第54章    憶測説
  神功皇后が崩御ほうぎょ したあと 第15代/応神天皇 おうじんてんのう が即位された。
  この時代には 仲哀天皇暗殺説や 神功皇后と武内宿禰の怪しき関係説などが 世間の噂となった。


  (1) 仲哀天皇暗殺説                                  「ご神託の場面第50章
 古事記によると 仲哀天皇が熊曽討伐の計画中に 筑紫の香椎の宮 つくしのかしいのみや の神に ご神託を願った。
  武内宿禰
たけうちのすくね 斎庭さにわ となり 天皇が琴を弾き”ご神託”しんたく の儀式を執り行った。
  神功皇后が”神がかり”の状態になって受けた ご神託は 西国朝鮮半島出兵はでした。
  だが 朝鮮半島ではなく 九州の熊曽討伐を考えていた天皇は
 この神託には不満を示した。
  神託の最中に不満を言った仲哀天皇は 神の怒りを受けて その場で崩御
ほうぎょ された。
 
  ●ご神託を行う理由は ここにあった

   ある説では
皇后武内宿禰の二人は 朝鮮半島への出兵を提案したが 天皇は首を縦に振らなかった。
  
最初から 九州熊曽討伐を考えていた仲哀天皇は 朝鮮半島への出兵は 頭から反対の立場だった。
   そこで どちらを討伐するのが良いかを 神託を聞いて 決めることになった。
   神託は 夜 闇の中で行なわれました。その場の当事者は 天皇 皇后 宿禰の三人だけでした。
   闇夜のなかの神託の最中に 琴の音が急に途絶えた時に 天皇は息絶えていたのです。
  天皇は 神の神託を否定したので 神の怒りを受けて死んだと 古事記には書かれるが
   闇の夜 その場にいたのは 朝鮮出兵
賛成派の皇后と宿禰の二人と それに反対する天皇のみです。
   神託のその夜 その場にいたのは三人だけ ここが 憶測説を生じる最大の理由です。
   ↑
これが1番目の理由
   2番目の理由は 琴を弾いていた天皇が 闇夜の中であっけなく死んでいた前代未聞の出来ごと
   天皇がいつのまにか死んでいた! この疑問を生じる表現が 憶測
おくそく を生んだのです。
   たった今まで 琴を奏でていた天皇が 気が付いたら死んでいたなんて あまりにも
不自然過ぎます。
   また 出産真近でお腹に赤ちゃんがいる神功皇后が
 武内宿禰を直参じきさん に引き連れて
   自ら陣頭指揮官として西国
朝鮮出兵に出かけて行ったことも 極端過ぎる行為と思われる。
    このように 通常では考えられないことが 多く重なっていることも 憶測に拍車をかける理由です。
   いくらなんでも 天皇が亡くなった直後に
   妊娠中の妻が 先頭きって戦いに出向くとは 異常過ぎる行動と 誰もが思うことでしょう。
   真相は闇の中だが これらのことが いろいろな憶測説の要素となっている。

  (2) 皇后と武内宿禰の妖しき関係説…………ん!不倫の関係ってこと?………… ボサツマン
    妊娠中の皇后が 武内宿禰を引き連れて朝鮮半島に出兵した。
    自らも武装して 先陣を切って戦ったなんて 普通には 考えられません。
    また さらには こんな事実もあったようです。
    朝鮮出兵後に生まれた 皇后の子
太王の命 おおみこのみこと が成人するまでの間 武内宿禰の家で育ち
    武内宿禰は自分の子のように可愛がり 養父の立場として生活していたらしいのです。
    あくまでも仮の話ですが
    太王の命
おおみこのみこと  武内宿禰 たけのうちすくね の実の子ならば
    宿禰の故郷
越前の地に長く 暮らさせていたという事実も すんなりと 理解できる。
  神宮皇后の子 太王の命は 武内宿禰が実の父でないか?という噂話うわさばなし に尾ヒレがつき
   面白がった世間の人々が あちこちで ヒソヒソ喋ったことで広まっていったと 推測できます。
   当時の人々は この二人の怪しげな関係に 深い関心をもっていたのかも知れません。
   
 (3) 太王の命 おおみこのみこと は神の子
   第14代/仲哀天皇が 崩御されたあとに誕生した太王の命
   
住吉大社つまり 墨の江の大神すみのえのかみのおおかみ の子供という説も あったようです。

    いずれにしても 真相は闇のまま。          
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