第12章 大穴牟遅 須勢理毘売の恋
大穴牟遅の到着を 須佐之男の娘・須勢理毘売 すせりびめ が待っていました。
大穴牟遅と会った須勢理毘売に 恋の電気がビビット・走った。毘売びめ はひとめ惚れした。
大穴牟遅もまた 毘売びめ に恋心を抱きました。ときめく心が重なり合い、目と目で見つめ合う二人。
出会った瞬間 ふたりは Fall in Love 。 恋した男女は熱き火の玉です。
愛の温度は沸騰点を突破し、二人はいっきに 相思相愛の関係となり結ばれました。
須勢理毘売は 父・須佐之男の神に
「父上 たいへん ご立派な神が こられました お会いになってください」と紹介した。
父・須佐之男の神はすべてを理解し 「うむ 葦原色許男の命あしはらしこおのみこと よ 家の中に入りたまえ」。
ここの描写は 現代人には理解できません。
大穴牟遅は 須佐之男の六世の孫だし 一方の須勢理毘売は 須佐之男の娘だから、時代が全然違うでしょ
でも 神世の時代なので オイラがとやかく言うことではない ともかく 恋はいいね~!うんうん …… ボサツマン
大穴牟遅と須勢理毘売は、結ばれる運命なのでした。 「
思うに この時代には 男女が知り合える交流の場やサークル活動など、ある訳無いです。
ということは 須勢理毘売すせりびめ は男にウブだったと思われる。
加えて 大穴牟遅に勝るイケメン男は、いなかったに違いありません。
当時の若い男・女は 異性への免疫がありません。ウブな二人は、いきなり燃え上りました。
まあ 恋は盲目だからね 恋は痘痕あばた も笑窪えくぼ に見えるのさ オイラも冷静な意見を言うね~
新鮮な恋 いいね~! オイラも恋したい 誰かいね~かな いる訳ね~な ‥‥‥ ボサツマン
★ 私達の祖祖父や祖父の時代は 移動の手段は自分の足しかありません。
馬を飼える一部の裕福な人以外は 自分の足で歩く範囲は 限られてきます。
その時代には 各部落の村長が
「あの山を 超えてはならぬぞよ 神隠しにあって帰ってこれないぞ」と 言うこともあったらしい。
その村で生まれた人は皆 同じ村人か隣村の人と所帯をもち 生れた村で一生暮らす人生でした。
そういう時代が 過去の日本に 確かにあったのです。
その時代の人々が 今の生活環境に来たら、現代人を宇宙人と思うかも?
人間が進化したわけではないのです。文明の進歩により 生活環境が向上しただけです。
現代の我々は 昔の人間より恵まれていることに、感謝しなければなりません。 ‥‥‥ 合掌
※ 狭い地域の人間同士が 結婚を繰り返していくと 子孫の血は濃くなります。
それで 他の部落の若い男や女が 道に迷って村に入り込んで来た時は
村長が 村人の血を薄めるために この村での結婚を 強引に勧めるのです。
結果 彼らは結婚して村に留まり、二世・三世の子供が生まれて 村が存続してきたのでした。
神隠し‥‥‥
さて 村人が帰って来ない村では 総出で探します。でも見つからない。
そして 最終的な判断として 神隠しという言葉で決着つけたことかも知れません。
以前 テレビ番組で ある村のお婆さんが 話してた
「私は この村で生まれ 小さいときから ず~と いままで この村で生きてきたじゃけん
この村で 爺さんと一緒になって 村から出たこと無いけんど この村の事は なんでも知っている」
倭民族やまとみんぞく は 狩猟民族でも 遊牧民でもありません 農耕民族です。
農耕民族は 田・畑・と共に その土地の人間として 生きてきたのです。
◎ ここで一服 ボサツマンの主張 昔の村社会には,親切心があった。
『日本人の地域社会は,過去の栄光を忘れて自分たちと同列の生き方をする人間には たいへん 親切である』。
この言葉は 作家/三嶋由紀夫の言葉です。
昔の日本人社会・村社会では 村人たちが経済格差を感じることなく生活していました。
ごく1部の人々、地主や庄屋や村長のほかの大衆たちは 皆 同列のレベルで生活していたから
互いが臆することなく 地域社会に溶け込んで 生きていけました。
つまり 変化しない生まれ育った土地や環境 その回りの人間たちのことを だいたい聞いて知っている。
会話したことの無い人でも 知った顔ばかりでした。 その地域に住む人々が皆 そうでした。そんな時代でした。
これが 親切な地域社会の必須条件だったのです。
それに比べて今の現代社会は多種多様な人種で成り立っている。
経済的にも 職種的にも 家族構成でも 大きく異なっている時代です。
こんな時代に 地域の活性化や地域の福祉をどうするか?
日本の行政 地域の町内会 住民たち 皆 悩み考えこんでいます。
大きな問題は ひとり暮らしの独居老人の孤独死対策です。
その解決策の突破口は 親切な地域社会を共に創ろう…です。
でも その考えが時代を無視しているのです。 なぜか? 今の社会が同列の社会では無いからです。
同列の社会では無いとは 格差社会なのです。格差社会という言葉が差別社会を意味するからダメダ。
という声があります。それならば 区別社会とでも表現しましょう。言い方は何であろうが
同列社会に住む人間だけが 地域に親切に優しくできるのです。 第13章へ 大穴牟遅 試練の連続