第55章  第15代/応神天皇 (1)
  仲哀天皇 と神功皇后の子 品陀和気の命 ほむだわけのみこと が 第15代/応神天皇 おうじんてんのう に即位された。
  しかし ここで 疑問点?が……神は前に
 
この国を治めるのは皇后息長帯日売 おきながたらしひめ の御腹の御子 みこ である』と 御言みこと を告げていた。
 なのに
なぜ? 15代天皇には 品陀和気の命 ほむだわけのみこと 即位したのか
 
神の御言みこと では 天皇に即位するのは 太王おおみこ の命です。
  古事記の記載を 振り返えると

  応神天皇
 第14代/仲哀天皇
ちゅうあいてんのう が ご神託の最中に 突然 ,この世を去った。
  その後 神功皇后と武内宿禰が 神の怒りを鎮めるため 心を尽くした大祓いの儀式を行った そのときに
  上記の 神の御言
(みこと) が告げられた。
  
この時 皇后のお腹にいた子とは 皇后が朝鮮出兵から帰還した後に誕生した 「太王
おおみこの命」です。
  
つまり 次の天皇に即位すると 神が申した子は 太王おおみこの命です。
   
しかし 第15代/天皇
には 太王の命ではなく
品陀和気の命
ほむだわけのみこと が 即位しました。
  神の御言葉 みことば と違う天皇が 誕生したのです。
  その理由とは 
  その理由に関して 古事記には無いので  ボサツマンが推測しますお前の推測論 アテになるのか?…たぶん!
 
1
 同一人物説 太王の命と品陀和気の命は 同一人物なのかも。

   やはり 「
前章の2・3の憶測説」と 何がしの関係があるのかも知れません。
 2
 武内宿禰と皇后の不倫説 二人の不倫の結果 太王の命産まれたという 事実なのかも。
   品陀和気の命も太王の命も 神功皇后
 じんぐうこうごう を母として生まれた 子供に違いないが
   天皇に即位しなかった太王の命は 天皇の子種こだね ではない という推察ができます。

    でも 神功皇后は どちらが天皇になっても 天皇の母という重鎮
 じゅうちん の立場は変わらない。
 学者の世界には 主流説が2つある
 
1 王朝交代説
 
謚号 しごう もつ三人の天皇と1人の皇后        応神天皇と八幡の大神:「応神天皇は騎馬民族
  」の謚号 しごう もつ天皇は 初代/神武天皇 10代/崇神天皇 15代/応神天皇の3人だけ

  また 」の文字が付く皇后は 神功皇后 じんぐうこうごう 1人だけ。
  故に ある学者は 「神」の文字をもつ天皇は 新しい王朝の「始祖」という王朝交代説を 発表している。
  つまり 「
」の字がつく天皇の意味は 神話の中にだけ存在する天皇を表わす暗号 らしいのです。

  この学者は 本当の初代の天皇は 応神天皇である という結論を出しています。
  その根拠は
応神天皇 おいじんてんのう 以降の天皇には 「」の文字が付いていないという理由です。
 ほかの学者グループでも 」の謚号
しごう は 何がしらの意味を示す暗号であると 結論づけている。
  また ある学者グループでは
天皇とは天照大御神が顕神したという 仮説の推理論を進め展開し
  「神」の文字が付く天皇は 非実在の天皇の意味である と結論づけています。
                         ちょっと マニヤック的だが きっと 特別な理由があるのでしょう……ボサツマン
 2 騎馬民族説
  大和の国を征服した騎馬民族
きばみんぞく の大王
 だいおう を 三つ重要な分身と捉える説。
  それぞれ 三人の分身 ぶんしん に 特色をつけた考え方。
  
初代/神武天皇の 武力を表していて 天皇は 軍事的征服者 という意味。
  
10代/崇神天皇の 崇拝 すうはい を表していて 天皇は 司祭者
しさいしゃ という意味
  
15代/応神天皇の
こたえる を表していて 天皇は 政治的統率者 という意味。
   要は 王朝交代説も騎馬民族説も 神の謚号しごう をもつ天皇は 別格べっかく であるという考え方です。

  応神天皇の子供たち
  応神天皇には
男王
おとこみこ が11人 女王おんなみこ
が15人
 26人の御子みこ おりました。
   中日売なかつひめ を母にもつ子は 大雀 おおさざき の命  ーこの子が 第16代/仁徳天皇 にんとくてんのう に即位
  
高木の入日売たかぎのいりひめ を母にもつ子は 大山守
 おおやまもり の命。   ーこの子は父の遺言に逆らった
  
矢河枝日売やがわえひめ を母にもつ子は 和紀郎子 わきいらっこ の命    ー父 応神天皇が 跡取りに指名していた子
  次期天皇の世継よつぎ の順は 年上が先の順位で 大山守の命大雀の命和紀郎子の命となるが
  応神天皇は 次期天皇は
末の子和紀郎子 わきいらっこ の命
であるー という遺言状を書いていました。
  しかし 実際には
 二番順位の大雀の命・おおさざきのみこと・第16代/天皇に即位しました。
  それは つまり 事実は小説より奇
なりです
  
父/応神天皇の崩御の後 高木の入日売の子 大山守 おおやまもり の命 遺言状を反故ほご にしたのです。
  それで
事件に発展してすったもんだした後に
第16代天皇には 大雀の命が即位したのでした。

   

  皇位指名和紀郎子の命
わきいらっこのみこと
 和紀郎子の命を 次期天皇にという気持ちを 強くもっていた応神天皇は
ある日 三人の子に 尋ねました。
  「私の多くの御子たちのなかで 私が最も愛しい思う子は 年が上の子か下の子か どちらと思うかそれぞれ答えよ
 
我儘わがまま 尽六じんろく長男
大山守の命は 「父上は 年上の子が最も愛いとしい と 思います」と 答えた。
  一方 天皇が考えていることを察知した 頭脳明晰めいせき 次男大雀の命冷静に判断して
  「
父上が 最も愛いとしい のは まだ成人前の年下の子だと 思います」と 答えた。

 
応神天皇
  「さざき の御子よ お前が申した言葉が私の考えである。 私の考えを よく聞きなさい。
  
大山守 山と海の政事
まつりごと 山人や海部あまべ から 直接 贄にえ (獲物)を 奉らせる役目に着きなさい。
  
大雀 食す国
おすくに 政事 天皇の食事の材料を 国の造 みやっこ や県主 あがたぬし から 献上させる仕事をしなさい。
  一番年下の
和紀郎子の命 皇位 こうい を継ぎなさい
命じました。
  天皇の言葉は絶対です。このように 応神天皇は 三人の子に命令しておりました。
  こうして 次の天皇に即位するのは和紀郎子の命と 決定されていました。
  ところがです!

   現実は
大雀の命第16代/仁徳天皇にんとくてんのう になりました。
   なにがあったのでしょう?詳細は第58章で
  
 
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