分別功徳品 (11)
世尊
「阿逸多あいった (弥勒菩薩通称名)よ つづいて 第3/説法せっぽう を説きます。
例えば 貴重な赤栴檀しゃくせんだん の材料を用いて、立派な殿堂でんどう や僧房そうぼう を建て、
庭園には花園や林などのほか、身体を清める池など 亦 歩きながら思索する散歩道や、
坐って瞑想めいそう できる洞窟どうくつ などを造り 供養を行う衆生たちは 勿論 大きな功徳が与わります。
その他 衣服えぶく 飲食おんじき 寝具しんぐ 医薬いやく などの 設備を調えた僧房や寺院を無数に建てて、
多くの仏・菩薩・声聞・縁覚・比丘・比丘尼たちを供養する 衆生たちが与わる功徳も 勿論 大きいものです。
しかし 私(世尊)の滅後において 法華経の教えに出会い 嬉しい感動を覚え・歓喜の心を起こし
この教えを読誦し受持し・書写しょしゃ し、他人にも積極的に書写を勧める衆生たちにも
今話した衆生たちの与わる功徳と 同等の価値の功徳が与わるのです。
それ故に 如来の滅後に、この教えを受持し読誦し他人に説き、自分も書写し他人にも書写を勧めるなど
この教えを供養するならば、塔寺とうじ や僧房そうぼう を建立し衆僧を供養することは 必要なくなるのです。
説法・せっぽう・とは 言葉で話すことだけではありません。 阿逸多(弥勒菩薩)よ、よ〜く聞くのですよ。
文字に書いて人に渡すことも説法ですし、自分の行いを示して、仏の教えを伝えるのも説法です。
説法することは、衆生を利益りやく し救済きゅうさい するという 菩薩行ぼさつぎょう の第1段階の修行なのです。
仏の教えを学んで向上し 自分が救われるという境地から、さらに前進した境地なのです。
ですから、説法の功徳は読誦の功徳よりも はるかに優っているといえます」。
ボサツマン、世尊に聞く 「五種法師」・法華経を広める五つの行・
「世尊は、法師品第10の説法にて、
法華経の教えのなかに 如来の全身があるから、世尊の舎利しゃり は奉らなくてよい と説かれました。
でも、多くの衆生は、オイラたち衆生に無上道を導いてくれた、諸仏や菩薩を祀るお寺・仏閣を建立して、
礼拝・合掌して、感謝の心を現わしたいと 強く思っております。
日常、毎朝、宝前ほうぜん (仏前)を荘厳しょうごん し、礼拝し経を唱えて、供養したいのです。
このことは、いかがでしょうか、世尊、教えてください」。
世尊 応える
「ボサツマンよ 三界は唯心の所現であるから 感謝の念は形と成って現われるのである」。
ははあ〜 かしこまりました ‥‥‥‥ ボサツマン つづく