論語 (1) 「ユダヤの論語」
子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る
六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩 のり を踰えず」。
意味:
孔子は言う… 私は 15歳で学問に志した。 30歳で 自信がつき 自立できるようになった。
40歳で 心に惑いがなくなった。 50歳で 天の使命を自得じとく (知り得る)ようになりました。
60歳では 耳にどんな話が聞こえても動揺したり 腹が立つことは なくなりました。
70歳になると 自分が行うすべての行動は 道徳の規範 きはん から 外れることはなくなった。
この節は 論語の中でも 最も有名です 「論語/島崎藤村」
15歳を志学 しがく 30歳を而立 じりつ 40歳を不惑 ふわく 50歳を知命 ちめい 60歳を耳順 じじゅん 70歳を従心 じゅうしん と呼ぶ。
又 孔子は
「子曰く 年四十にして悪 にく まるるときは それ終らんのみ」と 言っています。
人間 二十歳 三十歳はともかく 四十歳になると 分別を持たねばならないのに
四十歳になっても 人に怨まれているようでは もう前途の見込みは無いという意味。
どんな人でも この位の年齢になったら 相応の分別があるのが当たり前という意味だが
孔子とあろう賢人が あっさりと引導 いんどう を渡した文章なので ちょっとビックリ!‥‥‥‥ボサツマン
孔子!
孔子は紀元前 552年 中国の魯ろ の昌平郷 しょうへいごう (いまの山東省)で生まれた。
父母は 日々 尼山 じさん という山の神に 立派な子が授かるようにと 祈りを捧げていました。
やがて 願いが叶い 後世に名を残す賢人・孔子が生まれました。
孔子の字 あざな は 仲尼 ちゅうじ 名は丘 きゅう と名付けられた。
仲尼の尼 じ は 祈願した山の名 尼山 じさん にちなんで付けられた。
生まれてすぐ 父と母が他界してしまったので 幼少年時代は 赤貧洗うがごとしの 貧乏生活であった。
成人して 魯の国の役人になり 委吏 いり (倉庫の会計係り)の職につきました。
やがて 真面目に勤める誠実な仕事ぶりが評価された孔子は 司職 ししょく に昇進します。
次には 非凡な才能が認められて 司空しくう という地方の行政官ぎょうせいかん に任命されました。
司空という職は 地域の土地と人民の政治を司る立場です。ここが孔子の出世の入り口でした。
孔子は 官吏生活を下積みから真面目に勤めあげ 後年には 「聖人・学者」と尊ばれるようになりました。
孔子は 若き日を振り返り 論語の中で (瑣末 さまつ なこと こまごましていて 大切とは思えないこと)
「われ 若きとき賤いや し故 ゆえ に 鄙事 ひじ に多能たのう なり」と 述べています。
意味: 自分は若い時 身分が低く 貧乏だったので 日常の瑣末さまつ なことに 通じている。 (2)へつづく