中江藤樹・珠玉のことばしゅぎょくのことば・(1)・
     藤樹は、33歳のとき「翁問答」・おきなもんどう・を著した。         LINK:「中江藤樹記念館  :「藤樹神社

  ○ 「知行合一 ・ちぎょうごういつ・」 知ることは行うことである‥‥‥‥‥‥知らないじゃない知れ!
  ○ 人間は皆 善ばかりにして、悪なき本来の面目をよく観念すべし。
  
 人の本心は善にして悪なし、これすなわち固有の良知にして、人々皆しかり。
  ○ われ人の身のうちに、至徳要道・しとくようどう・といえる天下無双・てんかむそう・の霊宝・れいほう・あり。
  
 人間千々よろずの迷い、皆、私心より起これり、私心は わが身をわが物と思うより起これり、
                    孝
・こう・は、その私心を破り捨てる主人公なり。
  
 父母の恩徳・おんとくは 天よりも高く、海よりも深し。
  
 人に生まれて徳を知り道をおこなわざれば、人面獣心・じんめんじゅうしん・とて、
                               形は人間なれども心は獣
・けだもの・と同じことなり。
  
 臣下・しんか・の良きも悪しきも、国の乱れるも治まるも、蓽竟・ひっきょう主君の心ひとつにあり。
  
 政・まつりごと・は明徳・めいとく・を明らかにする学問、学問は天下国家を治める・まつりごとなり、
                                本来一にして二、二にして一なるものを心得べし。
  
 それ学問は心のケガレを清め、身のおこないを良くするを本実とす。

  
口耳の学を戒める
   文字無き大昔には もとより読むべき書物なければ、只、聖人の言行を手本として学問せしなり。
    
藤樹は、「口耳の学・こうじのがく・戒めて、心学・しんがく・良知の学問を 強く説いた。
    口耳の学とは、知ったかぶりの学問で、耳で聞いたことをひとつも心解
・しんかい・せずに話すこと。

  
 偽・にせ・の学問は博学の誉れを専・もっぱら・とし、優・まさ・れる人を妬・ねたみ己が名を高くせんとのみ
              高満
・こうまん・の心をまなことし、孝行にも忠節・ちゅうせつにも心がけず、只ひたすらに 
              記誦詞章
・きしょうししょう・の芸ばかりを務むる故に、おおくするほど心だて行儀悪くなれり。
  
 忠信・ちゅうしん・は 自満の心根をたち捨てて誠の道を求め、明徳を明らかにする工夫なり。
  
 国を治め天下を平らかにする要領、謙・けんの一字にきわまれり。
  
 人間は 迷悟・めいご・の二つにきわまれり、迷うときは凡夫なり、悟るは聖賢君子菩薩仏なり。
  
 儒書にある所の礼儀作法をすこしも違えず、残る所なく取おこなうを、儒教を行うと思えるは大いな誤りなり。
  
 周公の才ありても満心・まんしん・あらば 取るに足らずと孔子ののたまうも、(孔子のいう意味とは)
                            高満
・こうまん・の凶徳の甚だ害あるを 戒め給うことなり。
 
人間の万苦は、明徳の暗きよりおこり、天下の兵乱も又、明徳の暗きより起これり。 これ天下の不幸なり。
  
 心の本体は元来安楽・あんらくなれども、惑いの塵砂・じんしゃ・にて種々の苦痛こらえがたし。
                          学問は此、惑いの塵砂を洗いすてて 本体の安楽に帰る道なり。
                          故に、学問をよく努め工夫受用すれば 本の心の安楽にかえるなり。
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