第58章   応神天皇(4) 大山守の命の反乱
 
応神天皇は生前に 末弟の和気郎子わきいらっこ が天皇に即位しなさいと 遺言状を残していました。
  の崩御後
次男大雀 おおさざき の命は 父の遺言の意志を守って 静かに暮らしていました。
  だが
長兄大山守 おおやまもり の命 父の遺言に背そむ  天皇の座を狙って野心を抱いていた。
  ひそかに 虎視眈々
こしたんたん 和気郎子を殺す計画を 準備していたのです。
  次男大雀の命は これはマズイと思い 計画をやめるよう 兄に進言しました。
  
兄上 父の世継ぎは 弟和気郎子であると 父上が遺言を残しています。
    天皇が 山海の政事まつりごと 兄上 食す国おすくに 政事は私に 皇位に就くのは 和紀郎子の命と命じられたのです。
     兄上 亡き父の意思を継ぎ 兄弟仲良く 和気郎子を共に支えていきましょう。 これが 自分たちの使命なのです

 
ところが 長兄大山守の命は
  
大雀よ たわけたことを申すでないわ! 長男の俺が 皇位継承してどこが悪いのだ。
   天下人の「うつわ をもつこの俺が 1番 天下人に相応しいのだ。 俺が天皇に成るのが当たり前だと 吠えた。
 さあ困りました 長兄大山守の命は 大雀の命の進言を 無視しました。
  子として 父の遺言に逆らうことは 人の道から外れた行為です。
  
大雀の命は 考えぬいた末に
兄の悪だくみの一部始終を 和気郎子知らせました。
  和気郎子ビックリしました! 自分から天皇になりたいと望んだワケではありません。
  応神天皇の命令だから 皇位に就くだけのことです。天皇の命令に素直に 従う気持ちだけなのです。
  
ボサツマンの意見

  末の弟
和紀郎子本人は 自分から 天皇になりたいという気持ちでは ありませんでした。
   天皇の命令に従う気持ちだけです。自分勝手な解釈で 父の遺言を変更できません。 
   
和気郎子は まづ 兄と「言向け
(話し合い)しよう…と考えました。    そりゃ そうだ 話し合いは大事だ……ボサツマン
   和紀郎子本人は かなり 悩みました。まさか 兄が自分の命を狙ってくるとは
 醜い兄弟同士の戦などは、したくない。
   
しかし 兄が 話し合いよりも 戦を選ぶならば 自分も戦わねばならない と思ったことでしょう。
 
和気郎子は 宇治川の”ほとり”の各要所に 軍隊を配置させた。
  そして 山の頂上に見せかけの戦隊本部を造り 陣地の中央には 自分に見たてた案山子に武具を着せて
  誰の目にも 自分(和気郎子)が 陣頭指揮している如く思わせた。

  さらに 数多くの平民を仮の兵士に見立て 案山子の周りを行ったり来たり 忙しい動きも 指示しました。
  また 文武百官
ぶんぐひゃっかん の官吏かんり 大勢 自分(案山子かかし を取り巻いているが如く 配置しました。
  その様子は 遠くから見ると当
まさ に 天皇の御座所みざしょ の如く 本物の陣地と思える程です。
  
本当に 戦隊本部が忙しく動きまわっているように 見えます。

 しかし 当の本人和気郎子 見せかけだけの 山の本部にはいません。
  身すぼらしい船のかじ取り人足に変装し 擦り切れた布を纏まとっ た姿 渡船場の船の上にいました。
  ボロキレ姿の身分の低い渡し船の船頭が まさか!総大将和気郎子とは誰も思いません。
  にせ の船頭に扮ふんした和気郎子
船の床の上に ネバネバしたかずら 根の汁をタップリと塗って
  滑りやすく細工さいく して 用意周到で 兄
大山守の命の到着を待っていました。
 やがて よろいかぶと姿の
長兄 大山守の命が 大勢の兵士を従え 宇治川の畔
ほとり に現れました。
  山の上の陣地を見上げると 人が大勢動きまわっていて旗が何本も風でたなびいているのが見えます。
  大山守の命は 山の上のあの陣地が 敵陣の本部であると 即座に確信した。
  その陣の中央で陣頭指揮をしている男 あいつが和気郎子に違いないと 早合点はやがてん しました。
  
まさか?
目の前の渡し船の薄汚れた船頭が 自分の弟
和気郎子本人とは 思いもよりません。
 大山守の命が 船に乗り込んできました。船頭さんよ 向こう岸まで やっとくんな」。 「ヘイ
  船が宇治川の中ほどに達した頃
 「御侍さんよ 何を討ちに 向こう岸に渡るのだや?」と 声をかけた。
  大山守の命
船頭よ 我々は あの山の上の狂暴な大猪 イノシシ を 討ちにきたんだがやと 山を見上げた。
  
そうでっか なかなか手ごわい 相手ですぜ あんたには 無理では あんめいかな
  すると 大山守の命は イキナリ
船の上で胸を突き出して ニョキット立ちあがり
  
何ぬかすか この船頭 口が過ぎるぞ 俺は1番強いのだ 俺は無敵なのだ 大声で威張りまくった。
  その時 偽の船頭(和気郎子)は 船をおおきく傾けた。
  大山守の命と家臣は バランスを崩し足を滑らせ 水の中に落ちた。あっという間でした。
  鎧
よろい で身を固めた大山守の命は 宇治川の速い川の流れに呑まれて 溺れて沈んでいった。
  岸で見ていた大山守の兵隊たちは 船がないので 助けに行くことができません。
  あっけにとられ呆然
ぼうぜん と立ち竦すく 大山守の兵隊たちを 和気郎子の軍隊が取り囲みました。
 もともと この戦は
大山守の命の身勝手な一人ひとりいくさ です。
  大将が河に消えてしまっては
大山守
の兵隊達は 全員降参です。
  和気郎子の命は 降参した兵士たちを皆許し 自らの家臣として召し抱えた。
 大山守の命は 川の水にもがきながら 歌を叫びながら 遂に河のモクズとなっていった。
  「ちはやぶる 宇治の渡りに 棹さお 取りに 速けむ人し 我がもこに来むと歌って消えていった。
 
意味:
 「ちはやぶる(枕詞) 宇治の渡し場に 棹扱いの上手い人 早く私を 助けに来てくれ」。
 
和気郎子の命は 兄の骸むくろ を水中から引き揚げ 那良山ならやま (奈良市郊外)に 丁寧に葬りました。

  この事件の後 和気郎子の命は 皇位継承を辞退したため 天皇即位の件は 一旦 白紙になってしまった。
  和気郎子の命は 大雀の命に
皇位を譲りますが 大雀の命は受けませんでした。

  大雀の命天皇の遺言通り 和気郎子天皇になるべきという考えは 変わっていません。
  
このままでは いつまでたっても 次の天皇が決まりません。 宮中では 困っています。

  そうこうして 月日は過ぎていくうちに
和気郎子の命は 亡くなってしまったのです。
  そこで やむを得ず 大雀の命が第16代/仁徳天皇にんとくてんのう に 即位されたのでした。
  日本書記の記述には 「宇治の稚郎子わきいらっこ は自殺を遂げた」と 書かれる。
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