第50章 第14代/仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
第14代/仲哀天皇に即位したのは
第12代/景行天皇 けいこうてんのう の子/倭建の命 やまとたけるのみこと を父として
第11代/垂仁天皇 すいにんてんのう の娘/伊理毘売 いりびめ を母とする 帯中津日子の命 たらしなかつひこのみこと
この仲哀天皇の 母・伊理毘売と 父・倭建の命は 叔母おば と甥おい の関係でした。
つまり 叔母おば と甥おい が結婚して生まれた子が 第14代/仲哀天皇なのです。
う〜ん ややこやしい!‥‥‥ボサツマン
仲哀天皇の妻と子
●大中津比売 おおなかつひめ を母とする 香坂の王 かごさかのみこ 忍熊の王 おしくまのみこ
この二人は 仲哀天皇亡き後 神功皇后殺害計画を企てたが 失敗して死んだ。
●また 息長帯比売 おきながたらしひめ (神功皇后 じんぐうこうごう )を母とする 兄・品夜和気の命 ほむやわけのみこと 。
そして 武人の天運を授かり 第15代/応神天皇 おうじんてんのう に即位した弟・ー品陀和気の命 ほむだわけのみことー。
品陀和気の命が武人の天運を持っているという意味は この命が生まれた時には
すでにその腕には 弓を引く武人の腕にできる鞆とも とよぶ 肉塊ししむら が 出来ていたからです。
故 品陀和気の命は 大鞆和気の命 おおともわけのみこと という武人の通称名でもよばれる。
香椎の宮の神 かしいのみやのかみ
ある時 仲哀天皇は 神功皇后を伴にして 西国地方を巡幸じゅんこう (旅行)していました。
天皇は 前から 西国を討ち静めたいと考えていたので 旅行の途中 筑紫の香椎の宮に立ち寄られました。
そして 香椎の宮の神の御神託を受け賜っていた時 神功皇后 じんぐうこうごう が急に神がかりになられた。
即 天皇は 自ら琴を弾き奏でて 神をお呼びいたします。 いよいよ ご神託が降りるのです。
「斎庭」 さにわ は 神が降りてくる神の庭という意味の場所。 さは 神聖を意味する接頭語 「沙庭」「審神者」とも書く。
その斎庭を担当するのは 武内の宿禰 たけのうちのすくね 大臣おおおみ です。
武内の宿禰は 戦前の1円札の肖像になった人物です 歴史に出て来る蘇我氏そがし はその子孫です。
武内の宿禰は 長命(長い寿命)の代表者として 宇倍神社 うべじんじゃ の御祭神 ごさいじん として祀られている。
☆ご神託の場面
ご神託が降りてきます。神がかりになった神功皇后は 神の御心を語りはじめました。
『 熊曽の西国には 金 銀 財宝がたくさん有る。 神は 今 そなたに その西国を授けるぞよ』
これを聞いた天皇は ー西の国を討ちに出兵することは 吉であるのか 教えてくださいーと 神に質問した。
ご神託は 西国を授けると神が言ったのだから もう 質問することでは ありません ……ボサツマン
『そなたに 金 銀 財宝の有り余る国を 授ける』と 神が再度 答えてくれました。
天皇さまおめでとうございます ご神託は大吉でしたね……ボサツマン
天皇は 安心して自信をもって 西国の平定を実行できるでしょう。
ご神託を受けた直後には 拝礼の姿勢のままでーありがとうございますーと 御礼の言葉を申す慣習です。
だが 天皇はーありがとうございますーの言葉を申さずに 琴を弾く手を止めて 胸の前で腕組みをしたのでした。
これは 完全に間違いです。ご神託が完全に終了するまでは 琴の音は止めてはいけません。
「神の降臨」の最中に 琴の音は止めることは 神への冒涜ぼうとく なのです。
武内の宿禰が あわてて 天皇に駆け寄ります。
ーどうなさいました?天皇 琴の音を止めてはいけません。 神への冒涜ぼうとく です 琴を弾いてくださいー。
いったい どうしたのでしょう 実は 天皇の期待した神託とは 少し違ったのでした。
この神託を信じたくなかった天皇は トンチンカンなことを つぶやいてしまったのです。
ー高い山 丘に登って 西の方を見ても 国土は見えません 海ばかりですーと ご神託に イチャモンつけてしまいました。
これはマズイ! 愚痴ぐち や文句は不平不満の言葉です。いけません。
文句や不満の言葉などを神に言うことは 神への冒涜ぼうとく なのです。 絶対に御法度ごはっと です。
ご神託は 無欲の心で 神の意思に従うのみです。 ボサツマンも 理解しなければなりません……ハイ……
言葉は「言霊 ことだま 」です。 ご神託の否定・神の否定や悪口は身が危険です。
大変な事態に なりました。このままでは天皇の身が危険です。早急に お詫びの儀式を執り行うべきです。
「斎庭 さにわ」の最高責任者・武内の宿禰たけのうちのすくね 大臣おおおみ は 慌てフタメイテいます。
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※ 文明社会に生きる我々は どうでしょう
神・仏は 目に見ることができないので 「信じない」とか「居ない」とか 簡単に言う人がいますが
神・仏は 人間の五感で見たり・聞こえたり・感じたりできないから 「神・仏」と表現しているのです。
神・仏に関する発言は 失礼な言葉は慎むことが 最も重要なことです。
”神仏は 物質ではないので目に見えません”
人間の五感のひとつ 目は 物質を見るために 与えられたのです。
人間を超えた世界…自然界など…を 総称して「神」と考えることができるが
本来 神とは 「宇宙の創造主」とか 「宇宙の大生命」 「万物の産みの親」などを言います。
人間が古来から語り伝え・人々が崇め奉ってきた・人智じんち を超えた世界を神と 呼んできたのです。
人間ごとき小さきのもが 神の存在を議論する必要は ありません。 なぜならば 神はあるからです。
イエス・キリストも 言っています……神はある……と。
倭の国(日本)では 天地創造の神 天御中主神 あめのみなかぬしのかみ から「神々」の時代がつづいているのです。
読者の方への質問です 「あなたは あなたの親を超えられますか?」
「親の真似はできない 親には かなわない」と ほとんでの人は 思っているはずです。
神は 親の親のず〜と上の親 さらに そのまだまだ 上の親 大元の親なのです。
ですから ー人の道ーとは 神の御心に従うことなのです。人間の正しい 生き方なのです。
人間は 神・仏の子なのです。 だから 神 仏 親の否定は 自分への否定なのです。
「神は居るとか 居ないとか」 所詮 人間には 解かり得ないことなのです。
大事なことは 神は親の元親なのだから 神の存在を疑う心は 持たないことです。
ご神託は ハイ そのようにしますと 答えるのみです。でなければ 神に聞く意味がありません。
ご神託は 自分の望む答えを期待して むやみやたらに 行うものではありません。
自分が迷っていて 自分では決められないから 神の意見を聞くです。
ですから そのまま神に従うのみなのです。 神の御心を受け入れないならば 良い結果にはなりません。
人間同志においても同じことです。相談をすることは 意見を聞くことだけでは ありません。
よく多い例は 「こうしてみたら 良いでしょう」という 他人の意見や助言に対して
「でも 何々だからできない‥」と ネガティブな発言を返す人がおります。 こういうことではいけません。
ネガティブな気持ちの人は 自分の考えに賛同してほしくて・愚痴を聞いてほしくて 相談にきている人です。
しかし これは 相談ではありません。 賛同談 さんどうだん を得る目的で 相談にきているだけです。
つまり 「神はいるではなく」 「神はある」のです。
無始(始まりの無い始め)から 神の世界は「アル」のです。 広い宇宙のどこかに きっと!
イエス/キリスト「神はある」 イエスは、石を投げつけられた? 新訳聖書:アブラハム/イサク/ヤコブ
ユダヤの人々が キリストに問うた 「あなたは まだ50歳にもならないのに アブラハムを見たのか?」と
キリストは ユダヤの人々に向かって こう答えた
「ハッキリ言っておく アブラハムが生まれる前から わたしはある」と。
これを聞いたユダヤ人たちは 皆一斉に 石をイエスに投げつけた。 「ヨハネ福音書/第8章」
イエスが、石を投げつけられた?→「その理由とは」
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話は 斎庭 さにわ の場面に戻ります。 あわてた大臣 おおおみ /武内宿禰 たけのうちすくね が大声で駆け寄り
ーわが天皇 すめらみこと 恐れ多いことです なにとぞ 御琴を弾き続けてくださいーと 言いました。
天皇は しぶしぶ 琴を引き寄せ弾き始めたが 嫌々いやいや 弾いているのが 一目瞭然 りょうぜん です。
この態度に神は たいへん ご立腹なさって
『そなたは 天の下の国を治める器では無い まっすぐに黄泉の国へ行くがよい』
その瞬間 琴の音の響きがパタリと止まりました。 天皇は息絶えてしまったのです。
前代未聞の出来事です。 ご神託の最中に 天皇が急に亡くなってしまったのです。
武内宿禰は 慌てふためき 恐れで震えながらも 天皇のご遺骸を殯 かりも の宮に 厳かに安置しました。
仲哀天皇は 御年/52歳の生涯を 終えられました。
その後武内宿禰は 神の怒りを鎮めるため「大祓おおはらえの儀式」の用意を急ぎます。 「大祓の祝詞」
今回は 人間の犯した罪を 贖 あがなう 程度の儀式では すみません。
神を冒涜した今回の罪は 重いです。 簡単には 神のお許しが降りるとは 思えません。
最大の誠意を持って行うならば 神は必ず お許しになるでしょうが どうなることでしょう?
第一に 行うべき行動は 神に謝ることです。 それも 正式な儀式で行わねばなりません。
それしか 残された道はありません。 「善は急げ」 ぐずぐずしていては ダメです。
再度 神が お怒りになられると 取り返しができなくなります。武内の宿禰の大臣 急いでください。
第51章へ 神に祈りは届くのか 神のお許しは?