第32章 神武天皇の妻 子
伊波礼毘古の命は、祖父・山幸彦が立てたー日向の高千穂の宮ーで、阿比良比売あひらひめ を妻に娶めとっ た。
産まれた子供は、多芸志美々の命 たぎしみみのみこと 岐須美々の命 さすみみのみこと の二人。
そして 伊波礼毘古の命が神武天皇に即位した後は
天皇の皇后こうごう にふさわしい お后きさき となる 素晴らしい美人の女性を 探し求めていました。
女性の立場からすると ツノ八本
「なに〜 妻がいるのに さらに 探し求めていたとは けしからん!
そんなフシダラな人が天皇になるなんて 絶対に許せない ぷんぷん」と ツノ八本(ニョキ)出して
怒りの鉄拳を頭上高くふりまわして 雄叫びをあげている女性が多いでしょう。
あ!女性だから雄叫びオタケビ とは言わないか…雌叫めたけび かも?……ボサツマン
チョット・待って・落ち着いて下さい。この時代は 一夫多妻制が普通だったのです。
それが、良いとか悪いとか、という次元の話は この時代にはありません。
当たり前と言うと よけいに 怒られるでしょうが 当たり前だったのです。
オイラ(ボサツマン)の話も 聞いてくださいよ。………ボサツマン
まづ この時代には 一夫多妻制の制度や そんな言葉はある訳ないです。 戸籍も謄本も もちろん有りません。
この時代の結婚とは 今の時代の結婚とは 当然違います。 周りの人々の理解と周知が有るだけでした。
結婚というよりも 「生活のための 合意による同居」と 言えるでしょう。
すると その同居生活に必要なことは 明確な役割りの分担と その中身の実行であったと思います。
当時は 山の狩り・海の漁取り 自然の果実や根物・葉物などが 主な食べ物でしたので、
体力的に勝る男が 生活の糧を得るため 主の役割として優先して働くことになります。
必然的に 女は 男の諸々のお世話役としての ポジションを担うことになります。
映画や舞台の主役と脇役に 例えるならば 主役は1人だが 主役だけでは 成り立ちません。
そのほかに 多くの人々の協力があってこそ ストーリーが 成立します。 それと同じことです。そういう時代なのでした。
え!主役・脇役の問題ではない ハイ すいません ……… ボサツマン
☆ 余談ですが 「後妻討ち」うわなりうち というのが、江戸時代にあったようです。
後妻うわなり とは、後からの妻、つまり、新しい妻のことです。
離縁された前妻が 親・兄弟・親類を伴って 後妻を襲撃する習俗しゅうぞく でした。
襲撃された後妻が 離縁されると 今度は自分が 次の後妻を襲撃する後妻討ちを行うのでした。
奉行所では どう判断していたのでしょうか?
親の敵討ちかたきうち は、美談の範疇はんちゅう (内)だったでしょうが、後妻討ちは どうだったのでしょう?
きっと お上も 見て見ぬふりしていたと考えられます。
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神武天皇の皇后こうごう にふさわしい美人の乙女を、探していた折
天皇の付き人 大久米おおくめ の命みこと が たいそう美しい乙女の情報を仕入れてきました。
大久米の命は 道の臣の命みちのおみのみことと共に 宇陀の/兄・宇迦斯うかし を征伐した「味方軍の大将」です。
巷ちまた の噂によると その乙女は
「神のみこ」といわれている大変な美女で 伊須気余理比売いすけよりひめ という名らしい。
大久米の命は 神武天皇と その”乙女”が出逢うチャンスを 伺っていました。
チャンス!が見つかりました。
美人の伊須気余理比売が 乙女仲間と共に 高佐士野たかさじの に 野遊びに行くという情報が入りました。
野遊びという言葉 とてもなつかしさを 感じますね。
でも 今のオイラは 夜のネオン街の遊びが好きです …… ボサツマン (すいません、脱線しました)
さっそく 大久米の命は天皇を案内して 野遊びしている乙女たちへ 会いに向かいました。
第33章へ 神武天皇と 伊須気余理比売は 逢えるでしょうか? お楽しみに!