比売で 稲目の大臣の妹が 小兄比売なのです。
用明天皇の御子は 厩戸 うまやと の豊聡耳の命 とよとみみのみこと (聖徳太子)を含め 六柱おりました。
ということは 聖徳太子の父が 用明天皇ようめいてんのうで 母が穴太部の王 あなほべのみこ です。
そして 聖徳太子の妃は 橘大女郎 たちばなのおおいらつめ です。
この聖徳太子の妃・橘大女郎が 秦久麻はたのくま に 「天寿曼陀羅帳」てんじゅまんだらちょう の書物を作らせました。
この書物によると ここまで 天皇のことを 大王おおきみという呼称が 使われていたが
この時代に 初めて 天皇の呼称を 大王から天皇てんのうに変更した旨の記述が あります。
つまり 天皇という文字を初めて使用したのが 聖徳太子なのでした。
崩御: 587年 御年48歳にて 崩御された。 在位期間は 3年間。 合掌
御陵墓: 河内磯長原陵 かわちのしながのはらのみささぎ (大阪府南河内郡太子町)
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第32代/崇峻天皇 すしゅんてんのう
第32代/崇峻天皇に即位されたのは
第29代/欽明天皇と 妃・小兄比売 おえひめ の息子・長谷部の若雀の命 はつせべのわかさささぎのみこと です。
つまり 第31代/用明天皇と 第32代/崇峻天皇とは 異母兄弟なのです。
崇峻天皇は 倉橋の柴垣の宮 しばかきのみや (桜井市)に坐して 天下を治められました。
崩御: 592年。在位期間は 4年間。 合掌
御陵墓: 倉梯岡陵 くらはしのおかのみささぎ (奈良県桜井市)
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第33代/推古天皇 すいこてんのう (初の女性天皇) 「女帝の戦略説とは」
第33代/推古天皇 すいこてんのう に即位されたのは
第30代/敏達天皇の皇后でありました 豊御気炊屋比売 とよみけかしきやひめ の命です。
推古天皇(初の女性天皇)は 小治田の宮 おはりだのみや (奈良県明日香村)に坐して 天下を治められました。
崩御: 628年。 在位期間は 37年間。 合掌
御陵墓: 磯長山田陵 しながのやまだのみささぎ (大阪府南河内郡太子町)
ここで 古事記の記述は パタッと終わっています。
御礼の言葉を申しあげ、感謝の気持ちを伝えます。
ー最後まで お読みいただき 誠にありがとうございましたー‥‥‥‥‥‥ボサツマン
ボサツマン私記
書きだしの最初は 第33代/推古天皇まで書くことになるとは 自分ではまったく思っていませんでした。
だんだん進むうちに 古事記の面白さにのめり込んでいきました。
まさか 自分が 日本最古の文書にズッポリ嵌はまるとは……まったく 思ってみたことも ありませんでした。
オイラも 古事記に魅了された ひとりになってしまったのですが でも これは 嬉しい感激です。
無事書き終えることが出来たことを 天つ神に感謝いたします。 [古事記・完] TOPに戻る