ユダヤ民族の言葉 (3)
ユダヤの論語 (孔子は紀元前5世紀の人) 「孔子の論語」
紀元180年に 聖賢 ユダ・ハナシは 人生の節目を説く文献 「ピルケイ・アボット」を編纂した。
正式名は 「長老たちの倫理」というが 通称名は 「ユダヤの論語」とよばれる。
「5歳で聖書を学び始め 10歳で学に志し ミシュナ(タルムードの中核となる倫理)の学習に着手する。
13歳で成人・戒律を守る 18歳で結婚し 20歳で生計を確立 30歳で活力全身に満ちる
40歳で理解の域に達し 50歳で成熟・良き忠言をなし 60歳で老いに向かい 70歳で白髪となる。
80歳で運が良ければ さらに長生き 90歳で年齢の重みで身体が曲がり 百歳で死に忘れ」
タルムードは学習という意味。 たしかに孔子の論語と そっくり …… ボサツマン
格言
○ 日本の諺 「時は金なり…」に似たのが ユダヤにもある
「時間は宝 金では買えない」 「時は金なり 商売は汝を王とするが時間を奪う」
ユダヤ人は 金・地位・財産は皆 時間を犠牲にして手に入れたものと考える…ようです。
○ 「針に投資しても針以上のものは得られぬ」 「路上で小商いでは 大金はつかめぬ」
○ ユダヤ人は教育熱心
教育の目的は 「トーラ・聖書」と「タルムード・律法」を学んで 生活を律するため。
ユダヤの子供は 三歳で読み書きの勉強を習い 5〜6歳児童は 聖書の読み書きができる。
ユダヤ人は 常に「良きユダヤ人とは何か?」をテーマにもって生きている。
「教える過程で汝も学ぶ」 「ひとつの失敗で七つのアドバイスにまさるものが学べる」
「教師から多くを学び 友人からさらに多く学び 生徒からそれに倍するものを学ぶ」
ある時 ある生徒が ラビ(先生)に 聞きました
「先生は 学ぶときはゆっくりなのに 祈る時は早いのは なぜですか?」
「祈るときは 私が神に早口で話しますが 学ぶときは 私がしっかり覚えるために 神はゆっくりと話すのです」と 先生が答えた。
○ 現実的な言葉 苦難の時代を逞しく生きのびたユダヤ人
「パンがない家には 聖書・トーラ・はない」 「腹が空だと心もからっぽになる」
「空しい言葉と忠告で腹はふくれない」 「剣で殺される者は 飢えて死ぬより幸いなり。
しかし ユダヤ人であるキリストの言葉は違う
「人はパンのみにて生きるにあらず 神の言葉で生きる」とある。 (聖書より)
○ 「嘘つきは不信の罰をもらう」 「嘘つきには信じてくれる自分がいる」
「白髪は老人の証拠 知恵の証拠にあらず」 「阿呆は人の服を見る 賢者は人の心を見る」
「人は服に応じて挨拶し 知恵に応じて別れる」 これまた ごもっとも
「人間は本音は内に隠す」 「言うことは意図するところにあらず 意図することは言わず」
○ 日本の 「火のないところに煙はたたぬ」は→ユダヤでは 「火は木がなければ消える」。
日本では 「人の噂も75日」と 時間が解決するのだが
ユダヤでは 「悪い噂は 7キュビットの深さに埋めよ」 自己の努力をうながす
キュビット [cubit]
古代オリエントの長さの単位。肘(ひじ)から中指の先までの長さをいう。 概略では50センチメートル位
○ 「パートナーと議論は正比例する」 「自分の耳は自分の舌を聴かない」 「鏡は1番のごまかし屋」
「他人の髪のチリはわかっても 自分の鼻にとまった蝿は見えない」 コメディな言い方ですね
○ 議論好き
「ユダヤ人が二人集まれば 三つの議論が生まれる」 「ユダヤ人は問いに対し別の問いで答える」
「最高の知恵者は 利口すぎない人」 「真実の言葉は裸で歩く 嘘の話は衣を着て歩く」 まだつづく