46章 倭建の命 東征記

 尾張と相模を平定した倭建は 走り水の海 はしりみずのうみ浦賀水道ー を渡ろうとしていた。
 この時
 弟橘比売
おとたちばなひめ  お傍そば 同行していました。
 走り水の海は 潮の流れが速い難航海路です。この日も渦のうねりが早くて 倭建の船は立ち往生のまま。
 波はさらにさか 巻いて高くなり 船の前に立ちはだかり 船は転覆
てんぷく 寸前です。
 このままでは 全員が海のモクズとなりそうです。だが
 倭建の命の全力をもっても 無理な状態です。
 その時 弟橘比売 海の神に命を差し出した。
 「倭建さま これは 海の神のお怒りなのです。 海の神は きっと 私を求めているのでしょう。
  海の神の
御霊鎮めみたましずめ のため 私が海の神のもとへ参りましょう。必ずや海の波も鎮まるでしょう。
  倭建さま あなたさまは 天皇から受けた使命を完遂して 必ず
都へお戻りくださいませ」と 言って
  自ら 海の上に敷かれた
八枚の菅畳すがたたみ 皮畳 きぬたたみ の上に坐り 最後の歌を詠んだ。
  
 さねなし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
    さねなし枕詞 まくらことば   「相模の野火
  意味:
  「相模の野火のような燃える目で を愛してくれた倭建さま 私は あなたの お役になりたいのです」

 歌を詠み終えた比売は 畳もろとも 海底深く沈んでいった。
 すると 海は静かになり 倭建の船は無事に 走り水の海を突き進んで行きました。
 七日後に 海岸に流れついた弟橘比売の愛用の櫛
くし 
を見つけた倭建の命
 御墓
みはか を建てて櫛を祀り 弟橘比売の御霊みたま を供養しました。
       (櫛は 奇しで 摩除けの意味)
     
                            あまりにも 悲しすぎる……涙涙……ボサツマン
 
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 きさき の字は 天皇のに限られるのだが 倭建の命の妻にも が使われています。
 これは 倭建の命を救うため自ら入水した弟橘比売
おとたちばなひめ  として崇め奉った意味がある。
 ほかに
 倭建の命を天皇に準じた扱いをした表現とも 考えられる。
 元々
の語源は鬼前きさき という字で 天皇に神のお告げを伝える役目の意味でした。
 また 弟橘比売が入水する時 八枚もの菅畳 皮畳 すがた かわ きぬ の畳たたみ を重ねて敷いたのは
  夫の命を救うため まもなく海神の許へ向かう妻への 尊厳の意を表わしたことでしょう。
 
山幸彦と 大綿津見の神(海の神)の娘豊玉毘売とよたまびめ との結婚式のときも
  「
アシカの皮を八重に敷き きぬたたみ を八重に敷き……」と 「23章の文」に ありました。
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  倭建の命蝦夷えみし の地も平定し 遂に 全国のすべての反抗勢力を傘下に治めました。
  都へ還る途中 足柄山
あしがらやま ー小田原市金太郎話で有名 倭建の命が食事をしていた時
  倭建の前に そこの坂の神が 怪しい白い鹿の姿で顕われました。
  荒ぶる神と判断した倭建は すぐさま その白い鹿を 退治した。
  その坂では 倭建の命は 走り水の海で別れたを思い出し
あづまはやああわが妻よ大きく泣き叫び
  
この地(国)阿豆麻あづまと名づけた。
 短連歌: 仲間が詠んだ上の句に 続けて 下の句を詠んで完成させる歌。
 
倭建の命甲斐の国酒折の宮さかおりのみや 甲府市 に滞在した時 短連歌の上の句を
 上の句: 
新治にひばり 茨城県筑波つくば (つくば市)過ぎて 幾夜か寝つる‥‥詠み 下の句を待っていると
  その場に居た 火焚きの老人(火明り役の警備兵)
  
日々並べて 夜には九夜 日には十日/日を重ねて、夜は九夜、昼は十日が過ぎた‥‥ 詠んで下の句を詠んだ。
  その下の句に感動した倭建の命は その場で 火の番の老人の地位を上げた。

  戦いを終えた倭建の命は 信濃の国を超えて 美夜受比売
みやづひめ の待つ 尾張の国へ帰って来ました。
  以前 倭建は
美夜受比売無事帰還した暁には結婚すると 寝事ねごと 約束を交わしていました。
  倭建は あの晩の約束を守り 美夜受比売に結婚を申し込んだ。
 
 たいへん うれしゅうございます この日を 待ちこがれておりました これからは 末長く お側に置いてくださいませ
  美夜受比売は 嬉し涙をうかべ 身体をしなだれ寄せるのでした
               いいね~ 待ってる女 しなだれる女‥‥あ すいません ひとりごとです‥‥‥ボサツマン
  精根尽きる戦いの連続で 気の休まる間も無かった倭建の命は 今 心からの休暇を得たのでした。
  

  ある日 倭建の命は 伊吹山の荒ぶる神を 退治しに出かけた。
  この時に 最も大事な
草薙の剣 くさなぎのつるぎ を 美夜受比売のもとに 置いて出かけてしまった。
  これが不味かった。 これが 運命の別れ道になりました。    
        それは無謀だ……ボサツマン
  今まで 出かける時は必ず身につけていて 体から離したことのない大事な
草薙の剣なのです。
  
だが 今回だけは
この山の神は 素手で 捕まえてみようと たった一人で 山の中深く入っていきました。
  倭建もやはり人の子でした。 連戦練勝の倭建の心に 油断 スキ 慢心が生じたのでした。
  
草薙の剣は 天照大御神から授かった神の剣です。必ず 帯刀たいとう してなければなりません。

  「山の神を 素手で捕まえるぞ」 自信過剰になっていた倭建は 勇んで伊吹山
いぶきやま に登っていった。
  「
神の剣」の草薙の剣だからこそ 天照大御神の御力をお借りできるからこそ 可能な話なのです。
  今まで連戦連勝できたのは 倭建の命の力だけではありません。天照大御神の力のお陰なのです。
                    う~む 倭建の命も 慢心したか 彼も人間だったか‥‥無念 ‥…ボサツマン
  山の途中で 牛と思えるほどの大きい白い猪
(イノシシ)と出くわした倭建は
  
白いイノシシ お前は 山の神の使者だろう 俺は 山の神を捕まえに来たのだ お前程度は 帰り際に 退治してやる
  猪に指をさし大きな声で
言挙げ
ことあげ し クルリと背を向けて 山を登り始めた。
  その直後 いきなり 大量の激しい氷雨が 倭建めがけて集中豪雨の如く 降り出した。
  倭建は またたくまに 身体の自由を奪われてしまい 心身不覚に陥ってしまった。
  この大きい白いイノシシは 山の神が変身していたのでした。
  見誤った倭建は
山の神言挙げしてしまいました。     ヤバイな 神に言挙げしたとは!‥‥‥‥ボサツマン

  倭建は どのように歩いたのか
覚えのないまま フラフラと歩きながら なんとか自力で山を降りて
  麓
ふもと の玉倉部
たまくらべ の村に辿り着き 身体を横になって休み ようやく 正気を取り戻しました。
  しかし 頭はクラクラ 足はふらふら 立ちあがることも歩くことも まったく困難になりました。
  倭建は
衰弱していく自分の身体に不安を感じながら 這うように進み ようやく 当芸野たぎの へ辿り着いた。
 
 以前は 空を駆けめぐった自分の身体なのに  今 私の足は たぎたぎしくなって もう歩くこともできないと弱音を吐いた。
  それ以来 この地は 当芸
たぎ と呼ばれるようになった。
                           ★ 
たぎたぎしくとは 道が凸凹していて 足がギクシャクして 歩きにくい状態。
  言挙げ
 ことあげ とは 大きな声で言い放つこと。
  神に向かっての言挙げ
ことあげ は 絶対の禁句きんく です。言向けことむけ でなければ なりません。
  言挙げした内容が 嘘
ウソ のときは 言挙げした本人に罰が降りかかります。 人間社会も同じです。
  
建御雷の神たけみかづちのかみ 大国主の命に言向けして 地上を平定したのでした。
 倭建の命の身体は益々弱まり 当芸たぎ の地からは 杖なしでは1歩も歩けない状態になってしまった。
  それ以来 この地を 杖衝坂
つえつきさか と 呼ぶようになった。
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